惜しむ間もなく桜は駆け抜ける
あっという間に桜が咲いてしまった。しだいに開花してくるのを楽しむ余裕もない。寒い日が続いていたと思ったら、突然初夏のような暖かい日がやってきて桜を刺激してしまい、あれよあれよという間に満開じゃないか。次女の杏奈が小学校に入学した時、桜の下で撮った写真があるが、今年は「卒業式に桜」だな。遅咲きの梅が背中を突かれて、
「ほれ、あたしたちの番だからどきなさい!」
と言われてあわてているよ。
みんな「桜を愛でる会」を今週末あたりに計画していただろう。でも、じゃあ一週間早めるかと思っても、心の準備が出来ていなかった。しかも先週末は再び寒くて天気が悪かった。満開にしておいて、今度はお花見にみんなが外に出るのを拒否するような意地悪な天の計らい。
我が家では、来週の初めに群馬のお袋を家に呼んで国立の桜を見せてあげようと計画していた。困った。今週はみんないろいろ詰まっていて、予定を早めることは出来ないんだ。お袋に電話で言ったら、
「桜はどこででも見れるから、いつでも都合が良い時に呼んでおくれ」
というのでホッとした。桜通りの桜の葉っぱを見せて、谷保駅前にある和菓子の紀伊國屋で桜餅を買ってみんなで食べて誤魔化そう。
自然が少しずつおかしい。気温の差が日によって激しいのに加えて、風が異常に強い日も多い。なんでも南の暖かい風と、北の寒気が拮抗しているのだそうだ。そのせいもあって、僕の花粉症も今年は生涯で最悪だ。
マスクや点鼻薬やいろいろな薬で症状を抑えているが、やはり花粉だけのせいではないと思う。だって、ガーラ湯沢であんなに鼻が通ってすっきり爽やかだったのに、新幹線で大宮駅に降り立った途端に鼻がぐしゅぐしゅ始まるんだもの。山の方が花粉は近いだろうに。
だからこれはきっと都会的現象なのだ。花粉にプラスして都会の煤煙や様々なほこりや黄砂やPM2.5などが混じり合ってモンスター化しているのではないか。また、毎朝の散歩では、屋外なのに鼻は通っている。ひとつには、自分がアクティヴに動いている時は症状がユルイようだ。僕の花粉症はまた人とも微妙に違うみたい。
鳥たち
散歩している時に、空を飛ぶ鳥たちの群れをぼんやり見ていたら、鳥たちがそろって翼の動きを止めた。ハッとしたらそこに家があった。つまりこうだ。その瞬間、鳥たちは翼の向きを45度上に傾けてグライダーのように浮力のみでヒョイッと上昇し、家を越えたのだ。それがまるで一流バレエ団の群舞のように一糸乱れず行われたのでびっくりした。
これがもし、もっと高いものを越えようとしたら、翼の向きを変えながら羽ばたき続けなければならないのだろう。この高さだったら翼を止めて傾けるだけでOKという決断を、誰ともなく一瞬で出来る鳥たちって凄いなと思わないかい。
かつてレオナルド・ダ・ヴィンチが、鳥の翼を真似て飛行機を作ろうとしたが失敗した。当然である。鳥の飛び方を舐めてはいけない。鳥は、とても複雑な運動をして飛ぶのだ。翼を人工的に作った場合、上から下への運動によって浮力を得て飛んでも、反対に、下から上へ帰ってくる運動(リカヴァリー)で、全く同じように負の力が働いてしまう。だからダ・ヴィンチ型飛行機では永久に飛べないのだ。
鳥たちは、下への運動では風を最大限に巻き込むが、リカヴァリーでは翼を微妙に曲げて風の抵抗を最小限に抑えている。流線型に出来ている翼が、その両方の運動を助けている。彼らは、羽ばたく速度と翼の角度を様々に変えながら空中を自由自在に飛ぶ。巣に戻る時には、翼を着地点に向けてかざしながらグライドし、最後の瞬間には逆噴射するように羽ばたいて軟着陸する。うーん、実にうまい。どうして彼らは飛び方を知っているのだろう?一体誰に教わったのだろう?本能?誰がその本能を植え付けたのだろう?
やはり僕は、この自然界において何を観察しても、“神の存在”を感じずにはいられない。
翻訳~日本語の奥深さ
3月23日土曜日。東京バロック・スコラーズの練習と志木第九の会の練習の合間に、池袋で降りてジュンク堂でいろんな本を物色する。将来、ネット販売とか電子書籍とかがどんなに発達しても、僕はこの世から本屋がなくなるという事態だけは断固反対だ!本屋でぶらぶらと時を過ごす楽しみに勝るものはない。これこそ知的生活の第一歩!
