モテットCDが準特選

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

モテットCDが準特選
 6月に、秋川きららホールに2日間閉じ籠もって録音を行った、東京バロック・スコラーズによるバッハ作曲「モテット集」のCDが12月1日にようやく発売した。そのCDは、雑誌「レコード芸術」で取りあげられ、しかも・・・しかもですよ・・・なんと準特選に選ばれたのである。

 僕は、東京バロック・スコラーズを立ち上げた時に、
「この団体で最初にCDを作るとしたら、それはモテット集です」
と言っていたくらい、モテットにこだわっていた。
 バッハの音楽の素晴らしさを語る人は多いが、彼の言葉へのこだわり、あるいは言葉と音楽との関わりへのこだわりに注意を払う人は少ない。でも、たとえば「マタイ受難曲」は突然生まれたわけではない。バッハの声楽曲では、一見非声楽的な音楽処理がされているように見えるが、実はどの作品ももの凄く濃厚なテキストへのアプローチが見られるのだ。その最も凝縮された音楽形式がモテットである。
 このモテットから、ドラマという方向性に向かった終着点に「マタイ受難曲」及び「ヨハネ受難曲」があり、より抽象的あるいは瞑想的な祈りの境地に向かった終着点に「ロ短調ミサ曲」がある。モテットはバッハの全声楽作品の中心点に位置し、全ての作品をつないでいる。だから僕はモテットにこだわり続けるのである。

 「レコード芸術」での批評では、モテットの表出性を評価していただいて嬉しかった。教会的ではないという意見もあったが、同時に全ての音がクリアに聞こえるという意見に、我々の演奏とこの録音の特徴が正しく理解された証が見られる。
 演奏にこだわったのは勿論だけれど、録音及び編集にもこだわった。僕が全面的に信頼を寄せているミキサーの土肥昌史(どい まさし)氏にも、いろいろ注文をつけさせてもらった。まず、ジャズのブルーノート盤ではないかと思うくらい、ダブル合唱のパン(定位)を左右に大きく広げて、中央にオルガン、チェロ、コントラバスを配置した。合唱と器楽演奏あるいは合唱の内部のバランスにもこだわりまくった。まあ、音程のこととか、指揮者の耳で気になり出したら、完璧でないところはいくらでもあるのだが、今回は音程にだけは手を入れていない(笑)。
 本当は、最近のデジタルの技術では音程さえ修正出来るのだ。でもね、それをやり始めてしまうときりがない。気が付いたら、まるでCG合成のように不自然なものになってしまって、本当に東京バロック・スコラーズだかなんだか分からなくなってしまう。しまいには、これだったら初音ミクでもいいか、なんて状態にもなりかねない。やっぱり、どんなにスタジオ録音といえども、生の臨場感から決して逸脱してはいけない。
 最後に同じモテットの中の曲間の時間(ギャップサイズ)に徹底的にこだわったりしたので、発売がここまで遅れたともいえる。でもねえ、せっかく作ったのだから、納得のいくものを作らないと後悔が残ってしまうからね。

 土肥さんと編集のやり取りをしている最中は、送られてくる音声ファイルをずっとシビアな目で評価し、ここが足りない、ここが不満足だと注文をつけていたが、今回出来上がったCDを、一歩引いてお客様目線でゆったり聴いてみた。うん、手前味噌だが、悪くないと思った。少なくとも、月並みな特徴のない演奏ではなく、紛れもなく自分の音楽だ。
 これを自分の名刺代わりに紹介してもいいな。東京バロック・スコラーズもよく頑張った。それにしても、あの録音の二日間は、疲れたけれど得難い楽しい思い出だ。これをみんなで作り上げたのだからね。

