この一週間

三澤洋史 

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ストラヴィンスキー「結婚」の三重苦
 先週は結構忙しかった。新国立劇場バレエ部門との共同制作による「バレエ・リュス(ロシアのバレエの意味)・ストラヴィンスキー・イブニング」という公演のために、オペラ部門の新国立劇場合唱団がストラヴィンスキー作曲のオペラ「結婚」で参加する。その練習に明け暮れていた。
 曲はとても楽しいのだが、演奏するとなると変拍子の嵐なので、これをインテンポで歌うのは至難の業だ。指揮する方も、ある意味、「春の祭典」と同じくらい難しいかも知れない。
 加えてロシア語だ。なんといっても子音が多い。ドイツ語も子音が多いけれど、ロシア語には負ける。さらに問題なのは、あのキリル文字と呼ばれるロシア語独特の文字が読めないんだ。言語指導の先生がいるのだが、テンポが速くなると目が追いついていかないし、仮に目が追いついていっても、今度は子音に阻まれて口が追いついていかない。口が追いついていっても、今度は変拍子でガラガラガッシャーン!という感じで崩壊する!まるでサバイバルゲームだ。フレーズの最後まで辿り着ける奴は誰だ!

変拍子、子音の多さ、読めない文字の、この三重苦よ!

 しかし、なんだね。ある意味、限界への挑戦となると、不思議と途中から燃え始めるのが新国立劇場合唱団の凄いところだ。サバイバルゲーム好きなのかも知れない。練習の中盤を過ぎたあたりから、だんだんそれらしくなってきて、そうするとみんなの方もだんだんモチベーションが上がってきて、達成感が得られるとますます楽しくなってきて、最後の日の練習などは、無理矢理3度くらい通したけれど、結構良い感じに仕上がってきた。

 5日の火曜日にマエストロ稽古となる。もう僕の出来ることはやってしまって、まな板の鯉だ。指揮者はクーン・カッセルといってベルギー人で、挨拶だけしたけれどとても感じの良い人だ。最初英語で話していて、ベルギー人ならフランス語が母国語なんだろうと思って、ちょっと格好つけてフランス語で話し始めたら、嬉しがってもの凄いスピードのフランス語でしゃべり始めたので、ご・・・ご・・・ごめんなさい・・・そんなに速く会話出来ないッスと言って、また英語に戻してもらった。悲し-!最近イタリア語ばかり勉強しているのでフランス語があまり話せなくなってしまった。

 「結婚」も良い曲だけれど、その前になんと「火の鳥」と「アポロ」をやるんだ。これって、バレエ好きでなくてもストラヴィンスキー・オタクだったら涎の出そうなプログラムでねえかい?
 でもさあ・・・ピンと来る人はピンと来るよね。そうです・・・超巨大なフル・オーケストラの「火の鳥」の後で「結婚」をやるとなると、セッティングが死ぬほど難しいのだ!何故なら、「結婚」のオケ編成って、なんとピアノ4台とパーカッションだけなのであーる。それに合唱団44人もオケピットに入るわけだから、早い話、一晩の公演なのに休憩時間にピット内でセッティング総取っ替えなのだよ。東フィルのマネージャーが頭かかえている。
 そのマネージャーが僕に、
「あのう・・・譜面灯付きの譜面台って、二人に一台では駄目ですか?」
と訊ねてきた。スペース上の問題とか、譜面灯のコンセントの問題とか、セッティングに時間がかかるとかいろいろあるらしい。そうだよね・・・それはよーーーーく分かる。分かるけど、僕は案外冷たいんだ。けけけけ・・・・。彼の要求を僕は無情にもはねのけてこう言った。
「ダメッ!悪いけど絶対に駄目!合唱団はオケじゃないので、二人でひとつの譜面を見るのに慣れてないし、自分で単語の意味とかいろいろな指示とか書き込んであるし、第一、こんな変拍子のシビアな曲では、相棒の譜面のめくり方が気にくわないと言って絶対あっちこっちで喧嘩が起きるにきまってる!ということで却下!申し訳ないねえ」
 それで、今のところはこうなっている。譜面台をとにかく一列にバーッと並べて、その上にそれぞれが自分の楽譜を置く。譜面灯は一台につき2つずつついているので、譜面台同士の真ん中に入ってしまっても明るさ的には問題はなさそう。11人ずつ4列の合唱に1列いくつ並ぶか試してみるそうだ。
 でもなあ、あんまり画期的な改善は期待出来ないような気がする。声楽家ってみんな横に太いんだよ(あっ、誰か新国立劇場合唱団関係の人がこれを読んでる可能性あるな・・・いや、ごめんごめん!でも、窮屈に座らせられるのは嫌だろう。だからわざとこう言っておくんだ)。
 と・・・とにかく、合唱指揮者というのは、こんなことも心配しなければいけないのだよ。このバレエとのコラボのことはまた来週あたりの記事に書くと思う。きっと、舞台に行ったらとても楽しくなるに違いない。バレエも観れるし。

