パルジファルのオケ練いよいよ始まる

三澤洋史 

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お父さんと娘の話
 先週の話をします。 10月26日金曜日、新国立劇場で午後「トスカ」の最後の合唱音楽稽古をつけた後、僕はJALの最終便で鹿児島に飛んだ。空港から鹿児島市街の反対側にあるサンロイヤル・ホテルまでは思いの外かかった。このホテルの目と鼻の先に、コンクールの会場となる市民文化ホールがあるのだ。時刻は10時半を回っていたが、僕はなんとか鹿児島名物をその晩の内に食べたかった。そこでホテルのフロントに聞いて、近くの居酒屋を紹介してもらった。
 そこは「鱗UROKO」という不思議な名前の居酒屋だった。店内に入り、カウンターに案内されると若い女の子がいた。僕は彼女に、
「なんでもいいから、鹿児島でしか食べられないものをくれる?」
と頼んだ。お酒も、
「水割りの合う芋焼酎、なんでもいいから鹿児島らしいのを頂戴!」
と頼んだ。彼女は、
「お客さん、どこから来たんですか?」
と訊く。僕は答える。
「東京から」
「観光ですか?」
「いや、お仕事だよ」
 こんな時、本業は指揮者であるとか、全日本合唱連盟主催の合唱コンクール全国大会の審査員で来ているとか自慢げに話すのは好きじゃない。相手が過剰な反応するのがいやなのだ。だから適当に出張とか言ってごまかす。でも、その晩は違った。なんだか、その娘の屈託のない人なつこさに、僕は無防備になっていた。
「うわあ、指揮者なんですかあ?そんな人身近で初めて見ました!」
ほらね。やっぱり反応された。でも、この娘はちょっと違う。あまりにも真っ直ぐで素直なのだ。
「ねえねえ、なんていう名前ですか?」
僕は名前まで教えてしまったよ。そしたらスマートフォンをいじっている。
「あっ!あったあった!へえっ、ホームページ持ってるんですね。カッコいいですね。」
そ、それほどでも・・・・。

 料理が来た。さつま揚げや黒豚の角煮など。なんとなく甘めの味。でもこれが焼酎と良く合う。
「同じ銘柄でも、東京に出す焼酎は味が違うんですよ。東京の人はあまり芋臭いのが好きじゃないでしょう。だから、みんな東京に出すために苦労してわざと芋臭さを抜くんです。鹿児島の焼酎は、本当は鹿児島でしか飲めません」
「その鹿児島の焼酎が、こうやって鹿児島のおかずと良く合うわけだね」
すると突然、同じカウンターにいた二人組のおじさんの内のひとりが、僕の方を向いてニコニコ笑いながら、
「お客さん、ここの黒豚のしゃぶしゃぶを頼まないといけませんよ。これはね、絶品ですよ!」
と言う。僕はびっくりして、
「は、はい。でも・・・・もういろいろ頼んじゃったので、次に来る時に頼みますよ」
と言う。すると彼は、
「この娘はねえ、私の娘なんですよ」
と言うではないか!
「え、ええ?そうなんですか?」
「娘がいるから、時々ここに飲みに来るんだ」
「へえっ、いいですね。そういえば、僕も下の娘が代官山のフレンチ・レストランでアルバイトしていた時には、よく食べにいったな」
見ていると、お父さんは娘のことが可愛くて仕方がないらしい。
「もしかして、お父さん、僕と歳あまり違わないんじゃない?」
と僕が自分の歳を言うと、
「あっ、同じだ!」
というではないか。なんだタメか。途端に親近感が湧いた。
「で、娘さんていくつ?」
「あたしは23です」
うわっ、志保はおろか、次女の杏奈よりも若いんだ。自分が無防備になった理由が分かった。僕は娘がいるから、ごく自然にこの年齢の女の子にはもう男の下心は湧かないんだ。父親目線になってしまうからね。それに、特に父親に愛されている女の子とは自然に話が出来るようだ。うちにも父親に愛されている女の子が二人いるんでね。
「娘って可愛いですよね」
という話で、それからお父さんとめちゃめちゃ盛り上がった。
 居酒屋から出てホテルまで帰る道すがら、家に電話した。長女の志保が出た。
「あのねえ、今居酒屋に行って薩摩料理と芋焼酎で盛り上がって、娘って眼の中に入れても痛くないよねという話をしていたんだよ。あはははははは」
「酔っ払い!早く帰って寝な!」

