合唱コンクール全国大会(中高の部)を終わって

三澤洋史 

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孤高の美、桜島
 10月29日月曜日。朝起きたら山が燃えていた。桜島の頂上から、真横に長い尾を引いて灰色の煙が伸びている。その煙のちょうど向こう側から朝焼けのオレンジ色の光線がしだいにその輝きを強めてきた。はっと息を呑むほど美しい光景。
 桜島は錦江湾の水平に反抗するように立っている。雄大で圧倒的で恐ろしく、そしてそれ故に凛とした孤高の美をたたえている。湾には何艘かの船が、噴火の緊張感とはまるで不釣り合いな感じでのほほんと浮かんでいる。
 せっかく鹿児島に3泊していながら、朝から晩までコンクール審査に追われてどこも観光出来なかったけれど、それでも僕は、この火の山を見ただけで身の引きしまる思いがし、鹿児島に来た甲斐があったと思った。


尼崎のワインバー
 さて、話題は数日前にさかのぼる。尼崎の話だ。今年は5年目にして新たな店を開拓した。今年の2月に開店したというワインバーだ。尼崎に4泊しただけなのに、なんと3晩も通った。浜松から大阪フィルハーモニーの練習場を経由して尼崎入りした日曜日は、指揮者の城谷正博(じょうや まさひろ)君を囲んで音楽スタッフみんなで焼き肉を食べた。次の晩、なんとなくワインが飲みたくなって繁華街を彷徨ったら、偶然にも見つけた。こんな時の僕は鼻が利くんだ。
 店の名前は「尼崎ワイン食堂While」。グラスワインが280円からあって、一番高いものでも580円と超リーズナブル。また、料理はイタリアンが主というのが嬉しい。しかも、それぞれがちょっと少なめで安い。ひとりでレストランに行って何か困るかというと、品数を沢山頼めない事だが、ここでは何種類か同時に頼んでも値段がかさまないし、食べ切れなくて困ることはない。
店内はカジュアルな雰囲気で、ワイン一杯に料理ひとつで千円以内で出てきちゃっても全然平気な感じ。だから、どこかで食べてからちょっと一杯引っ掛けて帰ろうかなと気楽に入れるのが気に入った。

