佐藤研氏のイエス観

三澤洋史 

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反原発集会に17万人~ここまでやってももし変わらなかったら
 7月16日月曜日。海の日。昨日は群馬で一日中ミュージカル「おにころ」の練習。今日は浜松に来て、浜松バッハ研究会によるバッハ作曲「ロ短調ミサ曲」の練習。午後に合唱練習。夜はオーケストラ練習の初日。
 21時に練習が終わって浜松駅に戻ってきて、22:00発の新幹線まで待合室で過ごす。ホームページのための原稿はほぼ仕上がっているが、家に着くのが夜中の12時半を過ぎるため、今回の更新は明日になってしまう。待合室の一画にあるソケットのついたカウンターにパソコンのACアダプターをつないで原稿の見直しをする。

 待合室の真ん中にあるテレビでは、NHK報道番組で、今日の午後に行われた「さようなら原発十万人集会」様子が映し出されていた。もし浜松に来ていなかったら、間違いなく僕も参加していたであろう集会だ。おっと、妻は出ていたんだな。なになに?主催者発表で十七万人だって?凄いな!家に電話しちゃえ。
 妻が出た。彼女も同じ番組を見ていた。もの凄い人が来ていて、メイン会場になっていたサッカー場は、とても入れる状態ではなかったという。炎天下、声を出しながら歩き回ったので、くたくたになったそうだ。まだ興奮冷めやらぬ感じだ。テレビと電話で両方から情報が入ってきてこんがらがってきたので、電話を切った。

 17日の朝。朝日新聞では、予想していた通り、第1面には天声人語で触れている以外何も記載無し。39面の社会欄にはさすがに出ていたけれど、十七万人もの人が首都東京で集会をやったという、我が国では前代未聞の社会現象だという認識が全く感じられない紙面作り。これが日本のマスコミの現状なのだね。
 昨日のNHKは偉かったけど、もしこれだけの規模の集会の事を、どこのテレビ局も、どこの新聞も一切報道しなかったことを想定してごらん。「マスコミが取りあげない」ということが、どれほどの負の影響力を持つか分かって空恐ろしくなるだろう。だからこそ、マスコミには勇気を持って欲しいのだ。

 さらに、もしこれだけやってもこの国が何も変わらなかったら、元々日本には民主主義というものはなかったし、その後も根付いていないのだということが証明されるね。お上と、それにかしずく国民が作り上げた独裁国家が、江戸時代から太平洋戦争時代を通って今日まで面々と続いているのみなのだ。お上のタイトルは、幕府や政府や旧日本海軍や原子力ムラなど、いろいろ変わっても、要するにお上はお上なのである。
 そして、そこに住んでいる我々日本人は、まさに僕が「おにころ」で表現している「エゴイズムの歌」そのものの生き方をしているのだ。

エゴイズムの歌
この世の中 動かしている
大きな力と 流れ
強きものに さからうことは
世の流れに さからうこと
自分のことが なにより大事
かわいいものよ
長いものには 巻かれよう
大きなものには のまれよう

流れの中で ぬくぬくと生きよう
人はみんなエゴイズム
大樹の陰に 寄り添って生きよう
人はだれでも エゴイズム

佐藤研氏のイエス観
 佐藤研(さとう みがく)先生は、聖書学者かと思っていたが、同時に稀有なる文学者でもあった。最新刊の「最後のイエス」(ぷねうま舎)という本が出た。書店の宗教書のコーナーで見つけて、嬉しくなって即買った。

 先月、東京バロック・スコラーズのカップリング講演会をどう進めようかという打ち合わせでお会いした時、ちょうど原稿を書き上げて編集者に渡したところだとおっしゃっていた。そのためにここのところずっと根を詰めて仕事していたので、今は晴れ晴れしているともおっしゃった。
「どんな内容の本ですか?」
「イエスの本です。三澤先生ね、抵抗あるかも知れませんよ。なんだ佐藤はこんなこと考えているのかなんて、怒るかも知れません」
「そんなあ・・・・僕は、大抵のことには驚きませんよ」

 ところがそんな僕でも、冒頭「アリマタヤのヨセフの話」を読んで、あっと驚いてしまった。同時に、学者なのにこんな風にファンタジーをふくらませてしまっていいのだろうかと、ちょっと他人事ながら心配してしまった。とはいえ、抵抗はなかったし、当然怒りもしなかった。
 何故なら僕だって、聖書の中のマグダラのマリアに関するわずか数行の記述から、3時間もかかるミュージカルの物語をでっち上げたわけだからね。いや、僕が驚いたのは、むしろ佐藤氏はなんて僕と似ていることかと思ったからだ。