 次の晩は、審査員達や主催者達と一緒に懇親会だったので「うろこ」には行かなかった。最後の晩、審査が全て終わってお開きになった後で、僕はもう一度「うろこ」に行く。娘さんがいた。
「やっぱり、また来てくれましたね」
「今日は鹿児島最後の晩。お父さんは、今日は来ないの?」
「来ません。実はそんなには来ないんです。この間はたまたま」
僕は、先日お父さんが薦めてくれた黒豚しゃぶしゃぶを注文した。
「う、うまい!お父さんの言った通りだね。この焼酎ともバッチリ合うね・・・・ねえ・・・・いいお父さんだね」
「でも、実は一緒に住んでいないんです。両親は離婚しているので。あたしはお母さんと一緒に住んでいるの。だから、たまに娘の顔が見たいというわけ」
「だったら、なおさらいいお父さんじゃないか」
「不思議なんです。彼氏とうまくいってない時とか、お母さんに話せないことをお父さんに相談することあるんです。お父さんならあたしのことを頭ごなしに否定しないで、ちゃんと言うことを聞いてくれるという安心感があるんです」
「お父さんはね、基本娘には娘にはメロメロだからね。もう何でも与えたい、何でもしてあげたいというのが本音だよ」

 すると、僕の言葉に安心したのか、彼女は自分の物語を淡々と語り始めた。
「小学校の5年生の時だった。おとうさんは、あたしを自分の膝の上に抱っこして、しみじみ言ったんだ。『おとうさんはね、今日この家を出て行かなければならないんだ。お前、一緒に来るか?』って。
あたしはちょっと考えてからこう言ったの。『でも、お父さん、あたしと一緒に住んでも洗濯とか出来ないでしょう』って、そしたら、お父さんねえ、必死な顔で、『お父さん、お前のためだったら洗濯するから!』って言った。
でもねえ・・・あたしはその顔を見ながら思ったんだ。『お父さん洗濯出来ないだろうなあ』って。それで、お母さんと一緒に住むことにしたんだけど・・・本当はね、ずっとお父さんのこと好きだった」
 それを聞きながら、僕は涙が溢れそうになるのを必死でこらえていた。お父さん辛かっただろうなあ。いろんな事情があったんだろうけど、娘が可愛くて仕方がなかったんだろうなあ。離れたくなかっただろうなあ。
 気が付いたら、僕はこう彼女に言っていた。
「また必ず鹿児島に来るから。そしてまたここに来るから。その時はもう一度お父さんに会いたい。絶対に会いたい!」
その娘は僕に名刺をくれた。
「いらっしゃる時、連絡くれれば、お父さん呼んでおきます。きっと喜ぶと思うよ」

 その晩はオーバーカロリー気味だった。娘が薦めてくれた黒豚しゃぶしゃぶのスープを使ったうどんがうまくて、全部たいらげてしまったのだ。それに、最初ソーダ割りで飲んでいた焼酎が、話に花が咲いてきたこともあって、最後にはロックで飲んでいたから、結構酔っ払っている。このままホテルに帰って寝てしまったらヤバい!散歩しなければ。
 海岸に出た。鹿児島の夜風は爽やかだった。僕は鼻歌を歌いながら海岸べりを散歩する。夜空にぽっかりと浮かんだ月は、ほとんど満月。空いっぱいを独り勝ちで君臨し、地上を照らしている。真っ黒な海にすら輪郭を与え、桜島をうっすらとシルエットで映し出す。打ち寄せる波が足下でピチャピチャ音を立てている。
 僕は志保のスマートフォンに電話をかけた。
「あれっ?どうしたの、パパ?」
「お父さんがねえ、娘に来るかって聞いたんだよ。その時、お父さんねえ、洗濯するからって言ったんだよ。娘が可愛かったんだろうねえ。一緒に暮らしたかっただろうねえ・・・」
「はあっ?パパ、何言ってんの?酔っ払っているね」
「うん、酔っ払っているよ」
まあ、お父さんになってみないと分かんないね、この気持ち。