月曜日の晩は、トリッパ(内臓料理)の赤ワイン煮込みという、日本ではなかなか食べられない料理が食べられたので大感激して帰ってきた。それで、早速次の日に合唱団のメンバーなどに触れ回ったので、その晩からみんなが行き始めた。
 火曜日の晩の僕のメニュー。カプレーゼ(トマト、モッツァレッラ、バジル)から始まり、ペンネ・アラビアータ、そして鴨肉のロースト及びバゲット。カプレーゼにはスペインのスパークリングワイン480円、ペンネには380円の軽めのイタリア・ワイン、鴨肉には、前の晩も飲んだお気に入りのイタリア・ワイン580円を合わせた。鴨肉が実にジューシーで、このイタリア・ワインとのマリアージュに超シビれたぜ!トータルで4千円以下。安いでしょ。それに案外ヘルシーなんだよ(本当か?)。
 水曜日は、新国立劇場オペラ制作プロデューサーのTさんと、アシスタントの冨平恭平君と一緒に、まずお好み焼き屋の「みっちゃん」に行く。ここはみっちゃんというちょっと太めのおばさんがやっている店。最初の年(2008年)から、尼崎に着くと必ず真っ先に来ていたが、今年は焼き肉とワインバーのお陰で最後の晩になってしまった。そしたら、みっちゃんに、
「やっと来はった!」
と言われた。
 僕は、名物のおでんを何種類か頼んで生ビールを飲む。ちょっと甘めの、関東にはない味。牛すじはちょっと堅かったが、ここでなければ味わえないんだ。それから定番の豚玉を食べる。おおっ、尼崎にいるんだという実感がひしひしと・・・・。
それでホテルに帰ろうと思ったが、やっぱりワインを一杯だけひっかけたいなあと、突然思い始めた。そこで彼等を無理矢理ワインバーに連れて行く。Tさんは今ダイエット中で、冨平君はそもそもお酒が全然飲めないのに・・・・。
ワイン食堂Whileの中には、すでに何人かの合唱のメンバーがいたので、やたら盛り上がってしまった。おまけに、僕たちがいる間に、次から次へと来るわ来るわ、どんどんメンバーが増えて、半分貸し切りのような状態。みんな声楽家だから店内はうるさいのなんのって・・・・僕の宣伝が効き過ぎて、新国立劇場合唱団員のたまり場のようになってしまった。でも、店にとっても合唱団員にとっても悪いことは何もないもんね。他のお客さんには絶対迷惑だったと思います。も・・・申し訳ありませんでした!
 僕は例のお気に入りのワインを1杯だけと思っていたが、チーズ盛り合わせのゴルゴンゾーラ(青カビチーズ)とペコリーノ(山羊のチーズ)がうまくて、気が付いたら2杯空けていた。お店のおにいさんの、
「もう一杯どうですか?」
という言葉に理性を失いかけたが、ハッと我に返ってみると、すでに今日はおでんとお好み焼きを食べているんだ。もう、イタリア滞在の後で体重計に乗った時のショックだけは味わいたくないので、心を鬼にしてダイエット中のTと二人で帰ってきた。若い冨平君は、楽しい雰囲気の中で去り難く、みんなと一緒に残っていた。酒も飲めないのに・・・・でも、そうか・・・・どうせ飲んだってウーロン茶なんだから、僕のように居れば居るほどワインを飲んでしまう心配がないのだ。だから、そそくさと帰らなくてもいいのだ。いいなあ、飲めないって!
いやいや、酒なくして何の人生よ!こうしてオーバーカロリーとのせめぎ合いの中で悩みながらおいしい酒を飲むのもまた楽し。

このようにして、今年の尼崎の夜はおしゃれに更けていったのでした。

お願い!黙って泳がせて!
 10月23日火曜日と24日水曜日の午前中は泳ぎに行く。昨年は、ホテルの中のルネッサンスで1,050円のビジター・チケットを買って入ったのだが、25メートル取れていないので、自分がどのくらい泳いだのが分からないので気が進まず、今年は外で泳ぐ。23日は、昨年も行った難波駅近くの浪速スポーツ・センター。24日は尼崎スポーツの森。このスポーツの森は、たっぷり10コースあって、ゆったり泳げるのでとても気に入った。
 関西で泳ぐのって、僕にとってはちょっとドキドキすることがある。関西のひとってよく話しかけてくるんだ。彼等にとっては普通なんだろうけれど、関東育ちの僕なんかは、いきなり話しかけられるとびっくりしてしまう。隣のレーンのおじさんに、
「今日はいつもより(泳いでいるひと)少ないね」
と言われても、いつも来ているわけじゃないんだから何も答えられないじゃない。びっくりして黙っていると、気を悪くされてしまったようだ。プイッとされて、今度は目も合わせてくれないんだ。
 スポーツの森では、初級者コース、中級者コース、上級者コースと分かれている。僕が中級者コースで泳いでいたら、隣の上級者コースのおばさんが、
「こっち、あたしひとりやから泳いでええんよ」
と言う。
「ありがとうございます!」
とは言ったものの、こっちのコースもあと二人が僕とおんなじペースくらいでのんびり泳いでいるだけだから、窮屈ではない。なので、そのまま泳ぎ始めた。すると、どうやらそのおばさんは、そのまま僕と話がしたいみたいで、往復してきた僕をじっと見ている。僕は、往復してきて休もうと思っていたけれど、あばさんに捕まって話なんか始められたらうっとうしいので、またターンしておばさんと対岸で休む。それをおばさんがまたじっと見ている。なんか、さっきより感じが悪い。
 その上級者コースのおばさんはどうみても上級者ではない。むしろ初級者。どうやら中級コースと初級コースには何人かずつ泳いでいるので、誰もいない上級コースに入り込んできたわけだ。上級と書いてあったら、普通ちょっと恐れ多くて行けないだろう。だから空いているのさ。おばさんは図々しいから行けるんだ。
 その内おばさんが獲物を見つけた。同じくらいのおばさんが来たのだ。するとその二人のおばさん達は、その上級コースの中で全く泳がずにずっと世間話をしている。あのさあ、ここお風呂じゃないんだから、そういうのは外でやってくれないかなあ・・・・と僕は心の中でこっそり言った。とても口に出して言う勇気はない。なんとなく尼崎のおばさんは恐い。