 ネタバレしてもいけないのだが、小柄で間もなく還暦を迎えるエルサレム最高法院の議員アリマタヤのヨセフには、気心の知れた妹がいた。その妹のひとり息子がイスカリオテのユダなのだという設定だ・・・・・おっとっと、もうこのくらいでやめておかなければ・・・・・ご存じだとは思うが、アリマタヤのヨセフとは、十字架に架けられたイエスの遺体をピラトに願い出て、自分の所有する墓に葬った人だ。

 でも、この本の冒頭、中央、おしまい近くの3個所にちりばめられたこのようなびっくり仰天の創作物語以外は、しごくまともな、というか、いつもの佐藤先生の、危機や悲劇あるいは負い目といったマイナス的要因を突き抜けて、人々の救済に向かおうとするイエス像が、論文調でありながらやさしく噛み砕くように説かれていく。

 要するに、とても佐藤先生らしい本である。ちなみに僕は、どうにも我慢出来なくて、この3つの創作物語を最初に全部読んでしまってから、本論に入っていった。それは、もしかしたらシュークリームの中のクリームを食べてしまってから、シューを食べるようなものでしょうか?あるいは小倉トーストのあずきの部分だけ食べてから、パンを食べるようなものでしょうか?どっちにしても佐藤先生の意図とは違うような気がするが、まあそれはお許しいただいて、まだ途中までしか読んでいないからはっきりしたことは言えないにしても、巷で説かれている従来のイエス像とはかなりかけ離れた、新しいイエスがそこに描かれているような気がする。

 それにしても思ったのは、佐藤先生の文章が人を惹きつけるのは、彼が書いていることが聖書学者らしくないからなのだ。これは批判であるどころか立派な褒め言葉だからね。僕たち聖書学に関してのシロウトは、学会報告のような中立的な話を聞いても、早い話、面白くもなんともないんだよね。特に、
「これこれについては、こういう説が一般的だけれど、こういう反論もあって決着がついていません。すなわち、こうもああも考えられます」
と言われても仕方がないんだよ。それよりも、芸術の世界に生息している僕なんかは、
「人がなんと言っても、オレはイエスの真実をこう理解するんだ!」
と熱く語ってくれる方がどれだけ説得力があるかと思うんだ。その点では、佐藤先生はかなり踏み込んでいるよ。
 たとえば序章からして「イエスの負い目」というタイトルで、イエス自身が、実は様々な人生の負い目を抱えていたこと、それが逆に彼の活動への情熱の原動力を作っていることに触れている。ね、これだけでもかなり画期的でしょう。


ま、とにかく、全部読んでみるよ。みなさんも本屋で見つけたら買って読んでみてね。

真夏の「ラ・ボエーム」
 パリのカルチェ・ラタン(学生街)のクリスマス・イブの喧噪。あるいは雪のちらつく街外れのダンフェール門の早朝の風景。合唱団員もソリスト達も、寒さをしのぐためにたっぷり着込んでいる。合唱団にコールがかかると、僕は客席後方の監督室で赤いペンライトを振るために楽屋を出る。半袖のポロシャツ姿の僕が彼等とすれ違う時、みんなが口を揃えて言う。
「いいですね、三澤さんは涼しそうで。あたしたち出る前からもう汗が出ていますよ」

 「ラ・ボエーム」というドラマでは、寒さというものがひとつのテーマになっているという当たり前の事に、真夏の公演をやって初めて気が付いた。この物語は寒くないと成立しないのである。第1幕では、薪も買えない屋根裏で、ロドルフォとマルチェロが、ロドルフォの書いた戯曲の原稿の紙を暖炉で燃やして少しでも暖まろうとする。そうした極貧の生活の中に、寒さで肺病が進行しているミミがやって来る。

 いつもながら粟国淳(あぐに じゅん)さん演出の第2幕に感心する。もの凄く人が動き、もの凄く速く物語が展開していく第2幕は、時間にすると全部で20分しかない。ワーグナーの影響を受けてプッチーニの作風は出発したが、恐らく彼はワーグナーの冗長さだけは嫌悪したものと思われる。
 だから、たとえばロドルフォがミミに言う、
Chi guardi ?「誰を見ているの?」
という一瞬のセリフを聞き逃すと、もう物語が分からなくなるというきわどさがプッチーニのオペラには常にある。
 粟国さんの演出では、ぼんやり見ていると、なんとなく群衆が自然に動いているように感じられるが、人混みが通り過ぎた直後に、ちょうど二人のやり取りが浮き彫りになるよう絶妙な配慮が施されている。
 ロドルフォは、ミミが通りすがりのイケメンの若者に目を止めた瞬間を逃さない。このやり取りに、ロドルフォが人並み外れて嫉妬深いこと、あるいは彼がミミに対して、ある不信感の萌芽を感じ始めることが表現されている。そしてそれが、第3幕以降の二人の大きな亀裂の伏線となっていくのである。
 こうしたきめ細かい配慮こそがオペラのドラマ作りには必要だ。マティアス・フォン・シュテークマンの「ローエングリン」演出もそうだったけれど、「ドラマの読み替え」などの斬新なことを意図的にやらなくても、オペラで出来る事は沢山あるのである。演出家とは“ドラマの神髄を読み解く人”なのである。