パルジファルのオケ練いよいよ始まる
 いよいよ名古屋ワーグナー・プロジェクトの「パルジファル」全曲演奏会の最初のオケ練習が始まった。11月4日日曜日の朝の10時。

 普段、新国立劇場合唱団と共に、東京フィルハーモニー交響楽団や東京交響楽団、あるいは読売日本交響楽団などと日常的に接しているだろう。たまにアマオケに行くと、そのギャップに衝撃を受けてしまう。しかもワーグナーの中でもあまり馴染みのない「パルジファル」だものね。アマオケでも「ワルキューレの騎行」とかコンサートピースとして演奏する事はあっても、「パルジファル」は抜粋でもやらない。だからみんな初めてに違いない。しかも演奏会は来年の8月末。まだ10ヶ月近くある。まあ、それにしてはよくやっている。
 第1幕後半の転換音楽とか指揮していると、その音楽の素晴らしさに思わず熱いものが込み上げてくる。奏者がまだうまく弾けていなくても、その感動は関係ないんだ。第2幕冒頭、クリングゾルの園の魔法めいた響きが怪しいし、花の乙女達の場面のコケティッシュな色彩感に酔わされる。第3幕後半の「奇蹟」のモチーフが現れ、アンフォルタスの傷が癒える終幕の神々しさよ!やっぱり、僕はワーグナーの全ての作品の中で「パルジファル」が一番好き!
 ライト・モチーフの扱いは、「ニーベルングの指環」のように明確ではない。むしろ「トリスタンとイゾルデ」のように抽象的であるが、「トリスタン」よりもずっと簡素化されている。それ故、「トリスタン」から後退しているように指摘する学者もいるけれど、それは当たっていないな。ワーグナーは意図的に簡素にしたのだ。いたずらに熱情だけ煽ることはやめて、必要最小限の音素材で最大限の効果をあげる。これこそ巨匠の業というもの。
 それにオーケストレーションはまさに円熟の極み。実際に練習してみて分かったのだが、たとえば3番トランペットにまで均等に活躍の場を与えるというように、管楽器のソロの配分など実に手が込んでいる。それと、どう書けばどう響くというイメージの把握が凄いな。前奏曲にも出てくる4拍子のテーマとそれを彩る弦楽器の32分音符。それに対抗するように6拍子の管楽器のたゆたうようなリズム。これはまるでドビュッシーだ!印象派の先駆けだ!
 この作品を全曲指揮出来ると思うだけで、もう今からワクワクしてくるが、勿論、それまでには沢山の山を越えなければならない。合唱(モーツァルト200合唱団)の練習を丹念にやり、ソリストにコレペティ稽古をつけなければならない。特に花の乙女達のアンサンブルが大変なのは、バイロイトで見ているからよく知っている。
 でも、僕には絶対出来るだろう!いや、やってのけよう。僕でなければ決して出来ない稀有なる「パルジファル」を!

「ルチア」の歌詞について
 ドニゼッティ作曲、歌劇「ランメルモールのルチア」の第一幕フィナーレで、ルチアの本心を誤解して乱入してきたエドガルドに対して、アストン家の家臣達が言うセリフがある。

Esci, fuggi,
il furor che m'accende
solo un punto i suoi colpi sospende.
出て行け、逃げよ!
私を燃やす怒りは、
その攻撃をやっとのところで抑えているのだ!
 ところが、このm'accendeという合唱の歌詞が、途中からn'accendeに変わり、さらに同時に歌うソリストのアルトゥーロだけがm'accendeのままという統一感のない状態になっている。
 団員の一人が練習中に僕に質問した。
「統一しなくていいんですか?」
僕は、ちょっと考えたが、その理由がすぐ分かった。
「これはそのままでいいです」
合唱団の中で軽いざわめきが起こった。僕は続ける。
「m'accendeはmi accendeで『私に火をつける』の意味。一方n'accendeはne accendeです。neの用法は広くていろんな意味がありますが、現代では使われていないけれど、ciすなわち『我々を』あるいは『我々に』の意味があるんです。だから家臣達は、最初『私に火をつける怒り』と個人的に怒っていたのが、だんだん周囲の人達も一緒に怒っていることを知り、連帯感を持った集団の怒りに変わっていくので、後半には『我々に火をつける怒り』と変わっていくわけです。ソリストのアルトゥーロがm'accendeのままでいるのは、ソリストだから個人的な怒りにとどまっているのでしょう。だからmiとneが共存することもあり得るわけです」