 ええと、ここまで紹介したのだから、このMDR経由でも売ることをなんか考えましょうかね。コンシェルジュとも相談しますから、ちょっと待って下さいね。

天皇皇后両陛下ご臨席の第九
 12月19日木曜日サントリーホール読響第九演奏会。いつものように開演のベルが鳴って聴衆が客席に着く。合唱団が入場し、ついでオーケストラ楽員が入ってきて順次勝手に音を出し始める。コンサート・マスター入場。チューニング。その後指揮者が入場するはずである。今日は日本テレビが演奏を収録する。しかし、カメラがあらぬ方向を向いている。
 突然、客席から向かって右側2階席にライトが灯る。聴衆一同、何だろうと思って見る。ざわめきが広がる。天皇皇后両陛下の入場である。「うわあ!」とも「キャー」ともつかない声があちらからもこちらからも聞こえた。会場の空気が一変する。拍手が雪崩のように巻き起こる。周りの人達が拍手しながら次々と立ち始める。な、なんだ、なんだ、このスタンディング・オベイションは!
 ライトのせいばかりではない。席に辿り着いて直立し、みんなに手を振る両陛下の姿は輝いていた。美智子様はまるで女神のようだ。なんという美しさ!なんというオーラの強さ!その横に天皇陛下が立っておられる。やや背中が丸まっているが、やさしく柔らかいオーラが出ている。生涯において“見られる”ということを生業としてきた、その毅然としたたたずまいに圧倒された。やばい!なんだか知らないけれど、うるうるしてきた。

 やがて指揮者のデニス・ラッセル・デイビス氏が入場し、第九の演奏が始まった。その日の第九は、これまでの僕の生涯の中でも特別のものであった。要するに何もかも違ったのである。きっかけは両陛下のご臨席だったかも知れないけれど、両陛下にさらわれてしまったわけではない。むしろ逆だ。読響と新国立劇場合唱団は、その空気を受けて演奏に反映させた。その結果、泣きたいほど澄み切って清らかで、静かで穏やかで、それでいて熱狂的な第九という希有の演奏が実現したのである。

 これを言うと、キリスト教徒としてはまさに国賊的な発言かも知れないが、あえて言おう。日本という国は、ある意味やはり神国なのではないかと僕は思った。天皇という存在は、日本国民にとって必要不可欠なのかも知れない。現人神(あらひとがみ)とまで言うのは言い過ぎかも知れないが、普段「自分は無神論者です」などと言う人があんなに多いのに、両陛下登場の瞬間、日本人はあそこまで従順になれるのを見て、僕は確信を持った。
 何かに懐疑的であったり、批判精神というものは近代的精神には必要なものだ。しかし同時に、人間にとってもっと必要なものとは、“信じる”“崇める”“ゆだねる!という肯定的な精神だ。西洋人にはキリスト教という絶対的な肯定的精神の基盤があるから、逆に徹底的に批判的であっても人格が崩壊しないのである。
 僕は、現代の日本人にはこの肯定的精神が欠如しているのかと思っていた。しかしそうではなかったのだ。無意識の領域に入ってしまっているけれど、れっきとして存在しているのだ。それどころか、日本人ほど信仰深い国民はないのかも知れない。

 不思議なのは、第九が、両陛下ご臨席と何の違和感もなく同居出来たことだ。第九という作品には、他の音楽作品にはないものがある。民族を越えた人類愛をうたったシラーの詩に曲がつけられたということだけではなくて、歓喜を歌いながらも、厳粛に祭事を行うがごとき雰囲気がある。それが日本神道ともマッチしている。さらに、今回の指揮者デイビス氏の音楽作りも、プラスに作用した。

 デイビス氏の音楽作りには、最初ちょっととまどった。まず、テンポがゆったりしている。それとイケイケムードがない。でも、オケ合わせになって驚いたのは、オケが良い意味で力が抜けていて、弦楽器などはハッとするほどまろやかな響きをしている。
 そこで僕は、合唱団を集めて、開口一番こう言った。
「みなさんは、ブレスが足りないとかいろいろ思っているかも知れないけれど、僕はこの演奏、案外良いと見た。マエストロは一番有名な練習記号Mの個所などについて、コラールのように演奏させたがっているのだ。あとは我々次第だ。マエストロの音楽的路線は、我々の実力を最大限に引き出してくれる可能性を持っている。いいかい、決して頑張ってはいけない。第九を『祈りの音楽』だと思うこと。横の流れを失わずに、カンタービレな演奏をめざすこと。それでいて、言葉は噛んで含めるようにきちんと発音すること。第九でそれを成し得るためには、プロの確固たるテクニックが不可欠なのだ。我々にしか出来ない第九をやるのだ!」
そして我らが新国立劇場合唱団は立派に成し遂げてくれた。このデイビス氏の音楽作りが祈りの音楽を指向してくれたからこそ、両陛下ご臨席にふさわしい演奏になったのは間違いない。
 Mの個所の弦楽器の8分音符は、通常だと機関銃のように聞こえるけれど、まるで新雪の上をふわりふわりと滑っていくようなしなやかさをもって響き渡る。その上に決して力まない新国立劇場合唱団のコラールが聴かれる。勿論フォルテであるが、限りなく静かな祈りがそこにある。オケも合唱も最高の技術を持たないと決して達成することが出来ない極上の味わい。

