3.11に思う

三澤洋史 

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3.11に思う
 この地震国日本において、地震と津波は大昔から繰りかえされてきた。3.11のような未曾有の大地震が起きた場合、その被害を全く防ぐことは難しいであろう。しかしながら、過去の教訓を生かし、次に同じような災害が起きた場合、その被害を最低限に抑えることは出来るはずだ。人間には知恵があるのだから。
 同時に人間は忘れる動物でもある。忘れることは動物の習性であるが、悪いことばかりではない。忘れなければ生きていけないこともあるし、前に進めないこともある。この忘れることと、過去の教訓を生かして行動することをうまくミックスさせていくことが、真の復興と災害防止につながるのだと思う。
 しかしながら、丸2年経った我が国のあり方を見ていると、僕には残念ながら完全にそのミックスの匙加減が間違っているように感じられてならない。発進しなければならないところでぐずぐずしている一方で、ブレーキを踏むところでアクセルを踏んでいる。忘れてはいけないことを必死で忘れさせようともしている。

都市計画
 都市計画というものは、この国では基本的に出来ないということがよく分かってしまった。東京大空襲によって焼け野原になった東京の街を都市計画で整備したら西洋の大都市のような整然とした都市作りが可能であったのに、とよく言われる。
 シャンゼリゼ通りのようなメイン・ストリートひとつなく、曲がりくねった東京の街を見るにつけ恥ずかしい気持ちを覚えていたが、今回の震災後の状態を見ていて、やはり被災地もかつての東京のようにいきあたりばったりに街が作られるのだろうなと思って、情けない気持ちになる。
 先日、被災地に久し振りに大きめの地震が起こり、津波警報が出た。3.11の時に、車で山の方に逃げようとした人達が渋滞を引き起こし、そこを津波が襲ったので、「車で逃げてはいけない」が合い言葉になっていたはずなのに、またみんな車で逃げようとして渋滞を引き起こしたという。結果的には津波は来なかったので、被害は出なかった。
 このように教訓は生かされない。でも僕は住民を責める気にもならない。いざとなった時の人間の行動なんてそんなものである。ならばどうすればよいか?話は簡単である。みんなが車で逃げようとしても渋滞が起きない広い道路を作ればいいのである。それが都市計画のイロハである。そんな簡単なことが何故出来ない?

 西洋の街並みのような完全なる都市計画を成し遂げるためには、様々なリスクを引き受ける強力なリーダーシップが必要である。何故なら、全員が納得をする都市計画というものは元来あり得ないからである。メインストリートを作ろうと思っている所に土地を持っている人は、そこを去らなければならない。その人は不平を言うに決まっている。また家が津波で流されて仮設住宅に住んでいる人でも、今は草ボウボウになっている自分の土地に戻りたいと思っている。その気持ちは分からないでもない。
 しかしながら、中央に真っ直ぐ広い道路を備え、お店と居住区、あるいは公園や様々な施設がバランスよく整備された計画的防災都市を造るということは、日本では不可能なのかとも思う。未来のために、みんなで力を合わせて新しい都市を造ろう、という具体的な声は聞こえては消える。僕は震災当時、2年間くらいしたらどこかに一カ所くらい防災モデル都市が出来ているのではと期待していた。でも、今出来ていないとしたら、もう決して出来ないであろう。
 行政は、2年間だけに限定した仮設住宅の居住をとりあえず1年間だけ延長した。その後は何も決まっていない。出て行ける人から出て行って欲しいとただ言っているだけなのだ。そうなると、元の土地があるのにあらためて別の土地を買う人はいないだろうから、経済力のある人から順番に元の土地に戻って家を再建するのだろう。そうしてだんだん元のままの街が再建されてくるのだろう。
 行政が願っている復興の形が行き着く先は、元の街並みの再生でしかない。それでは意味がないのだ。高台に新しい街を作るという話も聞かれる。ならばつべこべ言わずに早く作れ!作って、ここに住んでくださいと言わないと、話は進まないのだ。
 ある時、また街を津波が襲う。すると元のままの細い曲がりくねった道で同じように車が渋滞し、そこを津波が襲う。その繰りかえし。それが日本人の姿だとしたら情けない。
勿論、パリの街並みのように色の形も規定されたアパート群を東北の太平洋岸に作ってそこに入れと無理強いすることは出来ないだろう。日本人は自分の気に入った一戸建てに住みたい欲望が強いから。とはいいながら建物の作りは結局どれも同じなのだが・・・・ま、それは置いといて・・・。それが日本人の国民性であるのは否定しない。でも・・・少なくとも縦横に走る広い道路という骨組みくらいは決めてから街の再建をしませんか?