 前にも言ったけど、僕は、プールって図書館に似ているから好きなんだ。みんなそれぞれ孤独の中で黙々と自分に向かい合っているだろう。自分で目標を定めて、疲れたけれどあと50メートルは頑張ってみようとチャレンジして、ささやかな達成感を味わうとか、自分のフォームを見つめて・・・手の角度はどうかな・・・とか・・・そういうのが好きだから僕はプールに行く。言ってみれば、僕は水泳における孤独が好きなのだ。今度水泳キャップに、
「私に話しかけないで下さい」
と書いておこうかな。それでも尼崎のおばさんは話しかけてくるような気がする。

合唱コンクール全国大会(中高の部)を終わって
 全国大会ともなると、それぞれの団体が命賭けて来ているから、どんなに聴き疲れたって手を抜くわけにはいかない。だからこの2日間というもの、全身全霊を傾けて審査に没頭した。この原稿は10月29日月曜日、帰りの飛行機の中で書き始めたが、体全体に疲れが残っていて完成出来なかった。だから今週は1日遅れで更新。

 日本全国から選りすぐりの団体が集まっているわけだから、ほとんどミスらしいミスをする団体はない。音程もリズムもハーモニーも大きく乱れることはない。どの団体も、ここまでくる間に、弱いところを徹底的に改善して臨んでくる。それだけに戦いは熾烈を極め、審査する方も順位をつけるのに苦労する。ほんのちょっとのアンサンブルの乱れも勝敗に左右することになる。
 特に、高等学校部門の審査ほどシビアなものはない。アンサンブルの完成度という意味では、大学よりも一般よりもはるかに高いレベルだと思う。いや、僕はあえて言いたいが、日本の高校合唱のアンサンブルのレベルは世界で一番ではないだろうか。オリンピックがそうであるように、この年代は、人間の能力が最も花開く時期であるのだ。

 ただ、これでいいのかという思いがどうしても残る。別に僕は、コンクールそのもののあり方を根本的に疑問視しているわけでもないし、採点の方法に問題があると思っているわけでもない。でも、数十年の間に、演奏する側とそれを採点する側との双方で築き上げられてきた、いわゆる「勝つための音楽」のあり方が、コンクール以外の世界でどれだけ通用するのであろうか?すなわち、本来の芸術音楽が有する美意識や価値観と、コンクールの評価との間にもしギャップがあったとしたら、コンクールの勝者が創り出した音楽というものは一体どこに向かうのであろうか?

 たとえば、コンクールで金賞を取ったような合唱音楽をもっと極めていったら、その先にプロ合唱団員への道が開けているかといったら、開けていない。たとえば、全国大会で金賞を取った合唱団員が、もっと頑張ったら、東京混声合唱団やスエーデン放送合唱団やバイエルン放送合唱団に入れるかといったら、入れない。
 逆の言い方をすると、新国立劇場合唱団が、先日演奏したモンポウの合唱曲や「ダフニスとクロエ」の合唱部分を持って全国大会高校生の部に乱入したら、たぶん金賞は取れない。もっと極端な例を挙げると、吹奏楽コンクール全国大会にベルリン・フィルが(ジャンルはやや違うが)乱入したら、やっぱり金賞は取れない。
 そこは一種の閉じられた世界である。僕が世界で一番と呼ぶ高校生合唱のアンサンブルではあるが、プロの合唱団との間には、ある避けがたい溝が横たわっているのだ。

