うた~溶かす力

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

桜!
 紺碧の空に鮮やかに浮かび上がる薄いピンクの花弁。なんと艶やか!とても久し振りに見た気がするのは、昨年日本を離れていたから。それに、出発前は大震災のショックと演奏会キャンセルによる失業状態、それに計画停電などで暗い日々が続いていた。桜が開花する前にイタリアに向かったので、美しい桜に癒されることなくミラノで春が過ぎ、日本に帰ってきて夏が来てしまった。

「生きている内にあと何回桜を見ることが出来るのだろう?」
と桜を見る度に胸が締め付けられるような想いを抱く。でも、その想いを抱くことのなかった昨年の自分を、逆に可哀想だなあと思っている。“桜を惜しむ感情”が自分にとって必要であったのだと再確認する。
 1年にたった一度だけ、わずか一週間くらい咲き誇るだけの、“もののあはれ”のincarnation(イデーのこの世的あらわれ)。もう数日もすると春風に吹かれて街角に舞い踊り、薄紅色に代わって後から顔を出す新緑に主導権を明け渡す。緑の混じった桜もきれいだけれど、今は、街中を包み込んでいる夢幻的なベールを心ゆくまで味わい尽くしたい。

桜は日本のこころ

月並みだけれど、桜という文化を持っている日本人に生まれてよかったと思う。


うた~溶かす力

「大人になるにつれ、心の中に何重にも薄い殻が重なって、本当の自分の心が分からなくなる。物語ならば、普段だったら手が届かない殻の奥にある、柔らかいところを温めて溶かしてあげられる。それがじゅわっと殻の外に出てくると、心が震えて解放されたり、涙が出たり、ということが起こる。それは、人にとってすごくいいことじゃないか。感覚的にそう思っています」
   4月4日朝日新聞朝刊に掲載されたインタビュー NHKドラマ「カーネーション」脚本家渡辺あやさんの言葉
 4月3日火曜日。朝は天気が良かったが、午後から異常な暴風雨となる。新国立劇場では、14時から「ローエングリン」合唱音楽練習が始まった。この日は14時から17時までが混声合唱の練習。18時から21時までが男声合唱の練習であった。
 「ローエングリン」はワーグナーの作品のみならず、あらゆるオペラの中で最も合唱の分量が多い作品。稽古回数は他の演目よりも多めに取ってあるが、それでも団員達の中には覚えられないのではないかという危機感がある。
 この日の練習が終わると、「オテロ」の公演の間を縫って「ドン・ジョヴァンニ」の立ち稽古が始まり、公演に向けて休みなく進む。「ローエングリン」の次の練習はというと、なんと2週間後になってしまう!だから、今日はなんとしてでもそれなりの結果を出したかった!

 ところが1時間ほど練習をして休憩に入ったところで、劇場から帰宅指令が出た。今日は、場合によっては大型台風以上の暴風雨になり、そのピークが18時から21時の間に来るそうである。交通がストップする可能性もあるので、バレエも合唱も、ピークを迎えるまでに自宅に辿り着けるよう配慮して下さいとのこと。
 いつもならば、練習がなくなったら大喜びする合唱団員も、さすがに今日ばかりは不安を隠せない。
「えー、覚えられるかなあ・・・・」

 新宿に出て驚いた。もの凄い人である。恐らくそれぞれの会社から一斉に帰宅指令が出たのだろう。朝や夕方のラッシュ時以上の、一時的に極端な帰宅ラッシュとなったわけだ。特に京王線はホームにまで辿り着かないほど人で溢れかえっている。
 家に電話した。妻に車で迎えに来てもらおうと思ったのだ。ところが娘の志保が妻の車を使っていると言う。志保も二期会の練習が突然中止になって、今ちょうど国立駅方面に妻の車で買い物に行っているそうだ。そこで僕は中央線の方に行く。こちらも人は多かったが、京王線よりは本数が多いので、まだましだった。

