ため息の出るような北京の夏

三澤洋史 

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ため息の出るような北京の夏
 目眩がするような熱気と湿気。遠くのビルが霞んで見えるほどの砂埃。広大な道路に溢れる車やバイクや自転車。いつもどこかで鳴り響いているクラクションの音。喧嘩しているのかと思うほど大きな人々のしゃべり声。街全体に漂っているいいようのない臭い。北京の夏は、想像をはるかに超えて強烈だ。


 信号を渡るのが恐い。この国ではドイツやフランスと同じように右側通行。なんと、右折する車は赤信号でも構わず走って良いことになっている。しかも日本のように歩行者優先ではなくて、完全に車優先。つまり、青信号で横断歩道を渡っていても、右折車は遠慮なくどんどん突っ込んでくる。
 北京中心部の道路はめちゃめちゃ広くて、渡りきるのにとても時間がかかる。横断し始めると左から来る車が突っ込んで来るし、真ん中から後は進行方向から来る右折車が突っ込んで来る。日本のように、そのまま歩いていけば止まってくれるだろうと安心していると、多分本当に轢かれてしまう。もう恐くて仕方がない。大通りの信号を渡りきる度に、
「ああ、今回も無事だった!」
と胸をなでおろす。
 恐いのは、車だけではない。自転車やバイクも突っ込んで来る。こちらの方が大きくない分だけもっと恐い。時々、自転車のような軽いバイクや、バイクの後ろにリヤカーをつけたものとかが平気で歩道を走っていて、人のすぐ横をすり抜けていく。


 道路は、真夜中をのぞいては一日中渋滞している。何車線あるのか分からない道路を車が勝手に車線変更する。よく日本で、前の車ギリギリにつけて走る意地悪ドライバーがいるが、この街ではほぼ全員が悪気もなくそうしている。バスも、
「あっ、ぶつかる!」
と思うほど前の車に接近して止まる。
 街は全てが広大である。地図を見て、
「ああ、10分もあれば着くな」
と思う所が30分もかかる。ということは・・・・・北京という街は、信じられないくらい広大らしい。

 街を歩く若い女の子の中には結構美人や可愛い子がいる。でも、この国では基本的にノーメイクかファンデーションを塗っただけだ。その点では韓国とは大違い。それに、ストッキングをはいている人はほとんどいない。ミニスカートやホットパンツが多いので、ノーメイク&生足にかえって新鮮なエロチシズムを感じてしまうのは僕だけだろうか。

 大きな道路に面している建物は、どれも超近代建築で立派であるが、そこから一本路地を入ってみると・・・・ちょっと恐いようなレトロな街並みがすぐに顔を出す。

お兄さん達は上半身裸でいたりするし、街全体になんともいいようのない臭いが漂っている。でも、建物はバラックとかではなく、煉瓦作りのしっかりしたものだ。
 早朝の散歩をすると、お好み焼きのようなものにソーセージなどをはさんで売っている屋台が出ている。また早朝から開いている店で、人々は野外でワンタンやお粥や饅頭やナンのような平たいパンを食べている。


 僕は、前世中国人であったことはないと思うが、このなつかしさは何だろう?このアジア的混沌のまっただ中にいるのが・・・・ちっとも嫌ではないのだ。たしかに・・・思い出してみると、僕が小さい頃の群馬の郷里の路地裏には、まだこんな雰囲気が残っていたっけ。縁側に立て膝を立てながら道行く人を眺めていたどこかのおじいさんや、リヤカーを曳いていた古物商人や、笛を鳴らしながら納豆や豆腐を自転車で売り歩くおじさんのいた“昭和な風景”。


王府井のゲテモノ
 北京で一番の繁華街である王府井ワンフーチンWangfujingには何度か行った。行く度に驚き圧倒される。特に王府井小吃街という屋台街の路地では、串に刺した肉や、モツのようなものを食べながら歩く人達で溢れかえっている。僕も一度羊の肉を食べてみた。香辛料が利いてなかなかおいしかった。でも、この路地全体にはもの凄い臭いが漂っている。もしかしたら僕の体にもこの数日間の内に、こうした臭いが染みついているかも知れない。
 ところどころゲテモノを売っている店に出くわす。サソリが3匹ずつくらい串に刺して立てかけてあるが、生きていて足をバタバタさせている。これを注文するとそのまま油の中に入れて唐揚げにしてくれるようだ。隣にはムカデや蜘蛛やタツノオトシゴなども唐揚げになって売っている。僕を見ると、何故か日本人であるとすぐ分かるみたいで、
「おいしいよ!」
と無理矢理手渡そうとする。おいおい、冗談じゃないぜ!って、ゆーか、この蜘蛛やムカデ達、道行く人で誰も食べている人いないんだけど、そもそも商売になっているのかなあ?それに、なんでそんなもの食べる必要あるんだ?