 この高校生のための鑑賞教室が終わると、新国立劇場でのシーズンが終わり、みんなは夏休みに入る。でも、僕たちには日中共同制作の「アイーダ」がある。勿論これは北京への数日間の旅も含むので自由参加だが、当然のことのように主要メンバーの大半は参加する。今は、毎日「ラ・ボエーム」があるので、「アイーダ」練習は中断中。
 北京の街に関しては、いろんな人がいろんなことを言う。北京オリンピック以来、街は画期的に良くなったから全然心配要らないという人もいれば、夏の北京は暑いし埃っぽいし、食べ物や水には特に気をつけないと体調を壊すよと忠告してくれる人もいる。特別胃腸が弱いわけではない僕であるが、帰国してすぐにピーター・グライムズの練習が始まったり、ミュージカル「おにころ」が佳境に入ったりすることを考えると、体調だけは壊すわけにはいかないのだ。合唱団員達は、早速ガイドブックを買って、あれこれ計画を練っているが、僕はまだ何もしていない。でも中国の合唱団とのコラボはとても楽しみなんだ。

「おにころ」オーケストレーションをしながら考えること
 ミュージカル「おにころ」のオーケストレーションを全く新しく書き直している。「おにころ」は1989年から1990年にかけて作曲し、1991年に初演されたので、もう20年以上も前の作品だ。曲の内容や構成に関しては、初めての大作の割には良く出来ていると手前味噌で思うが、オーケストレーションに関しても全く初めての経験だったので、こちらは現在の僕の目から見ると稚拙に感じられるところが少なくない。

 初稿は、初めてなのにと言うべきか、初めてだからと言うべきか、慣習にとらわれず妙に独創的で、
「おおっ!」
と感じられるところもあると同時に、
「やはりまだまだ、当時の僕には鳴るべき音が聞こえていなかったなあ」
と思う部分もある。
 オーケストレーションだけは経験だからね。書きながら楽器を弾いて確かめるわけにいかないので、早い話、あてずっぽうなんだけど、それでも、新国立劇場子供オペラなどで、「書いて~実際にオケで鳴らして」
というのを繰り返していく内に、あてずっぽうの精度がだんだん上がってきて、こう書けばこう鳴るという因果関係に精通してきた。
 また、自作のオーケストレーションに慣れてくると、他の作曲家のスコアを見ただけで音が頭に浮かぶイメージ力もついてくる。するとね、有名な作曲家でも、時々、ここは期待していたようには鳴っていないんだろうなあと思う個所とか、逆に、なんてきわどいけど独創的なんだと驚く個所とかあって興味が尽きない。
 ベートーヴェンなんか、かなりムラがあると気付く一方で、ラヴェルの職人芸にど肝を抜かされたりもする。リヒャルト・シュトラウスやマーラーは、本当にオーケストレーションの天才だ!でも、オーケストレーションが良いから常に作品としての価値が高いかと言われると、これがまたそうとも言えないんだね。

初演版上演について
 「おにころ」は、初演以来、曲を足したり削ったり、アリアを挿入したりして今日に至っている。台本もその都度マイナー・チェンジをしている。そうした事をいろいろ振り返ってみるに、巷で最近よく行われている「初演版上演」ってどうなんだろうなあと思う。

 もし、僕が死んでから後に「おにころ」が繰り返し上演されるというようなことになって、その内誰かが、
「通常上演には飽きたから今度は初演版でやらない?」
と言い始めたら、僕は化けて出て、
「それはやめてよ。いろいろ試した結果、現行版に落ち着いているのだから、わざわざ稚拙なものに回帰する必要はないだろう」
と言うかも知れない。

 バッハは「ヨハネ受難曲」で、何故か2度目の公演で冒頭合唱曲を取り替えた。でもそれ以後再び初演の曲に戻っている。2度目の公演で使われた冒頭合唱「おお人類よ、おのれの罪の大きさに泣け」は、やがて次の「マタイ受難曲」に転用されて、第一部最後の合唱曲となった。一方、マタイ受難曲の初稿では、第一部の最後はシンプルなコラールのみであった。
 その他、両方の曲ともいろいろなマイナー・チェンジが行われたが、結局の所、「ヨハネ受難曲」「マタイ受難曲」とも、現在一般的に演奏されている、いわゆる“現行版”が文句なしに最良だろう。これらは、作曲家本人が生きている間に現行版に落ち着いたわけだから、作曲家もそう思っていたに違いないのである。

