トミーノの誕生パーティ
10月18日金曜日
その晩は長女の志保の新居でトミーノのお誕生日パーティーがあった。といっても本当の誕生日は2日ほど前。トミーノのお母さんのとよしま洋さんも来てくれた。トミーノは、自分のパーティーなのに料理を自分で喜んで作っていた。お母さんはケーキを焼いてくれた。嫁の志保はというと、午後は僕と一緒に新国立劇場合唱団のプーランクの練習(後でそのことについては触れる)に出ていて、料理はなんにもしなかった。いいのかい、そんなんで?
パーティーはおいしくて楽しかった。とよしま洋さんもオペラが大好きなんだね。いろいろ意気投合するところが多くておおいに盛り上がった。先日のドゥダメルのコンサートについては、僕とトミーノととよしま洋さんの意見が全く同じなので驚いた。イタリア語についてもいろんな話ができて有意義だった。
料理は、生ハムやカポナータ(ラタトゥユ)などの前菜に始まり、豆のサラダ、ポルチーニのリゾット、しらすのスパゲッティ。そしてメインは鶏肉のカッチャトゥーラ。一流イタリアンのシェフであるトミーノの作るカッチャトゥーラは、僕の作るのと随分違う本物の味がする。デザートにはお母さん手作りのtorta di paradiso「天国のケーキ」。まさにパラダイスのような味だった。なんでもバターまるごと一個と卵を5つも使うそうだ。ワインは主として僕が用意した。
楽しい語らいは夜半まで続いて、お母さんはトミーノの家に泊まっていった。すっかり酔っぱらった僕は、マウンテンバイクでヨロヨロ運転して、後ろからママチャリでついてくる妻に怒られながら、国立のひんやりした空気の中を、家に向かって走っていった。
手話ダンス
10月19日土曜日
今日は忙しかった。朝10時から東京バロック・スコラーズの練習。その後、新国立劇場に行って2時から「リゴレット」の本番。それから群馬に行って7時から新町歌劇団の練習と1日3コマのフル稼働だ。
新町歌劇団では先月演奏会が終わって、今は11月にある「新町ふれあいコンサート」のための曲を練習している。やっているのは「翼をください」と「花は咲く」だ。最初に一度聴かせてもらったが、両方とも難しい曲ではないというのもあって、それなりに良く歌っていた。
でも「花は咲く」は本当はとても難しい曲だ。次の岩井俊二の歌詞をじっくり読んで欲しい。
真っ白な 雪道に 春風香るこの詩は、一見口当たり良く書いてある。それになじみ深いメロディーがついて歌われると、なんとなくみんなで気持ちが和む。だが、それでは足りないのである。
わたしは なつかしい
あの街を 思い出す
叶えたい 夢もあった
変わりたい 自分もいた
今はただ なつかしい
あの人を 思い出す
誰かの歌が聞こえる
誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える
悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう
あの震災は何だったのかを考えるときに、人の死はいつの間にか数字に還元されていき、最初は5千人だった、やれ6千人になった、行方不明者は何人だ、と。 そうしていつの間にか、新聞に載っていても注意しなくなった自分がいます。ストーカー殺人などでひとりの少女が殺されても、テレビであんなに騒がれる。そのくらい人の命は重いし、ひとりの人間が死ぬことで、どれだけの人間が悲しみ、どれだけの影響力があるのだろうか。殺される前の少女の胸の内の恐怖、不安、焦燥感はいかばかりであったろうかと報道がなされていく。
おそらく、文学的な表現を使うなら、5千人の死者と5001人の死者には本来雲 泥の差があるはずです、が、一般的にはその違いは単なる1という数字にすぎな くなってしまう。どうやら、そのことが3月11日を少しずつ忘れさせる、ある種の忘却装置みたいなものになっているのではないかと思えてなりません。
現地では、燃料もない中で火葬も土葬もできなかったり、カラスがついばむ状況に置かれた遺体もあったと聞いています。
(中略)
今後、犠牲者が死の間際までどういうふうに、何を思って、どうしていたのかを想像してみる必要があると思います。3月11日以降、わたしたちは自然災害の本当の悲惨さを想像してきたのでしょうか。
ソースかつ丼
10月20日日曜日
19日は新町の実家に泊まって、20日の11時から群馬出身のインストラクターに水泳のレッスンを受けることになっていた。ところが先生が熱を出してしまったので、僕は新町温水プールの開く10時からひとりで1時間ほど泳いで、いったん実家に帰った。今日はオペラシティ主催のコンサートのマエストロ稽古が5時からあるだけなので、実家でゆっくりお昼を食べて初台に向かおうと思っていた。
