指揮者マーラー

三澤洋史 

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ミッシェルと呼んで下さい!
 4月15日日曜日は復活祭第2主日。遅まきながら堅信(けんしん)を受けた。堅信とは、カトリック教会で、洗礼の次の段階として信者が受ける秘跡である。教会が定める秘跡Sacramentは7つある。洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、結婚である。これらは、キリストの意志を教会が受け継ぎ、神の権威を持って信者達に与える目に見える“しるし”である。
 堅信式の中で司祭は信者に手をかざし、聖香油を額に塗り、聖霊を受けるよう促す。信者は堅信を経て、ますます自分の信仰に確信を持ち、力強く信仰生活を送っていくわけである。特に、幼児洗礼で自分の意志に関係なく信者になっていた人達にとっては、この堅信こそが大きな意味を持つ。つまり、堅信で初めて自分の意志でカトリック信者として生きていくかどうか問われるわけである。

 ところで僕は、洗礼は20歳の時に受けていたが、堅信の機会を逃してしまって今日まで来てしまった。受けたくなかったわけではないが、通常堅信を受けるためには、それなりの講座に参加しなければならない。
 僕の場合は、指揮者になろうと決心したのが遅かったので、全てを犠牲にしても勉強しなければならなかったし、ベルリン留学から帰ってきてからは、食べるために一生懸命働いた。だから、運転免許を取得するのと同様に、堅信のための講座を受けるタイミングを失ってしまったわけである。ちなみに僕は運転免許を持っていない。

 僕の所属しているカトリック立川教会では、昨年から主任司祭が代わって、イタリア人のCelestino CAVAGNAチェレスティーノ・カヴァニャ神父が赴任してきた。イタリア人には珍しく物静かで、カトリシズムの本道を行く実に誠実な神父である。このチェレスティーノ神父の名前で、ある時僕の家に堅信を勧める葉書が来た。
妻は、
「この際だから受けなさいよ」
と僕に強く勧めたが、そのためには7回の堅信準備講座を受けなければならない。その講座は土曜日の晩に7週に渡って行われるという。
 スケジュールを見たら、僕にとっては一週間の内で最も忙しい土曜日の晩なので、空いている日が一日もない。だって、志木第九の会も新町歌劇団も土曜日の晩に練習をしているが、そこにだってなかなか行けないほどこの春は忙しいのだ。
「駄目だ、一日も出れない!」
と、すっかりあきらめていた。
 ところがチェレスティーノ師は、本人に受ける意志さえあれば、僕の場合はもう37年間も信者をしているので、彼が作った堅信準備の文章を読んで納得してくれればそれでいいと言うではないか。なんとありがたいお言葉、心の広い神父、だからイタリア人って大好き!・・・・って、ゆーか、そんなんで本当にいいの?とも思ったが、現在では、大人の場合、洗礼式の時に一緒に堅信式も行ってしまうくらいなので、僕にだって権利はある。あとは本人の自覚の問題である。
 ともかく、この機会を逃したらもう一生受けられないだろうと思って、図々しくもそのお言葉に甘え、めでたく堅信の秘跡にあずかることが出来たというわけである。この調子でいっそのこと運転免許証も取得出来ないかな・・・・ま、それはまた別の話である。

 当日は、カトリック立川教会では、岡田武夫大司教をお招きしてミサを執り行ったので、堅信も岡田大司教が授けてくれた。他の信者達は僕のことを、誰か堅信を受ける人の代父(父代わりの証人)を務めるのかと思っていたが、受けるのが僕自身なのでびっくりしていた。なんだ、なんだ、まだ受けていなかったのか、今まで何やっていたのか?という感じである。
 でも、この際だからはっきり言っておくが、僕は額に香油を注がれた時には本当に心から喜びが溢れてきたし、何かが自分の中で変わった気がした。つまり、もっときちんと信仰生活を送ろうと決心した。信仰には「今さら」という言葉はないのだ。

 それにもうひとつ嬉しいことがある。それは、もうひとつ霊名をもらったことである。今までの僕の洗礼名はアッシジのフランシスコ。それに加えて新しい霊名はミカエルMichael。勿論あの大天使ミカエルであり、モン・サンミッシェルやパリ中心地にあるサンミッシェル像のミッシェルであり、ミヒャエル・エンデのミヒャエルである。
 つまり僕は大天使ミカエルが大好きなのである。だから昔、名古屋で作ったバロックのアンサンブル集団にセント・ミカエル・クワイヤーと名付けたし、パリを舞台にしたミュージカル「ナディーヌ」はサンミッシェル界隈の雑踏から始まる。
 僕の名前をフランス語読みすると、ミッシェル・フランソワ・ヒロフミ・ミサワ。これまでFranzフランツと外国人歌手達に呼ばせていたけれど、これからはミッシェルと呼ばせようかな。

