ジェラールとの再会~スカラ座の来日

三澤洋史 

ジェラールとの再会~スカラ座の来日
9月4日水曜日朝10時。
 品川駅を降りてザクロ坂を登り、グランドプリンス新高輪のロビーに行く。昨日ジェラールの部屋にメッセージを残しておいたので、そこで彼に会えるはずであった。ところが彼はいない。見ると、偶然にもスカラ座合唱指揮者ブルーノ・カゾーニ氏がロビーのソファーに座って誰かと話をしている。2年前に僕を文化庁在外研修でミラノのスカラ座に受け入れてくれた人だ。カゾーニ氏には、あらためてご挨拶に伺おうと思っていた矢先だけに、この思いがけない出遭いは嬉しかった。
 カゾーニ氏と短い会話を交わしてから再びロビーを見渡す。ジェラールはいない。フロントに頼んで電話をかけさせてもらった。出ない。彼は本館ではなく「さくらタワー」という別館にいるという。もしかしてさくらタワーのロビーで待っているかなと思って行ってみたが、やはりいない。というか、さくらタワーにはそもそもロビーがない。
 どうしたものか・・・もう今日は彼には会えないのか・・・と落胆しながら本館の方に戻ろうと歩き出したその時、向こうからジェラールがのんびり歩いてきた。彼の横には、あろうことかやはりミラノで親切にしてくれたソプラノ団員のガブリエッラもいるではないか!
「ジェラール!ガブリエッラ!」
「ヒローーーー!」
僕たちは互いに駆け寄り、抱き合って再会を喜んだ。

 ジェラールの部屋。電話機のランプが点滅している。
「こいつの使い方が分からないんだ」
僕は西洋人風に肩をすくめて見せてから、受話器を取りジェラールの耳にあて、スイッチを押す。
「どうぞ」
「あっ、ヒロの声だ・・・・なるほど、10時にフロントに来ると言ってる」
「フロントに来ると言ってるじゃねーよ、まったく・・・しかしさあ、これでよく会えたね。しかもガブリエッラと一緒なんて!ガブリエッラは9月15日にコンサートだけのために来るって言っていたじゃない?」
ガブリエッラが言う。
「放射能の汚染水の報道が流れて、何人もの団員がキャンセルしたのよ。それで急遽呼び出されて、『ファルスタッフ』のゲネプロは済んじゃったのだけれど、明日からいきなり本番よ」
「うわあ、大変!」
「はい、おみやげ!」
「やったーっ、パルメザンだ!」
大きなかたまり。日本で買ったら一体いくらするだろうか。

 12時過ぎ。フレンチレストラン「エピ」。ジェラールの部屋で楽しい談話のひとときを過ごした後、ガブリエッラとは別れた。ジェラールが、新国立劇場での「リゴレット」合唱音楽練習を見学したいというので初台に向かうが、途中お昼を食べないといけない。胡麻アレルギーのある彼は食事に敏感になっているので、安心できる店に連れてきた。ここは、かつて次女杏奈がアルバイトしていた店。すぐ目と鼻の先には、彼女が通っていたメイクの学校B-Staffがある。
 「エピ」のシェフは僕たちの来訪にとても喜んでくれたが、もっと喜んだのは「エピ」のランチを食べたジェラールだ。ポテトとコーンのポタージュにも、サラダにかかっているシンプルだけれど味わいのあるドレッシングにも、勿論メインの鶏肉のコンフィにも驚きの色を隠さなかった。
「この鶏肉がね、夜になると鴨に変わるんだよ。ここの鴨肉のコンフィは天下一品なんだ」「鶏肉でも充分おいしい。このバゲットも・・・ん・・・・」
「何だ?」
「このトマト・・・めっちゃおいしいじゃないか!味が濃くてジューシーで・・・」
僕はシェフのところに行って言う。
「フランス人の彼がとても喜んでいるよ。今ねえ、トマトのおいしいのに驚いている」
「やっぱり目が肥えているねえ。このトマトにはこだわっていたんですよ。うれしいなあ」

 14時。新国立劇場リハーサル室。ジェラールをみんなに紹介する。こうしてお客様を練習に連れてくるのはメリットの部分が大きい。特に、今日の見学者がスカラ座合唱団のメンバーとあっては、合唱団員達の集中度が違う。
 今日は「リゴレット」最後の音楽稽古なので、みんなの暗譜を助けるために何度も繰り返す。暗譜稽古なので本気で歌わなくてもいいのだが、何故かみんなフルヴォイスで歌う。逆にこっちが気を遣って、
「ここは言葉が多いから、歌詞のリズム読みだけしよう。歌わなくていいからね。3回繰り返すから、頭の中で歌詞を確実にしようね」
とリズム読みの練習に切り替えた。そのリズム読みの間に、強調した方が良い単語や、短い音符で潜りやすい単語をはっきり発音するように指示する。
 見ると、ジェラールも僕の貸したスコアを見ながらブツブツつぶやいている。練習が終わった直後、彼はニコニコ笑いながらこう言ってきた。
「ああ、今日はヒロのお陰で良い暗譜稽古が出来た。いや、実をいうとね、明日からこちらも『リゴレット』の舞台稽古だけれど、夏休みが終わってそのまま日本に来たから全然練習していないのだ。正直言ってうろ覚えの箇所が至る所にあったんだ。他のメンバー達もそうだと思うよ。それにしても君はなんて親切な練習をするんだ!これだったらみんな確実に覚えられるよね。ありがとう、ヒロ!」
って、スカラ座合唱団員に感謝されてもねえ。