 志保は、一通り買い物を終えて、富士見通りにあるSQUALLスコールというオープン・カフェでカフェ・オレを飲みながら僕を待っていた。不思議な雰囲気のカフェ。駅前のエクセルシオールの喧噪とは大違いで、ゆったりした空間にバラバラな種類の椅子とテーブルが並んでいる。客もあまり入っていない。天井を見ると銀色のパイプがむき出しになっている。犬を連れて入ってもいいのだそうである。ワインなども出すので、よく志保は夜に仕事の帰りなどにひとりでゆっくりワインを飲んで過ごすという。
 僕もカフェ・オレを注文してみた。取っ手のない大きめの器にたっぷり入っていて、自然でやさしい味。メニューを見るとエスニックな料理が並んでいる。へえ、さすが国立だね。こんな店が何軒かあるらしいよ。妻もたまに来るという。僕は、これだけ長く住んでいても国立のことよく知らないんだ。
「パパ、残念だったね。志保もだけど・・・・。志保はまだいいよ。二期会の「子供と魔法」の練習ね、副指揮者の根本さんなんかさあ、二日間だけ頼まれていた内の一日だったんだ」
「あらら・・・・明日オテロの本番で逢うから慰めてあげよう」
「夕飯のおかず買ってくるようにママに頼まれているんだけど、何にする?」
「今日はさあ、もうやけっぱちだからFêteフェット(お祭り騒ぎという意味のフランス語)しようぜ。パパが来たからには金ならあるし・・・・ふふふ。さあ、買い物だ!On y va !」
 僕達は国立駅前のSEIYUに入り、ステーキ用の肉を買った。それからSEIYU内の酒屋である「せきや」に入り、その地下のカーヴでシャンパンのハーフボトルとトスカーナの赤ワインを買う。三澤家の住民は、みんな食いしん坊で飲んべえなので、こういう話は即まとまる。ステーキをすると言ったら、妻は驚くだろうが、絶対に反対はしないだろう。
 SEIYUを出て、向かい側の神戸屋キッチンでバタールとイチジク入りのパンを買い、駐車場に行こうとしたら、雨も風もかなり強まっていた。風の方向が素早く変わる。僕も、買ったばかりのパンが濡れないよう、風の来る方向にあっちこっち傘を向ける。まるでダンスをしているような動き。自分で笑ってしまったが、周りの人達の傘がみんな壊れている中で、この傘ダンスは有効な方法。こんなシーンをいつか僕のミュージカルで作ろうかな。

 ゴーッという風の音を伴奏にした我が家のFete。今晩は普通に塩胡椒して焼いただけのシンプルなステーキ。付け合わせはSEIYUで買ったもやし。ここのところ肉料理をするといつもタリアータなどのイタリアン中心だったので、かえって新鮮だった。それより、青カビ・チーズとトスカーナ・ワイン、それにイチジク入りのパンがバッチシのコンビネーションなので、志保と二人で食べ過ぎた。
 どう見てもカロリー過多なので、食後二階に上がってひとりでカーヴィー・ダンスをする。ウエストの周りの筋肉を燃焼させるので、コア・リズムと並んでカーヴィー・ダンスは女性にはお勧めですよ。
 それから階下に降りてきたら、その間に妻と志保はお風呂に入っていて、僕と入れ違いにベッドに行く。その時に、
「お風呂の自動のスイッチを切ったから、あとは冷めるばかりだからね。早く入ってね」
と妻に言われたので、歯を磨いてお風呂に入る用意をした。

 でも入る前に、ちょっとだけパウダースノウ・スキーのビデオを観ようと思った。最近よく観るんだ。広大な岩山の新雪を滑り降りる映像。新雪というより深雪。高く切り立った岩場をジャンプし、時にはパラシュートで降りたり、ジャンプしながら宙返りしたり、カラ松の林を猛スピードで抜けていく。
 この歳になってからそれをやろうとは思わないけれど、もっと若かったらトレーニングしてやってみたかった。まあ、今だって易しいところだったらやってみたい。でも岩山から飛び降り損ねて骨折したり、カラ松に激突して死にたくはない。
 親友の角皆君は、かつてフランスの山でこうしたビデオの撮影をしたという。今でもよく言っている。
「三澤君!なんと言っても一番楽しいのは深雪スキーだよ。その中でも最も楽しいのは深雪モーグルさ!」
まさに野生の解放。もやもやした気持ちの時は、この映像を観ているだけで胸がスカッとするんだ。

