タンタン逝く

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

タンタン逝く
 愛犬タンタンが死んでしまった。この7月で12歳になる老犬なので、いつかこういう日が来るのは覚悟していたが、あまりに突然だったので、自分の魂がまだその現実を受け入れられない。その喪失感は、悲しいとかいう感情をはるかに超越している。
 こうして文章に書いてしまうこと自体、なにかある尊厳に対し、やってはいけないことをしているような気がする。でも、理由も書かないで「今日この頃」をお休みするのも失礼だ。本当は、新国立劇場合唱団が頑張っている「ローエングリン」の立ち稽古風景とか書きたかったのだけれど、ごめんなさい、他のことは書けません。来週書きます。

 5月5日土曜日。6時過ぎ。僕は、名古屋モーツァルト200合唱団の演奏会を終わって、楽屋に戻ってきた。昨年はバッハのロ短調ミサ曲だったので、モーツァルトの名前の付いている合唱団としては久し振りのモーツァルト。みんなモチベーション高く、心のこもった素晴らしい演奏を行ってくれた。
 着替えを済ませ、打ち上げ会場に行こうと思ったが、何故か力が抜けたようにソファに座ったまま体が動こうとしない。疲れているわけではない。こんなことは初めてだ。不思議に思っていたら携帯電話が鳴った。妻からだった。
「あのね、タンタンの心臓が止まったの・・・」
か細い震えるような声だった。我が耳を疑うという言葉をよく聞くが、まさにこういうことか。妻は、あまりに悲しくて「死ぬ」という言葉を使えなかったのだ。

 実は5月4日金曜日明け方からタンタンは体の具合が悪かった。妻と長女の志保は、僕を国立まで車で送る時にタンタンも一緒に乗せ、そのまま獣医さんのところに連れて行った。僕は電車に乗って名古屋に向かったが、後でメールが来て即入院したことを知る。
 国立駅前でタンタンと分かれる時、妻が毛布にくるんで抱いていたタンタンが僕を見つめた。その眼差しにギクリとした。まさか・・・の予感があった。勿論誰にも言わないでおいた。でも娘の志保は気付いていた。
「あの時、パパとタンタンが見つめ合っていた瞬間、とってもよく覚えている。なにか普通じゃないものを感じた」

 何も知らないで第25番ト短調シンフォニーを指揮していたけれど、不思議な哀しみが胸の中いっぱいに溢れていた。戴冠式ミサ曲の飯田みち代さんの歌うAgnus Dei(神の子羊)と、その後のソリスト達と合唱のDona Nobis Pacem(我らに平和をあたえ給え)の言葉がやけに心に響いていた。アンコールのAve Verum Corpus(まことの御体)が、こんなにメランコリーに感じたことはなかった。
 後から考えると、指揮していた自分の心の中は、これまでにない精神状態だった。うまく言葉に言えないけれど、なにかが・・・というか、全てが違っていたのだ。だから、妻から電話があった時、もの凄く意外ではあったけれど、実はあまり驚かなかった。むしろ全てのことが自分の中で符合し、安堵に似た感情が支配した。
 モーツァルト200合唱団の人達には本当に申し訳なかったけれど、打ち上げを失礼し、芸術文化センター前からタクシーをひろい、連休の指定席完売の新幹線の自由席に飛び乗った。一刻も早く家に着きたかった。

 悔やみはいくらでも残る。4日の明け方、僕の枕元で異常に大きな心臓の音を響かせながら全身で震えていたタンタン。タンタンの口が僕の耳元にあり、あえぐ息で目が覚めた。タンタンは最初に僕に異常を知らせてくれたのだ。
 それなのに、体中から絞り出すように部屋中の至る所にうんちとおしっこをし、さらに食べたものを全部吐いてしまったり、苦しくて座ることも出来ないタンタンの一部始終を見ていながら、何もしてあげられなかった自分が悔しくてたまらない。辛かっただろうな。苦しかっただろうな。ごめんね、と言っても仕方がない。自分に一体何が出来たというのだろう。でも、百回でも千回でもごめんねと言いたい。
 入院して一晩病院の見知らぬケージの中でたったひとりで過ごしてさぞや心細かっただろうな。5日の夕方、妻が退院の相談をしに病院に行った時は、もう医師が心臓マッサージをしていたというから、つまり家族の誰も死に目に会えなかった。

ひとりぽっちで逝ったんだ!

 でもね、タンタンの全生涯を考えた時、間違いなく僕たちの家族の所に来てタンタンはしあわせだったと思う。妻も、志保も杏奈も、本当に可愛がってくれた。タンタンを愛することにおいては三澤家の家族に悔いはない。僕がクラビノーバでスコアの勉強をすると、必ず膝の上に登る。タンタンを乗せるために僕はあぐらをかかなくてはいけないので、ペダルが使えなくて困った。寝る時は僕の股ぐらが定位置だった。

 そしてタンタンは、みんなに愛とやさしさを与え続けてくれた。難しい年代にさしかかっても、娘達の心が曲がらなかったのは、小さきものをいとおしむ心をタンタンによって育んだからだ。ありがとう!タンタン!

 タンタンを可愛がってくれた全ての方達へ、この場を借りてお礼を言います。僕たちのタンタンを可愛がってくれて、本当に本当にありがとうございました。

後で分かった。僕の名古屋のコンサートが終わるのと同時くらいに息を引き取っていた。

タンタン!いつか天国で逢おうね。絶対だよ!



Cafe MDR HOME


© HIROFUMI MISAWA