じいじのしあわせ

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

河原杏樹です、よろしく!
 とうとうおじいちゃんになりました。ちょうど30年前、僕は、妻から生まれ出た志保を見ながら、“父親”という、これまで全くイメージ出来なかった新しい感覚が自らの中に芽生えるのを感じていた。今、人生の晩秋にさしかかる僕が、今度は“おじいちゃん”という新しい感覚を得ている。しかも今度のこれは、この歳にならないと味わえないことだからね。長生きはするもんだ。

 出産予定日から一週間後の11月28日に日付が変わったばかりの深夜の1時半頃、志保から電話が来た。破水したという。妻が急いで出て行った。でも3時前には帰って来た。まだ陣痛が始まっていないので、とりあえずエネルギーを温存するために、一度帰って寝ていなさいとのこと。
 こんな時、病院だったらすぐに陣痛促進剤を打つだろうに、助産院はあくまで自然に任せるのだ。陣痛促進剤の投与は医療行為になるので、助産院では無理という理由もある。「破水したら陣痛促進剤」というのが常識になっているけれど、志保のようにすでに月が満ちている場合、順番が逆になっただけで、いずれ陣痛が自然に始まることが多いという。案の定、明け方から陣痛が始まった。

 一方、僕は先週は特に忙しかった。トリノ王立歌劇場のヴェルディ・レクィエム演奏会に、新国立劇場合唱団から35名エキストラで出演するために、水曜日から毎日午前中練習していたのである。
 28日も10時半から練習。そして夜6時半から「ホフマン物語」公演初日である。午後の時間が空いていたので、僕は午前中の練習を終えると、京王線に乗り、府中駅の駐輪場から国分寺にある矢島助産院まで自転車を飛ばした。まるでバイクのような速さで!

 助産院に着いて扉を開けると、中からうめき声が聞こえてきた。かわいい娘がうめいている!一気に僕の心にズンと重いものがのしかかって来た。お産というものは、やはり人生においてただならぬものなのだ。
 中に入ると、苦しんでいる志保の姿が眼に入ってきた。いたたまれない気持ちになる。よく言われることだが、出来ることなら代わってやりたいと本気で思った。妻が志保の手を握っている。助産師さんが二人、志保の背中をさすったり、一緒に声を出したり、励ましたりしている。院長の矢島床子先生もいる。その彼女たちのかいがいしい姿に感動した。
 勿論、お産の苦悩は誰も代わってあげられない。それは、志保がひとりで引き受けなければならないことであり、彼女が耐えなければならない。でも、側にいて見つめてくれる存在があるって、なんて心強いことだろう。しかも助産師さん達はこうやって数え切れないほどの妊婦のお産に立ち会ってきた百戦錬磨の女戦士達なのだ。なんて頼もしい!

 少し遅れて夫のトミーノが来た。実は、彼はトリノ王立歌劇場に通訳として携わっている。今日は「仮面舞踏会」のゲネプロ。通訳を他の人に代わってもらってやって来たが、次の場面までには戻らないといけないので、1時間半くらいしかいられない。4時には出ないといけないという。
「うーん、4時は厳しいかも知れませんね。もうちょっとかかるかも・・・」
と矢島先生は言いにくそうに言う。別に、それまでに産ませて下さいなんて誰も頼んでないからね。
 陣痛はどんどん強くなって、いきもう押しだそうとする力もどんどん強くなってくるが、まだ充分に子宮口が開いていないので、助産師さん達が、
「力を抜いてね。はい、ゆっくり息を吐いて!」
といいながら、いきむ力を逃がそうとする。
「痛いよう!いたーい!」
と叫びともうめきともつかない声に、僕の体も一緒に力が入る。痛みが収まるとそのまま志保は寝入ってしまう。今まさに全力を尽くして人生最大の難関に立ち向かっている。