 かくいう僕も、実は、着いて最初の晩にサソリの唐揚げは食べているのだ。ソリストと新国立劇場の理事や制作部のスタッフ達と一緒に北京ダックを食べに行った。その時に誰かが話の種に注文した。でも誰も怖がって食べないので、仕方ないので僕が先頭を切って食べてみた。
 唐揚げだから当然感触は沢ガニや殻付きの小エビみたいだけど、臭いや味はほとんど感じなかった。ポテトチップの上に乗っていたので、一緒に食べると、ほとんどサソリを食べている実感もない。僕の後に続いて二、三人が手をつけたけれど余っているので、残すのもナンだからと思って気が付いてみたら僕だけ5匹くらい食べてしまった。

ノヴォラツスキーと会いました
 着いて3日目に元新国立劇場芸術監督のトーマス・ノヴォラツスキーと逢って、お昼をご馳走してもらった。彼は今北京に住んでいる。広大な庭とプール付きの大邸宅を持っているという。元々奥さんが中国人で、新国立劇場芸術監督を辞めた後、ヨーロッパには戻らずに北京でビジネスを始めた。何のビジネスか聞いたけど、説明されてもよく分からなかった。いろんなことを平行してやっているみたいだけれど、とにかく芸術とは全く関係ないビジネスだということだ。
 彼は日本の相撲が好きで、相撲のシーズンに時々日本に来たので、日本ではよく会っていた。でも、こうして彼が住んでいる北京で会うと、また不思議な感動を覚えるね。彼は、北京に来てから飛行機の操縦を覚えたという。最初はプロペラ一機の小さい飛行機で、余暇に趣味で乗っているだけだったが、その内プロペラ二機のちょっと大きめのものに買い換え、現在ではなんとジェット機に乗ってビジネスに使っているという。
 会った前の日も香港にいて、そこから僕に会うためにジェット機で北京まで帰ってきたと言っていた。
「じゃあ、僕が帰る時、日本まで送ってくれよ」
と言ったら、
「駄目だ。日本の空港はプライベートなフライトにはとても厳しいんだ」
と言う。
 食事が終わってホテルに帰ってきたら、バスの集合時間が迫ってきたので、合唱団員達が次々と戻ってきた。みんなも、そしてノヴォラツスキー自身も、とてもなつかしそうにそれぞれのメンバーと話していた。

「ねえトーマス」
「なんだ?」
「こっちに来て分かったんだけど、いつも君は、日本に来ても僕に食事を奢ってくれていたろう。でもさあ、中国で稼いで日本で遣うって、とてもレート的に大変じゃないか。それに今日も奢ってもらっちゃったしさ。今度君が日本に来た時には、絶対に僕に奢らせてね」
「何を言ってるんだ。俺はそんだけ稼いでいるんだから、お前は心配するな!」
「いいや、君はもう僕の上司でもなんでもないんだ。僕たちは友達なんだ。友達っていうのはフェアーでないといけない。いいかい、君が日本に来たら、今度からは僕が奢る。その代わり、僕が北京に来たら奢ってくれよ。いいね」
「分かったよ、ありがとう。秋場所に行くかも知れない」
「そんなら、絶対に知らせてね」
こんな会話を交わして、僕たちは別れた。彼との友情はまだまだ続く。


プールの水
 僕たちの泊まっていた北京国際飯店にはプールがあるというので、僕は毎日泳ごうと水着を持っていった。だが、僕が記者発表に空港から直行して出席している間に、ホテルに着いてすぐ泳ごうとした合唱団員の話によると、プールには水が入っていなかったという。それで、ただちにホテルの人に聞いたら、数日後に使えるようになると答えたという。それから3日くらいしてから別の団員が聞いたら、10日くらいしたら使えるようになると答えたという。

要するに水を張る気が最初からないのだ!