汚染水貯蔵タンクの森
 自然災害は繰りかえし起こってきたが、これまで決して起こったことがなくて、完全に人災と言い切れるものがある。福島第一原発の事故である。街並みそのものが無傷なのに人が立ち入れない原発近辺の住人の無念さよ!
 最近になってやっとテレビで放映されるようになった、汚染水を貯蔵するためのおびただしいタンクの群れをあなたは見ましたか?この何の役にも立たないタンクがどんどん増え続け、さらなる土地を必要としていくので、原発付近の住民の帰れるメドは立つはずがないのである。
 一度事故が起こったら、そのように将来にわたって計り知れない人的、経済的及び環境的損害を巻き起こす原発事故の危険性を目の当たりにしながら、安倍政権は再び原発に依存する社会を作ろうとしている。アベノミクスがうまくいって、経済戦略に拍車がかかり、再び人々が浮かれ立っているように僕には見える。
 経済が良くなるのはいい。しかし、日本がたとえばドイツなどと一番違って危険なところは、経済よりも何よりも最も大切にしなければならない“人間の行動の核になる部分”が今の日本人にないことなのだ。だから、一度調子が良くなると、今度は経済至上主義がどこまでも幅を利かしてくる。どこまでも調子づいて、人間性よりも人の命よりも平気で経済原理の方を取るようになる。その自分たち日本人の恐さを僕達は知っておかなければいけない。これまでもそうだったではないか。もう知っているはずなのに、どうして忘れるか?
 原発のある地方自治体は、かつてお金をバラまかれて原発産業に依存しなければ成り立たない社会を作らされてしまった。もう一度考えて欲しい。かつて原発の誘致を薦められた時代に戻って、あの頃もし自分の地方で福島第一原発のような事故が起こり得ることを本当に知っていたら、行政の長は果たしてお金を受け取って誘致を進めただろうか?住民は納得して自分の家の近所に原発を建てさせただろうか?あの汚染水貯蔵タンクの森を受け容れる覚悟をしただろうか?
 「そんなこと言っても、もうここまで来てしまったから仕方がないんだよ」という気持ちは分からないでもない。だからこそ、人が立ち止まって考える時には、「今」の状態からだけ考えても仕方がないのだ。そうではなく、根本に立ち返って考えるべきなのだ。根本とは何か?それがモラルというものだ。そのモラルが経済的にも益をもたらすならば最もハッピーなケースだが、モラルは時には経済原理と拮抗する。
 そんな時、僕は日本に「こっちの方が儲かるから」ではなく、「こうするべきだから」を優先する国になって欲しいのである。甘い汁には必ず裏があることを警戒する賢さだって持って欲しいのである。

 もうひとつ言っておきたい。モラルが出す結論は、たとえ儲かることと拮抗して出した結論であろうとも、決して常に損をするとは限らない。確かに即利益にはつながらないかも知れないけれど、その決断が別の経済原理の歯車を回し始め、結果的に別の経済成長を促す可能性さえあるのだ。そして、もっと良いのは、それが繁栄につながっていった時に、人々が、
「やっぱりこれが天の意志であったのだ」
と思って感謝出来ることである。
 現実問題、別の再生可能エネルギーが別の産業を興す可能性もあるわけである。日本は再生可能エネルギーのエキスパートになって、最先端の技術の輸出国になることだって出来る。