指揮者マーラー
 中川右介(なかがわ ゆうすけ)著「指揮者マーラー」(河出書房新社)を読んだ。中川氏は、以前僕が親友の角皆君達とカラヤンに関する対談を行った「クラシック・ジャーナル」の編集長であり、自分でも出版社「アルファベータ」の社長をしている。そのかたわら、「カラヤンとフルトヴェングラー」(幻冬舎新書)や「巨匠たちのラストコンサート」(文春新書)といったいくつかの興味深い著書を書いている。僕より5歳くらい若いが、カラヤンやバーンスタインなどの華やかなりし頃に音楽に傾倒した、僕とほとんど同じ世代の人間だと言ってもいい。

 僕が対談した「やっぱりカラヤン」という特集の次に「マーラーを究める」という特集を組んだことを見ても、中川氏はもともとマーラーの音楽に特別な思いを抱いているようだ。でもこの「指揮者マーラー」という著書は、通常のマーラーの本とはちょっと違う。何が違うかというと、タイトルの通り、この著書の中で描かれているのは「指揮者マーラー」としての軌跡であり、作曲家マーラーに焦点が当てられたものではないからだ。
 現代では、作曲家マーラーの名声があまりに大きいために指揮者マーラーの面は語られることが少ないが、仮に彼が全く作曲をしなかったとしても、今日我々がハンス・フォン・ビューロー、ニキシュ、ワルター、トスカニーニ、フルトヴェングラーといった歴代の指揮者の系譜を語るならば、マーラーの名前は間違いなくニキシュとワルターとの間に入れられて語られるであろう。ウィーン宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場)総監督をはじめとして世界のトップに登り詰めていたマーラーは、当時としてはむしろ「最高のオペラ指揮者、ただし夏のバカンスには作曲もする」という風に捉えられていたのである。

 それにしてもオペラといい演奏会といい、マーラーの指揮する演目はとても限られている。特にそれは、彼が音楽監督や総監督になって、自分で演目を選べる権限を持ってから顕著である。まず、ワーグナーの楽劇は、いつどこの劇場に行っても彼のレパートリーの中心に置かれる。特に「トリスタンとイゾルデ」と「ニーベルングの指環」には、特別の思いがあるようだ。
 それから「ドン・ジョヴァンニ」や「フィガロの結婚」「魔笛」といったモーツァルト。さらにベートーヴェンの「フィデリオ」やウェーバーの「魔弾の射手」。要するにドイツ系のレパートリー中心ということだ。フルトヴェングラーなどの戦前のドイツ指揮者は基本的にそうであったので、これは特別な事ではない。むしろカラヤン以後、ドイツ系指揮者のレパートリーがよりインターナショナルになったので、現代の視点から見ると偏ったように感じるわけだ。
 一方、ドイツ系以外のオペラに関していうと、逆にマーラーの嗜好が良く分かる。たとえば、ヴェルディに関していうと、特定の作品しか取り上げる気はなかったようである。恐らく番号形式を踏襲したヴェルディを、あまり好んでなかったようである。その中では「アイーダ」と一番最後の作品である「ファルスタッフ」がお気に入りだ。それに次いで「椿姫」や「トロヴァトーレ」。
 ポピュラーな「椿姫」は分かるとしても、ヴェルディのドラマトゥルギーの根源ともいえる「リゴレット」や、深淵かつ重厚な「ドン・カルロ」に全く興味を示していないのは、ちょっと不可解だ。それに、ワーグナーからの影響が濃厚な「オテロ」は、マーラーだったら絶対に好きになるに違いないと思っていただけに、マーラーがこの作品を彼の生涯においてただの一度も指揮しなかったのは、ちょっと残念である。「オテロ」と同じように番号形式を廃し、同じくワーグナーからの影響の濃いヴェルディ最後のオペラ「ファルスタッフ」をあれだけ頻繁に指揮しているのに・・・・。
 面白いのは、案外「カルメン」なんかが好きで頻繁に指揮しているし、スメタナの「売られた花嫁」やチャイコフスキーの「エフゲニ・オネーギン」のような、馴染みの薄い作品を積極的に西欧圏に紹介していることだ。それと「カヴァレリア・ルスティカーナ」を反対を押し切ってまでも紹介している。これは分かるが、その割にプッチーニにはそれほど積極的ではない。