 北京に数日間住んで気が付いた事がある。それは、こちらの人っていうのは、まるですれっからしの女の嘘のように、その場しのぎの小さい嘘をちょこちょこつくということだ。勿論、根本的なことをズバッと言えば角が立つということは分かっている。
「プールは使えません」
と言われれば、なんだ看板に偽りアリじゃん、と非難したくもなる。
 でも、数日後に使えると聞けば期待するし、それが数日後にまた10日後に・・・と言われると、失望と共に僕達は不信感を持ってしまうではないか。その不信感は、
「このホテル大丈夫かな?」
という、もっと大きな不信感を呼び込んでしまうではないか。こうした行き当たりばったりの対応は、ホテルだけでなく至る所にあるのだ。後で触れる劇場内においても頻発したのである。

 でも、僕たち日本人も人のことは言えない。何故なら福島第一原発の事故に対する東京電力や政府の対応だって同じではないか。嘘を小出しにしていたではないか。それを僕たち国民は、半ばあきらめながら受け入れているではないか。誰も、
「この国には良心というものはあるのか?」
と騒がないではないか。

これもアジア的混沌のひとつの形か。

真のコラボレーションを実現するために
 北京国家大劇院は天安門のすぐ近くにある巨大な円形の建物だ。とにかくこの国はなんでも大きい。この劇場も巨大で、内部に入ると中は迷路のようになっていて、一度迷子になるともう永久に出て来れないのではないかと思われる。


 僕は、日本での合同合唱練習のやり方が、中国側の人達に気に入られたようで、北京に着いて空港から直行した記者発表の席から、すでにいろんな人から、
「あなたが日本の合唱指揮者ですか?お話しは聞いております」
と言われた。通訳の人は、
「国家大劇院の合唱団のメンバーは、みんな三澤先生のことが大好きになりました。みんな三澤先生にその想いを伝えて下さいと言ってます」
と言ってくれた。
 いやいや、こちらこそ、若い彼等のエネルギーには、かえって教えられ、力づけられることが多い。合同練習はとても楽しかったし、新国立劇場合唱団だけでも、また反対に恐らく国家大劇院合唱団だけでも達成出来なかった稀有なサウンドとハイレベルな演奏に辿り着けたのは、出遭った二つの合唱団の相性が良かったせいもあるのだ。

 こんな風に、僕たち演奏家の中では、ソリストも合唱団も同じ目的を見つめながら熱い絆で結ばれていた。それに、僕たちは一度新国立劇場で公演をしていて、成功を収めているのだ。だから中国公演も同じようにスムースに事が運ぶと楽観していた。でも、僕たちはあまりにもオプティミストだったのかも知れない。
 
 今回中国公演の初日に辿り着くまでのプロセスは、はっきり言って苦難の道であった。僕たちは、両国間の劇場システムの違いや民族性や習慣の違いからくる様々な障害に突き当たり、このような異民族同士のコラボレーションの難しさを痛感することとなった。
 でもその反面、こうした困難に真っ正面から向き合い、互いに忍耐強く解決の道を探して初日に辿り着いた意義は計り知れないほど大きいと思う。逆に言うと、ダイレクトにぶつかる芸術の世界だからこそ、表面のきれいごとだけではない試行錯誤の末の真のコラボレーションが可能になったと言えるのかも知れない。
 芸術家は正直で率直で、そして案外たくましいのである。だから、これからは、両国の交流を深めようと思ったら、政治よりもこうした芸術によって成し遂げられていくような気がする。