「ホフマン物語」
 夜はオッフェンバック作曲「ホフマン物語」の練習だ。こちらの方は少なくとも変拍子はないし、アルファベットは読める。フランス語は勿論簡単ではないが、僕自身が、ロシア語よりは分かるので、指導もし易い。
 気が付いてみたら今回は結構初心者が多い。そして、初心者と経験者との差が激しいので、初心者だけを対象にした、いわゆる「初心者稽古」を、これまでにすでに2回やった。初心者稽古は、なんだか稽古場の雰囲気が和気藹々という感じになって案外楽しい。それに、初心者だから練習時間の間にどんどん上達してくるのがはっきり分かるので、やり甲斐がある。

編曲三昧の日々
 新国立劇場以外の空いている時間は、編曲に明け暮れた。まずひとつは、先日ケルビーニ作曲の「レクィエム」を演奏した東大アカデミカ・コールから作曲依頼を受けている曲だ。来年7月にOB六大学連合の合唱祭があり、僕の指揮するアカデミカ・コールも参加するが、そこに新曲を乗せたいという意向である。実は何年か前から密かに頼まれてはいた。でも、あらためて男声合唱となると、なかなか構えてしまって筆が進まない。そうこうしている内に、とても新しい作品を書き下ろす余裕がなくなってしまった。
団内指揮者のSさんは、
「既成の曲のアレンジでもいいですよ」
と言うので、よく考えたら、ああ!あったあった!昔、新町歌劇団のために作った合唱組曲「アッシジの風」を男声合唱用に編曲出来ないことはないな。なんだか、バッハが自分の作品をパロディにするのと似ている。
 ただハードルがある。この曲は、もともと新町歌劇団の混声合唱と、ソプラノ歌手の中村恵理さんのために書かれた曲だ。特に終曲の「アッシジの聖フランシスコの平和の祈り」は、今はミュンヘンのバイエルン国立歌劇場専属歌手で大活躍している中村恵理さんの魅力が最大限に引き出されている。それを今更、ソロなしのしかも男声合唱団用に編曲出来るものなのか?しかも歌詞はイタリア語なのだ。僕がイタリア語で書いた初めての曲。
 まあ、そこは、僕が大尊敬するバッハ様を習って、あたかもそのシチュエーションのために書き下ろしたかのように上手にやらなければならない。ということで、編曲にとりかかってみた。

 「天にまします我らが父よ」で有名な「主の祈り」は、お祈りの文句という常識から思い切って離れて、洒落たタッチで仕上げた曲だ。ソプラノ・ソロとピアノだけのために書いたが、結構男声合唱でもイケる。これを仕上げて先方に送った。そのまま難関である「聖フランシスコの平和の祈り」に進みたいが、ここで一度中断して、締め切りがもっとシビアな別の曲の編曲をしなければならない。

 それは新町歌劇団のための編曲だ。新町歌劇団では、来年の夏にガトー・フェスタのラスクで今や全国的に有名なハラダ本店のホワイエでのコンサートを企画している。もうすでにこの「今日この頃」でも書いているが、ハラダは、もともと僕の家から歩いて5分くらいのところにあるパン屋だった。僕の子供の頃は、食パンにマーガリンやジャムを塗って2枚重ねにしてあるものを売っていたり、バターにマスタードを混ぜてハムをはさんだおいしいサンドイッチを売ったりしていた。それがある時からラスクが大当たりして大発展したのだ。
 そのコンサートで「沖縄コーナー」をもうけて何曲か沖縄の曲を演奏しようと思っている。新町ではすぐにでも曲が欲しいので、急いで仕上げた。まず、夏川りみさんの曲から「童神(わらびがみ)」と「涙(なだ)そうそう」を編曲した。編曲しながら、これはたとえば新国立劇場合唱団の文化庁などのスクールコンサートでも使えるなと思って、同時進行してふたつのバージョンを作っている。手前味噌で恐縮だが、ピアノ伴奏もかっこいいし、合唱部分も充実して、かなり良い出来に仕上がった。

