スカラ座メンバーとの日々

三澤洋史 

秋です、曼珠沙華です
 彼岸花(曼珠沙華)が彼岸の頃に咲いた。この当たり前の事を当たり前と捉えられなくなるほど、ここ数年曼珠沙華の開花時期は乱れていた。特に3.11の前の年の2010年はひどかった。遅れに遅れて9月の終わりにようやく咲き始め、10月中頃までぐずぐずと咲いていた。その咲き方も美しくなく、潔く枯れるわけでもなく、最後にはまるで幽霊のように不気味な姿を晒していたので、ぞっと身震いがした。
 でも昨年は少し戻っていたし、今年は完全に正常な時期に開花した。もしかしたら、3.11をきっかけに、自然が失っていたバランスを少し取り戻したのかも知れない。そういえば、今年は春先の花々も例年になく輝かしく美しかった。

 夏の終わりがいつまでも暑いので、今年も遅れるのかなと心配していた。でも、あの本州に上陸した大型台風が通り過ぎ、猛暑が嘘のように消えて秋らしい爽やかな空気に包まれると、曼珠沙華の茎は待ち構えていたようにするするっと一日で伸び始め、先端が赤みを帯びて咲き始めた。そのスピードの速いこと!前の日までは何もなかったのに、ある日突然、緑の野に真っ赤な一群が鮮やかに現れるのだ。
 お彼岸の頃になると、僕の魂は何故だか毎年霊的(スピリテュアル)になる。そして、そのインスピレーションを曼珠沙華から受け取る。この花を見ると、僕の意識の中で此岸と彼岸との境目が曖昧になってくるのである。
 昨年10月1日「今日この頃」で写真を掲載した場所と同じだけれど、僕にとって曼珠沙華の咲く霊的スポットがある。霊的スポットと言っても別に幽霊が出るとかではないが、霊的エネルギーをもらうのだ。
 日曜日の朝は、ひとりで散歩に出たので、その場所にデジカメを持って散歩に行った。最近は杏奈と妻との三人で散歩をしていたが、杏奈は木曜日からパリコレのアシスタントをするためにパリに出掛けて行って留守中。妻は教会のミサに行くので散歩はお休み。その園はかつてのタンタンとのお散歩コースの途中にある。
 どうですか、みなさん!この写真を見て何かビビッと感じますか?僕が曼珠沙華を大切に思う気持ちが少しは分かりますか?


彼岸花の園

スカラ座メンバーとの日々

日本料理の洋食?
 ミラノ・スカラ座が来日していた。仲の良かったジェラールとガブリエッラとは何度も会った。双方がいろいろ予定があるので、両方の空きがある日を捻出するのは簡単ではなかったが、10日火曜日には日本料理屋に連れて行った。刺身や焼き鳥などの定番の他に、彼らが特に喜んだのは日本風バーニャカウダ。ガブリエッラはイタリアでもバーニャカウダはあまり好きではなかったという。ソースに擦り込んであるにんにくがキツ過ぎて、
「その後一週間も体からにんにくの臭いが消えなかったわよ」
という。へええ、イタリア人でもにんにくを嫌だと思う時があるんだ。
 でも、この料理屋のソースは、オリーブ・オイルとにんにくは使ってあるものの、アンチョビの代わりに鰹(カツオ)のアラを使い、実にまろやかに仕上がっていた。海老と帆立のグラタンにもジェラールは舌鼓を打った。
「わあっ、グラタンだ!おいしいな、日本料理の洋食って!」
とワケの分からないことを言っている。
仕上げに焼きおにぎりを注文して反応を見たら、狂喜している。面白いな、彼らの反応って。