誰が仕切るんだろう、この舞台?
 すでに東京にいた時から話は聞いていた。北京では、演奏会形式とはいっても簡単な舞台セットがあり、ちょっとした演出のようなものがつくということであった。ただその割には、スケジューリングがそれ用に詰められていなかった。演出があるのなら、ピアノによる立ち稽古や場当たり稽古のようなものが最低3時間は必要だ。ところが、1日目の練習は、マエストロによるオケ合わせであり、2日目の練習は、夕方からのオケ付き舞台稽古のみということだ。それで本番突入である。このスケジューリングに、まず僕たちは不安になった。
 舞台セットを設計した人はとても若い美術家だ。僕たちが北京に着いたその日の記者発表の時に、スライドを使って美術コンセプトを説明していた。もの凄く有名か、どこかの偉い人の息子かどちらかだろう。彼には誰もさからえないような雰囲気があたりに漂っていた。
 でも僕は、彼の説明を聞けば聞くほど心配になっていった。多分この若者は、オペラのことを全く分かっていない。舞台セットの美観はともかく、その前に、アクティング・エリアの作り方が決定的にまずい。オペラ的には完全にシロウトの発想である。たとえば、合唱団の登場退場のことを全く考えていない搭乗口を作っている。このセットでは、合唱団が登場するのに間違いなく1分以上かかってしまう。
 また、そのセットを使って円滑に練習を進めるためには、当然全てを統括する演出家なり舞台監督なりがいてしかるべきだが、そういう人は記者発表に名乗り出てはこなかった。僕はますます不安になった。
「これでは下手をすると、合唱団は、一度入ったら最後、ずっと立ちっぱなしで歌うことになってしまうぞ」
と心配で仕方なくなった。残念ながら、その不安は的中することとなる。

 2日目の練習の日。僕たちは午後3時半くらいに劇場に着き、舞台を見に行った。驚いたことに、舞台はまだ出来上がっていなかった。それどころか、今搬入したばかりで、組み立て始めたところであった。

 練習予定は、前の日に変更になっていた。まず16時に舞台監督から舞台のコンセプト説明がある。18時30分からのオケ付き舞台稽古は、舞台上での場当たりとなった。そしてオケ付き舞台稽古(実質ゲネプロ)は、20時からなんと22時30分までということである。午後10時半という終了時間もびっくり仰天であるが、休憩を入れて2時間半しかない練習時間では、もうほとんど通すしか方法がない。舞台上で何か問題が起こったら、もう時間をオーバーしてしまう。
 16時になり、舞台監督による演出のコンセプト説明があった。演出家というのはどうやら居ないらしくて、演出をするのはこの舞台監督と呼ばれる人のようだ。年配の人で、なんだかとても威張っている。でもその人、舞台模型を使って説明を始めたのだが、壁の向きが反対だ。要するに、僕でも分かっているこの舞台セットのことを、彼は全く分かっていないのだ。それで舞台を仕切ろうっていうのか。
 舞台後方に向かってかなり傾斜の大きい合唱団が立つエリアがしつらえられているが、真ん中がポッカリ空いていて、そこにオケが入る。つまり舞台面というのは口の形をしており、真ん中のオケは舞台床面の高さなので、オケの後ろの壁は、人が落ちたら怪我するくらい切り立っている。男声合唱はその一番てっぺんに立つという。そこには数段の階段があって、歌わない時にはその階段に座るという。
 一方、女性は、第1幕2場で初めて登場する。でも、その急勾配の両サイドのアクティングエリアには、椅子のようなものは置けないので、一度入ったらずっと立ちっぱなしだという。せめて両サイドの搭乗口が開いていれば、曲中でも一度にバッと出入りが出来るだろうに、両サイドの壁には一人ずつしか出入り出来ないような小さい入り口があるだけだ。

うらやましいカフェテリア
 なんだか要領を得ないコンセプト説明を終わって、18時30分からの場当たりを待つばかりになった。舞台を見てみたいけれど、出来上がっていないので、その間に楽屋食堂で夕食を取る。幼児プレートのように仕切られたプラスチック製のトレイを取って並ぶと、お姉さんが4種類の料理を半ば強制的にドカッとトレイに入れる。麻婆豆腐だったり野菜炒めだったり要するに中華料理だ。それにスープとご飯がつく。全く味のない蒸しパンもお好みで取れる。楽屋食堂はとても広くて、要するにカフェテリアという感じ。しかも外のテラスもある。う、うらやましい環境!ただね、このテラスで食べていると蚊に食われる。やっぱり北京にも蚊はいるんだ。

 このカフェテリアで2日間食べた後での印象を言うと、中国って本当に中華料理の国なんだね。日本の楽屋食堂のメニューって、純日本料理ばかりということはないじゃないか。日本風にアレンジされているかも知れないけれど、トンカツがあったりハンバーグがあったりするじゃないか。まあ、味は良かったし、なんといっても20元(270円くらい)で定食が食べられるのは素晴らしい。