 休憩時間になった。ある合唱団員が僕の所に来て言った。
「僕は藤原歌劇団などで、これまでに何度もルチアの合唱に出ているけれど、初めてこの問題にメスが入りましたね。実はこの箇所はいつも統一感がないと問題になっていて、どっちかに統一してしまうのです。逆に言えば、ルチアをやる度に、誰かが質問し、統一しませんかと提案する有名な箇所なのです。でも、個人的なmiが集団のneに変わっていくというのは画期的です!長年の疑問に終止符が打たれました」
 へえ、そうなんだ。って、ゆーか、僕自身、イタリア語をしっかり勉強していなかったら気が付かないで、きっとみんなの言う通りにどちらかに統一してしまっただろう。そういえば、僕はneに「我々に」の意味があるってどうして知っていたんだろう?そうだ!アンドレアだ!
 僕は、ミラノの語学学校の教師アンドレアのことを思い出した。ナポリ・ピッツァこそがピッツァだと力説し、僕をピッツェリアに連れて行ってくれた35歳の陽気なアンドレアは、僕がこれまで知り合ったなかで最も優れた語学教師だった。そのアンドレアが授業中に言ったのを覚えていたのだ。それはneの用法を徹底的に探る授業だった。
 イタリア語のneは、フランス語のenと同じで、とても意味が広い。ネイティヴの人達がかなり自由自在に使いこなす一方で、初心者がneを自然に会話の中に混ぜることはとても難しい。その意味では、最も上級編の単語である。そうした外国人にとって出来れば避けて通りたい事柄こそ、アンドレアは命を賭けて僕達に教えてくれた。お陰で、
Quanti libri hai? 本を何冊持ってるの?
Ne ho tre. (それを)3冊だよ。
とか、
A me sembra una buona idea; tu che ne dici? 
僕には良いアイデアだと思えるけど、君は(それについて)どう思う?
とかいう事柄については自由に使えるようになった。その授業の中でアンドレアは、
「現代では使われていないけれど、古典的な文献などを読む時には、ciの意味でneが使われることが多い」
と言っていた。
 僕は、ヴェルディなどで使われている歌詞に、現代とは違う単語や活用や文法的処理を少なからず見出しているので、その言葉に敏感に反応した。だから覚えていたのである。

 こんな風に、わずか80日のミラノ滞在だったけれど、ふとしたことで役に立っている。まあ、イタリア留学するからということで、その前から勉強していたし、帰ってきてからも週一回イタリア語のレッスンには行っているからね。
 新国立劇場のトスカ役で来日しているノルマ・ファンティーニとも普通にイタリア語で会話出来るのが楽しいし、何といっても、イタリア・オペラが以前よりずっと身近になっている。ベルカント・オペラなんて昔はちょっと馬鹿にしていたけれど、音楽は単純かも知れないけれど案外奥が深いぞ!合唱部分も充実しているしね。

 ドニゼッティ作曲「ルチア」は、新国立劇場でファンティーニ主演の「トスカ」の初日の幕が開く11月11日日曜日の次の日、すなわち11月12日月曜日に、サントリーホールで新国立劇場合唱団がマリインスキー歌劇場管弦楽団と共演する。指揮は鬼才ワレリー・ゲルギエフ!ルチアを歌うのは、今をときめくフランス人のナタリー・デセイ。このデセイという日本語の表記、ちょっとおかしい。Natalie Desseyだから仏語圏ではナタリー・ドゥセと発音されている。こういうのって、一度誰かが言い出して定着してしまうと、もう変えられないのかなあ・・・・スダーンだってNHKでは意固地にスーダンと言っているしなあ・・・・まあ、いいや。
とにかく、今週末は「トスカ」、「ルチア」とイタリア・オペラで盛り上がる。楽しみ、楽しみ!



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