銀座竹の庵


富士山
 17日火曜日は、僕は夜にアカデミカ・コールの練習があるのみなので、午前中から会って、お台場でも連れて行って船に乗り、浅草に行ってお昼を食べ、それからどうしようかな・・・なんて思っていた。
 大型の台風が本州に上陸するというので心配していたが、台風は前の日に通過し、それが過ぎ去った火曜日の朝は、なんと、抜けるような青空と肌寒いくらいの気温、それに・・・それに・・・散歩したら、僕の家の近くの丘の上から富士山がくっきり見えるではないか。こんな機会は滅多にない。急遽予定変更。妻の車で富士山に連れて行くことにした。そうと分かっていたら10時ではなくもっと早く待ち合わせするんだった。でも、それどころか台風が直撃して浅草にさえ行けなかった可能性さえあったのだからね。
 中央自動車道は結構混んでいて、10時にグランドプリンス新高輪に到着できるか怪しくなってきた。妻が言う。
「ジェラールにメールしておいたら?ちょっと遅れるかも知れないって」
「でも、案外時間通りに着くかも知れない」
「そしたらそれでいいじゃない」
「そうだね」
僕はジェラールにメールしておいた。
 結局ホテルに着いたのは10時7分くらい。メールしておいて良かったと思い、到着する直前に「Siamo arrivati着いたよ」とメールする。ロビーに行くとガブリエッラがいたが、ジェラールはなかなか来ない。その内メールが入った。
「Arrivo着くよ」
ガブリエッラが大声で笑っている。
「ヒロ、だめだよ。5分や10分遅れるくらいで『遅れる』ってメールなんか打っちゃあ。イタリアで『遅れる』っていったら30分とかいう意味だよ。だからジェラールはのんびりしていたんだ」
ゲッ、時間に対するこの常識の違い!日本人は時間に関して真面目だねえ。ガブリエッラはそんな僕達のことを知っているから早く出ていたんだ。
 それからさらに10分近くかかってジェラールは来た。結局そんなこんなでホテルを出発したのは10時半くらい。都心のことはよく分からないが、ナビに導かれるまま東名高速道路に乗る。どこ通っていたんだかさっぱり分からない。とにかくそれで御殿場インターまで行く。
 本当は山中湖か河口湖のほとりでお昼を食べようと思っていたのだが、もうお昼になっている。そこで妻と相談して、御殿場インターから近い三井プレミアム・アウトレットに行くことにした。
ジェラールは、
「ウトゥレOutletsはフランスにもイタリアにもあるよ」
と言った。最初何を言っているのか分からなかったよ。フランス人だからといってウトゥレはないだろう。
 このアウトレットには「沼津回転鮨魚がし」という有名なお寿司屋さんがある。いつも並んでいるという。僕達も並んだ。でも彼らは並ぶのは苦にならない。回転寿司を名乗っているが、正確に言うと従来の常にベルトコンベアーが流れっぱなしの回転寿司ではなく、最近流行の方法を取り入れている。メニューの写真に番号がふってあり、その番号をパソコンのようなスクリーンを通して注文すると、それがベルトコンベアーに乗って自分達の処に流れて来てピタッと止まる。これに彼らは大喜び。
「実に日本的なシステムだ!」
 ここの味は最高だった。ネタは新鮮だし、注文で握るので干からびたものを取る心配がない。ガブリエッラはまんべんなく食べたが、ジェラールは鮭がおいしいと言って鮭ばかり注文していた。驚いたのは、2人とも納豆巻きを好んで食べたことだ。臭くておいしいだって!まあ、チーズに通ずるものがあるもんな。


三井プレミアム・アウトレット

 しかし、なんだね。彼らは実に食事をたっぷり時間かけて楽しむ民族だね。寿司屋の後、やっぱりカフェでしょう、ということで、僕たちはTully's Cofeeタリーズ・コーヒーに入る。実に時間を忘れてのんびりしている。放っておくとそこでおしゃべりしたまんま夕方になってしまうではないか。僕たちは彼らをせかして車に押し込む。
 それから東富士五湖道路を通って、富士スバルラインに入って富士山に向かって登り始めた。本当は五合目まで連れて行きたかったが、そうすると夜のアカデミカ・コールの練習に間に合わなくなってしまう。だいたいゆっくり食べ過ぎるんだよ、あいつら!仕方ないので3合目付近の景色の良いところで車を降りて、富士山頂を眺める。


富士山頂

 でも、恐らくそれでも充分だった。間近で見る快晴の富士に、一同圧倒される。前にも書いたけれど、富士山は、遠くで見ると美しいけれど、近くに行けば行くほど恐ろしいほどの自然の脅威を感じさせる。赤銅色にそびえ立つ岩肌はグロテスクで、これが巨大な火山であることを思い知らされるのだ。一方、反対側の河口湖や山々の景色は穏やかで気持ちも和む。
 さて、名残惜しい気持ちを残して僕たちは富士を後にした。富士急ハイランドのジェットコースターにジェラールは大騒ぎして、娘のクレールのために写真を一生懸命に撮っていた。


河口湖方面

 帰りは中央道から帰る。彼らを品川のホテルに送ってから東京のど真ん中で渋滞してにっちもさっちもいかなくなり、結局アカデミカ・コールの練習には10分近く遅刻してしまった。でも、やっている曲がまさに多田武彦作曲組曲「富士山」だったので、今日の富士山旅行は、曲の解釈を深めることにはおおいに役立ち、良い練習が出来たような気がする(気がするだけかも知れない)。それに、いいわけにもなったし。

