N響ヴェルレク演奏会無事終了
NHK交響楽団ヴェルディ・レクィエムの演奏会が終わった。そして今日から「ナブッコ」の立ち稽古が始まる。先週はヴェルレクのマエストロ稽古、オケ合わせから本番までと、別働隊の「魔笛」公演が同時進行し、さらにその合間を縫って「ナブッコ」の最終暗譜稽古が行われていたわけであるから、新国立劇場合唱団にとっては、まさにフル稼働の時期であった。
昨年は、「ナブッコ」とヴェルレクのふたつの作品を志木第九の会の演奏会で指揮した。若き日のヴェルディのむきだしの情熱と、円熟した宗教的心情の発露との両方をこよなく愛する僕としては、この2曲をカップリングした演奏会は長年の念願であったのだ。そのこだわりの達成感に、愛犬タンタンの死による喪失感の思い出が重なる。先週から僕の脳裏には様々な想いが去来した。
N響演奏会でのセミョーン・ビシュコフ氏の指揮は、骨太で流れが良く、合唱団も歌いやすそうであった。それでいて、ラストのハ長調の和音に乗ったソプラノ・ソロのテンポフリーのLibera me domine de morte eternaの歌わせ方など、随所にハッとするほど美しい箇所があった。
僕は、アルトのアニタ・ラチヴェリシュヴィリのラクリモーザにシビレた。とても小さな声からLacrimosaと歌い始める。そしてゆったりとした弧を描きながら息の長いフレーズを仕上げる。聴いているだけでウルウルきた。
彼女は、練習中にi-Padで譜面を見ていた。でも、まさか、本番でもそれを使うとは思ってもみなかった。万が一本番中に電源落ちしたらどうするんだ!まあ、彼女はほとんど暗譜で歌っていたので、問題はなかっただろうけど・・・・とにかく、そういう時代なんだなあ!
手前味噌であるが、合唱団は真摯に曲に取り組み、ひとつひとつのフレーズを丁寧に紡ぎ出していった。冒頭のつぶやくようなRequiemからゾクゾクさせてくれたし、「怒りの日」の激しさもプロならではの表現力を持っていた。「サンクトゥス」や「リベラ・メ」のフーガでは乱れることなく音楽のテクスチャーを透明感溢れて表現してくれた。静かなところでは心を込めて美しいハーモニーを作ってくれた。150人がひとつの気持ちになって感動的な演奏を繰り広げてくれたと思う。
みんな、本当にありがとう!君たちは最高だった!
この演奏会は7月7日のクラシック音楽館で放映予定。
母校で合唱指導
4月20日土曜日は、N響ヴェルレクの二回目の演奏会が3時からあり、その後、志木第九の会に行って「聖パウロ」の練習をしてから群馬に向かった。翌日の21日日曜日は、10時から新町歌劇団の練習。お昼までやって急いで食事を取り、母校の高崎高校に向かう。
以前から、高崎高校(以下高々と表記)合唱部の定期演奏会が5月4日土曜日にあると聞いていた。新町歌劇団事務局のSさん夫婦は、定期演奏会の前に僕が高々合唱部に練習をつけに行けたらどんなにいいだろうと思ってくれていた。彼らは、自分の損得はもとより、新町歌劇団の損得も抜きで、ただ僕と母校高々合唱部とのネットワークが途切れないことを望んでくれている。
僕も行けたら行きたいと思っていた。愛する母校の後輩を指導するのであるから謝礼などは特に要らないのだが、それでも国立の自宅から日帰りで時間も交通費もかけて行くのは大変だし、先方もかえって気を遣うだろう。そう思っていたら、Sさん夫婦との話の中で、
「それならこうしましょう。先生は志木第九の会で練習をした後、その晩の内になんとか新町に来て実家に泊まって下さい。私たちは土曜日の新町歌劇団の通常練習をその週はやめにしますから、その代わり、日曜日の午前中に先生に練習をつけてもらって、そのギャラを使って高々に行ったら、先生も損しないで行けますよね」
ということになったので、僕も気兼ねなく高々に行けることになったのだ。
S夫妻は、その日の運転手も務めてくれることになった。なんて奇特な方達!烏川(からすがわ)沿いを走る道路から白衣大観音を左手に見て走る。右側は高崎市街。左前方には榛名山(はるなさん)の高い峰と広大な裾野が広がっている。やがて和田橋を渡って観音山に向かっていくと、正面に護国神社の地味な鳥居が見えてくる。この道をかつては毎日自転車で通ったのだ。
高々グリークラブの演奏する「月光とピエロ」は、最初のけぞるくらい下手だった(笑)が、ひとつサジェスチョンを与える毎に、砂漠で3日間なにも飲まずにいた人達に水筒を投げ与えたように、彼らが僕の言葉に群がりむさぼるように吸収していくので、僕の方が驚いてしまった。
そもそも彼らは、どういう風に声を出したらいいかも分かっていない。だから発声の根本から教える。それから言葉への配慮、フレージングの構築の仕方、音程の修正、ハーモニー感覚・・・・もう教えることは山ほどあり、とうてい一日ではどうにもならないと半ばあきらめながら指導していったが、最後に通してみたら、どうしてどうして見違えるように音楽的に仕上がっていたのだ。
みんな、最初から最後まで初めて教わることばかりで、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしながら歌っている。僕が説明している間、口をぽかんと開けている者もいる。群馬県一の進学校の生徒とはとうてい信じがたい顔だ。その純朴ともいえる素直さが可愛い。
本当はトップ・テナーの発声にてこ入れしようかと思って直しかけたのだが、これをやり始めると大変な事になると気がついたので、ちょっとサジェスチョンを与えてからそのまま蓋をした(笑)。
「ああ、もっと近かったら、しょっちゅう来てトップ・テナーもじっくり直してあげられるのに・・・・」
と残念であった。
事務局長のSさんが、
「凄いですね、みんなの演奏がみるみる変わっていくので、目を見張りますね。面白いですね。私も見ていて気分がスカッとしますよ」
僕も言った。
「若いって素晴らしいね」
「先生、でも、あれですね。トップを直しかけてやめましたね」
ややっ、気付いておったか!