 日本人って本当に不思議な民族だ。韓国では国民の半数がキリスト教信者になっているけれど、日本人はわずか1パーセントを決して越えないといわれている。戦国時代には一割くらいまでいったそうだが、キリシタン弾圧のモチベーションには、政治的に脅かされるということよりも、むしろ日本人としてのアイデンティティーの危機感があったのではないか。その背景には、神道の神々の力を無視できないのではないか。
 僕は、クリスチャンでありながら、もし韓国のように日本人の半数がキリスト教徒になって、神棚も仏壇もなくなってしまったら嫌だなという気持ちがある。年末に群馬の実家に帰って神棚を掃除するのは、毎年の欠かせない行事となっているし、大晦日にカウントダウンして新年になった瞬間に、コップに満々とついだ水を神棚に捧げるのは、何があっても行われるべしと思っている。これって、なんなんだろうなと自分でも思うよ。でも、理屈じゃないんだよなあ。
 以前、黛敏郎作曲歌劇「古事記」を上演した時、終幕で、日本民族の先祖であるニニギノミコトが、一族を引き連れて天界から地上に下っていく天孫降臨の場面を演じていた。僕は、それを見ながら胸に熱いものが込み上げていた。自分が紛れもない日本民族の一員である自覚を持っていることに自分で驚いたりもした。他の合唱団員や見に来て下さった聴衆達の何人もが口々に同じ事を言っていた。

 第九が終わって楽屋に戻る途中や、帰り際に新国立劇場合唱団のメンバーに会ったら、みんな今日の演奏が特別だったことを肌で感じていたようだ。
「あたし、両陛下が入場してきた瞬間、涙が溢れてきました。隣で(ソプラノの)Fさんなんかボロボロ泣いてました」
こんな特別な日があるから、音楽家はやめられない!

我が輩は猫である
 電車の吊り広告にキンドル(電子書籍)の宣伝があった。
「吾輩は猫である。名前はまだない」
という夏目漱石の「吾輩は猫である」の冒頭が、キンドルの中に表示してある。それを見ていたら、ちょっと読んでみたくなったので、家にあるキンドルからダウンロードした。 そしたら、なんとタダで入手出来た。同時に本屋で新潮文庫の同じ小説を買って、状況に応じて本で読んだりキンドルで読んだりしている。そのたびに、
「ええと、どこまで読んだっけな?」
とページをめくったり、キンドル・ファイルを前に送ったり、ややこしくて仕方がない。

 僕は、辞書も、電子辞書は使っているものの、家では紙の辞書を使っているし、読書に関しては、これまで当然のごとく紙の本派であった。親友の角皆優人君がキンドルでしか本を出さないので、キンドルを購入してみたが、角皆君の本以外には積極的には使っていなかった。
 でも、今回「吾輩は猫である」で両方比べてみると、案外両方に良いところがあることが分かってきた。たとえば、満員電車の中ではキンドルの方が圧倒的に読みやすい。なんといっても片手で済む。複数の本を入れていてもかさばらなくてコンパクトなのは電子辞書も一緒だが、スクリーンが眼が疲れない構造になっているのがいい。
 でもキンドルの一番の欠点は、今自分が小説全体の中でどのくらいまで読んだのかなというのが、紙の本のように即座に体感できない点だ。それに、たとえば前に読んだ箇所をちょっと読み直したい時、
「ええと、この登場人物って・・・どういう人だったけかな?」
と、前の方をペラペラっとめくって見ることはキンドルでは出来にくい。

 「我が輩は猫である」は、中学校の時に我慢して最後まで読んだ思い出がある。その時は、何が面白いのだかさっぱり分からなかった。今、あらためて読み返してみると、いろんなことが分かる。
 まず文章が簡潔で素直。短くて、ひねくりまわしたりしないのがいい。それに、この小説は、なんというユーモアに満ち溢れていることだろう。電車の中などで思わず「あはははは」と声に出して笑ってしまいそう。顔がにんまりしているのを他の乗客に見られると恥ずかしいものがある。
 ただ、ストーリーはないに等しい。猫のご主人である苦沙弥(くしゃみ)先生の生活ぶりや交友関係の描写がだらだらと続くだけである。絶対にオペラ化は無理だな。どこから読み始めても面白いが、逆にどこでやめてもよい。中学校以来結末も知っているので、最後まで読み切らないかも知れない。それでも差し支えない。でも、そういう小説って、小説としてどうよ?