 僕はね、日本が天照大神のおわしますヤマトの国にふさわしく、恥を知り、誇り高い民族として行動して欲しいと思っている。そうすれば西洋人は必ず日本人を見直し、リスペクトを捧げてくれるようになる。何故なら、すでに様々な分野で、日本人の基本的能力が高い事は、みんな認めているからだ。ただ、モラルがないし行動の規範がないこともみんな知っているのが残念なのだ。
 かつてエコノミック・アニマルなんて言われたろう。あれは、どんな差別語よりもひどい言葉だ。アニマルだよ。人間として見られていないのだよ。あの時、日本人は本当はその言葉に激しく抗議すべきであった。でも、それを事実として認めてしまったものね。あれでますます馬鹿にされたのだよ。
 それから、このフクシマでもっと馬鹿にされているのだ。今頃、ヨーロッパの各地で、3.11から丸二年経ったというニュースとして、あの汚染水貯蔵タンクの森と、安倍総理大臣の原発推進も含めた経済最優先の態度が同時に伝わっているわけだよ。

指揮者になる時、ある人に言われた。
「楽員が怒るような指揮者は良い指揮者とは言えない。でも、楽員が馬鹿にするような指揮者にだけはなるな。楽員が怒る指揮者の方がまだましだ。結果を出してくれるならば・・・。楽員が馬鹿にする指揮者は最低だ。救いようがない」

花粉飛散の悲惨
 突然鼻が詰まった。それも完全にふさがってしまい、ナ行などが全く言えないので、
「とつぜッ、はダがつバッた」
となってしまう。それだけならまだいいが、詰まった上に、水のような鼻水がツツーッと落ちていくのでうかうかしていられない。マスクをして隠したら、マスクの中で鼻水ツツーがどんどん起こってグショグショになり、二度とはずせなくなってしまう。
 寝ている時も口で息しているので、夜中に喉がカラカラに乾いて目が覚める。そこで濡れマスクを買ってきて備えたらかえって苦しい。また、その日によって症状が違うのがややこしい。ある日は、鼻は比較的良いけれど、眼から涙が溢れて止まらない。新国立劇場の女性団員たちがからかって、
「三澤さん、何かとても悲しいことがあったんだ」
と言う。でも、この時期、新国立劇場合唱団の人達も3分の1はマスクをしている。

 3月10日日曜日は、名古屋で「パルジファル」のオケ練習。こうやってみんなの前に立って指揮する時には鼻水ツツーは恥ずかしい。そこでマスクしながらの指揮になるが、もともと鼻が詰まっている上に指揮して興奮してくると、マスクの中が暑いし息が苦しいし大変だ。目もかすんでスコアがよく見えない。
 休み時間の後に調子が良くなったので、マスクをはずして練習をつける。ふうっ、やっぱり大きく息が出来るっていいね。しかし、予期せぬ時に突然鼻水ツツーが起こった。ヤベェ!みんなに見られる。顔を隠さなければ・・・マスク、マスク・・・・・あれっ、マスクがない!僕はパニックになる。鼻水が情け容赦なく出てくる。恥ずかしい、恥ずかしい!
 僕は練習を中断・・・というより放り出してマスクを必死になって探す。僕が急に振るのをやめたので、楽員たちは演奏が続けられずキョトンとしている。こっちはますますパニック!
次の瞬間、コンサートマスターのT君が、僕の顔をみるなり、
「アッ!」
と言って眼をまん丸に開いた。
「先生・・・・」
「ん?」
「あの・・・・顔についてます」
「なにい?・・・・あっ!」
一同大爆笑。
そうだった。マスクをしたままあごの下にずらして息が出来るようにしていたんだ。それを忘れておった。なんとマヌケな自分。マエストロの面目丸つぶれ!

