ローエングリン・サウンドの秘密

三澤洋史 

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ハナミズキ
 ハナミズキが美しい。日が延びてきたので、早朝の散歩を開始する7時前には、すでに太陽は街の空高く上がり、仕事に出掛けていく人々を見下ろしながら、その圧倒的な光と熱を降り注いでいる。その朝日を浴びて、青空に鮮やかに浮かび上がるハナミズキの花と緑のコンビネーション!紅色の花もきれいだけれど、僕はなんといっても純白の花が好きだ。桜より清楚で、梅よりあでやか。
 お手軽に検索出来るのでつい見てしまうWikipedia(誰もが書き込めるので時々虚偽の記載あり要注意)によると、1912年に当時の東京市長であった尾崎行雄が、ワシントンDCに桜(ソメイヨシノ)を送った返礼として1915年にアメリカから贈られたのが始まりだそうである。北アメリカ大陸(東部海岸沿い)からメキシコにかけて分布する。そういえば、ヨーロッパでは見かけない。

 今年は、4月に入ってから雨が多かったので、ハナミズキだけでなく、新緑やあらゆる花が生き生きとしているようだ。我が家の猫の額ほどの庭にも一本の純白のハナミズキの木があって、この原稿を書いている2階の書斎の窓から見える。それを見ながらしあわせな気持ちでいた。
 ところが妻が最近どこからか聞いてきた。
「ハナミズキのアレルギーってあるらしいわよ。アメリカではこの時期結構花粉症のようになっている人が多いって・・・・」
 なんだって?そういえば、お花がきれいだからって窓を開けると、お花ではなくお鼻がなんとなくグシュグシュするんだ。花粉がもう終わりなのに、なかなか完治しなかったのは、もしかしてハナミズキのせい?花粉ではなんでもなかった妻もここにきて鼻が詰まっている。大好きな花なのになあ・・・・。

花水木ではなく鼻水木?


禁酒~解禁~禁酒~解禁
 ところで、アレルギーを軽減するための禁酒は案外続いている。とはいえ無理しないでユルい禁酒。先週は、22日日曜日にGevrey Chambertinを飲んでから、月曜日は禁酒。24日火曜日はお客様を連れて国立のピッツェリアであるPizzettoでワインを飲んだ。それから水曜日は禁酒。木曜日にちょこっとビールを飲んで、金曜日、土曜日の二日間は禁酒。まあ、それでも自分としては上出来だ。
 体調はすこぶる良い。それにお酒を大切に飲むようになった。たとえばビールなどという安いガサツなお酒を大量に飲むのはもったいなさ過ぎる。あれは乾杯だけでいい。やはりお酒の王様はワインだ!世の中にワインほど味わい深い飲み物はない。白ワインもいいが、やはり赤ワインだ。果実の香りがタンニンの渋みと調和してなんとも言えない。それに樽の香ばしさが加わると、星の数ほど味わいの種類がある。
 うーん、酒なくして何の人生よ!そうだ、僕は酒を愛するが故に禁酒をするのだ。惰性で飲むのではなく、きちんと味わうために体をピュアーな状態にしておくわけだ。

 ということで、29日の日曜日の晩はまたまた解禁プチ・パーティー。「ドン・ジョヴァンニ」千秋楽の後、帰りに初台から新宿まで歩き、途中のやまやでサルディニア島(イタリア)の白ワインとトスカーナの赤ワインを買った。今晩は僕が料理を作る。
 先週は、ずっと7月1日の「マタイ受難曲」のパート譜に、弦楽器のボーイングだの表情記号だのを書き込む作業を集中して行っていた。それが終了して東京バロック・スコラーズの係の人に送ったばかりなので、実に開放感がある。とはいっても、すぐに名古屋モーツァルト200合唱団の演奏会が5月5日に控えているので、開放感は束の間なのだけどね。

pollo alla cacciatora鶏肉のカッチャトーラ
 ともあれ、今日は気分転換に料理を作る。本日の料理はイタリアンの定番であるpollo alla cacciatora鶏肉のカッチャトーラである。cacciatoraはcacciareカッチャーレ(狩りをする)という動詞からきた言葉で、alla cacciatoraアッラ・カッチャトーラは狩人風の意味。つまり鶏肉の狩人風。簡単な料理なので皆さんに特別紹介しようと思う。これを読んでいる男性の読者!これぞオトコの料理です。狩人風なんだから。真似して一度作ってみてね。

材料
鶏肉 骨付きぶつ切りが基本(今日妻が買ってきたのは手羽元。要するになんでもいい。イタリアではどうせ一匹まるごと買って自分でさばくのが基本だろうから)
たまねぎ
にんじん
セロリ(これははずせない)
マッシュルーム(エリンギなどでもいい)
赤ピーマン(緑のでも黄色のでもいい)
ローズマリー、タイム、ローリエ、イタリアンパセリ、にんにく、鷹の爪、塩、胡椒
オリーブ油
白ワイン
カットトマトの缶詰