舞台進行の難しさ
 6時半になった。まだ舞台が出来上がっていないというので待たされる。大丈夫かなあと思っていると、
「大丈夫です。中国人の土壇場の力は凄いのです」
と通訳の人が言う。なんだかその言葉最近どこかで聞いたことがあるぞ・・・・そうだ!六本木男声合唱団だ。火事場の馬鹿力ねえ・・・ロクダンと同じで、実にリスキーだ。

 15分くらい遅れて、
「舞台が出来ました!」
というので、行ってみると、まだ床が合板のままむきだしになっている。
「まさか、このまま本番をやるわけないよね」
というと、
「勿論、カーペットを敷き詰めると思います」
という返事が返ってくる。
「いや、だからさ。それだったら、本当はもうカーペットを敷いていないと駄目なんだってば。今日が実質ゲネプロだったら、本番通りの状態でないと意味ないんだ。これだけ傾斜があるのだから、カーペットが滑ったりして本番に思わぬ事故が起きないとも限らないじゃないか」
と言っても、誰も相手にしてくれない。実際僕は、次の日の本番の時にカーテンコールで舞台上に出て行って、カーペットで滑って転びそうになったのだ。

 場当たりが始まった。合唱団員が舞台に立ってみる。男声合唱の前列の前には、先ほども書いたように数メートルの断崖がパックリ口を開けている。しかも、演奏しない時に座るようにと言われた階段はとても低くて、座れたものではない。一度座ったらもう二度と立てない。少なくとも美しくは立てない。これには日本人だけでなく、中国人側の合唱団員も文句を言い始めた。
 舞台監督が何か威張りチラシながらわめいている。
「ならばお前達は立ちっぱなしだぞ!」
と言っているようだ。

 結局、合唱団員達は、日本人も中国人も双方とも立ちっぱなしを選んだ。途中で抜けようにも、舞台後方中央から左右に分かれて降りる階段では、速やかに入場退場をすることは不可能なのである。なんでこんな能率の悪い舞台を作ったか!
「ずっと立ちっぱなしだったら、もし貧血でも起こしたら、前列の人はオケの団員の上に落ちてしまう。最前列に柵を作ってくれ」
と誰ともなく言い始めた。
 当然である。僕も行ってみたが、立ってるだけで恐いくらい切り立っている。そもそも男性が立つ最前列のスペースも狭いのだ。後ろから誰かがちょっと押しただけで簡単に落ちるし、落ちたら怪我をしないでは済まない高さだ。すぐ下にはティンパニーなどの打楽器が並んでいる。楽器が壊れることも必至だ。
 柵の話をしたら、今度は舞台美術家が
「舞台の美観が損なわれる!」
と言って怒っている。
馬鹿野郎、美観よりも命の方が大事なんだよ!ふざけんじゃねえぞ!そんなんじゃ歌わねえぞ!的な感じで、抗議の大合唱が始まった。こうなると、どっちの声がでかいかだな。って、ゆーか、そもそもこうなるまでに、誰かが、
「このセットではヤバイ!」
と気付かなかったか?うーん、気が付いても言えないのか、この若者には。どんだけ偉いんだ、こいつは!この若者にものを言える権限のある人はこの劇場にはいないのか?

 さんざんモメた末、とにかく手すりだけは作ってもらうことになった。僕はみんなに、
「今日は、危ないと思ったら座ってもいいからね」
と合唱団に言って、なんとか乗り切れることになった。
 さて、場当たりをしなければならない。ピアニストが用意され、僕が指揮をすることになった。まず男声合唱登場のタイミングを計らなければならないと思っていたら、例の威張った舞台監督が、
「何ページのどこからやってくれ!」
と言っている。
「ええっ?ここって登場とかに全然関係ない所じゃないか。登場のタイミングとかやらなくていいの?」
と言っても、とにかくこのセットで音を聴きたいのだという。それなら聴くべきマエストロがいないと意味ないのにな・・・・と思ったが、僕がグズグズしていたら、舞台監督の機嫌がどんどん悪くなって怒鳴り始めてきた。仕方ないので、とにかく言われる通りにやる。それで、男声合唱、女声合唱、そして混声合唱の3個所を歌わせた。

