矢島助産院
みなさんにひとつ言っていなかったことがある。長女の志保は11月に出産する!実は、トミーノが最初に我が家に来た時に、
「志保さんをください」
という言葉が出るかと思って待ち構えていたら、志保の方から、
「あのね、おととい病院に行ってきたんだけど・・・」
と切り出して、僕達夫婦そろって、
「えーーーーっ!」
という感じで、
「とにかく、なるべく早く籍だけでも入れなさい」
ということになったのだ。
結局はすぐに籍を入れて結婚したので何の問題もなかったのだが、妊娠に関しては、当時まだ心音も聞こえていなかったし、安定もしていなかったので、しばらくこちらからは発表しないでおこうということにした。
でも、世間というものは結婚と言うだけで予想もしない反応をするのだね。
「いつ結婚式したの?」
「新婚旅行はどちらへ行かれたのですか?」
「おふたりはどちらにお住まいなのですか?」
と次々に訊ねてくる。
「いや、籍だけ入れてね、まだ住むところ決まっていないので志保は家にいるのですよ。あはははは・・・・」
などと答えていたが、いかにも順序が逆で、
「いきなり別居結婚か、何か事情でもあるのに違いない」
とかえって気を遣っちゃう人や、あるいは勘の鋭い人は、
「ははあ、出来ちゃった婚か」
と思ってもあえて口に出さなかったりと、なんだか僕達を取り巻く人達の態度が妙だ。
あるいは、こちらからも勝手に、
「あのひと、何も言わなかったけれど、どう思っているんだろう?」
なんて詮索したりして、いろいろややこしい。それで、親しい人達には、こちらから志保の結婚の報告と合わせて、妊娠のことも告げてはいた。
志保は、世間並みにはそんなにひどい方ではないのだろうが、つわりがあって、朝は特に辛そうであった。それでもいろいろ仕事を受けていたので、ピアノを練習し、仕事に出掛けて行くのを見るのは端で見ていてちょっと可哀想だった。
でも、引っ越しが終わって新婚生活が始まると、ある時、自分の視界をさえぎっていたもやがふと通り過ぎた後に嘘のように広がる鮮やかな風景のように、突然つわりがあとかたもなく消えたという。
安定期に入って現在では体調は良好。そろそろおなかまわりもなんとなく妊婦っぽくなってきた。胎内で子供がどんどん動いていると言っている。特にリズミックで激しい曲を弾くと、合わせてドカドカ動き回るらしい。あるコンサートでチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の第3楽章を弾いていた時には、まるで曲に合わせるように暴れまくっていたという。
これはもう胎教を通り越して、
「うるさい!」
と抗議しているのではないか。
音楽嫌いな子供が生まれなければいいが・・・・。
さて、出産に関しては、妻が知り合いをお見舞いに行った時に知った矢島助産院での分娩を奨めていた。
志保がベルリンで生まれた時、ベルリン自由大学の大学病院Klinikum Steglitzクリニクム・シュテークリッツという大病院にもかかわらず、とてもきめの細かい人間的な扱いを受けて出産することが出来た一方で、次女杏奈の時には、日本の病院が持つ事務的で冷たい扱いに、妻は失望していた。出産する側に立った配慮が欠けていて心細い想いをしたという。僕も杏奈の時には、仕事をしていて立ち会えなかったしね。そんな体験を妻は志保に話し、志保も自分で興味を持ってインターネットで情報を仕入れていた。
6月7日金曜日。矢島助産院の説明会。出産の仮予約をした人達が集まり、院長の矢島床子(やじま ゆかこ)さんはじめ助産婦さんのお話を聞き、質問したりする。申し込みは仮予約の形でしか受け付けておらず、ここで納得してからはじめて正式予約を後日することになる。ここまで慎重になるのは、助産院の場合、病院ではないので厳密に言うと医療行為が出来ないから、もしもの場合にどう対応してもらえるのかとか、費用のこととか、様々なことをクリアにしてから手続きしないと、後になってトラブルになる可能性があるからだろう。
説明会には最低妊婦自身が行くわけだが、トミーノが夫として同席することにした。誰でも出席可能だといので志保は妻を誘った。そしたらトミーノのお母さんも行く事となった。それで、興味深そうなので・・・なんと僕も同席することにした。
当日は、志保も合わせて4人の妊婦が説明会に参加した。でも2人は妊婦当人のみで、あとの1人がご主人同伴。志保夫婦と僕達とトミーノのお母さんと合わせて5人で押しかけるなんて我々だけだったのでちょっと恥ずかしかった。でも、なんか遠足みたいで楽しかった。
矢島院長の話は感動的だった。
「泣き叫んでもどうしてもいいのです。おしっこやうんちをもらしても、なんでも受け容れるのです。どうかなりふり構わず『動物』として産んで欲しい。全て出し切っていいのです。分娩中はどんなに時間がかかっても決してひとりにはしません。必ず助産婦がそばに付き添って手を握ったり話しかけたりしています」
それからビデオを見た。驚くべき事にビデオの中の妊婦の写真は四つん這いで出産していた。ここでは好きな格好で産んでいいらしいのだ。
「うわあっ、犬みたいだ!」
と思ったが、同時に何かすごく大きな感動が全身を襲い、思わず涙が出そうになった。
「そうだ、人間も動物なんだ!」
と思った。その瞬間、僕の脳裏にはかつて立ち会った志保の誕生の瞬間の映像がまるで映画のように蘇ってきた。頭が出て、顔が出て、つるりと全身が出る。あの時の僕は泣いていた。それどころか、あの時は、一緒に居たドイツ人の看護士さん達もみんな泣いていたんだ。産婦人科の看護士だったらみんなプロなのに・・・。出産なんて珍しくもなんともないはずなのに・・・。なんて純粋な人達!
