3.11に想う

三澤洋史 

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3.11に想う
 あれから1年経った。忘れもしない。それは、これまで体験したことのない果てしなく続く船酔いするほどの大きな揺れから始まった。僕は自宅で愛犬タンタンを腕に抱き、ピアノの練習をしていた長女の志保と二人でテーブルの下にもぐりこんでいた。大地はシケの大海原のようになっていた。
 それから、テレビに次々と映し出されてゆく現実味のない津波映像。刻一刻と明らかになっていく未曾有の被害状況。やがて、ついでのようにささいなものとして報道され始めた原発の事故。全ての番組が中止され、被災のニュースとACのコマーシャルだけになったテレビ番組。イタリア留学前の全ての演奏会が中止になって完全失業した日々。パンや牛乳やトイレットペーパーやガソリン、灯油を求めてさまよった思い出。納豆すらなくなったスーパー・マーケット。暗く暖房のない部屋。それらが鮮やかに蘇ってくる。
 被災されて大変な思いをした方々、特に大切なご家族を亡くされた方々のことを思うと、本当に胸が痛む。どうか一刻も早く立ち直っていただきたい。こうして、まるで人事のような言い方しか出来ないことを許して下さい。でも、気持ちだけは分かって下さい。
 妻は今週末また石巻を3泊4日で訪ねて、被災地の人達と一緒に手仕事をしてくる予定です。僕は、そんな妻を喜んで送り出し、精神的に支えてあげることくらいしか出来ません。

鎖国
 1年経って強く思うことがある。それは、日本はまだ鎖国をしているのだということだ。特に福島第一原発事故とそれをめぐる報道のあり方を振り返ってみると、この国においては、「最も大事な時に最も必要な情報は隠されるのだ」ということが明らかになった。その意味では、我が国は見事な“言論統制”の中に置かれている。
 でもその言論統制は国から強制的に押しつけられたものではない。むしろ国民がその状態に甘んじているのだ。何故、こんなにインテリな国民が、まるで隣のどこかの国のように政府の流す嘘の情報を素朴に信じ、本質的な情報を知ろうとしなかったのか?何故、健全な批判精神と公平性をモットーとするべきマスコミが、こうした政府の態度のお先棒を担ぎ、事実の隠蔽工作に荷担し、そして誰もそれを問題視し追求しないのか?

 少しでも英語が理解出来る人ならば、震災当時の外国語サイトを見てみれば、福島第一原発事故の直後から、もう炉心溶融すなわちメルトダウンや水素爆発の可能性は語られ、その時々で刻々と変わる原発の状態は世界中に知れ渡っていた。フランスのサイトなんか、アニメーション付きで、原子炉の中がどんな状態で炉心溶融を起こして、どんな風に水素爆発を起こしたか、子供でも分かるように説明していた。見ていて笑ってしまったほどクリアであった。にもかかわらず、我が国の中だけは何も知らされていなかった。
 恥ずかしくないのだろうか?何がグローバルな世の中だ!みんな、何のために英語を習っているのだ!どんなに大学入試の英語問題を難しくしたって、何の役にも立っていないじゃないか!必要な時に必要な情報が入手出来なくて、日本語による嘘の情報だけに頼っているんじゃ、江戸時代の鎖国状態ではないか。しかも、鎖国ならば、政府によって意図的に外国からの情報がシャットアウトされているのでやむを得ないが、これだけインターネットも何も発達して、日本以外で全ての情報が筒抜け状態になっているのに、国内に限ってこれだけ見事な言論統制がどうして可能だったのだろう?

 僕が地震直後にイタリアに行って、イタリア人からいろいろ尋ねられて、どのくらい恥ずかしい思いをしたか知ってるかい?僕自身はいろいろ知っていたけど、日本人は何も知らないんだとはとても言えなかった。
 もし本当の事を言ったら、彼らのこと、絶対に、
「どうして知らないでいられるんだ?この情報化社会に?どうして知ろうとしないんだ?」
と言ってきただろう。そしていくら説明しても、
「いやいや、インテリな日本人が真実を知らないままでいることなどあり得ないだろう」
と信じてもらえなかったに違いない。
 アホだテキトーだと馬鹿にされているイタリア人だって、国民投票で即座に脱原発を決められるんだ。その潔さが僕にはまぶしかった。