お袋と姉に提案する。
「僕がお金出すからソースかつ丼をとって食べようよ」
僕がちょっとよそ見をしている間に、早速姉が注文の電話をした。まだ11時25分くらい。
「ねえ、ちょっと早いんじゃないの?お昼前に来ちゃうよ。今日は5時までに初台に行けばいいんだから、もっと遅くに電話するとか、12時頃に持って来てくださいとか言えばよかったのに・・・」
ところがその直後、僕の携帯電話に新国立劇場から電話がかかってきた。
「実は、冨平(とみひら)さんが熱を出して『フィガロの結婚』の公演の初日に来られなくなってしまいました」
新国立劇場合唱団は、いくつかのコンサートとオペラ公演が重なっているので、僕は「フィガロの結婚」からは抜けていて、合唱指揮を冨平君に任せている。それにしても、今日は熱が出る人が多いな。
「公演は2時からだよね・・・今群馬にいるんだけど・・・」
「そうですか・・・いざとなったら城谷さんがいることはいます」
「ちょっと待って・・・うーん・・・僕が行くよ、行くけどね・・・」
と言いつつ、もう頭の中はソースかつ丼でいっぱいになっている。これ、はずせないよな・・・泳いだ後で腹も減っているし・・・・。
「ひとつ用事を片付けなければならないので、最初の合唱には間に合うかどうか分からないです。とりあえず城谷君をスタンバイさせておいて下さい。なるべく早く行くから」
なんだよ、その片付けるべき用事って?ソースかつ丼かよ?この非常時に!さて、どうしよう。新幹線もあるにはあるが、高崎まで二駅戻らないといけないし、新宿方面に行くためには大宮で降りて埼京線に乗り換えるとか不便で、結局高いばかりであまりメリットがない。時刻表を見たら12時25分新町発の湘南新宿ラインに乗れれば14時ジャストに新宿に着く。
これだ!「フィガロの結婚」の開演時間には間に合わないが、最初の合唱の登場までには確実に間に合う。しかし問題はソースかつ丼だ!今になって姉があの時間に注文してくれたのがありがたかったが、お店が変な気を利かせてお昼まで待ったりしたらアウトだ。お願い、早く来て!
その時、ガラガラと玄関の扉の音がして、
「はい、お待ち!」
やったあ!
ということで、無事おいしいソースかつ丼も食べられたし、「フィガロの結婚」の合唱フォローの赤いペンライトにも間に合った。ところが、結婚式の合唱がある第3幕を終了したら、もう4時50分になっているではないか。プーランクのマエストロ稽古は5時から。うわあっ、休む間もなく譜面を取りに行って、下のリハーサル室へ直行!
鈴木雅明さんのプーランク
オペラシティ主催の演奏会は、毎年一人の作曲家を取りあげて、その作曲家の作品をいろいろな編成を織り交ぜて上演する。ひとつのオケとか団体では絶対に上演出来ないホール主催ならではの興味深い企画として僕は評価している。最初に新国立劇場合唱団が参加した時には、ヴィラロボス特集でブラジル風バッハを演奏したし、昨年はモンポウ特集だった。
今年はプーランク。杏奈がクラリネットをやっていた時代に、隣部屋で高音を嫌というほど聴いたクラリネット・ソナタや六重奏などいろいろあって、我々が演奏するのはオーケストラ付き合唱曲のスターバト・マーテルだ。指揮をするのは、コレギウム・ジャパンの鈴木雅明さん。
そんなわけで急いで降りていって、鈴木さんのいる控え室に直行。鈴木さんと会うのは、もしかしたら美人ソプラノ歌手Fこと藤崎美苗さんの結婚式以来かもなあ。
「あのう、音がぶつかり合って音程が大変なので、4回の練習の後でもまだ怪しいところがあります。もうビシビシ直して下さい」
知らない仲ではないので、僕はもう恥も外聞もなくこちらからお願いした。1回通して「それじゃあお願いね」なんてやられては逆に困るのである。それを汲んでくれて、鈴木さんは丁寧に稽古をつけてくれた。
鈴木雅明さんの指揮は実に情熱的というか激しい。バッハを専門に演奏しているというイメージからはほど遠い。耳も良いので、3時間の練習時間をたっぷりつかって、合唱団の音程もかなり確実になってきた。
このマエストロ稽古のピアノを弾いているのは志保。予定日が11月21日だから、もう臨月になる。お腹が鍵盤にさわるくらい出ていて、明日生まれてもおかしくないほどだ。鈴木さんもびっくりしていたよ。
志保は、今日の練習を最後にオペラや合唱の伴奏の仕事は産休に入る。万一の場合に備えて、一応夫のトミーノが練習だけはしていて、いざという時には代わって出来るようにスタンバイしていたが、なんとか無事終わって本当に良かった。あとは、元気な子供を産むだけだ。
頑張れ!あと一息だぞ!志保もお腹の子も!