作り方
鶏肉は、包丁で適当に切れ目を入れて味が染みやすくして、塩、胡椒をし、切れ目にすり下ろしたにんにくをすり込んでおく。野菜の切り方はお好みだが、僕の場合はすべて1センチ以内のサイコロ状に切るのが好き。
鍋の中にオリーブ油とつぶしたにんにく片及び鷹の爪を入れて熱した後、一度取り出し、鶏肉を焦げ目が付くまで炒める。その後一度鶏肉は取り出す。
残りの油でサイコロ状に切った野菜を炒める。さっきのにんにく片や鷹の爪も入れる。辛いのが嫌な人は、もう鷹の爪は入れなくていい。それから白ワインをかなりドボドボと入れ、カットトマトの缶詰の中身を入れる。基本的には水を使わないので、水分はワインとトマト缶から出るもので間に合わせるのだ。

ローズマリー、タイム、ローリエを入れてちょっと煮る。それから鶏肉を入れて再びコトコト煮る。野菜がスープに溶け込む前に水分がなくなったら水を加えて調整する。ただ、あまりユルいスープになるより煮詰めた方がいい。20分くらい煮て具がなじんできたら塩胡椒で味を整えて出来上がり!
お皿に盛ってから刻んだイタリアンパセリをお好みでかける。パンと赤ワイン(白ワイン)とで召し上がれ。

 僕の場合は、pollo alla cacciatoraに加えて、白アスパラとトマトとサニーレタス、小さく切ったピクルスのサラダを作った。ドレッシングも僕の特製。タマネギをすり下ろし、オリーブ油、バルサミコ、塩、胡椒しただけのもの。でもすり下ろしたタマネギがおいしいんだ!
 ローズマリーは家の庭にあるものを使った。この香りが必要なので、ローズマリーやタイムはなんとか調達して下さいね。他のレシピにはブイヨンを入れなさいとかあるが、そうすると結局ブイヨンの味になってしまうので、決してブイヨンは入れないこと。鶏肉や野菜から充分ダシが出るからね。


 僕のお気に入りのパンは、アンデルセンのエピ。小麦粉がしっかり練ってあって、こうした西洋料理によく合うし、ゴルゴンゾーラのようなチーズと赤ワインのコンビネーションが抜群!

 ということで、なんだか解禁する毎にこんな食事をしていたら、健康なんだか不健康なんだか分かりましぇんなあ。

ローエングリン・サウンドの秘密
 先週は、「ドン・ジョヴァンニ」の公演の合間を縫って「ローエングリン」の練習に明け暮れた。もう合唱の量がハンパじゃないので、みんな暗譜に必死だが、ここにきてやっと僕のイメージしていたサウンドに近くなってきた。イタリア・オペラとはまるで違うサウンド。それは「さまよえるオランダ人」の荒々しい音とも違う。ドイツ特有の暗めで深い音色。ドイツ合唱の神髄とも言える。
 手前味噌で言うけれど、これが指導出来るのは、現在のところ我が国では間違いなく僕ひとりだろう。何故なら、それはあの名合唱指揮者ノルベルト・バラッチの元で習得しないと決して実現出来ないものだからだ。

 1997年の新国立劇場開場記念「ローエングリン」公演のために、バラッチが二期会合唱団相手に作っていた男声合唱の響きは、とても美しかったのだが、反面、
「あれっ、こんな小さくていいのかな?」
と思った。それは、テノールなどに結構下の音域からファルセットにさせてしまうので、ややパワー不足に感じられたのだ。その謎を解明すべく僕はバイロイト音楽祭で働くようになった。

 話を進める前に言葉の定義について語ろう。これから僕は「ファルセット」と「裏声」という二つの言葉を使う。この二つは本来同じ意味である。つまりfalsettoというイタリア語を日本語に訳すと裏声となるだけである。ちなみにfalsettoというイタリア語はfalso「間違った」「偽の」「みせかけの」という形容詞やfalsare「真実をゆがめる」という動詞から来ている。音声学的に言うと、声帯やその近くの器官や筋肉を操作して、基音に対して第2倍音すなわち1オクターヴ上が出るようにすることである。だからfalsettoで歌った時の声帯は、基音(出ている音の1オクターヴ下)の緊張で引っ張られているに過ぎない。つまりfalsettoとは、ギターやヴァイオリンなどの弦楽器で言えば、弦の真ん中に指を軽く乗せるハーモニクスと一緒であり、リコーダーなどの管楽器では、同じ指使いで強く吹いて1オクターヴ上の音を出すのと同じ原理である。
 たとえば美空ひばりが地声で歌っていて、一番高い音域だけまるでヨーデルのようにコロッとひっくり返る時は、ほぼフルの裏声になる。このフルの裏声のことを、我が国ではファルセットと呼ぶことが多い。なので、僕もフルの裏声に限ってカタカナでファルセットと書くことにする。