 トミーノが助産院を出なければならない4時がだんだん近づいてきた。矢島先生は、
「すごく順調に進んでいるから、もしかしたら間に合うかも知れないわ」
と言う。エッ、嘘でしょう?
ところが、本当に間に合っちゃったんだな、これが。頭が出てきた時、妻が叫んだ。
「うわあ、志保!髪の毛真っ黒だよ!」
矢島先生が叫ぶ。
「さあ、今こそいきむ時よ!頑張って!」
志保は全身の力を振り絞っていきむ。
「もう一息!」
しだいに頭が出てくる。それから肩。胴体。最後はあまりにもあっけなく足がするりと抜けて出た。
「やったあ!生まれた!」

 ところが動かない。一同固唾を呑む・・・・沈黙・・・・次の瞬間、体がピクッと動き、オギャアともヘヤアともつかない声を上げた。同時にゲボッという感じで口から少量の水を吐いた。産声はかつての志保の時のようにフォルテではなくメゾピアノ。でもすぐにクレッシェンドしてフォルテになった。みるみる肌の色が良くなってきて、最後にはバラ色になった。
「ふうーっ!」
気がついたらトミーノが泣いていた。勿論僕も。
 助産師さんが車を出してトミーノを待っていてくれた。
「お父さん、乗って下さい!」
「ありがとうございます!」
こうしてトミーノは娘の誕生を見届けてから仕事に戻って行った。国分寺を4時7分の特別快速に乗り、東京文化会館をめざして。
 トミーノが出て行ったのを見届けてから矢島先生がしみじみ言う。
「奇蹟だわ。これは。本当に奇蹟だわ!いいお産だったわ!」

 赤ちゃんをきれいにして体重を量った。赤ちゃんが動くので、秤は2995を指したり3005を指したりしていたが、やがて3000で止まった。
「あら、3000グラムちょうどだ」
と助産師さんが言う。それから産着にくるんで志保のところに持って行った。僕も一緒に部屋に入った。


誕生直後


 お産って不思議だ。さっきまで、阿鼻叫喚という感じであんな瀕死の重病人のようだったのに、まるで嘘のような静寂が支配している。志保のまわりには、大事業を成し遂げた安堵感と虚脱感が漂っている。疲れ果て消耗し切っているに違いないのに、志保の顔は晴れ晴れと輝いている。その姿に胸を打たれた。よくやった、勇敢で神々しく美しい我が娘よ!
 僕は志保に向かって言う。
「よく頑張ったね。偉かったね」
「うん、マジ死ぬかと思った。この世のものとは思えない痛さだった」
「3000グラムだってよ」
「一週間遅れた割には、大き過ぎなくてよかったね」
 助産師さんが志保のおっぱいを触っている。
「あっ、お乳が出てきた!昨日までは何でもなかったのに不思議だ!」
「飲ましてみましょう」
赤ちゃんがおっぱいに吸い付く。
「わっ、凄い力で吸っている!」


おじいちゃんですよう


 赤ちゃんは、河原杏樹(かわはら あんじゅ)と命名された。angeアンジュはフランス語で天使を意味する。実は生まれる前から、女の子と分かった時点でこの名前はつけられていたが、超音波の場合、最後の最後まで100パーセント確実ではないので、みんなには知らせないでいた。
 でもね、先週piccolina(ちびっこ)と書いていたろう。イタリア語の分かる人にはピンときたと思う。何故なら語尾で男か女か分かるからだ。男の子だったらpiccolinoだからね。ということで地味にネタバレしていたのです。