ということで、説明会を聞いてますます決心が固まり、志保はこの矢島助産院にお世話になることにした。僕もとっても気に入った。ただリスクもある。まず病院ではないので正常分娩しか受け容れられないという。たとえば、逆子が直らないとか、双子とか、胎児に異常が認められた場合などは、連携している病院での分娩となる。さらに分娩中の出血多量などの緊急時には、途中から病院に搬送という事態もあり得る。その場合は、あらかじめ病院で産むよりも治療開始までの時間がかかることになる。
リスクを回避あるいは軽減するためには、出産までの妊婦の側にも、体調管理に注意を払うことが求められる。つまり、適度な運動とか、食事とかへの配慮、あるいは体が冷えないようにするとかの管理だ。
いろいろ考えた。日本の病院もベルリンの病院のように暖かい人間的な対応をしてくれれば、本当はなにも助産院で産まなくてもいいのだ。でも、どうして日本って、なんでもこうなってしまうんだろう?特に学校教育や事務所や病院などのいわゆる「公の場(おおやけのば)」と言われる処では、人間が感情を持った動物であるということを徹底的に忘れさせる事に全力を傾けているようだ。
日本人が、元来感情がおとなしい民族だっていうんだったら、それはそれで問題はないのだろうが、決してそうではないのだ。日本人は、本当は西洋人と同じように豊かな感情を持っている。それなのにこの国では、みんな感情を無理矢理抑えさせられ、内心にうっぷんを溜めて、至る所で鬱病になったり引きこもったりいじめしたりされたりしている。一体誰がそうさせているのだろう?
説明会が終わって12時過ぎ。僕は新国立劇場で2時から夜叉が池の立ち稽古。トミーノも桜新町のスタディオ・アマデウスで「セヴィリアの理髪師」の立ち稽古で、あまり時間がない。それで、あろうことかみんなで近くのスキ屋に入った。
トミーノのお母さんのとよしま洋さんと会っても常にイタリア語の話をしているわけではないが、僕の大好きなジリオラ・チンクェッティの「夢見る想いNon ho l'eta」を小学生の頃に聞いてイタリアにハマッたという彼女にはいつもシンパシーを覚えて、お会いするだけでなんか嬉しい。
急いでいたので、食事をささっと済ませて僕達はすぐに別れた。トミーノとお母さんは南武線。僕は京王線。妻と志保は車で国立方面。満たされた半日だった。
ということで、志保は予定では11月26日に矢島助産院で第1子を出産し、僕は、な・・・なんと・・・おじいちゃんになります!
モテット全曲録音無事終了
6月8日早朝。僕は秋川をめざしてペダルを漕ぐ。奥多摩街道から睦橋(むつみばし)通りを左折すると、すぐに多摩川の支流を横切る。その橋の上からの眺めは最高。そこから滝山街道までの道は基本的に登り坂なので楽ではない。でも、頑張って登った先に目的地があると思うと、余計元気が出るよ。
僕はオケ合わせとか、こうした録音などに自転車で行くのが好きだ。みんなは、こんな時は体力を消耗しないように大事とった方がいいと思うでしょう。ところが違うんだな。その前に適度な運動をした方が、エンジンがかかってエネルギーが出るんだ。過労は良くないが、人間の肉体というのは、むしろ使えば使うほどさらに使い易くなるものだ。
さて、録音は演奏会とは全く違うエネルギーを消耗する。コンサートという凝縮された時間内に凝縮したエネルギーを注入するのと正反対で、まる2日間の間に6曲のモテットを録るわけであるから、ペース配分が大事なのだ。録音時と待ち時間、緊張と弛緩、オンとオフの切り替えをうまくしないといけない。そして、ここぞという時にきちんとエネルギーを注入出来るように、間の時間をユルユルにしておかないといけない。
録音は時間との戦いである。そして、その時間内における「こだわり」と「妥協」との戦いでもある。人間に完璧なんてあり得ないので、本当にこだわりだしたら、何日あっても足りない。いや、永久に出来ないと言ってもいい。特に性能の良いマイクで録れば録るほど、様々なアラまで赤裸々にひろうから、プレイバックを聴いて失望しない人はいない。
だから潔くOKを出していかないことには進まないのであるが、同時にその中で、こだわるところをどこまでネバれるかという点が最も大事な点である。やはり後に悔いは残したくないし、納得出来ない仕上がりのままOKを出してはいけない。自分の一番大切に思っているポイントだけはなんとしてでも死守したい。
そこで、こだわって何度も録り直しをしていると、今度はプレイヤー達の疲労度の問題がのしかかってくる。このまま録ってしまいたいと思っても、合唱団の声が疲労してきたなと思ったら休ませないといけない。そんな時に限って、みんなの気持ち的にはノリノリになっていたりするので、
「なんでここで休憩?」
と思ったり、
「やっちゃいましょう!」
という雰囲気になったもするが、強制的にでも休ませないといけない。
そうしたことを全て仕切ってやるのだから、録音の音楽監督は、コンサートよりも別の意味でずっと大変。つまり指揮者としての力量にプラスして、トータルな意味でのディレクターとしての能力が求められるのである。
さて、8日土曜日で8声の4曲のモテットを録り終わったのは奇蹟ともいうべきもの。9日日曜日は、結構ギリギリまで時間がかかったが、やはり曲の難易度から考えると、当然だろう。みんなよく体力的に持ったし、思ったよりもずっと冷静で最後まで頑張りました。本当にご苦労様!オルガンの浅井美紀さん、チェロの西沢央子さん、コントラバスの櫻井茂さん。この長丁場に文句ひとつ言わずに付き合ってくれて、心から感謝しています!
モテット全曲録音