 クラシックの声楽の場合、ポップスやジャズと違って、ファルセットのままで歌うことはほとんどない。必ず何らかの方法で地声と裏声とをミックスしている。テノールという声種は、音域のちょうど中間くらいのところにチェンジ(イタリア語でpassaggioドイツ語でUbergang)と呼ばれる区域があり、ここから上は地声のみで歌うことは不可能なので、この地声と裏声とのミックスのテクニックが不可欠だ。
 ひとつのメロディーを歌う場合、たとえばバスだったら、ほとんど全ての音域を地声でカバー出来るし、女性はクラシック音楽の場合、裏声をベースにした歌唱で全音域をカバー出来るのに、テノールのメロディーは、地声区域と裏声ベースの区域とにまたがっており、音色の統一感を得るのがとても難しいのである。だから、特に男声合唱の音色を左右するのは、チェンジのあたりから上の音域のテノールの処理にかかっているのである。

 テノールの高音域の歌唱であるが、大雑把に言って、イタリア・メソードとドイツ・メソードとがある。分かり易く言うと、イタリア・メソードの方が地声の割合が多く、ドイツ・メソードの方が裏声の割合が多い。イタリア・メソードの方が力強く、ドイツ・メソードの方が弱音を中心にコントロールがし易い。
 イタリア・オペラでは、アリアのここぞという時に高音を輝かしいフォルテで披露出来るように書いてあるが、シューマンやフーゴー・ヴォルフの歌曲では、何気なく出てくる高音をきめ細かく処理しなければならない。「マタイ受難曲」の福音史家を、イタリア・メソードのデル・モナコやステファーノで聴きたいと思わないように、ドイツ・メソードのペーター・シュライヤーやクルト・エクヴィルツの「オテロ」や「道化師」を聴きたいと思わないだろう。そのくらい、このふたつのメソードは違うが、その違いを分かっていれば、両方のメソードを使い分けることも不可能ではない。
 我が国のテノールは、基本的にイタリア・メソードだ。まあ無理もない。だいたいテノールになりたいと思う人は、パヴァロッティやドミンゴにあこがれてなるもんだ。僕だって、もしテノールだったら、「イル・トロヴァトーレ」のハイCをピシッと決めて万雷の拍手を浴びたいものな。

 さて、話を1997年の日本人の「ローエングリン」合唱に戻ろう。当時の二期会合唱団とバイロイト祝祭合唱団のサウンドを聴き比べて見ると、かなり似ているのだけれど最後の一歩でちょっと違う。そしてその一歩を踏み越えるのは予想以上に大変だ。僕はバイロイトで「ローエングリン」合唱の響きを聴いた瞬間、
「あっ、なるほどな」
と答えを見つけた気がした。彼らはドイツ・メソードで裏声の割合を極限まで高めたミックス・ヴォイスで歌っていたのである。一方、バラッチが日本人相手にやらせていたのは、単にファルセットで歌わせていたのだ。
 その頃バラッチは、ローマのサンタ・チェチーリア合唱団の常任指揮者をしており、イタリア・メソードの真っ只中にいたから、イタリアン・テノールを使って自分のサウンドを作るのに手こずっていたに違いないのである。中途半端に地声でガナられてしまうより、ファルセットにさせた方が安全なのは分かっているが、本当にバラッチが意図していた、あの夢のようなサウンドを具現したいと思ったら、このファルセットの壁を越えなければならないのである。

 先ほど、我が国のテノールはイタリア・メソードが中心だと言ったが、1997年の新国立劇場開場から2012年の今日までの新国立劇場合唱団のクォリティの進歩にはめざましいものがある。イタリアン・メソードといっても、チェンジから上はミックス・ヴォイスには違いないので、フランコ・コレッリなどがアリアの高音域でハッとするような弱音を出すように、テクニックさえあれば裏声と地声との割合を制御するのは可能なのである。今回はそれに挑戦してみた。時間をかけて、みんなをドイツ・メソードに導いていったのである。現在の彼らの能力からすれば不可能な事ではない。

 さて、今日4月30日月曜日は最後の音楽稽古。明日からいよいよ立ち稽古が始まる。まだまだ公演初日までは一ヶ月あるが、みんながあっと驚くようなサウンドに仕上がる予感がしている今日この頃である。




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