 プッチーニの「蝶々夫人」の初演版は、第1幕の宴会の場面がやたら長い。現行版ではほとんど存在感のないヤクシデが、初演版ではアリアなどを歌っている。この第1幕はどう考えても冗長である。この初演版で失敗したプッチーニは、大幅な書き換えをして成功に導き、結局現在では「ラ・ボエーム」「トスカ」と並んだ3大オペラの地位を獲得しているが、初演版のままではどうだったであろう?というより、作曲家がカットしなくても、いつかどこかのタイミングで誰かがカットに踏み切ったような気がするなあ。その意味では、作曲家が生きている内にカット版で成功の喜びを味わえたのだから、良かったよね。

 だからさあ、今更初演版上演に戻ることないじゃない。あまり意味がないからやめようよ・・・って、ゆーか、現行版より初演版の方が明らかに優れていると思われるオペラなどがあったら、みなさん僕に教えて下さいね。

トラディションVS楽譜至上主義~楽譜考
 加えて、オペラなどでは、楽譜に書いていないTraditionトラディションと呼ばれるテンポ・ルバートやフェルマータや、カデンツや書き換えられた音などが沢山ある。これをどう考えるかは、指揮者や歌手などの判断に委ねられている。時にはそれをめぐって指揮者と歌手の間に激しい攻防が展開することもある。そんな時は、どちらが有名かとかどちらが押しが強いかという力関係によって決定されることも少なくない。

 僕は思うんだけど、作曲家が生きている内に行われた変更で、作曲家が了承した個所に関しては、ossia(または)でもいいから、譜面に書き入れるべきだと思う。そうすれば無用な争いや議論を避けることが出来るのだ。

 かつてオペラ「夕鶴」で、僕は作曲家団伊玖磨(だん いくま)氏のアシスタントをしていた。団氏は、「夕鶴」の上演では、可能な限り自分で指揮をしていて、自分が無理な時は、今度は自分の息のかかった指揮者以外で上演する事を許さなかった。
 彼は僕に向かってよくこう言っていた。
「ここはトラディションなんだ。これを君には教えるからね。リタルダンドはここからと書いてあるが、実際にはここからもう始めるんだ」
団氏はこうも言っていた。
「このオペラは、誰にでも振らせたくはないんだ。君には全部教えてあげたから、もうどこで『夕鶴』を振ってもいいよ」

 団氏は僕のことを可愛がってくれたので、僕は個人的には団氏のこの言葉はとても嬉しかったが、それでもやっぱり、本当は自分が作曲家本人なんだから、トラディションなんてもったいぶった事を言わないで、楽譜に書き込んだ方がいいのにな、と思っていた。
 今、団氏が亡くなってかなり時が経ち、団氏の目のかなった指揮者だけでなく誰でも「夕鶴」が自由に振れる時代になってみると、その団氏との約束はなんだか空しい。作曲者がいなくなってしまったのだもの、頼りになるのは残っている楽譜のみだから、結局、楽譜に記されなかった作曲家の意図というのは、時と共に風化するしかないのだ。
 では、団氏直々に教えを受けた僕が、本家本元トラディショナル入りスコアなるものを作って永久保存すればいいじゃないと言われると、僕はあまりそれには乗り気ではない。スコアのかなりの部分に関しては、確かに団氏が僕に伝授してくれたトラディションの方が良かったかも知れないが、正直言って、中には楽譜のままでもアリだなあと思われる個所や、むしろ楽譜通りの方がすっきりして良いかも知れない個所があるのだ。 
 僕が今「夕鶴」を指揮したら、全て団氏に教わった通りにやるかと問われれば、多分やらないと思う。
「この裏切り者!」
と思わないでね。仕方ないじゃないか。僕は団伊玖磨氏ではないのだ。僕は自分の感性で「夕鶴」のドラマに踏み込んでいくしかないのだから。 

 作曲家が仮に楽譜に事細かく記したって、演奏者の解釈によって無視されることだってあるのは、楽譜の運命、あるいは作曲家の運命みたいなものだ。でも、仮にそうだとしても、そもそ楽譜というのは、従うにせよあえて無視するにせよ、解釈の出発点になるわけだ。だから作曲家は、なるべくクリアーに誤解のないように楽譜を記すべきであると、最近は心に言い聞かせている。

 って、ゆーか、そんなことはどうでもいいから、早くスコアを仕上げなければ!

 もうラストシーンで、おにころが水の中に入っていくあたりを作っている。昔は手書きだったが、今は譜面作成ソフトFinaleで作っているので、Manuscript(手書き原稿)はないのだよ。将来的な可能性を見据えて、やや大きな編成で作っているけれど、今回の演奏では、弦楽器奏者5人とパーカッション奏者の他は、エレクトーン奏者2名で管楽器などをフォローする。いつか、本当の編成でやってみたいが、今回の演奏形態でも、初演時とのサウンドの違いははっきり感じられるはずだ。



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