僕はおにころ

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

僕はおにころ
 自作ミュージカルを上演する時は、通常の指揮者としての仕事の何倍ものエネルギーを使う。公演を指揮をするだけでなく、演出もしているのだから当然だ。指揮と演出とは、エネルギーのかけ方がある意味正反対だ。
 指揮者は、なんといっても公演の時にオーラやエネルギーを100パーセント出し切ることを求められる。練習は、それを成し遂げるための環境作りだ。それに対し、演出家は初日には客席で見ているのが普通だし、新国立劇場に来る外国人演出家などは、公演がその後何日続いても、初日の次の日にはもう成田空港から飛行機に乗って本国や次の仕事に向かっている。つまり公演が始まってしまうと、演出家はもう何もすることがないのだ。

 指揮者の仕事と演出家の仕事が同時進行するのは、稽古場での立ち稽古の間だけだ。その時は、休憩時間になると指揮者としても演出家としてもみんなと一緒に休む。だから落ち着いて休憩が出来る。でも、いったん劇場に入ると、指揮者として仕事する舞台稽古の合間に、そっくり演出家としての仕事が入る。
 だから、たとえば8月16日木曜日などは、気が付いてみると、朝の9時に照明合わせのために劇場入りしてから、午後のオケ合わせと晩のオケ付き舞台稽古を通って夜の10時に最後の舞台打ち合わせを終わるまで、全く休憩なしで働いた。お弁当を食べている間にも打ち合わせをしながらであった。道具の出し入れのタイミングや、照明のタイミングの微調整、及び大道具の位置を決めたり直したり、やらなければならないことが次から次へと出てくる。みんなも次から次へと聞いてくるし、僕も次から次へといろんなことが気になり始めるのだ。
 演出家としての仕事の他に、今回はオケの中に電子楽器のエレクトーンもあったり、歌手達がワイヤレスマイクを使ったりしているので、PA音のレベル確認や、歌手達のワイヤレスマイクとのバランス調整にも時間を割いた。自作なのでいろいろ音響にもこだわりがあり、ミキサーだけに任しておけないのだ。そもそもこの公演において、どういうサウンドを構築するかという基本姿勢を作らなければならないのだ。

 そんなこんなで、先週は一日中休みなく働いて、夜遅く実家に帰り着くと、毎晩もうクタクタだった。でも、そんな時こそ酒が飲みたい。ビールをガブガブ飲んで、ワインや焼酎を飲んで、バタンキューだ。僕はいつもぐっすり寝る人だけれど、普段よりもっとぐっすり寝られる。布団に入ると3秒後には意識がないという感じだ。
 そして次の朝は、すっきり爽やかに目が覚める。6時半から、1時間きっかりかかる散歩に出る。7月後半の最も暑い時期から比べると、朝晩は随分涼しくなってきたが、散歩の後は汗びっしょりになる。それでシャワーを浴びて着替える。この散歩をすることで、体力を消耗するどころか、むしろ1日の始まりのエネルギーを蓄えるのである。
 「体力は温存しないとなくなってしまう」という考え方は間違っている。人間の体のエネルギーというものは、健康な時は、まるで井戸水のように汲めば汲むほど溢れてくるのだ。でも、ゲネプロの日の午前中がちょっと空いたので、新町の温水プールに行って1200メートルほど泳いでからホールに行ったが、さすがに午後のオケ合わせの直し稽古から夜のゲネプロまで力一杯指揮したら、初日の本番の朝には腕に筋肉痛が残っていた。本当は公演の初日にも2日目にも午前中にプールに行こうと思っていたが、やはり公演中はやめといた。汲めば汲むほど溢れてくるエネルギーにも限度があり、寄る年波には勝てない部分もある。なんだ、言ってることが矛盾するぜ。まあ、要はそのバランスだな。

 新町歌劇団のモチベーションは、いつになく上がっている。先日この「今日この頃」でも書いたが、団員達の中心となってみんなを盛り上げていた誉子(たかこ)ちゃんの急死が、一時は団員達の心に大きな影を投げかけていたが、これまでむしろ誉子ちゃんに背中を押されるようにして練習に参加していた若者達が豹変して、誉子ちゃんの分まで頑張らなくっちゃともの凄く強いオーラを出し始めた。それに古参のメンバーも逆に励まされて、熱気のうねりのようなものが団内に生まれた。こんなことは初めてである。

