絶好のサイクリング・コース
サイクリングの季節はいつかというと、半袖の腕に当たる風がひんやり心地良い時期だ。暑すぎても寒すぎてもいけない。そうさ、今こそ最適なんだ!晴れていて新国立劇場以外の移動がない日は、たいてい自転車用ヘルメットをかぶって初台をめざす。
ただね、気をつけないと、車の多い道路を走ると結構喉をやられる。先日、等々力の高田アートスペースで東京バロック・スコラーズのオケ合わせをした後、新国立劇場の「ナブッコ」公演に出るために環七を北上したが、それだけで軽いぜんそくのような状態になってしまった。そんな僕にとって甲州街道などはもってのほか。
家から劇場までは、歩道エリアが広く交通量の多すぎない東八道路を行く。だが問題はその先だ。東八からそのまま伸びて高井戸インター付近につながる道は、道路が狭いし突然歩道がなくなったりするので問題外。最近の定番は、久我山駅近辺を抜け、井の頭通りから方南通りに抜けるルート。これとて交通量は決して少なくない。
なにかもっと良い道ないかなあと思っていたら、先日、東京バロック・スコラーズの演奏会の時に、アルト・メンバーであるH・NさんとI・Hさんが忠告してくれた。
「久我山から神田川沿いの散歩道に入ったらいいですよ」
早速行ってみた。これ、とってもいいね!神田川の両側にどこまでも車両乗り入れ禁止の側道が延びている。緑が多いし、空気もいいし、ゆったりのびのびしている。
距離だけからいったら、やや遠回りかも知れない。でも関係ない。もともと運動のために自転車で行っているのだ。近いからといって体に良くないところを通っていたら本末転倒だ。
高井戸駅付近で環八を横切る時に、一度途切れてしまうのが難点。まあいいや。その後、明大前の北を通り、井の頭通りに出て終わる。結局は水道道路に出て劇場に到着。
決めた!これからしばらくはこのルートで行こう!
神田川沿いの道
新国立劇場のカルガモ親子
新国立劇場の楽屋口や駐車場がある地下の池にカルガモが飛来した。しかもそこで子供をなんと11羽も生んだ。毎日見物客が訪れては大騒ぎして見ている。お母さんカモは、そんな野次馬など全く気にしないで、池から出てそのあたりをテクテク歩いている。子供も一緒に付いてくるが、お母さんに追いつけないでいる。
ネコなどに襲われたら危ないので、数日したらどこかの保護団体に引き取られて行くというが、それまで劇場の職員達がみんなで飼っているような感覚で、
「カルガモ、今日も元気ですね」
が挨拶代わりになっている。
めっちゃ可愛いので、一匹くらいもらって家で飼いたいが、同時に親を見て、
「おいしそう」
と思っている自分がいる。
新国立劇場のカルガモ
志保の引っ越し
志保もトミーノもピアノを弾くので、二人で平行して練習してもいい所なんてそう簡単に見つかるわけない。なので、結婚したはいいが家探しが予想以上に難航していた。ようやく良いマンションが見つかって6月1日土曜日は引っ越しだった。我が家と同じ国立市。あはははは。
トミーノは、パルマに家があるので、これまで日本に居る時はむしろ親の所に「居候」という感じだったから、荷物は少なかったという。昔は何度も引っ越しをしていた僕達だけれど、久し振りなので、カーテンをそろえたり、エアコンやガス台を買ったり、引っ越しって大変なんだなとあらためて思ったよ。でも、いろいろ手伝っていながら妻は楽しそう。
トミーノは、とてもマメで、これまでも僕達の家に来るとイタリア料理を作ってくれた。これがまた実に本格的。イタリア料理って、基本的に素材を生かすシンプルな料理だけれど、ちょっとの工夫をするかどうかで味が全然違うんだ。
同じ市内に住んでいるのに、志保が出て行った後の我が家は、なんとなくガランとしていて淋しい。
「ああ、お嫁に行ったんだな」
とあらためて思った。
とはいえ、志保は次の日の2日の日曜日、コンサートの伴奏者の仕事で、早くも新居を留守にして徳島に飛んだ。1日の土曜日に僕が仕事に出ている間に我が家を後にした彼女は、妻に対して、
「徳島から帰って来たら、パパにきちんと挨拶したい」
と言っていたそうだが、僕は、
「ダメダメ、そんなことしたらきっと泣いちゃうから、何も言うなって言っといて!」
と妻に強く言った。
2日日曜日の夜、名古屋のモーツァルト200合唱団の練習から帰って、知人からいただいた高級な焼酎を飲んでいたら、トミーノがカーテンの生地を取りに来た。彼は、佐渡裕さんが指揮する兵庫の「セヴィリアの理髪師」の稽古ピアニストをしていて、その練習の帰りだという。せっかく引っ越したのに、志保が徳島なので今夜はひとりだ。妻はトミーノにお弁当を作っていた。僕は、そのまま帰ろうとする彼をつかまえて、