 見終わって、いよいよお風呂に入ろうとしてテレビをビデオ・モードから戻したら、BSで今井美樹のコンサートをやっていた。歳を取ったので最初は一瞬誰だか分からなかったが、あのオレンジを4つ切りしたような大きな口は、まぎれもなく今井美樹だ。
 最近の平原綾香などのタイプの歌手を聞き慣れていると、いささか野暮ったい感じのする歌唱。それに、すごく上手かと問われると、そうでもないなあ。だけど不思議だ。彼女の歌にはなにか心に響くものがある。
 一緒に生い立ちなんかも説明していた。父親はオーディオ専門店をやっていて、ジャズを聴いて育ったという。ところがそれでいてお父さんは体育会系の人で、小学校の頃から水上スキーでしごかれたり、本人も高校の時は陸上の選手だったという。

 僕の大好きなPRIDEという曲が始まった。その途端、胸の奥底から凍り付いていた何かが溶け出し、気が付いてみたら僕は泣いていた。
私は今 南の一つ星を 見上げて誓った
どんな時も 微笑みを絶やさずに 歩いて行こうと
 今井美樹の歌には人を癒す力がある。それは、彼女の真っ直ぐな生き方と、性格から来ているのだろう。特にPRIDEを歌う時の彼女の声は透明で、その凛としたたたずまいを僕はとても美しいと思った。少し歳を取って彼女の美しさには奥深さが増し、癒しの力はさらに強まったような気がする。

 お風呂に入って考える。なんで泣いたんだろう?どんな気持ちが今の自分にあるんだろう?何が僕の胸の中で凍り付いていて、何か溶け出したんだろう?

ああ!そうか!
「ローエングリン」だ!

 「ローエングリン」の練習が中断され、帰宅指令が出た時から、僕は、僕の想いを胸の中に閉じ込めてしまったんだ。これは仕方のないことなんだ・・・・誰を責めることも出来ないんだ・・・・そう思って合唱団員にも接したし、自分でももう考えないようにしていた。
 でも本当はちっとも納得していなかったのだ。僕はこの「ローエングリン」が大好きだから、この合唱に命を賭けているんだ。それなのに、まだまだ音取りの段階だし、僕の望むサウンドにはほど遠いのだ。バイロイトでかつてノルベルト・バラッチが作り上げていた、あの夢のようなサウンド!それが僕の脳裏に響き渡っている。でも、少ない練習の中でどこまでそこに近づけるか・・・・いや、大それた望みだけれど、僕は自分のやり方で、あのバイロイトの響きをも超えたいと思っていた。その矢先に大事な練習がキャンセルになってしまった。自分の「ローエングリン」は、また遠くなってしまったのだ。

 僕は無念だったんだ。悲しかったのだ。本当はその時に泣きたかったのだ。それに、心のあせりはその瞬間にとても大きくふくらんだのだ。自然に対して怒ってみても仕方ないけれど、静かな怒りのような感情が僕に押し寄せたのに、僕はそれらを全て自分の胸の中に無理矢理押し込めて、フタをしてしまったのだ。
それが今井美樹の歌と共に溶け出して、涙となったのだ。

凄いな、“うた”の力って!

 今晩、彼女の歌を聴かなかったら、僕は自分の感情を押し殺したまま暮らすのだろう。自分が何を心の中に抱えているかも知らずに。すると僕の中で何かが少しだけ歪むのだろう。僕だけではない。沢山の人が沢山の閉じ込めて凍り付いた感情を心の中に隠し持っているのだろう。それが少しずつ社会を蝕んでいるのかも知れない。

 もし、それらを溶かして、素直な涙に変えることが出来たなら・・・・・。そして自分が何を我慢しているのか、自分で分かることが出来たなら・・・・・。そして、自分で自分に対して、これが悲しかったんだとか、これが淋しかったんだとか言葉に出して言えるようになるのだったら・・・・・・“うた”ってなんて素晴らしい!

僕もそんな“うた”を奏でたい!



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© HIROFUMI MISAWA