 そんな中、8月11日土曜日。誉子ちゃんのお母さんが練習に現れた。これまでずっと親子で参加していた練習場に、誉子ちゃんが亡くなった後初めて来たわけだ。辛かっただろう。でも、20年間ずっと欠かさず通っていた土曜日の通常練習日に、家に居るのも同じように辛かったかも知れない。とにかくよく来てくれた。嬉しかった!
 僕はみんなの前に彼女を立たせてこう言った。
「彼女が練習の途中で泣いて歌えなくなるかも知れないけれど、みんなで支えて下さい。この歌劇団は、どんな人のどんな状態も受け入れることの出来る包容力のある団体だと信じています。僕は新町歌劇団を作ったことを誇りに思っているからね」
そして練習を開始した。
 予想した通り、彼女は練習の間随所で泣いていて、それを見ながら指揮していた僕も、もらい泣きしそうになるのを必死でこらえていた。でも団員達は本当に良く彼女を支えてくれた。彼女が自分たちの横でボロボロ泣いていても、そしらぬ顔で踊り、演じていて、休憩時間には温かい眼差しを投げかけていた。そのお陰で彼女も本番の舞台に立てる自信が少しずつ持ててきたようだった。
 次の日12日日曜日の練習の休憩時間、彼女が僕の所に来てこう言った。
「先生、あたし昨日泣いたところはもう今日は泣かないで出来ました。もう舞台に立てると思います!」
なんと気丈な女性!僕は、誉子ちゃんが亡くなった後、彼女も後を追って死んでしまうのではと心配していただけに、この言葉を聞いてどんなに嬉しかったか!
 さらに、その彼女の姿を見て、他の団員達の心もいっそう奮い立った。誉子ちゃんが亡くなったお陰でというつもりは毛頭ないけれど、少なくとも誉子ちゃんの死は無駄にはならなかった。それを乗り越えて団員達は、かつてない精神状態で本番に臨んだのである。それは、「どんな苦しみのまっただ中にも到達出来る究極的な包容力」と言ったらいいのであろうか。
「おにころ」だけでなく、僕の自作ミュージカルを上演する時には、毎回それぞれ葛藤があり様々なドラマが生まれるが、こんなドラマチックな状態で本番を迎えたことは、僕の人生の中でも初めてのことである。

 「おにころ」は、僕の原点である。23年前に生まれて初めて作った長大な作品だ。初めて書いた台本であり、初めて舞台割りを構成し、初めて作曲をし、初めてオーケストレーションをした。今、台本を読み返すだけで胸に込み上げる個所がここかしこにある。
 あの頃、僕はキリスト教に限らず、あらゆる宗教の書物を読みあさっていた。そして、宗教という人間が作った枠組みを超えるもっと大きな真理が、宇宙全体を貫いていることに気が付き、それをひとつの作品に結晶させたのだ。さらに、それまでの僕の人生で培ってきたアイデアを、この中に全て投入している。まさに僕自身を映し出す鏡のような作品だ。そしてそれは23年経った今でも少しも変わっていない。つまり、僕という人間を知りたかったら、「おにころ」を見ればいいのだ。

 そしていよいよ公演の日を迎えた。驚いた。今回は6回目の公演なので、恐らくリピーターの人たちが多いのだろう。冒頭の下校中の小学生達の場面から、お客様の反応が素晴らしいのだ。ウケるであろうと予想していた箇所はもとより、思ってもいないところで反応してくれるものだから、演じる側がどんどんノセられてくる。つくづく、劇場作品というものは聴衆と一緒にリアルタイムで作り上げるものなのだなあと実感させられた。
 指揮していて、新町歌劇団から聴衆に向かって発散される気迫がもの凄いのを感じる。同時に、聴衆が「おにころ」の中に僕が託したメッセージをしっかりと受けとめているのを感じる。それはまさに鳥肌が立つような体験であった。

 冒頭の老婆に変身した妖精メタモルフォーゼのセリフにもある通り、3・11以来、人々の心は本当に変わってきている。「おにころ」が初演された1991年の頃の聴衆の反応と比べて見れば一目瞭然だ。あの頃は、まだバブルの最後の時代で、経済原理最優先で世の中が回っていたし、また経済原理の中に人々が夢を見られた時代であった。そうした世界観が蔓延している中、「おにころ」のようなスピリチュアルなテーマを受容する感性は社会の中に根付いていなかった。それどころか、そうした事を話題にすること自体に抵抗感を感じる人が少なくなかったのである。
 でも、今回の公演では、ミュージカルの中で語られる言葉のひとつひとつを聴衆がむさぼるように受け取っていくのが感じられた。僕の託したメッセージが確実に聴衆の中に浸透していくのがこの目で見えるようであった。

 世の中は変わったのである!まさにこれが、21世紀における人々の魂の覚醒への胎動なのである!

愛をとりもどせ 人と人の間に
夢を描こう 僕達の未来に
Love, come back again!(愛よ、戻ってこい!)
Love, come back again!
信じ合うなら、この世は 変わるよ
 この言葉は、単なるきれいごとの歌の文句ではない。この言葉を人々が真に理解し、この言葉が広く受け容れられる世の中になることこそ、21世紀という時代が持つ使命なのだ。神は本気なのだ。みんなを脅かすわけではないけれど、みんなの魂が覚醒するまで、神は天変地異でも何でも起こす覚悟なのだ。出来れば、そんな大災害なんかなしに、みんなが真実に目覚めることが望ましいだろう。地震や津波の代わりに「おにころ」を観ることでみんなの魂が覚醒するなら、そっちの方がいいに決まっているだろう。

 こうして、聴衆と一緒に僕達はどこまでも高みに登っていって、新町文化ホール全体が大きな魂のうねりのようなものに包まれた。このうねりが、宇宙の流れを少しだけ変えた。僕は思った。僕にはまだまだやることがある。もう少し世界全体が覚醒に向かって進むまで僕は死ねない。場合によっては「おにころ」のようにこの身を犠牲にしてでも、21世紀の新しい世界の実現に寄与しなければならない。
そうさ、おにころは僕なんだ!

いよいよ来るんだ
僕の日が
僕は そのために 生まれてきたんだから
(おにころのセリフ)



Cafe MDR HOME

© HIROFUMI MISAWA