 そして1年も経ってから、実は炉心溶融があったことは知っていて、最悪の事態を想定して水面下に物事を進行させてましたなんていけしゃあしゃあと言っている政府の無神経さにあきれた。でも、それに対して国を挙げて怒る様子も見せない国民にはもっとあきれている。
 さらに、菅前総理がひとりで暴走していたとかなんとか、批判の矛先を間違えたようなマスコミの報道ぶりはなんだろう。政府とグルになって言論統制していた事に対し、反省する様子も見せないのは予想していたけれど、報道の仕方の変わらない“上から目線”はなんだ。

 それよりただちにテレビに出てきて欲しいのは、あの頃毎日テレビに出演していた、原子力専門の教授や学者たちだ。
「ごめんなさい。本当はメルトダウンしていたことも放射能が大量に漏れるであろう事も、この先何年も付近には人が住めないであろう事もみんな知っていました。でも、国からの言論統制で言えなかったので、答えをはぐらかしていました。これは学者としてあるまじき行為でした。」
と、もし僕が彼らの立場ならば、良心の呵責にさいなまされて、自分からお願いしてテレビに出演して国民に謝罪する。そうしなければ自分の気が済まない。
 勿論、彼らは刑事的な犯罪行為を犯しているわけではないかも知れない。だが、真実を追究することが学者の命なのだ。コペルニクスやガリレオを見習うがいい。当時の教会の圧力の中で自らの身を危険にさらしても真実を述べた人達が未来を作り出してきた。それがサイエンスというものだろう。そのモラルが彼らに欠けているということだ。
 彼らは今頃いたたまれない思いをしているのだろうか。そうであって欲しい。もし、そうでないならば、彼らにサイエンスをする資格はない。これは、人間として最低の良心があるかどうかの問題なのだから。

国とオトナの付き合いをしたい
 これら全てのことについて最も大きな原因は、日本国民ひとりひとりに、
「真実を受け容れる覚悟がない」
というひとことにつきると思う。
 嫌なことは知りたくない。全てのことについて何の根拠もなく楽天的に、最悪の事態にはならないだろうと信じたがっているし信じている。原発が安全だと言われれば、その通り信じて今日まで原発のお膝元で生きてきたし、津波警報が発令されても、どうせ本当には来ないだろうと逃げなかったし、政府の発表する「心配ないです」といった嘘の情報にしがみついて今日まできたのである。
 そんな国民であることを知っているから、政府も事実を隠したわけだ。現に、隠していたことが分かっても、みんな怒らないわけだからね。だが今後もこれで本当にいいんだろうか?これって、オトナ同士の付き合いではないよね。
 嫌なことは誰だって知りたくない。でも、それが真実なのだったら、やはり国民として知るべきなのではないか。あるいは、国民には“知る権利”という基本的人権があるのではないか?我々は、その権利を自ら放棄していないか?

 一時は、東京に避難警報が発令される可能性もあったという。さあ、我々日本国民は、果たしてその可能性の示唆を受け容れるキャパシティを持っていただろうか。政府は、これをその時点で発表したら都民がパニックになるであろうから極秘にしたと言う。もっともらしい意見だ。でもね、“可能性は現にあったわけだから”実際その通りになった時に、これまでひた隠しにしてきたのに突然、
「何事もないように隠していましたが、実は原発は大変な事になっていたのです。すぐ東京から全員逃げて下さい!」
となった方が、もっとパニックになったのではないか。
 飛行機に乗ると、離陸する直前に緊急の際の避難マニュアルが知らされる。
「酸素マスクはこうやって落ちてきます。救命用具はこうやってつけて、ここからこうやって脱出します」
「おいおい、これから楽しい旅行をしようという時に、墜落の可能性について語るのか」
と嫌な気がするのは僕だけではないだろう。
 でも、実際にそうしたケースに遭遇した時に、
「みなさんが心配するといけないので、救命用具のありかは隠していましたし、脱出の仕方も教えませんでした」
と言われるよりマシではないか。

 僕は、外国からの情報で日本政府の嘘はとっくに見抜いていたけれど、出来れば今後は日本国民として、きちんと政府の口から真実を告げていただきたいと願っている。それがどんなにシビアな事であっても引き受ける覚悟は出来ている。
 また、取り越し苦労の可能性であっても、可能性は可能性として発表して欲しいと思っている。そしてその上で、一個人として、あるいは国民として、判断し、決断し、行動したいのである。

みなさんはどうですか?