「よく見てたね。それをすると、パンドラの箱を開けてしまうことに気付いたからね。何日も通わなければならなくなる」
「あはははは!」
「あはははは!」
村上春樹の新作
面白い!面白すぎる!というか、やはり凄い才能だ。村上春樹の新作「色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年」(文藝春秋)が出たというので、早速買ってきた。ちょうどこの原稿の執筆と重なってしまい、村上文学のいつも通り、読み始めたら止まらないのだが、まだ読み終わっていない。
主人公の青年多崎つくるは、高校時代に仲良くしていた彼を含む5人組みのメンバーから、ある日突然、理由も分からず絶交を言い渡される。彼は、その4人の 親友達に対してとても厚い信頼をおいていて、彼らの存在を必要としていただけに、その後虚無的になり死ぬことばかりを考える日々を送る。こうしたシチュエーションからして興味深いが、村上文学は、その軽いタッチの文章の中に、我々の潜在意識の扉を開く鍵を忍ばせている。死やセックス、あるいは神秘体験の描写を通して、我々の日常という強固な殻を揺り動かし、その向こう側にある精神世界の風景の既視感を与えてくれる。それが、単なる読書という娯楽を越えた村上文学の奥深さだ。
内傾の敗北~日本のスキー界よ、変われ!
最近は、スキーをしている間だけ、月刊スキージャーナルとスキーグラフィックという二つの雑誌を買っている。本屋で立ち読みをして良い方を買ったり、あるいは両方買ったり、両方立ち読みで終わったりいろいろだ。
スキーグラフィック5月号に技術選の話題が載っていた。技術選とは、全日本スキー技術選手権大会の略で、我が国におけるスキー技術の模範となるべき「基礎スキー」の最高レベルを争う大会のことだ。今年は記念すべき第50回ということであったが、前年までと大きな違いがあったと聞く。
50回の歴史を積み重ねた記念すべき今回の大会で選手達が見せた滑りは、完全に一新されていた。この違いは、全日本スキー連盟(SAJ)が打ち出した評価基準方針が大きく変化した事による。SAJでは、ここ数年、「自然で楽な身体運動」といううたい文句で、ハイブリッド・スキーイングあるいは二軸ターンと呼ばれる内傾内向主導の滑りを奨励していて、初心者用レッスンから始まり、通称バッジテストと呼ばれる技能テストの評価基準なども全てこの方針に従うよう求められていた。それが再び従来の評価基準に逆戻りしたということだ。
昨年まで見られた両手を広げた状態で構え、身体の傾きを左右に入れ換える滑りはすっかり影を潜め、自然な体勢でスキーに乗っていくオーソドックスな滑りがそこにあった。
この大きな変化を強烈に後押しする形になったのが、ジャッジのメンバー構成だ。今大会のジャッジは、佐藤譲や渡辺一樹、佐藤久哉や松沢聖佳など現役に近い感覚をもつチャンピオンたちが中心・・・・・
(スキーグラフィック最初のページ)
この技術評価の観点の変化は、とくに告知されることはなかったが、大会前から広がり、予選競技が始まると明確な変化として選手やコーチ達に認識されることになった。(スキーグラフィック)なんだこりゃあ!評価の基準が変わるのであれば、そう公に言わなければ分からないじゃないの。それでも、選手達みんなが何となく風を読んで知っていて、評価する方もされる方も「とくに告知するわけでもなく」「とくに告知されたわけでもないのに」ジャッジの気に入るような滑り方をして点数を稼いでいくわけか。さらに、内傾内向を指示していた審査員達が呼ばれなかったのも、事前に告知されることなく行われたという。