僕がさまようのは、まず新刊コーナー。それから宗教書のコーナーと語学コーナーが多い。語学は最近はイタリア語関係が多いけれど、その日はドイツ語関係で良いものを見つけた。太田達也著の「ドイツ語おもしろ翻訳教室」(NHK出版)。この本は、恐らくドイツ語に精通していない人でも興味深いに違いない。何故なら、ここで問題になっているのは、ドイツ語の読解力ではなくて、むしろ日本語の方なのである。
Herr Direktor, ich hätte gern drei Tage Urlaub. Meine Frau ist krank und ich muss mich um sie kümmern.この本では、代名詞は全て日本語として不必要なので抜きましょうと提案する。ここで挙げた理想的な答えとしては以下の通り。
「部長、私は3日休暇をいただきたいのです。私の妻が病気で、私は彼女の世話をしなければならないのです。」(直訳 三澤)
「部長、3日ほど休みをいただきたいのですが。家内が病気で、看病しなくてはいけないんです。」このように、日本語とは徹底的に代名詞を使わない言語なのだ。考えて見ると、僕達も日常会話で「彼は」とか「彼女は」とかいう単語を使う頻度はきわめて低いと思わないかい?上の直訳のように自分の妻について「彼女の世話を」なんて絶対に言わないね。逆に言うと、こう言う代名詞を使えば使うほどバタ臭い文章になるわけだ。
Ihre Ähnlichkeit mit ihrer Mutter hat uns alle überrascht.この笑ってしまうくらい硬い文章は、Ähnlichkeit相似性という名詞からくるのだが、こういう場合、名詞を名詞として訳すことから離れて、
彼女の母親との相似性が我々みんなを驚かせた。
彼女は母親にそっくりなので、私たちはみんな驚いた。と意訳しちゃっていいのである。相似性が主語になっていたが、「彼女は母親にそっくりだ」と「私たちは驚いた」とふたつの主語を持つ複文になっていることに注目。
Freie Zeit ohne Verpflichtungen der Erwerbsarbeit oder des Haushalts ist Ergebnis einer langen wirtschaftlichen gesellschaftlichen und politischen Entwicklung in Deutschland.全然難しい事を言っているわけではないにもかかわらず、この晦渋さは一体なんだ?これは次のように訳したら何でもないのだ。
生活費を得るための仕事や、家事などの義務のない自由な時間は、ドイツにおける長い間の経済的、社会的、政治的発展の成果である。(直訳 三澤)
仕事や家事をしなくてもよいゆとりの時間が持てるのは、ドイツの経済、社会、政治が長い時間をかけて発展したおかげです。ここでは、「時間」を主語にした「自由な時間は~の成果である」という構文が、「時間が持てるのは~おかげです」に変わっている。加えて、「経済的、社会的、政治的発展」と、「発展」という名詞にかかる形容詞的表現は、「経済、社会、政治が」と名詞に変えられ、一方「発展」は、「長い時間をかけて発展した」と動詞に直されている。これだけでかなり印象が違うのである。
K. wartete noch ein Weilchen, sah von seinem Kopfkissen aus die alte Frau, die ihm gegenüber wohnte und die ihn mit einer an ihr ganz ungewöhnlichen Neugierde beobachtete, dann aber, gleichzeitig befremdet und hungrig, läutete er.この本の解答は次の通り。
Kはもう少し待った。彼の枕から彼は、彼の(家の)向かい側に住んでいて、彼女にしては全く尋常ではない好奇心をもって彼を観察している老女を見た。それからなにか違和感を覚え、同時にお腹もすいたので、彼は呼び鈴を鳴らした。
(カフカ-審判の冒頭より~直訳 三澤)
Kはもうしばらく待ってみた。ベッドに寝たまま外を見ると、向かいに住む老婆 が珍しく好奇心をあらわにしてこちらを観察している。そのうち、どうも様子が 変だと思い、同時にまた空腹も感じたので、Kはベルを鳴らした。ここでは何カ所かについて意訳をしている。von seinem Kopfkissenというのは、日本人は使わないドイツ語的表現で「枕から見た」だけれど、「ベッドに寝たまま外を見た」という意味である。
Kはなおしばらく待ちながら、枕に顔をのせたまま向かいの建物の年とった女をながめていた。いやに目を光らせて、じっとこちらをうかがっている。そのうち飽きたし腹もへったのでベルを鳴らした。どうです。名訳でしょう。やはりプロの翻訳家は違うね。まず「枕から見た」については、「ベッドに寝たまま」とまで意訳しないで、作者のニュアンスを生かして「枕に顔をのせたまま」と訳したのはさすがだ。
僕にとっての数独
最近、「中級へのイタリア語文法」(三修社)という問題集を解き終わった。ものすごく時間がかかった。というのは、これは僕にとって数独のようなもので、決して根を詰めて急いでやるものではなかったのだ。ちょっと時間が空いた時、電車に乗っている時、お茶を飲みながら暇つぶしに1問だけ解くとかいう感じで少しずつ進めていった。終わる日がいつ来るのかなんて考えて見たこともなかったんだ。
でも、最後の問題を解き終わった時、僕はなんだか生き甲斐をひとつ失ったような気がした。
「明日からどうやって生きていこう?」
と本気で考えたくらいだ。