 それからオペラ・シティのイタリアン・カフェのセガフレードSegafredoに行ってまたおしゃべり。今度はセガフレードのカプチーノに感激している。ところでジェラールは、「ドン・カルロ」のフィリッポなどを歌うような、日本では希少価値のバス歌手である。新国立劇場合唱団の弱点は、バスが極端に少ないことだ。ヨーロッパ人に比べて体が小さいので、良いバリトンはいても、大きな声帯を持っている人材に不足しているのだ。
 僕たちは新国立劇場合唱団のサウンドの話になった。
「君みたいなバスがあと2人くらいいればなあ。1人いるけれど日本人じゃないんだ(笑)」
その1人のバスとは、中国人のタン・ジュンボさんである。彼はかつてニューヨークのメトロポリタン歌劇場の合唱団に属していたことがあり、当団における唯一の外国人でもある。練習の始まる前にジェラールに親しげに英語で話しかけてきたが、ジェラールが英語が分からないので、僕が英語と日本語からイタリア語に通訳してあげるという変な状態になった。でも、お互いバス歌手としてシンパシーを感じ合ったようだ。
「でもねヒロ、この合唱団とてもいいじゃないか。響きは整っているし、なによりイタリア語の発音がもの凄くいいよ。うちらより良い」
「そんなあ。でもネイティヴだからこそ、全てをクリアには発音しないというのはあるね。その自然さがかえってネイティヴの強みでもある」
「それはそうだけれど、でも僕たちがその気になってきちんとイタリア語を発音したら、もっといいだろうな」

 僕はジェラールの言葉を聞きながらバイロイト祝祭合唱団のドイツ語発音を思い出していた。ドイツの歌劇場から初めてやってきた新団員が必ず笑うバイロイト発音。ウィルヘルム・ピッツの時代からノルベルト・バラッチを通り、エバハルト・フリードリヒへと受け継がれてきた美しいドイツ語合唱発音の規範。
 それを行うためには、ドイツ人も笑うほど、はっきりと子音を立て、母音の色を規定する。しかし、それが舞台上でオケと一緒に響き合うのを体験すると、もう笑う団員は誰もいない。こうしてバイロイト発音は、間違いなく舞台におけるドイツ語歌唱の理想の姿を今日まで提示し続けてきたのだ。
 こうしたオーセンティックでオーソリティヴなメソードが特にないスカラ座合唱団に、短期留学当時やや失望していたのも事実だ。ネイティヴの自然さには確かに逆立ちしてもかなわないだろうけれど、我々のイタリア語歌唱のあり方をジェラールが褒めてくれているのも、あながちお世辞ばかりともいえないかなと、ちょっぴり希望を持つ。
 ネイティヴでさえあれば何でも良くて、日本人はどうやっても適わないのだと信じ切っている人には、僕の悩みは分からないだろうな。本当はニューヨークのメトロポリタン歌劇場だって、ロンドンのコヴェントガーデンだって同じ悩みを抱えているのに。メトでネイティヴといったらガーシュインの「ポギーとベス」くらいだし、ロンドンでネイティヴといったらヘンリー・パーセルかベンジャミン・ブリトゥンくらいだものな。あとのレパートリーはみんな僕達と同じ外来文化だ。
 ジェラールやガブリエッラとは、また一緒に食事する約束をしている。でも、残念なことに、せっかくスカラ座が来日しているというのに、こっちもいろいろ練習がぶつかっていて舞台稽古も公演も見に行けない。オーセンティックなものを誰よりも見ないといけないのに・・・・。

自由への希求
9月7日土曜日。群馬県高崎市新町文化ホール
 一週間後に迫った「自由への希求」演奏会の練習で群馬に行く。この演奏会の前半はヴェルディ特集。後半はカルメン・ハイライト。歌劇「マクベス」第4幕冒頭の難民の合唱「虐げられた祖国よ」で始まり、歌劇「ナブッコ」の有名な「行け、想いよ金色の翼に乗って」で終わる第1部では、その間に「椿姫」と「ドン・カルロ」からのアリアや重唱を織り交ぜて進行する。
 愛や平和な生活、そして自由を脅かそうとする様々な社会的制約の中で苦悩する人間を描き出すことに、ヴェルディはその生涯を費やした。彼のオペラの到るところから自由への希求は感じられるのだ。そうしたことをきめ細かく解説しながら演奏会を勧めていく予定。
 一方、小市民的制約から全く解き放たれて自由奔放に生きるカルメンは、その自由を貫き通すために死という選択肢を取る。カルメンをめぐる物語はドロドロしているが、カルメンの死に僕たちが不思議とある種の潔さを感じるのは、彼女の中で命よりも自由を守るという価値観が決して最後までブレないからだ。それは、たとえがふさわしいかどうか分からないが、自分が敵地のまっただなかで殺されるであろうと分かっていてもエルサレム入城をやめなかったキリストの生き方と似ている。