 でもね・・・こういうと元も子もないんだけど・・・こうやって豪華な衣装を着せてみても、本当は夏川りみさんがひとりで歌うあの“うた”の力にはかなわないんだ。最近はいつも思考がそこに戻ってきてしまう。うーん、だからいいのかな?大きいもの、立派なものだけが良いのだという価値観では、本当の感動には到達しないからね。

 やさしいやさしい子守歌である「童神」では、もうすぐこの世の中に生まれてくる志保の子供に思いを馳せる。志保は、出産前の仕事が全て順調に終わって、あとは11月21日予定日の出産を待つばかりになっている。

天からのめぐみ
受けてこの星に
生まれたる我が子
祈りこめ育て
 早く会いたいなあ。志保の子供。どんな顔して出てくるんだろう?編曲の参考にするために夏川りみさんの歌をYou Tubeで見ると、子供をだっこするようなしぐさをしながら、慈しむように慈しむように歌っている。その暖かさに打たれて僕の目からは自然に涙が溢れ出る。気がつくと、
「かあちゃん・・・・」
と言っている。僕はハッと気がついた。子供の時、どんなにかお袋に愛されていたかということに・・・。僕は、どんなにか豊かなお袋の愛の中で育ったことか!

 「涙そうそう」は、逆に、失った愛しい人を想って歌う曲だ。これを聴くといつも愛犬タンタンを思い出して、やっぱり涙が出てくる。あれから随分時が経って、我が家にタンタンが居たというのも遠い思い出のようになっている。あの本当に悲しくて辛かった日々の胸の痛みも二重にも三重にもオブラートにくるまれている。
 では、「涙そうそう」を聴いて何故泣くかというと、もう悲しいからではない。そうではなくて、自分がいかにタンタンを深く愛していたかということに気づかされるからなのだ。そして僕たちの人生が、結局は、どんな素晴らしい業績を成したかではなくて、誰にどのくらい愛され、誰をどのくらい愛したか・・・それにつきるのではないか、と気づかされるからなのだ。

 音楽があらわせるものって、結局は愛なのだという結論に、編曲しながら辿り着いた今日この頃です。

年末は北海道
 毎年、年末にはスキーをしに白馬に行っている。でも今年は白馬には行かない。いくつか理由がある。ひとつは、いつも定宿にしているペンション「ウルル」が、すでに団体客でいっぱいになっていること。でもこれは別に決定的な理由ではない。宿はいくらでもある。
 もうひとつは、恐らく行くのが僕1人になりそうなのだ。志保は出産と育児で、何泊もしてスキーしているどころではないし、杏奈も働き出したところで突発的な仕事がどんどん入ってきているところなのだ。妻はもともとスキーには興味なし。
 一方僕は、読響の第九が25日までなので、いつもの年より1日早く仕事納めになる。そこで・・・・うふふふふ・・・・決めたのだ。北海道に行く!いろいろインターネットで調べてみたら・・・・ANA(全日空)のパック旅行で安いのが見つかった。航空運賃と札幌駅前のホテル朝食付きで4泊分全部合わせて、なんと\42.300ですよ-!みなさーん!
 おっとっと・・・なんだか声がジャパネット高田の社長のようになってしまいました。ヘタをすると白馬に行くよりも安いくらい。まあ、リフト代はついていないのだけれどね。ということで即申し込んだ。
 この前の冬、新国立劇場合唱団の文化庁のスクールコンサートで、札幌駅前のホテルに泊まって、そこからスキー場に通ったろう。それで勝手が分かったってわけ。あの時は、朝から午後までコンサートのリハーサルと本番があったから、ナイター・スキーを中心に考えて、夜10時まで営業している盤渓スキー場に行ったけれど、今回は朝からまるまるスキーだけのために使えるので、もっと雄大なテイネ・スキー場とかに通うつもり。札幌駅から直通バスが出ている。あの北海道のパウダースノウの中で滑ると、やっぱり全然違うのだよ。