スカラ座合唱団のマエストロ稽古
 次の日の18日水曜日は朝から忙しかった。スカラ座合唱指揮者ブルーノ・カゾーニ氏が、僕を練習見学に呼んでくれたので、朝からNHKホールに行く。10時半から指揮者グスターヴォ・ドゥダメルの合唱稽古が始まるが、10時15分くらいにカゾーニ氏の部屋に入ると、アシスタントのマラッツィ氏と二人で一生懸命紙に何かを書き込んでいる。よく見ると、これから稽古する合唱団の席順を決めている。
「ええと、Sacerdoti司祭達をここに配置して・・・Popoloのバスはどうしようか・・・あれれ?2人足らないぞ・・・」
おいおい、大丈夫か?それを10時25分くらいに舞台に持って行く。でも、すでにホールの合唱席には団員達が座っていて、なかなか立たない。
「あたし、ここがいいもん」
という女声団員がいれば、
「もう、好きに座ればいいじゃないか」
と言って梃子でも動かなそうなバスの団員もいる。他の団員達はみんな勝手におしゃべりしているが、良く響くイタリア語に加えて声楽家の発声でしゃべるからもの凄い音量。うわあ、久し振りだなあ。このノリ。
 10時半きっかりにドゥダメルが舞台上に現れる。カゾーニ氏が気を遣って、合唱団に向かってどなる。
「コラッ、静かにしろ。それから言う事を聞け!」
幼稚園か、ここは?
 結局練習が始まったのは10時40分。その間の10分間、ドゥダメルは辛抱強く待っていた。このイタリア的ノリってなんとかなんねえのかな。なんねえだろうな、イタリア人がイタリア人である限り・・・。

 2年ぶりに聴くスカラ座合唱団の声はもの凄い。我々新国立劇場合唱団もつい最近、ビシュコフ指揮N響ヴェルディ・レクィエム演奏会でNHKホールで歌ったけれど、この巨大なホールをここまで圧倒的な音量で響き渡らせることなどとても出来ない。
 ただちょっともったいない気がする。まあ、それが日本人的感覚なのだけれど、アンサンブルはお世辞にも精密とは言えないのだ。音程が下がりそうな個所はまんまと下がるし、テンポやリズムが乱れそうな個所は引きずったり走ったりする。
 最初に名古屋での演奏会のために「ナブッコ」冒頭の練習をした。ひとくさり曲を流してからドゥダメルが言う。
「すみません、テキストが何を言ってるかさっぱり分かりません!」
で、繰りかえすと、きちんとしゃべれて歌詞も聞こえてきた。万事この調子だ。出来るのに・・・潜在的能力はもの凄いのに・・・やらない。ピアニッシモの個所も、指揮者が言わないと平気でフォルテで歌う。
 テノールにひとり、バスにひとりだけ声の大きい団員がいる。しかもそのふたりは、微妙に音程が悪くしかも音程が揺れる。声を押して無理矢理響かせている発声だから音色も良くない。残念なのは、そのふたりが男声合唱の響きを決めてしまうことだ。しかもその響きは美しくないのだ。
 僕は、もしかしたら細かすぎるのかも知れない。それがイタリアオペラなんだと思う人から見れば、僕の感覚はドイツ的あるいは日本的過ぎるのかも知れない。実際、言われることも少なくない。
「新国立劇場合唱団はそろい過ぎなんです」
とかね。
 でも、実際にドゥダメルのように指揮者から見たって、スカラ座合唱団は音程でもリズムでも雑に聞こえるんだから、やはりイタリアオペラといえども、そういう点に関してはきちんとしてた方がいいのは当然だと思う。って、ゆーか、弱冠32歳のドゥダメルに、あんな基本的な事ばかり注意されて恥ずかしくねーか?

 ピアノ付きマエストロ稽古は10時半から12時半までの2時間だけ。しかも間に休憩時間を15分ほど取り、しかも開始が10分遅れたので、実質的には1時間半ちょっと。それで「ナブッコ」から冒頭の合唱と「想いよ、金色の翼に乗って」、「トロヴァトーレ」から鍛冶屋の合唱、「椿姫」から「ジプシーの合唱」と「闘牛士の合唱」をやり、それから「アイーダ」をやるんだもの、出来るわけがない。
 結局「アイーダ」の凱旋行進の場面の半分くらいで午前中の練習を終わった。午後はもうオケ付きの稽古。しかも練習は今日一日だけだという。ドゥダメルには可哀想なスケジュールだな。それでも彼は若いのにもの凄く才能あると思った。棒は明解だし、やりたい音楽がはっきり見える。若いのにあんな迷いのない指揮者は見たことがない。