次の日ぷにぷに


 お産ほど神秘的なものはない。これほど同時多発的にいろんなことが起こり、それらが互いに機能し合うものもない。特に、へその緒を経由した酸素や栄養分の供給から、呼吸行為に変わる瞬間などは、驚異のメカニズムだ。それだけに、ひとつでもうまく機能しないとただちに命にかかわる。
 胎盤が剥がれる瞬間も危険が伴うという。考えてみると、血液が混じり合う高度なメカニズムを持つ胎盤が剥がれるというのは、ある意味母親の血管がパックリ開く瞬間でもある。この時に大量出血をして、場合によっては亡くなる母親もいる。
 だから病院の方が良いという人の気持ちはよく分かる。矢島助産院ではすぐ近くの土屋産婦人科と提携していて、何かあったらすぐに搬送できる体制は取られているが、命に関わる事態が起こって、一刻も早い対応を求められた時に、どれだけの迅速な処置が可能なのか疑問に思う人もいるであろう。
 それでも僕は確信する。助産院全般についての議論は置いておいて、少なくとも矢島助産院で出産して良かったと思う。あの助産師さん達の志保への手厚い看護を見ていただけで胸が熱くなるほどである。なんと人間的なお産が出来たのだろう!そして、志保が自然分娩を貫いてお産が出来たことは、なんと素晴らしいことであったろう!会陰切開もしないで済んだ。第一裂傷も出来ずに済んだ。初めて知ったけれど、必ず裂けるわけではないのだね。それなのにあらかじめ切開するのは、取り越し苦労というものではないか?
 案外、心配するよりも、我々は動物的なのだ。勿論、そういつもうまく行くわけではない。医療の助けを借りなければならない場合も少なくないので、帝王切開をはじめとする医療行為に否定的なつもりは全くない。
 ただ、自然分娩した後の志保を見ていると、回復が驚くほど早い。いろんな意味で、自然で出来るものは下手に手を加えない方がいいような気がする。医療は、自然をさておいて自らが前面に出るのではなく、自然をサポートするという謙虚さを持つべきではないか。

 街で妊婦さんを見ると、
「ああ、これから大変な思いをしてこの子を出すのかなあ。頑張って欲しいなあ」
と思うし、子供を抱っこして街を歩く女性を見ると、
「この子も、あの偉業を成し遂げたのだなあ。これからも頑張って育てていって欲しいなあ」
と思う。


母性


それにしても・・・女性は偉大だ。
男がどんなに頑張っても、かなわないものを女性は持っている。
ひとつの命をはぐぐみ、産み出し、育てることの偉大さ!
僕は声を大にして言いたい。
全ての男は、女性の出産するところを見るべきだ。
そうしたら、この世から戦争はなくなると思う。
何故なら、出産に触れたなら、誰だって、すべてのいのちをいとおしみ、すべてのいのちがかけがえのないものに思えるようになるから。
外国人のいのちも、敵のいのちも、違う宗教のいのちも、白人のいのちも、黒人のいのちも、しょうがいを持つ人のいのちも。
そう、全世界の命は、みな等しくとうといのである。
これが58歳の僕の悟り!

最後に・・・。

今、とってもとってもしあわせ!
杏樹ちゃんは、目の中に入れても痛くないほど可愛い。ヤベエ、マジかーいい!
ジジ馬鹿だねえ。
文句あっか!


三日目の朝


トリノとの合同ヴェルレク
 11月30日土曜日。トリノ王立歌劇場特別演奏会ヴェルディ・レクィエムでは、我が新国立劇場合唱団は大奮闘した。トリノ側は73人、我々のエキストラは35人で、合計108人の合唱がサントリーホールに響き渡った。

 新国立劇場合唱団だけによる合唱指揮者クラウディオ・フェノーリオの稽古の日には、トミーノが通訳で現れた。合唱団員達は、
「ああ、こいつが志保ちゃんの夫か」
とにやにやしながら見ていた。
 クラウディオとはtuで呼び合ったが、彼は新国立劇場合唱団のレベルの高さにびっくりしていた。彼は、帰り際に通訳のトミーノに向かって、
「これで、サンクトゥスとリベラ・メは、何があっても崩壊しないで済むな」
と言っていたという。
 
