僕の年末年始

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

素敵なプレゼント
 12月30日。札幌から羽田に帰る飛行機は着陸態勢に入って降下し始めた。降りしきる雪をかき分けて離陸した時と違って、関東平野は快晴。右側斜め前方では、山並みからくっきりと浮き出た富士山が、抜けるような青空の下で鮮やかな白銀の円錐形を光らせている。
 ちょっと目を閉じて10分くらいした後で何気なく見ると、真横に移った・・・あれっ?ちょっと形が違うぞ。ああ、そうか。あの丸みを帯びた形は浅間山だ!そのまま前方に目を向けると、先ほどと同じように富士山がある。浅間山と富士山がまるで兄弟のように一線上に並んでいる。幼年時代から親しんでいた活火山と、現在住んでいる街から毎日眺めることの出来る霊峰。地上から同時に見えることはほとんどないのでとても感動した。充実した旅の最後に、さらに飛び切り素敵なプレゼントをいただいた。

 往復の航空券&札幌駅前ホテル朝食券付き4泊のANAパック旅行は、経済的かつ快適であった。北国の街札幌は、大都会の機能を全て備えていて、駅構内だけでもショッピングやレストランをはじめ全ての用が足りる。ホテルには駅の地下からそのままつながって行ける。その一方で、駅前からは各スキー場への直通バスが出ている。まさに理想的環境である。
 僕は、ホテルのすぐ裏から毎日8時15分に出ているテイネ・エクスプレスを予約した。テイネ・スキー場のリフト券が付いていて、帰りはゲレンデ前から4時40分発のバスに乗ればいい。スキー場には約40分で着く。
 テイネ・スキー場がまた素晴らしい。山麓に広がる初級者コース中心のオリンピア・ゾーンと、山頂のハイランド・ゾーンのふたつのゲレンデに分かれている。特にハイランド・ゾーンは、迂回コース以外は上中級コースで、変化に富んだ様々な斜面を味わえる。ゲレンデからは、札幌の街や、反対に小樽方面につながる弓なりの美しい海岸線が見える。雪質は、前シーズンの2月の時ほどの超パウダーではなかったものの、やはり北海道ならではのものだ。


小樽方面の海岸線

われは“在る”
 着いた12月26日の午後は、食事で言えばオードブル。僕はJRで札幌から手稲駅まで行き、そこからJRバスに乗ってオリンピア・ゲレンデまで行く。ここで、事前に宅配便で送っておいた板と靴を受け取り、そのままナイター・スキーをして、次の日から始まるデイ・プレイへのウォーミングアップを行った。続く3日間は、テイネ・エクスプレスでホテルから直行し、ほとんどの時間をハイランドで過ごした。


ナイタースキー

 自分としては珍しく、最初の3晩はお酒抜きで過ごし、夜は宗教書を読んで早く寝た。実に禁欲的な日々であった。というと格好良いが、一日中夢中で滑った後、クタクタになってしまうので、次の日のために体力を温存することを考えたのだ。
 でも、こうも言える。今回はスキーだけしに来たので、全ての時間をスキーに捧げたかったのだ。だからクタクタになるまで滑ることにした。スキーとは僕にとってレジャーではない。何故かスキーに向かうと僕の精神は宗教的になる。
 スキーとは孤独なスポーツなので、嫌でも自分と向かい合うことを余儀なくされる。目の前にどんなに急なコブ斜面が広がっていても、滑り降りるのは他でもなく自分だ。恐怖心を感じるのも、その恐怖心を克服するのも自分だ。慎重に無理しないで滑ろうと思うのも、思い切ってアグレッシブに攻めようと決心するのも自分だ。滑っている最中にも自分がいる。どんな瞬間でも自分がいる。なにも意識していなくても、どんなに無心になっていても、自分というものはそこに“在(あ)る”。恐ろしいほどそれは“在る”。
 僕は時々デジャヴ(既視感)の体験をするが、スキーをしている時の自分は、いつもそのままでデジャヴの精神状態になっている。過去の自分が未来の自分の風景を見ているとかではない。変わらぬ自分が時空を超えて永遠にそして絶対的に存在している。その自分は、エゴイスティックな自己が完全消滅して、“在る”というエッセンスだけになった自分だ。意識だけの実体と言ってもいい。そうした覚醒にスキーは僕を誘ってくれる。僕は瞑想するためにスキーをする。スキーをしている僕は宇宙をつかんでいる。

スキーの本質
 と言いながら・・・矛盾するようだが・・・いろんなことを考えながら滑ってもいる。カーヴィング。外傾外向。反対に内傾。加重と抜重。ストレッチング・ターンとベンディング・ターン。クロスオーバーによる重心移動。ティッピングと呼ばれる角づけ。コブに対する吸収動作。この4日間の間、それら全てのことを、自分の中で「心の引き出し」にひとつひとつ丁寧に仕分けしていく作業を行った。事務的な作業のようだが、次につなげていくために欠かせない行為だ。なんでも分析しないことには進めない僕の、長所でもあり欠点でもある。音楽をはじめとして、僕は全てのことにこうやって関わって生きてきたのだ。