今日この頃
 12月20日金曜日。今日は次女杏奈の誕生日。妻と杏奈を池袋の東京芸術劇場の第九に招待した。7時から始まって8時半にホールを出るが、その後、久しぶりに恵比寿にあるフレンチ・レストランのエピに行って食事。ブルゴーニュ・ワインを飲みながら、フォアグラを乗せたステーキをほうばる。

 食事が済んだらもう11時を過ぎている。妻は、今夜はエピから遠くない杏奈のアパートに泊まりに行く。僕は彼女たちと別れて、国立方面に向かう。行く先は家・・・ではなくて、志保の家。今晩は夫のトミーノが泊まりの仕事なので、志保がひとりでは淋しかろうと、僕が志保のところに泊まってあげることになっている。新生児をかかえた志保は、エピにも行けないので気の毒なんだ・・・とかなんとか言っちゃって、要するに杏樹ちゃんに会いたいのさ。
 国立に着いたらもう深夜の0時を回っていた。タクシーに乗ろうと思ったら、もの凄い人が並んでいる。へえ、こんなこと最近では珍しいな。さては景気が上向いてきたのか。おっとっと、これは歩いて行くしかないな。
 というので、超深夜に杏樹ちゃんを訪問する。杏樹ちゃんは起きていた。僕が抱っこしていたらもの凄い音を立ててうんちをした。そんな時の杏樹ちゃんは、妙に眼を開いて、
「やっちまいました!」
という顔をする。
「さあ、子供は早く寝ましょう!」
もう充分遅い。


うんちやっちまった顔


 翌朝21日土曜日、僕は7時半に起きて、そのまま志保の家を抜け出す。散歩がてら歩いて家まで向かう。その途中に、大学通りとさくら通りの交差点に「おはしカフェ」があるので、そこでゆったりと朝食をとる。
 それから家に帰って、メールをチェックし、細々とした仕事を片付けると、また家を出て池袋に向かう。読響第九の4日目である。今日は土曜日なので午後2時から。両陛下ご臨席で勢いがついて、今年の新国立劇場合唱団の第九の出来はすこぶる良い。美しくてパワフルである。
 3時半に終了。東上線で北朝霞に向かう。夜には志木第九の会の練習があるが、その前にわくわくドームでひと泳ぎした。僕のように忙しいと、こうやってゲリラ的に時間を稼がないと、とてもプールなどへは行けない。4時過ぎに北朝霞に着いてタクシーで行く。もったいない気もするが、仕方ない。
 無心で泳いでいたら、わくわくドームに夕陽が差し込んできた。西の空が赤く染まっていて、上空の雲がまぶしいほど金色に輝いている。一方、地上の街は、すでに闇の準備を始めている。ふと魔に取り憑かれそうな“かはたれ時”の風景に、なんとなく身がぶるっとしてきたので、もう無心になるのはやめて、トータルイマージョンのエチュードをいろいろやってみる。それからジャグジーのお風呂に「ああ、こりゃこりゃ」という気持ちで浸かってから、帰りは徒歩で北朝霞駅まで帰ってきた。それから志木第九の会の練習に行った。

 22日日曜日は浜松に行く。快晴で、途中の富士山が美しくて心が洗われた。浜松バッハ研究会では「マタイ受難曲」の練習。ちょっとクリスマス前にはムード的にそぐわないとも思ったが、「稲妻よ、雷よ」の難しい合唱をビシビシ絞めていたら、時の経つのを忘れた。

 さて、みなさま。今年の「今日この頃」はこの号でおしまいです。次は新年の1月6日に更新となります。僕は25日まで読響第九の仕事をし、26日から札幌でスキー三昧の日々を過ごします。それから30日に群馬に帰り、お正月を過ごします。

みなさんも、メリー・クリスマス!謹賀新年!良いお年を!



Cafe MDR HOME

© HIROFUMI MISAWA