 たとえば僕個人は、高校Aグループ(32名以下の合唱団)の第一位に高知学芸高等学校コーラス部を選んだ。彼等の声は、明らかに他の高校と違って、より成熟した発声法で、他の団体には決して出来ないような大きな表現力を持っていた。ただ、残念なことに男声で少しミスが目立った。微細ではあるが音程やハーモニーが乱れた。また、テノールのソリストの息がフレーズの最後まで続かなかった。結果として、高知学芸高校は一位はおろか金賞も取れず、銀賞に終わった。
 僕は、それに目くじらを立てるつもりはない。コンクールというものはそういうものなのである。でも、僕と同じように第一位をつけた審査員もいたのは、ちょっと嬉しかった。

 ある学校が自由曲に選んだブルックナーのモテットの演奏が、僕には退屈でしかたがなかった。ブルックナーの音楽の持つ格調の高さや、静けさの中にふつふつと湧き上がる信仰心、フレーズの中に息づくある種の味わいというものに欠け、何のミスもなく整った演奏ではあるが、明日にはもう忘れ去られてしまうようなものであった。だから僕は、その演奏が上手なことは承知の上で、良い点数はあげられなかった。でも、その学校への全体の評価はかなり高く、金賞を取った。僕は、自分がブルックナーの音楽を愛し過ぎているのを反省した。ブルックナーが演奏に要求するものが、高校生には高過ぎるのである。その点では、ブルックナーも反省した方がよいかも知れない。
 ある学校は、フランス語の曲を歌った。発音は素晴らしく訓練されていた。でも、そこには、僕が求めるような言語的表現というものがなされていなかった。言葉を引き立てるためには、発音だけでは不充分なのだ。そこには、息を吹き込んだり抜いたりする、自在な息の流れがなければならない。その自在な息の流れは、適切な支えなしには得られない。だから僕は、やっぱりその学校にも良い点数をあげられなかった。でも、その学校も金賞をとった。

 僕が自分の価値観で評価したことを、僕自身は決して後悔していない。僕はただ、「高校生だから」という制約を自分の価値基準の中に入れなかっただけだ。それぞれの音楽が求めるものが表現されていなかったら、表現されていないと判断するだけだ。高校生にブルックナーの成熟した表現を求めるのが無理なのは分かっている。でも、だからこそ音楽は奥深いのであるし、芸術の道は遠いのである。
 先ほどのフランス語の話に戻るけれど、高校生達の発声は一般的に浅すぎると思う。だから外国語の曲になった時に、欧米人がするような深い息の表現が出来ていないのが目立ってしまう。いや、本当は外国語だけではない。日本語においても、もっと言語の持つ「立体的な表現」というものがなされなければならないのである。
 高校生の発声が浅すぎるのには理由がある。それは、それ以上深くすると、表現力が増す代わりに、音程やハーモニーの点でのリスクが高くなるのである。深い発声で音楽を構築するのにはとても時間がかかってしまうし、支えを深くしながらもっと自由になれば、もっともっと多彩な表現の世界が開けるのだが、そうやってより情熱的に歌うならば、それだけ脇が甘くなってミスを呼び込み易くなってしまう。10メートル先からダーツの的を狙うよりも、50センチのところから狙う方が命中率が高いのである。
 でも、プロは10メートル先から狙う方を選ぶ。そして表現のパレットを全開にしながら、コントロールと表出性の狭間で戦っているのである。

 たとえば僕は、先日の読響の「ダフニスとクロエ」で、サウンド作りに徹底的にこだわった。そして、新国立劇場合唱団以外どこも出来ないような響きを創り出したと自負している。こうした音色に、海外のアーチスト達はかなり敏感に反応する。「ピーター・グライムズ」の演出家、ウィリー・デッカーは、新国立劇場合唱団の最初の一声を聴くなり、僕に向かって、
「こ、このKlangサウンドは何だ!他では聴けないものだ!」
と言ってくれたし、多くの優れた指揮者達が、僕の構築したサウンドの上に立って、自らのテイストを加えていく。それはとてもクリエイティヴな体験だ。これこそオトナの音楽だ。