 指揮者のジャナンドレア・ノセダによる合同の練習になった。僕は新国立劇場合唱団のメンバー達に、
「まずは、フルボイスで歌わなくてもいいから、彼らのタイミングや声作りに合わせること」
とアドバイスする。
 さすがベルカントの国で、声は素晴らしいのだが、トリノの合唱団は、やはり予想した通りアインザッツもテキトーで、音程もぶら下がり易い個所ではまんまとぶら下がる。ほっておくとピアノも気持ちの良い声で歌ってしまって、いつもメッゾフォルテくらい。パワフルだがデリカシーに欠ける。この点はスカラ座合唱団とて同じ。
 そんな彼らに、我らが新国立劇場合唱団員達は必死で合わせようと努力している。
「もうたまりません!後ろから凄い音程が聞こえてきます」
「明らかに遅れて入っているんですが、それでも合わせないといけないんでしょうか?」
「まあ、まてまて。明日のゲネプロまで彼らの呼吸を読むこと」

 ゲネプロが終わってから本番までの間に、僕はみんなを集める。
「みんな、オケのタイミングも彼らの呼吸も分かったね。では、これからが僕達の出番だ。サンクトゥスとリベラ・メのテンポは僕達が仕切ること。それから行けるなと思ったら思いっきりアクセルをふかしてよい。音程もきちっと決めること。みんな、頑張りましょう!」

 本番では、指揮者のジャナンドレア・ノセダは、サンクトゥス、リベラ・メの両方ともゲネプロとは全く違うテンポで振り始めた。恐らくトリノの合唱団だけだったら、間違いなく崩壊していただろう。でも、彼等は恐らくそれを崩壊とも思わないだろう。
 演奏は、トリノでもシンコクでも成し得なかった、まさに奇跡的な演奏であった。パワフルでデリケートで、情熱的で、そして知的な演奏。ノセダ氏は僕に向かって、
「本当に良い仕事をしてくれた。私は実に満足している」
と言ってくれた。

 でもなあ・・・日本人の聴衆の中には、高いお金払って“イタリアの”ヴェルレクを聴きに来たのに、中途半端に日本人が入ってオーセンティックなイタリアがゆがんでしまった、と思っている人も少なくないかも知れない。
「あのユルさがイタリア的なのだ。それが“ヘタに日本人的に”合ってしまった」
と思っている人もいるだろう。そうした人達に、この演奏の稀有なる価値は届くのだろうか?
 勿論、我らが新国立劇場合唱団だけでも、あそこまで登り詰めなかっただろう。彼らのベルカントの能力も決してあなどれない。一方で、トリノの合唱団が108人でこの演奏会をやっても、いつものルーティン・ワークの延長でここまで燃えなかったに違いない。
 双方が、よい意味でのライバル意識を燃やし、本気と本気でぶつかり合ったからこそ成し得た快挙だ。だからこそ、今後はこうしたコラボレーションがどんどん行われることを望む。
 演奏後、僕は通訳のトミーノと一緒に中央線に乗り、可愛い杏樹ちゃんに逢いに行きました。トミーノのお母さんのとよしま洋さんが来ていて、満面の笑みをたたえて僕達を迎えてくれました。

パソコンが直りました
 電源が壊れてパソコンが立ち上がらなくなってどうしようかと思ったが、なんとか直った。正確に言うと、壊れたパソコンを放置して、妻のパソコンに乗り換えたのだ。マザーボードが違うのに、僕のハードディスクを入れて無理矢理起動させた。その後、ハードディスクにマザーボードのドライバを入れたら、拍子抜けするほど順調に動いて、見かけこれまでの僕のパソコンのままになった。スペック的にはこれまでのよりやや劣るが、むしろ起動も早くなり、エラーも出なくなって快適そのもの。
 ふうっ、よかった!もうXPなんてどこも扱っていないし、Windows8とかにしたら、自作している僕はソフトを全部買い直さなければならないのだ。まあ、次に壊れたら腹を決めて全取っ替えするしかないな。その前に、まめにバックアップだけは取っておこう。でもねえ、バックアップを忘れた頃に、こういうのは壊れるのだ。
ともあれ、よかったよかった。



Cafe MDR HOME


© HIROFUMI MISAWA