 すると、あろうことか、
「はい、とりあえずお疲れ様。場当たり終了!」
と舞台監督は言ったのである!舞台監督が言ったのである!舞台監督が自ら言ったのである。
「はあっ????」
僕は目が点になった。気が付いたら僕は通訳を介して強い口調で言っていた。相手には喧嘩腰に映ったかも知れない。
「ちょ・・・ちょっと待って!せめて退場と入場の練習だけはしないとマズいでしょう。女性は特に入り口が真ん中にあるので、順番をきちんと決めないと混乱が起きます。男性も、センターから分かれるので、誰をセンターに決めるか仕切らないとダメでしょう」
って、なんで僕にそれを言わせるかね。あんた舞台監督でしょう。
「よろしい、入退場の練習はしてもいい」
してもいいじゃねえよう!
「ただし、その後、ソリストの場当たりがあるので、すみやかにして欲しい」
「あのう、音楽に合わせた入りの練習はしなくていいのですか?」
すると舞台監督は、
「男性は、入りを変更する。オケと一緒に冒頭から入るように」
はあっ?では、冒頭から第2幕終わるまで、ずっと立ちっぱなし!もしかしたら、僕たちが舞台セットのことで文句を言ったり、場当たりの進行に口を出したことで、彼の機嫌を損ねたからだろうか?これでは合唱団の男性による暴動が起きるぞ。

 でも意外なことに、合唱団員達は、先ほどの階段や手すりのやり取りでもう疲れ果てて、文句を言う気力もなくなっている。
「まあ、先日のローエングリンの立ちっぱなしのことを考えれば・・・・。もう、面倒くさいからいいですよ。立ちますよ。この薄暗くて急な階段を急いで登り降りしろと言われるのも嫌だし・・・・」
ええ?いいの?そ、そんな気の毒な・・・・。
 結局、舞台セットがあったって、何の意味もないではないか。合唱団が最初から立ったままでは、日本のように椅子を置いて演奏会形式にしたほうがずっとマシではないか。

 合唱団は休憩に入り、ソリスト達の場当たりになる。しかしここでも音楽による登場退場の指示は一切なし。場当たりとしては全く機能していない。舞台にそれぞれの歌手が勝手に立ってみるだけ。誰も仕切ってくれないので、いつ場当たりが終了したのさえはっきりしない。
 ひとつ問題があった。ソリスト達が立つように指定されたエリアは、指揮者の前なので、当然のことながら、ソリストには指揮者が全然見えない。
「モニター・テレビがないと全然ダメだ!」
とガンガン言ったら、後からモニターが来た。この国では、事前に誰もそういうことを心配する人がいない代わりに、強く言うと後からどんどん出てくる。ガンガン言った者勝ちかあ。気が弱かったり、お人好しだったりしたら生きていけない。モニターは客席の後ろの高い所と、舞台の前面両サイドに設置された。

 大事なことに気が付いた。実は、さっきから見ていると、若い舞台スタッフ達は、実に優秀なのだ。いちいち書かないけれど、細かい問題がいっぱい起こっている中で、彼等は僕たちの要求にいち早く気が付いている。あるいは、僕たちが文句を言う前に、もう分かっている。だから対応が早い。これは驚くべき事である。
 ただし彼等には限界があるのだ。先ほどの舞台監督をはじめとして、上に立つ人からの指示がない限り、彼等とて勝手な行動は許されないのである。指示待ち状態でいる彼等が、僕は気の毒になった。
 逆の見方をすると、僕たちが要求を出せば彼等が動けるのだと気が付いた。もしかしたら、彼等にとって今日は案外ハッピーな日なのかも知れない。その証拠に、僕たちがクレームを出す度に、彼等はまるでそれを待ち構えていたかのように生き生きと動いているのである。