 こうした独創的なサウンド作りこそ、音楽の中でとても大切なものだ。ウィーン・フィルにはウィーン・フィルの音があり、ベルリン・フィルやコンセルトヘボウ、あるいはバイエルン放送響も、それぞれ極めて個性的な音を持っている。
 では、コンクール全国大会で、どれだけ個性的な音が聴かれたのだろうか?僕には、その点に関して、どの演奏もむしろ個性を消すことに労力が費やされているように見えた。どの学校もみんな平面的な声で、息の流れも一定で、同じような声なのだ。だから審査する方も、音程やハーモニーでのミスをあげつらうような、いわゆる消去法あるいは減点法の審査にならざるを得ないのだ。この連鎖をなんとかして止めて、演奏する方も評価する方も、なんとか最高のプロへと続く価値の連続性を作り上げることは出来まいか?

 もうひとつ問題がある。全国大会ともなると、仮にノーミスで歌いきったとはいえ、他の合唱団もみんなノーミスだったとしたら、それらの中から抜きんでることは難しい。だからあえて難しい曲を選んできて、それを見事にさばくことによって他の団体と差をつけようとする。
 今回気が付いた。いわゆるコンクール向けにつくられた曲がとても多いことである。ある作曲家の音楽は、コンクールでそれをきちんと演奏出来たとしたら必ず勝てるような要素が全部入っている。リズムや音程が複雑で、でもシェーンベルクなどのように複雑すぎて審査員の判別が難しいということはなくて、うまくさばけたら審査員も聴衆もすぐに分かるような効果的な書法。だから当然奥深い芸術性などというものはない。たとえば僕はコンクール以外でその曲を演奏しようとは決して思わないし、恐らく作曲家本人もそう思っていないだろう。つまり「勝つためだけの音楽」なのだ。
 休憩時間。僕がこらえられなくなってポツンと言ってしまった。
「なんか、つまらない曲が多すぎますね」
すると作曲家の寺嶋睦也氏が即座に反応した。
「そこが一番の問題です!」
僕が言う。
「それぞれの難しい箇所をきちんとさばいて歌えば、僕達はそれを評価しないではいられないでしょう。結果として高得点をあげることになってしまう。でも、作曲家が本当に作りたいという衝動を抱いて作っていないから、音楽自体がなんにも心に響いてこないんです。高校生達が、本当の感動というものを知らないで金賞を取って、音楽ってこんなものかと思ってしまうと恐いですよね」
別の審査員が言う。
「それぞれの学校が、自分たちのために委嘱作品を書いてもらうんです。でも、それが届くのが直前で、みんな徹夜する騒ぎで練習して地区予選で暗譜で歌うんですよ。それでも優秀な学校は予選に通ってしまう」
「それは音楽の本質とかけ離れていますね」
コンクールでしか演奏されない曲。コンクールでしか存在価値がない曲。ただ勝つための音楽。こうしたことが、コンクールというものの閉鎖性を増長させているようだ。

 僕は思う。よりよい演奏に向かって努力することは価値のあることである。でも同時に、努力すれば努力するほど、音楽とは安易に到達出来ない深遠なものであることを知ることも必要である。そのためにはやはり優れた芸術性を有した作品に触れることが必要不可欠である。たとえ中学生や高校生では理解しがたいとしても、それらの音楽に触れ、その年齢なりに立ち向かってみれば、必ず残るものがある。その残るものこそ、コンクールの閉鎖性を打ち破り、もっと大きな芸術の外海への連続性を創り出すエネルギーとなると信じている。

 そんなことより・・・・どうしてどこの団体もバッハを演奏しないのだ?コンクールでバッハをやれ!それがどんなにリスキーであっても、立ち向かえ!そしてその芸術性の深みに触れよ!
でもね、僕はどんな時でも同じ価値基準で審査するから、バッハへの評価は厳しいぞう!




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