本番の日に日帰りスキー
 あまり褒められたことではないので、こっそり言う。3月8日木曜日。僕はガーラ湯沢に、恐らくこのシーズン最後になるであろうスキーに行った。実は、この日の夜には、新国立劇場で「さまよえるオランダ人」の初日公演がある。勿論、昼間の時間に何をしてようと僕の勝手ではある。だが、もし何かの理由で新幹線が止まったりしたら・・・あるいは、もし僕が骨折や捻挫や接触事故などで帰ってくることが出来なかったり、帰ってきても業務に当たることが出来なかったりしたら、と思い始めると、お世辞にも堅実で慎重で賢い行動とは言えない。
 結果的には何事もなく間に合って公演も滞りなく済んだので、僕もこうして書いていられるわけであるが、僕の場合、こうして行かなければもう行く事が出来なかったのである。でももうこれで最後である。

 新国立劇場合唱団のスケジュールでは、約1週間に1日はオフ日がある。2月は、幸いオフ日が平日だったので2度ほどスキーに行けた。でも、その日がウィークデイでなく週末や休日だと、僕の場合、そこをめがけて名古屋や浜松や他のアマチュアの団体の練習ないしは本番が殺到することになっているので、スケジュール表に書き込んでいる内に真っ黒に埋まってしまって、下手をすると何ヶ月も休日なしという事態が普通に起こり得るのである。
 たとえば3月10日土曜日のオフ日は、浜松バッハ研究会の練習に行き、18日日曜日は名古屋モーツァルト200合唱団の練習に行く。24日土曜日のオフ日は、朝から上尾教会に行って東京バロック・スコラーズの「マタイ受難曲」上尾教会公演の練習。その後、群馬に行って新町歌劇団のミュージカル「おにころ」練習。そのまま群馬の実家に泊まり、次の朝もぎりぎりまで「おにころ」練習をして、午後2時の新国立劇場「オテロ」舞台稽古に間に合わせるという具合である。だからオフ日は、いつもよりエネルギーを使う。カレンダーをあらためて見てみると、今のところ何も入っていない3月の休日は、30日金曜日ただの1日だけである。でもそこにも、今後やってくる演奏会のソリストの練習などが入りそうである。完全休日というものは、ざっと見渡しても少なくとも5月までは1日たりともないのである。

 こんなスケジュールの中で、スキーに行く時間を捻出しようとしているのだから、普通の方法では出来るわけがない。そこで、少なくとも昼間に全く何も入っていない日を見渡すと、公演が夜にある日しかないわけだ。
 いつも通り、7:51大宮発のMAXたにがわ75号に乗って8:50にガーラ湯沢駅到着。午前中約3時間滑って昼食。午後は約1時間半だけ滑ってちょっと早めに切り上げる。それからゆったり“ガーラの湯”に入る。髪の毛を洗い、下着やシャツを取り替えて、身も心も「さまよえるオランダ人」合唱指揮者モードに切り替える。そして15:08ガーラ湯沢発MAXたにがわ414号に乗って大宮に16:15着。5時過ぎには新宿にいる。
 
 喫茶店に入り、ゆっくり珈琲を飲みながら軽食をとって、何くわぬ顔で劇場入りする。18:00演出家のマティアス・フォン・シュテークマンと、次の共同作業である「ローエングリン」の合唱についての様々な打ち合わせを綿密にする。
18:30「さまよえるオランダ人」開演。僕はペンライトを持って、客席後方の監督室に向かう。不思議と疲労感はない。むしろ頭は冴えている。