 それで白馬だが、2月に行くことにした。年末はかき入れ時でスキー場もいっぱいだし、角皆君達も大忙しだけれど、それが過ぎるとスキー場は一段落するのだ。最初の年にその時期に行ったので分かっている。そこで角皆君を一日独占してたっぷり個人レッスンを受けるのだ。北海道で馴らしてからレッスンを受けたら上達間違いなし!

 先日まで水泳に足繁く通い、石垣島でシュノーケルなんてやっていたのに、もうすぐスキー・シーズン到来だ。時の過ぎ去るのが最近早すぎる。目が回る。追いついていかない・・・って言うのは冗談だけれど。早いのは本当だ。年が明けて3月が来ると59歳になる。その次の2015年には、な、な、な、なんと還暦だ!みなさん、覚えているだろうか、還暦モーグルを誓った日のことを。ま、モーグルはともかく(ジージには無理です。怪我したくないからね)、コブにはチャレンジしているよ。その意味では一応初心貫徹をめざしているのだ。

水泳レッスン
 だけど、水泳も続けているよ。まさに今日だけど、11月4日月曜日は、久しぶりに塚本恭子先生のレッスンだった。またもや今日も目から鱗が数知れずボタボタと落ちた。水泳の場合、問題は大抵、力み過ぎか抵抗を自分で作ってしまうことにある。本人は頑張りが足りないと思っているのだが、頑張りが足りないと指摘されることはまずない。
 水泳に特に顕著に見られることとして、外側から型だけ見て真似しても駄目というのがある。その間に水の中で何が起こっているかと見落としたり、筋肉が実際のところどう動いているのかを見落としやすいからだ。
 やはり第三者の眼から見て直してもらわないと難しい。その点、塚本先生の眼は天才だと思う。彼女は僕の泳ぎから何が足りないか探し出し、それをいろいろなエクササイズを通して改善していく。結果的には「同じような」動きにはなるのだが、その実、全く違うものになるのだ。

 たとえばこういうことがある。レッスンの最後の方で平泳ぎを教わった。ブレスをするために頭を上げなければと思って僕は頭を上げていた。でもそれでは体が斜めになって足が下がってしまい、次の足キックの角度が悪くなってしまう。これを、
「足の角度をなるべく水平にして」
と言うのは簡単なのだが、塚本先生は決してそんな風には言わない。こう提案する。
「掻いた後、手を前に戻す時に、自分の胸の前に『こんもり盛り上がった水のかたまり』があるイメージを持って下さい。それを手でなぞるような動きをするのです」
 そしていくつかのエクササイズをする。すると、手の動きに誘導されて頭が自然に水から上がってくるのだ。これだとストリームラインを崩さずにブレスが出来る。こういうのって本当に楽しい。
 僕もこういう教え方をめざしているからためになる。合唱団の音程が下がった時に、
「音程が低い!」
と言って何度も何度もやり直しさせる指揮者をよく見るが、こんなのは愚の骨頂だ。塚本先生のように「胸の前のこんもり盛り上がった水のかたまり」的なサジェスチョンが出来て初めて良い指導者と言えるのだ。
 僕にとって、塚本先生に教えてもらうまでは、水泳って何度も同じところを行ったり来たりするだけの退屈なスポーツであった。それがこれだけ奥の深いものだと教えていただいたことに感謝したい。

メンテナンス
 人は病気になると医者に行く。診察代も薬代も安くないし、大病院での待ち時間の長さも馬鹿にならない。でも、一度病気になるとそれらの費用も時間も有無を言わさず要求される。それは仕方のないことだというのが常識である。誰もこれを浪費とは呼ばないし、無駄遣いだととがめる人もいない。
 ならば、その病気にならないために、あるいは医者にかからなくて済むように、自分の身体のメンテナンスに費用や時間を費やすのも浪費ではないだろう。しかもそちらの方が断然楽しいのである。

 そうさ、まだまだ指揮者としてやることはあるんだ。そのための資本として、体は大切にしたいんだ。



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