 8時からのオケ付き舞台稽古でも、小さい問題はいろいろ起こった。その中で、一番大きな問題は、日本では絶対起こりえないような種類のものであった。

 前の日のオケ合わせの時から、第2幕の大行進曲の場面でバンダBanda(舞台上の金管奏者達)が出トチリをしていた。冒頭や、アイーダ・トランペットが活躍する前半の個所はいいのだが、しばらくアンサンブルが合った後で最後の方でまた合唱団が戻ってくる個所になると、バンダ奏者達は無責任にも持ち場を離れてしまって、いつ演奏を始めていいか分かっていない。
 今日は、実質ゲネプロのオケ付き舞台稽古で、今日しくじるともうチャンスがないのに、それでも彼等はきちんと位置に着いていなかった。普通、心配だからCDとか聴いて、大体どんな音楽になってきたらもうすぐとか調べておくだろうに、なんと楽観的な人達だろう。
 案の定、バンダは今日も出られなかった。指揮者の張国勇Zhan Guoyong氏がもの凄い勢いで罵倒している。そこで、バンダのメンバーは、自分たちが出られなかった事を、ソリストの立ち位置が邪魔をしていて指揮がよく見えなかったせいにした。いや、そういう問題ではないでしょうに。僕は客席で見ていたんだけど、明らかに譜面台のところに行っていなかったもの。ちなみにバンダは舞台の両側の前扉から入った所にいる。僕は、そんなバンダの言い訳など誰も真面目に取り上げはしないだろうと思っていた。まあとにかく、その後の練習は順調にいっているかに見えた。

いきなり音楽が止まった。見るとラダメス役の水口聡(みずぐち さとし)氏が舞台にいない。指揮者の張さんが途方に暮れている。な、なんだ、なんだ、何が起こったんだ?

 あわてて聞きに行くと、舞台前面両サイドにあったモニター・テレビが突然なくなってしまったと言って水口氏が怒っている。そんなんじゃ歌えないと彼は抗議している。なくなるんだったらなくなるで、せめてその理由を説明しろと・・・。それはそうだね。
 ちょっと調べたら、理由はすぐ分かった。舞台前面の両側にしつらえたモニターは、いつの間にか“反対側を向いていた”のだ。つまり、バンダが指揮者が見えないと言ったことを受けて、バンダに見せるために、歌手のモニターをひっくり返したわけである。
 うわあ、ナンと大胆な行き当たりばったりの対応!誰だ指示を出したのは?そもそも歌手達が必要だと主張して設置してもらったモニターだよ。それが何のコメントもないまま見えなくなったら、誰だって怒るさ。
 練習はしばし中断してしまった。“風が吹けば桶屋が儲かる”ように、バンダの出トチリのお陰で、ただでさえ遅い22時30分までの練習は、22時45分まで伸びてしまった。僕たちはもうクタクタ。

 でも、それはかえって良かった。何故なら、本番では、舞台両サイドではなく舞台中央付近に45度上方を向いた素晴らしいモニター・テレビが2台、新しく設置されたのだ。これはベストの処置である。って、ゆーか、それが出来るんだったら、最初からやって欲しかった。バンダのモニター・テレビもそのまま設置されている。

それでも、このコラボは成功なのだ
 このように、僕たち日本人は、時には容赦なく要求を突きつけた。中国側のスタッフは、恐らく僕たちのことを、なんて嫌な連中だと思ったに違いない。自分たちはいつもこのやり方でやってきて問題なかったのにどこが悪いのだと怒っている人もいるかも知れない。
 でも、僕たちだって何でもかんでも文句を言ったわけではない。「郷には入れば郷に従え」のことわざのように、随分遠慮しているところもある。合唱団が冒頭から第2幕の終わりまで、微動だにしないで起立して歌うという事すら、演出としてそう要求するなら仕方ないと従ったのだよ。
 それでも、あえて要求を出したポイントは、劇場をきちんと運営するために最低限必要な事柄ばかりなのだ。これらは、良い演奏をするのと同じくらい必要なのである。というより、良い演奏を導き出すために必要不可欠な環境作りと言ってもいいであろう。もし、これらのことを怠って公演を続けていながら、本当に世界レベルの成熟した劇場になろうと思っても、はっきり言って難しい。それよりも、こうしたやり方でやっていたら、いつ舞台上で大きな事故が起きても不思議はないのだ。大規模な舞台になるほど、周到な準備と、全てを把握し全体を統括する指揮系統が健全に機能していないと、危険なのだ。