精進から法悦への覚醒へ
 時々ふと思う。普通の人って、スキーだってこんな風にしないだろうな。所詮レジャーだし遊びなんだから、そんなにシャカリキになんてしないで、別にそんなにうまくならなくたっていいじゃないって、普通は思うだろう。でも、僕という人間はそういう風に生きられないのだ。元来何をするのにもこんな風なのだ。スキーはねえ、僕にとってはレジャーではない。僕の人生ではレジャーというものは存在しない。スキーは修行であり精進なのだ。
 でもそれは楽しい精進である。僕はある意味、究極的なエピキュリアン(快楽主義者)である。スキーをするなら、スキーという快楽の神髄になるべく早く到達したい。重力と遠心力との織りなすあの独特の浮遊感や、スピードが導く飛翔感や、複雑な変拍子の楽曲を高速で指揮していくようなコブ斜面滑走のゲーム感覚を味わいつくしたいのだ。
 それは肉体的快楽なのでしょと言われるかも知れない。その部分もあることは否定しないが、実はそうではないのだ。だって、スポーツって肉体的には苦しい時だってあるじゃないですか。ここがみんな勘違いするが、アスリート達が本当に求めているのは、実は肉体的快楽ではない。むしろ精神的快楽なのだと思う。そしてその意味で、僕は自分をエピキュリアンだと言っているのである。

 先週も書いたように、肉体的欲望や名誉欲などが歳と共に和らげられてくると、僕はそれと反比例して精神的欲望が旺盛になってきている自分を発見している。音楽に対してだってそうだ。「みなさんにより良い音楽をお届けするために」音楽をやっているなどと言いたいところだが、もしそう言ったら嘘になる。
 僕は全く自己中心的に、バッハをやったらバッハの音楽の神髄を自分の耳で味わい尽くしたいのだ。精神的快楽として貪欲にむさぼりたいのである。合唱を指揮したら、極上の響きを作ってその響きをむさぼり尽くしたいのである。これは、みなさんには悪いけれど、僕の全く個人的な欲望の成せる業である。 
 むしろ肉体的欲望がある内は、人にカッコ良く思われたいとか、女の子にモテたいとか、いろんな茨に邪魔されて純粋な精神的欲望は見えにくい。でも、そうした茨がそぎ落とされてくると、肉体的欲望にさからってでも精神的欲望を充足させたいとごく自然に願うようになる。

 精神的欲望と言って聞こえが悪ければ、精神的充足感と言い換えてもいい。スポーツ選手はどうしてあのような辛いトレーニングを自らに課すのか?どうしてあそこまでストイックになれるのか?それは、低レベルでは自己満足だったり小さな達成感に留まったりしているかも知れない。でも最終的には、自分で自分の肉体を意のままにコントロールするということ、すなわち自我が肉体よりも優位に立ち、肉体に対して主人であるという境地を目指しているのである。
 水泳の北島康介選手がオリンピックで一位を取った時、
「チョー気持ちいい!」
と言った「気持ちいい」は、セックスの気持ちいいと同質ではないのである。一段階ステージが高いのである。それは肉体を痛めつけた末に勝ち取ったものであり、一位になったという自己満足だけでなく、自分で自分をコントロール出来たという勝利の感情なのだ。その意味では、厳しい修行を成し遂げた行者の心境なのである。

 そして、行者の心境のその先にあるものこそ、僕が追い求めているものである。それは何か?それは“法悦”と呼ばれるものである。法悦とは法の悦楽。つまりは宗教的なエクスタシーの世界である。それこそこの世における究極的な快楽であり、その意味では、キリストも仏陀もそれを追い求めた究極的エピキュリアンであったのだ。
 はっきり言うと、ここに到達するために僕の残りの命はある。そして、おそらく、その前段階として、精神的悦楽に磨きをかけるために、僕の音楽活動の全てやスキーなどはあるのだと思う。僕は、これらのエチュードを通して肉体への執着を断ち切ってゆき、いつかは法悦への“覚醒”の扉の前に立つ。その覚醒の扉の中に僕は生きている間にどうしても入らなければならない。それが僕の人生における究極的目標である。だから僕はその時まで決して死ねない!