 今年の花粉症はとくにひどい。花粉に加えて、中国からの黄砂やPM2.5なども空気中に混じっていると人は言う。日曜日の東京は砂嵐が舞ったというし。僕の症状の強さは3.11の直後の状態に似ている。でも、あの時は仕事がみんななくなって家にばかりいたので、恥ずかしい思いはしないで済んだ。
 その後イタリア短期留学に行ったわけだけど、飛行機の中でも鼻が全く通らず、気圧の変化で頭の痛い思いをして不快そのものだった。そこで、ミラノに着いてすぐ次の日にティッシュを死ぬほど買い込んで備えた。そしたら、なんと2日後には全く正常に戻ってしまった。4月の北イタリアの空気は爽やかで、花粉症などこの世に存在しないかのような別天地であった。

そうだ!この時期はミラノで暮らせばいいんだ!

パルジファルの空間を体験
 先ほどもちょっと書いたけれど、3月10日は名古屋で「パルジファル」の練習。1月に風邪でお休みしてしまったので、年が明けてから初めての練習だ。もちろん、まだまだ満足のいくサウンドには遠いが、そういうこととは関係なく、ワーグナーの素晴らしさにあらためて感動を覚える。ワーグナーはどこからこうした響きを見つけ出してきたのだろう?

 「ラインの黄金」で、ライトモチーフを縦横に張り巡らし、複数のモチーフを立体的に組み合わる方法論を実行に移したワーグナーは、「ワルキューレ」において、炎のような情熱と比類なきリリシズムをこの叙事詩に盛り込んだ。「ジークフリート」では、「森のささやき」で情景描写に精通し、「神々の黄昏」になると、没落と滅亡の中に「愛による救済のモチーフ」を高らかに響かせた。もうこれでドラマと音楽とのあらゆる可能性を追求しつくしたかのように見えたワーグナーは、もうひとつの表現の地平を切り開く。それが、「トリスタンとイゾルデ」から「パルジファル」へと至る道である。

 この2作品においては、ストーリー展開というものは重要ではない。一番重要なのは、作品中で語られる果てしなく長いセリフの語感である。ひとつひとつの歌詞には勿論意味があるが、それより大切なのは、テキストの語感とそれの連なりが作り出すドイツ語のサウンド、それに寄り添うように響き渡る音楽とのコンビネーションなのだ。テキストは堂々巡りしている。その度に対応するライトモチーフが流れる。何度も何度も。だからいつも同じような音楽が流れている。しかし、よく聞いてみるとセリフとの組み合わせ、オーケストレーションや和声や調性の違いによって、いつも少しずつ違っている。これを一体我々はどう捕らえるべきであろうか?
 スコアを読んでいながら、ある時僕はハッと気がついた。ワーグナーが意図したものは、この少しずつ変化しているサウンドによって作り出される“独特の空間”そのものなのではないだろうか。だとすれば、僕たちに求められる態度としては、その“空間”に身を委ねることなのではないだろうか。
 この身を委ねることによって鑑賞は“体験”へと昇華される。その体験そのものが、我々が哲学を本で読んだり、宗教の中で祈りを捧げたり、瞑想したり、イニシエーションしたりする体験の代わりを務める。つまり「トリスタンとイゾルデ」と「パルジファル」において、僕達は哲学や宗教を“空間として体験”するのだ。そして、そこにはあのワーグナー特有の麻薬のような響きの世界がある。すでにその行為が、どれだけ従来のオペラの鑑賞から隔たっているか。これはストーリー展開を音楽で彩ったものなどとは全く異質のものなのだ。その意味で「ニーベルングの指環」の世界からもなんと異なっているのだろうか。

 僕の挑戦とは、この「パルジファル」のワールドを、どうしたら演奏会に来てくれた人達に伝えられるかにある。聴衆が「パルジファルを聴いた」ではなく「パルジファルを体験した」と感じてくれないと意味がないということだ。
 でもね、そのことに気が付いただけで、どこにもない「パルジファル」だけは出来そうな予感がしてきたぞ!



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