 休憩時間には、かつてミラノで僕のアパルタメントのすぐ近くに住んでいて、タリアータというイタリア料理をご馳走してくれたデイヴィットに再会出来て嬉しかった。その他沢山の団員達が僕のことを覚えていてくれた。
 面白かったのは、長女志保のパリ時代からの友達のアドリアンに会えたこと。彼はまだ若いのにパリのラジオフランスの首席ティンパニー奏者になっている。フランス人でパリに住んでいるのに、普段から度々スカラ座管弦楽団にエキストラで来ていて、今回も福島の汚染水問題でキャンセルした団員の代わりに急遽スカラ座オケとして来日した。今日は早く来て練習を見学していて、ジェラールから紹介された。
「ああ、君がアドリアンか!」
年より若く見えて、まるで学生のようだが、志保に言わせると天才肌のティンパニー奏者だそうだ。
 志保は、先日僕とは別なルートでジェラールに会った。志保とアドリアンがもともと仲良しで、ジェラールとアドリアンもミラノでフランス人同士仲良しになったのだそうだ。「リゴレット」のゲネプロがあった日、志保は観に行って、終了後、アドリアンとジェラールと、それから、やはりフランス人であるオーボエ首席奏者のファビアンと一緒に食事に行って、フランス・ナイトで盛り上がり、ジェラールとも大いに仲良くなったそうである。世の中本当に狭い!

ここが僕のホームグランド
 練習終了が12時半で、僕は1時から新国立劇場である「リゴレット」オケ合わせに間に合わなければいけないので、誰にも会わずに飛び出した。NHKホールから新国立劇場までは案外近いので、タクシーをひろったらすぐ着いた。
新国立劇場に行って「リゴレット」オケ合わせが始まった途端、僕は思った。
「上手だな」
 
 勿論手前味噌なのは百も承知だ。うぬぼれるつもりはない。新国立劇場合唱団がスカラ座合唱団に比べてどこが足りないのかも全て分かっている。その状態に甘んじていようとも思わない。でも、新国立劇場合唱団だってあなどれないぞ!
 僕は決心した。スカラ座はスカラ座。僕は僕の信念に従ってこれからも“この合唱団と”仕事をしていこう。ここが僕のホームグランドなのだから。

リゴレットだんだん佳境に
 ピアノ付き舞台稽古でリゴレットの序曲を聴きながら、ベートーヴェンに似ているなと思った。これまで、この序曲は「呪い」のテーマが表現されているものの、序曲としては規模も小さく、あまり興味が湧かなかったが、初めて良い音楽だなと思った。
 ハ短調という調性だからか、ピアノソナタ「悲愴」やコリオラン序曲などに似た音がする。さらにリゴレットの歌う「悪魔め、鬼め!」のアリアでは、その激情が運命交響曲や「熱情」ソナタと重なってくる。第3幕の嵐の場面は、「田園」交響曲の嵐の音楽と重なる。とにかく随所にベートーヴェンが聞こえるのだ。こう思うのは僕だけかな?
 それにしても「悪魔め、鬼め!」の圧倒的な音楽の力は凄い。それでいて「女心の歌」のような大衆性もある。やはり初期の大傑作だ。ヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場での初演は大成功だったそうだが、これで成功しないわけがない。まあ、「女心の歌」はベートーヴェンにはちっとも似ていませんけどね。

 指揮者のピエトロ・リッツォが職人らしい確実な音楽を作りをしている。それに乗ってそれぞれの歌手達は落ち着いて各自の持ち味を充分に発揮している。こういうプロジェクトはいいな。オペラはサッカーと同じで、個人プレーがないと得点には結びつかないけれど、チームワークもないとやはり勝てない。今回はその両方がある。
 ジルダ役のエレナ・ゴルシュノヴァは、清楚な声で歌唱は音楽的。姿も愛らしい。リゴレット役のマルコ・ヴラトーニャは、リゴレットは初役だというが素晴らしいよ。体当たりで演技にも歌にも没頭しているのが感動的だ。
 マントーヴァ公爵役のウーキュン・キムは天性の美声だ。韓国人といってもキムチパワーでどんどん押してくるタイプではなく、発声のテクニックがきちんとしていて柔軟。見かけ日本人と変わらないのに日本には絶対にいない声だ。何が違うのだろう。いや、まてよ・・・ひとりだけいる。
 僕は思い出した。かつて38歳の若さで急逝した名テノール山路芳久さんの声が、発声の方向性が似ているのだ。僕は二期会アシスタント時代から二期会でも芸大オペラ科でもよく山路さんと一緒に仕事していた。あの声を僕はたまらなく愛していたんだ。なつかしいな。

 

Cafe MDR HOME


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