角皆君の忠告
 さて、話がどんどんオーバーになってしまいましたが、スキーに話題が戻ります。コブ滑走は、2月の試行錯誤や今回の集中練習が実を結んできたようで、やっと少しモノになってきた。これだったら、親友の角皆優人(つのかい まさひと)君に少しは褒めてもらえるかも知れない。
 実は2月も、コブを滑って分からないことや問題があると、東京に帰ってきてから角皆君にメールを送っていた。角皆君も、今はシーズンたけなわでとても忙しいはずなのに、とても親切ですぐにメールの返信をくれるんだ。たとえばストックの突き方を訪ねた時などは、こんな彼からの返事がその日の内に返ってきていた。

まずストックについてですが、以下が重要です。
  主にショートターンの場合ですので、ロングターンでは必要ないところもあります。

1)ストックをスイングする方向はフォールライン方向です。
2)滑走スピードにもよりますが、突かれた実際の瞬間は、ブーツからフォールラインへの線上がベストポイントになります。
  実際は動いているので、意識では、ブーツとスキートップの中間あたりの谷方向に感じる場合が多いです。しかし、動画を静止して観ると、ほとんどブーツの真下です。
3)片手のストックを突いた瞬間、すぐに反対の手首を返し、突ける準備を整えることが大切。ストックは交互に前後運動をするので、両方が前に出たり、後ろになったりしてはいけません。
 このサジェスチョンがどんなに大事か、今回身に染みて分かった。ストックなんてどうでもいいと思うでしょう。ところがそうではないのだ。ストックなしでも滑れるし、ストックをどう突いても出来る人は出来る。けれど、ストックは確実な舵手であり、今自分が正しいかどうかを計る目安なのだ。上の通りにストックが突けていさえすれば、間違いなくコブは安定して滑れているのである。バランスを崩している時は決してこのようには突けない。その時は、このように突けないことに気付いて、とにかくこのように突くことが可能な体勢に持っていくことが大事なのである。
 このように、ほんのささいなことが体に大きく作用してくる。たとえば視線もとても大事な要素である。視線は基本的にフォールラインすなわち谷方向を向いていなければならない。これが、はずれて横を見たりし始めると、滑りもフォールライン方向に行かなくてさえなくなるし、第一、バランスを崩す原因になる。
 視線が原因を作るのではない。体勢が視線を導き出すのである。そして視線をチェックしなければ、体勢に異変があることに自分では気が付かないのである。それにコブの見え方も視線によってかなり変わってくる。
 また上村愛子も言っていたけれど、二つ先のコブくらい遠くを見ていること。この視線の距離感は、恐らく体の角度を常にふさわしい状態に保ってくれているようである。

 体って不思議である。普段、僕達はこんな風に自分の体と向かい合い、体と対話する事なんてないだろう。体って、このようにいろんな部分を通して、僕達に今の状態を教えてくれるんだ。僕達はね、自分で自分の体を案外知っていない。僕の課題は、まず自分の体の様々な状態に熟知すること。熟知したら、今度はこの肉体をどう制御(コントロール)するかを学ぶこと。

春風のガーラ
 さて、ガーラ湯沢にはすでに春風が吹いていた。何度か滑ったら熱くなったので、スキーウエアーの下のジャケットを一枚脱いでロッカーに入れた。雪はすでにかき氷のようになっていて、コブ斜面でなくてもボコボコの状態。いろんなところでみんな転んでいる。コブ斜面から整地に戻ってきてみると、以前と違ってむしろボコボコを喜んでいる自分がいた。
 不安定な状態の方が今や燃える。コブ滑走の成果があって、バランス・コントロールが良くなり、あらゆる状態に対応出来るキャパシティーが育ってきたようだ。まさにこれこそ望んでいた状態!
 昨年の3月3日の誕生日の日もここにスキーに来ていて、雪山に別れを惜しんでいたが、今シーズンも今日が最後。でも今日はそんなに淋しくなかった。やることはやった。今の自分に出来るのは、恐らくここまで。あとはまた次のシーズンに角皆君からレッスンを受けてその先の段階にいこう、と割り切っている自分がいた。

 最後に2.5キロの下山コースを一気に滑り降りる。やはりボコボコ状態だが、僕はスピードを弛めることなく荒れた斜面ではショート・ターンを繰りかえし、きれいな斜面ではカーヴィングを使って大きく深まわりをする。
 僕ほど速く滑る者は誰もいないぜ!他のスキーヤーやスノー・ボーダー達をビュンビュン追い抜いていく。僕の頭の中では、バッハ作曲「ロ短調ミサ曲」のCum Sancto Spirituがエンドレスで回っていた。



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