「まあ、上がりなさい」
と言った。
「人からもらったおいしい焼酎があるんだ。飲むかい?」
「あ、はあ、いただきます」
飲み仲間が出来て嬉しい。
僕達は、本棚からアルバムを取り出し、志保の赤ちゃんの頃の写真を見ながら大いに盛り上がった。ひとしきりしてからトミーノは帰って行った。
「いつでも、おいでね。一緒に飲もうね」
これまで志保が乗っていた自転車のカゴにカーテンの生地を積んで、不安定に乗っていくトミーノの後ろ姿を眺めながら、僕は、
「新しい息子ができるのもいいもんだなあ」
と思った。
角皆君の小説「星と、輝いて」
親友のスキーヤー角皆優人(つのかい まさひと)君は、高校1年の時にもう小説を書いていた。「雪」というタイトルのその小説は、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」に似ていた。息詰まるほど純粋な主人公が、社会に押しつぶされていく様が描かれていた。なんてマセた奴だと思った。
彼は、すでにその頃、
「僕は将来小説家になるんだ」
と言っていた。僕が今でもヘルマン・ヘッセに傾倒しているのは、ひとえに角皆君の影響である。
彼は、その後スキーに取り憑かれ、一気にチャンピオンの座に上り詰めて、小説家の夢を追うどころではなくなった。
それから果てしない時が流れた。その彼が書いた小説がキンドル(電子書籍)から発売されたと聞いて、早速キンドルを申し込んだら次の日に届いた。購入するまで知らなかったのだが、キンドルはアマゾンから出ている商品なんだね。だから当然購入はアマゾン経由。
電源供給のために付属品としてついているのはUSBケーブルだけなので、次の日の朝、ACアダプターと保護シートを申し込んだ。すると今度はその日の夕方に着いたぜ。アマゾンったら、やる気満々だね。
さて、角皆君は、キンドルから3つの書籍を出していた。「星と、輝いて」という恋愛小説、「ゴールドメダルへの道」というフリースタイル・スキーのコーチと選手のノンフィクションの物語、それから、かつてのフリースタイラー達の横顔を描いた「チャンピオンたちの肖像」だ。今日は「星と、輝いて」の紹介をしよう。
舞台となるのはカナダのウィッスラー。ここには当時まだ黎明期にあったフリースタイル・スキーのキャンプがあって、日本の大学を卒業したての主人公の峰山隼(みねやま はやと)が参加し、世界のトップレベルのスキーヤー達と共にモーグル競技会に出場して優勝する。その直前、予選を思いがけなく二位で通過したハヤトは浮き足立ち、決勝までの練習で失敗ばかり繰り返していた。しかし友人のキースが連れてきた美しい少女に出逢った瞬間、世界に魔法がかかった。ハヤトは不思議と落ち着きを取り戻して試合に臨む。そして優勝をものにする。その美しい少女がローラである。繊細なハート型の顔。心持ち濃い筋の交じった金髪。カナダ人にしては華奢な体。白いスキーパンツに白いジャケット。そして青い瞳を持つ17歳の少女である。
なぜか自分の吸収動作がスローモーションのように感じられた。ふだんなら見えないコブの細かな起伏やザラメ雪の粒までが鮮明に分かった。ある時、ローラはハヤトに提案する。
心臓の音が遠くで聞こえ、ふだんよりゆっくりしたスピードで滑っているようだった。
スローモーションの中でジャンプし、ランディングし、ターンを続ける。その間、自分の鼓動以外、何も聴こえなかった。
ゴールを切って止まっても、まだ音は戻ってこなかった。
この時の滑りを、いったい何と形容したらよいのだろう。それは、ちょうど雪とスキーの間に磁力が働き、数ミリの間隔で宙に浮き、滑空しているとでも言ったらよいだろうか。まるで雪の上に透明なレールが敷かれ、その上を超高速で移動しているとでも言ったらよいだろうか。(中略)「あいつはソレを知っている奴なんだよな」
なぜか、すべてのターンがゆっくりと感じられた。限界スピードで滑っているにもかかわらず、すべてがスローモーションに感じられた。コブがふだんより明確に見え、自分の動きが、自分でもわからないどこかで精妙にコントロールされているようだった。(中略)
ゴールしても拍手は聞こえなかった。
それは、奇跡的な滑りが持つ強烈な静謐感である。奇跡の中で時間は引き延ばされ、すべての動きが調和する。それは競争という要素の存在しない世界。その世界は、多くの人たちが想像するスポーツから、遠く隔たっている。あるがままで完璧な世界。黙想の世界に近いとでも言えるだろうか。