 カルメン・ハイライトの冒頭は少年合唱から始まる。今回は安中少年少女合唱団が賛助出演してくれる。7日の新町文化ホールに澄み切った児童合唱が響き渡った。カルメンを歌う河合美紀さん、先日クリングゾルを名古屋で歌って大人気となった大森いちえいさん、内田もと海さん、田中誠さん達ソリストが続々とホールに到着。その日は午後2時から9時まで熱い練習が繰り広げられた。
 カルメン・ハイライトは、演奏会形式だから、最初はほとんど演技なしと思っていたのだけれど、
「やっぱり多少はリアクションとかしなくちゃね」
と思っている内に、新町歌劇団のメンバーもそんな僕の気持ちを先取りして、ソリスト達も自主的に動いて、あれよあれよと思う間に結構動きがついちゃった。そんなこんなで、自分で言うのもなんだけど、なかなか良い演奏会になりそうだよ。

 14日土曜日に、もう一度午後から合わせをして、演奏会は15日日曜日。僕は、明日の京都ヴェルディ協会の講演会が終わったら、プロジェクターで映し出す字幕の作成に入らなければならない。カルメンは日本語だから字幕はいらないけれど、第1部のヴェルディ・オペラの名曲の数々は原語で歌われるので、字幕ははずせませんよね。「パルジファル」演奏会だって、字幕は、聴衆の理解に多大に貢献していたのだ。

 明日は、早朝から上越新幹線、東海道新幹線と乗り継いで京都まで行って講演会。さあ、早く寝なくっちゃ!

京都ヴェルディ協会講演会
9月8日日曜日 京都パレスサイド・ホテル
 今日は京都ヴェルディ協会講演会。昨年から僕はここの理事になっていて、定期的に講演会を行うことになっている。今回の演題は、ワーグナー及びヴェルディ・イヤーにちなんで「ワーグナーとヴェルディ」。
 僕は、8月25日に名古屋で「パルジファル」全曲を指揮し、今週末には、先ほども書いたように群馬でヴェルディの演奏会を解説付きで行う。今回は、ちょうどワーグナー演奏会とヴェルディ演奏会の間にはさまれる形で、双方のネタを織り込んで講演会の準備が出来たのが良かった。
 京都ヴェルディ協会には何故かワグネリアンが沢山いる。先日の「パルジファル」では、京都ヴェルディ協会は、ワーグナー・プロジェクトの「協力」という位置づけとなってくれて、協会内で熱心に宣伝してくれ、当日は大挙して演奏会に駆けつけてくれた。
 そのためもあって、今回の講演会では、僕はワーグナーの説明の大半を「パルジファル」を題材に行った。まあ、ヴェルディと比べた時に、最もその違いが際立っているということで、名古屋での演奏会がなくても取り上げただろうとは思うけれどね。
 後半の「WにあってVにないもの VにあってWにないもの」では経済観念の話から始まった。経済観念がなく破滅型ワーグナーと、逆に経済観念に長けていて社会的成功者ヴェルディの、両者の素顔が描き出せたのではないかと思うが、その情報の出所として加藤浩子さんの著書を使わせてもらった。
また、ヴェルディらしさを表現する具体的な音楽としては「ドン・カルロ」を使った。カルロとロドリーゴとの熱い友情、フィリッポ2世の深い孤独感。こうした人間の赤裸々な内面に肉薄するヴェルディの表現力は、円熟した「ドン・カルロ」を題材にするのが最もふさわしいと判断したからだ。


 講演会が終わると懇親会となり、さらに二次会では、京都ヴェルディ協会の会長である岡部正宏さんが週末だけ開いているお店Vino e Lirica(ワインとオペラという意味)に行った。四条通りの烏丸(からすま)と河原町の間のまさに一等地。
「週末だけ開くなんてもったいない!」
と言うと、
「そうなんです。趣味にしては金がかかりすぎます」
と岡部さんは答えたが、B1にある店の内部には、レコード、CDやDVDが壁いっぱいに並び、すっきりと落ち着いた内装でとっても素敵。こうした生活こそ、ある意味究極の贅沢ではないか!そこではおいしいキッシュや極上のワインがふるまわれた!
 ヴェルディ協会の二次会なのに、気がついたら何故かワグネリアンばかりが残っていて、僕と話しをしたがっている。だから話題は当然、先日の「パルジファル」にいく。
「あれで終わってはいけません。今度は『リング』をやってください!」
「先生のような指揮者がワーグナーを振るべきです」
などとおだてられて、ワインの酔いも手伝って、すっかり良い気分でホテルに帰ってきた。

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