 分かって欲しいが、僕は中国の劇場の状態を批判するためにこの記事を書いているのではない。そうではなくて、僕が言いたいことは、だからこそ、このコラボレーションには意味があったのだということである。僕たちは、より良い舞台を作るために真摯に取り組み、最善を尽くした。誰もあきらめなかったし、誰も自暴自棄になったりしなかった。直立不動を強要された合唱団員達も、よく文句も言わずにやってくれた。
 一方、中国側からしてみると、瞬間瞬間では、喧嘩を売られているように思えたかも知れない。でも、彼等もよく耐えて対応してくれた。彼等とすれば最大の忍耐だったと思う。また、初日まで漕ぎ着けた背景には、先ほども述べた若い世代の台頭がある事は確実だ。彼等が、全てを理解してくれ、素早く対応してくれたからこそ、それぞれの要求が必要以上の大問題に発展する前に解決出来た。彼等は能力があり感性が柔軟である上に、実際いろんなところに留学していて、外の世界をよく知っているのだと、後で関係者に聞いた。
 未来に希望があるとすると彼等の存在なのだ。でも、ひとつの問題・・・・これが実は最も深刻な問題なのだろうが・・・があるのだ。それは、彼等の才能を充分に生かすシステムを確立することである。かつて、終身雇用の時代に日本の企業が言われていたことに近いが、その確立は難しいのだろうか・・・うーん・・・・僕には、そんなに難しくないような気がする。こう思うのは楽観的過ぎるだろうか?

舞台監督のコラボというアイデア
 僕のアイデアはこうである。もし、次にまたこうしたコラボレーションが実現したら、今度は日本から舞台監督とそのアシスタントを何人か連れて行って、その分野でのコラボレーションを実現するのである。そうすれば、心ある舞台人だったら、恐らく「あっ!」と驚いて、我々がなんであんな風にいろいろ要求していたかを、即座に理解してもらえると思う。
 みなさんに是非知っていてもらいたいのであるが、日本の舞台監督集団のレベルこそ世界に誇るものなのである。これに匹敵するものは、僕が知っている限りバイロイト祝祭劇場の技術部しかない。
 もし、そのコラボレーションが実現したら、彼等中国側の若い舞台スタッフ達のモチベーションが一気に上がるだろう。そして、今度こそ本当に国家大劇院は、我々新国立劇場にとって真に脅威となるであろう。共にしのぎを削るライバルとして活動しつつ、僕たちは互いに手を携えて素晴らしいアジアの拠点となっていくであろう。

一方では、彼等の上昇エネルギーに圧倒され、痛感しているのだから。
「欧米を追いかける時代は終わった。これからはアジアだ!」


ハオー!
 北京における2日間の公演も大成功であった。指揮者の張国勇氏はオペラのことを隅々まで知っている素晴らしいマエストロだ。それにプラスして、本番になるととても情熱的で緊張感溢れる演奏を行い、演奏者の聴衆も興奮の渦に巻き込んでいく。
 国家大劇院管弦楽団は、合唱団と同じに全員がかなり若いが、それぞれがテクニックがあり、大健闘していた。ただ、ちょっと残念なのは、弦楽器を中心として洗練された音色に欠けること・・・・これには楽器の問題が立ちはだかっているような気がする。
 ソリスト達は、日本公演と同じように素晴らしい歌唱。聴きながら思ったけれど、指揮者、オーケストラ、合唱、ソリストによるこの演奏全体は、もうアジアとかなんだとかいうレベルではない。これをそのままヨーロッパに持っていっても、間違いなくトップクラスであること疑いない。

 終演後のカーテンコールでは、日本やヨーロッパのブラボー・コールの代わりに、AKBのコンサートかと思うほど可愛い黄色い声の声援が飛ぶ。ワーーーーッ!という感じの歓声に会場が包まれるのだ。勿論ブラボーも聞こえる。指笛を鳴らす者もいる。それに混じってあっちこっちから、
「ハオー!」
という歓声がひときわ聞こえる。
 ハオとは、你好ニーハオ(こんにちは)のハオで好と書き、京劇などではブラボーの意味でみんなが叫ぶのだという。
この「ハオーッ!」の洗礼は、ここが中国であることを僕たちに強く印象づけることとなった。

 ふうーっ、終わった。不思議だ。合唱指揮者として関わっただけなのに。いつもより達成感がある。それに、本当の事を言うと、終わったという感じよりも、何かが始まった・・・・あるいは何かの胎動が聞こえるような気がしている。
「私たちの合唱団にまた練習をつけて下さい」
と、国家大劇院合唱団団長が言った言葉が、耳に残っている。



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