 従来のマーラー観によると、ウィーンを去ってアメリカに渡ってからのマーラーは心臓病を病むと共に精神をも病んでいて、死への恐怖に怯えながら暮らしていたと言われている。ベートーヴェンやシューベルトなどが9番目の交響曲を書いてから亡くなっていることから、自分も第9番を書いたら死ぬのではないかと怯え、第9番目の作品を「大地の歌」と名付けたりした逸話は有名である。
 その情報は妻であるアルマ・マーラーからもたらされたものであるが、前島良雄氏などはそれに異論を唱えている。アルマ・マーラーの人間性と、彼女の主張の信憑性に疑問を投げかけて、アルマが意図的に晩年のマーラー像をねつ造したというのである。
 中川氏のアメリカ時代の記述は、まさに前島氏の反論を裏付けるようである。つまり、アメリカに渡ってからもマーラーは、少なくとも肉体的には依然精力的であり、トスカニーニと確執劇を演じるなど、とても精神を病んでいるようには見えない。それにマーラーの死も、むしろ突発的なものであり、長い間の闘病生活の末というわけでは全くないことは、直前までの彼の多忙さが物語っている。どうも僕たちは、マーラーの音楽の中に潜む、カリカチュアされた繊細さや、ある種の脆弱性に幻惑されて、アルマの描くひ弱なマーラー像に飛びついてしまったようである。

 ただ僕にはひとつだけ気になる点がある。それは、ウィーンではワーグナーの楽劇をノーカット晩で上演したり、演出に介入して斬新さを追求するなど、あんなに様々な点にこだわり、沢山の敵を作りながらそれをものともせずに突っ走ったマーラーが、メトロポリタンでは、全くおとなしくなってしまったということだ。
 少ない稽古回数でも文句を言わず練習をこなし、演出や配役にも口を出さない。大好きなワーグナーであっても、
「これが当劇場の伝統的カットです」
と告げられると、
「ハイ分かりました」
と従う。総支配人兼総監督になってくれと劇場から言われても、それを断って1シーズンに3ヶ月間だけ振る客演指揮者の立ち場に甘んじている。その豹変ぶりは拍子抜けするほどだ。
中川氏の言葉によれば、
「ウィーンでオペラの大改革を成し遂げた革命家は、ニューヨークでは職人として仕事をこなすのみだった。この心境の変化については、長女の死と心臓疾患であるという診断によって、全てがどうでもよくなっていたからだと、妻アルマは述べているが、当人がそう語った記録はない」
ということである。
 これを読んで僕はピンときた。つまり、ウィーンでの喧噪に嫌気がさしたという以上の、なにか根本的な変化が、マーラーの内面に起こったと思えて仕方がない。確証はない。単なる第六感だ。でも、どうも僕には、マーラーの中で何かがポキッと折れたのではないかと感じられるのである。
 かといって、相変わらず「トリスタンとイゾルデ」や「ワルキューレ」「ジークフリート」などという体力の要る作品を振り続けているのだから、アルマが言っているような、精神を病んでいるとか体調が悪いとかいうことではない。
 僕の言いたいことはそうではなくて、マーラーは悟ってしまったのではないだろうか。ウィーンでの生活が終わった時点で、もう自分の人生がある意味で終わってしまったことを・・・・。その意味では、僕の意見は、前島氏の考えとも少し違うかも知れない。つまり、あれだけ啓示的な音楽を書くことの出来るマーラーであるならば、自分の死のビジョンをある時垣間見てしまったとしても、なんら不思議ではないのだ。
 トスカニーニとの確執にしても、ワーグナーの演目を振らせる振らせないと争う元気があるじゃないかという意見がある一方で、こうも考えられないだろうか。そもそも、以前のマーラーだったら、メトロポリタン歌劇場の総支配人兼総監督という立場を受け入れないはずはなく、そうしたらそんなチマチマした確執にこだわる必要もない。彼は、元来はもっと大きなことを成し遂げる度量の大きな人間であったはずである。戦いは、もっと大きな敵に対して常に堂々と行っていたのである。
 僕には、ニューヨークでの活動は、彼にとってある意味余生のように思えてならない。とはいえ、メトロポリタンでは五演目を二十五公演指揮しただけで、現代の日本円にして約一億円稼いだというから、凡人の言うところの余生という言葉にはとうていあてはまらないが・・・・、逆にいうと、だからこそ彼にとっては余生なのではないか。
 「妥協なき孤高の芸術家」から「指揮をして稼ぐ職人」に成り下がるためには、何かが壊れなければならないのではないか。たとえ外面的にはどんなに元気であろうとも・・・・・。

 この本は、客観的なスケジュールの羅列のような体裁を持っているけれど、どのマーラー本よりも、僕には実際に生きたマーラーという音楽家の軌跡がうかがえて、興味深かった。何よりも中川氏自身が、出版社の社長であり雑誌の編集長であるという「他人の作品を扱う」生活をしながら、自分でも物書きとして作品を作り出す人生を送っていることが、この本をこれだけ面白くしているのだろう。つまり、マーラーも全く同じ二足のわらじを履いていて、その生き方への共観がこの本を作り上げたわけだ。

二つの尻尾
さて、尻尾を出したな。二匹の怪物め!

 一匹目は、日本政府。大飯原発再稼働に向けた動きだ。満足な根拠も示さないまま、
「安全です」
といって、再稼働を急いでいる。もう何が何でも再稼働ありきでスケジュールを決めているように見える。どう見ても不自然だ。

 今朝の朝日新聞を見て驚いた。全国定例世論調査によると、再稼働を妥当と判断した野田内閣について、国民の反対は55パーセントと書いてある。そ・・・それだけ? 確かに過半数の国民は反対している。でも、これは原発放棄とか反原発とかの調査ではなく、大飯原発の再稼働に限った調査なのだよ。出来れば9割くらい反対して欲しいと僕は思った。 
 もし万が一、東日本大震災のような地震が起きて、福島第一原発のような深刻な事故が日本全国どこで起きても、もう日本は本当におしまいだからね。しかも、日本の周りは今、活動期に入っているので、3.11と同規模の地震や津波が明日にでも起きないと誰にも保証出来ないのだ。だから、こんなおざなりな検査でゴーサインを出してしまっていいはずがない。再稼働をするならしてもいいが、それなら安全基準をもっともっと厳しくして万全の体制で稼働させなければ、本当に危ないのだ。そんなことは子供でも分かることだ。

 この安易な再稼働の尻尾をたぐっていったら、“経済”という怪物に辿り着く。この国においては、戦後、人の命よりも経済原理の方を何よりも優先する方程式が出来上がっているのである。その方程式は、バブルがはじけ、リーマン・ショックを経験してから、ほとんどもう役に立たないのに、まだしがみついている人達が多くいるわけだ。

 今、このまま大飯原発再稼働を許したら、すぐに次の原発再稼働のゴーサインが出て、次々に再稼働するだろう。本当は危ない原発も、どんどんその事実を隠して稼働させる。いろんなマズい事実を、政府ぐるみ、マスコミぐるみで恥も外聞もなく隠すのは、もう証明済みではないか。
 そこにまた大災害が起こって深刻な原発事故に発展したら、皆さんそれを甘んじて受ける覚悟があるのですか?もしないなら、今こそ反対する時です!言っとくけど、この国では、誰も国民の安全を守ってくれないからね。自分の命は自分で守るしかないのだ!

 もうひとつの尻尾は、アメリカだ。日本の郵政民営化見直しに対してアメリカが猛反発しているだろう。不思議に思わないかい?だって日本国内のことだろう。大きなお世話ではないか。日本国内で賛成反対の議論するのはいい。でもなんでアメリカに文句言われなければいけないのだ?それは内政干渉ではないか?しかも、見直しするならTPPの土俵に乗せないという脅しめいた事まで言っている。
 いいですか、みなさん。これがアメリカの本音なのです。TPPをきっかけに、アメリカはどこまでも日本に内政干渉をしてくるつもりだ。詳しいことを書くと、長くなるので割愛するが、要するに、アメリカのこの“不可解に見えるリアクション”をマークする必要があるのだ。これこそが怪物の尻尾だ。
 実は、アメリカは確実に日本を食い物にしようと虎視眈々と狙っている。アメリカ経済も今はガタガタだから、以前のように善人ぶって偽善的なアプローチをしている余裕はない。もうなりふり構わずあせって尻尾を出してしまったわけだ。それに気が付かなければ・・・・。
 日本がきつねと狸の化かし合いを演じられるほど狡猾な国ならTPPに参加してもいい。でも、対等な交渉も出来ない今の状態のままでノコノコTPPに参加したら、必ず日本は餌食にされ潰される。

 それにしても、どこまでも平和ボケでお人好しな国、日本。そんなことだから、北朝鮮がミサイルを撃っても、確認して発表するまであんなに時間がかかってしまうわけだね。



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