 前シーズンから今シーズンにかけて、SAJ(全日本スキー連盟)の示すスキー教程が一新したのを受けて、いろんな価値観が交錯しているように見える。でも、それは見かけだけだと分かった。とどのつまり、スキーの力学的法則は昔から何も変わっていない。スキーのテクニックとは、要するに必要なときにブレーキをかけ、必要なときにアクセルを踏んで、安定して滑るためのものである。それは、アクティヴな意味では、競技などでタイムに結びついていくだろうし、エステーティックな意味では、フォームの美しさや安定性の追求につながっていく。
 モーツァルトのピアノ・ソナタのドソミソを弾いている時には、左腕の肘を広げる必要はなかった。でも、ショパンの幻想即興曲の中間部のように2オクターヴ以上にまたがる伴奏のアルペジオを弾くためには、左の肩関節から動かして、脱力しながら肘を大きく動かす新しいテクニックが必要だ。しかしながら、それはモーツァルトのテクニックを否定したりそれに逆らったりするものではなく、むしろその延長上でなければならない。
 カーヴィング・スキーの発達とそれに対応するテクニックの開発も同じだ。スキー板のサイドカットが円周の一部を成してカーブしているから、体を傾けるだけでターンが自然に始まる。ターンの中盤以降、板を押さえつけてたわませると、板のたわみの反動が体を持ち上げて、次のターンへの切り替えのきっかけを作ってくれる。「ストックをしっかり突いて抜重をして板を回し込んで」という、これまで通りのプロセスを経なくても、切り替えが出来るようになった。
 だから、「カーヴィング・スキーには抜重はないのだ」と言いたいところだが、実は、やっぱり抜重はなくなってはいない。加重と抜重の振幅がゼロに近くても滑れるが、それでは滑りにリズムが生まれず、スマートで格好良いターンとはならない。「昔は自分から意識して抜重したが、現在では板が行ってくれる」という事に気づくことが、次のステップへの連続性を確保するためには必要である。
 このことをもう少し詳しく説明しよう。たとえば、コブを滑る時には抜重の意識は不可欠だ。スピード・コントロールが出来ないとコブ滑走の入り口にも立てないので、何はなくてもブレーキ、すなわち「ズラしのテクニック」に精通することが求められる。
 ズラすためには、スキーのトップを横に向かせ、本人のおへそがフォールラインを向いた、いわゆる外向傾の姿勢をとらなければならない。つまり上半身と下半身のひねり、あるいは腰のひねりの体勢で、かかと加重で板のエッジで雪を「すきで耕すように(ドイツ語でPflugつまりプルーク)」スピードコントロールするのである。このフォームで加重してから次のターンを始めるためには、この加重を解く・・・すなわち抜重という動作を意識的に行う必要がある。
 抜重した後であるが、よく「超カンタン・コブ入門」なんていうDVDで、
「コブの頭でターンして、ただちにかかと加重でズラしましょう」
などと指導しているが、これは危険だ。何故なら、ターン後かかと加重に直接行ってしまうと、板が暴走して体が置いておかれる恐れがあるからだ。ターンしながら、体を谷方向へ体重移動して、スキーのトップ(あるいは自分の足のつま先)から入る方法を習わないといけない。でもね、DVDをよく見ると、なんと指導者本人はトップからの入りを瞬間的にやっていたりするのだ。自分にとってあまりに自然なので自分で分かっていないのだ。
 必ずトップから入ること。これが鉄則だ。分かりやすく言うと、コブのターンでは、いわゆるドルフィン・ターンのイメージを持つことだ。といっても飛び上がるのではなく、むしろ「飛び上がらないように」吸収動作をしながら、トップからコブの腹にスキーを落とし込んでいく。ま、いっそのことジャンプしちゃってもいいんだけどね。
 その板のトップあるいはつま先には神経が通っていて、雪質や斜度や形状を敏感に感じながら、柔軟かつ慎重につま先加重からかかとに重心を移してズラしていく。安全だと分かったら、逆にカーヴィング・ターンでスピードを出してみるのもよい。
 こうした一連の抜重と体重移動そしてズラしのテクニックを持ってさえいれば、コブのみならず、整地っぽいコブや、コブっぽい整地や、荒地や、新雪など、あらゆるシチュエーションに対して連続性を持って対処出来る。その連続性を獲得するためにも、整地で高速のカーヴィング・ターンを行っている最中でさえ、板の反動に隠れた抜重の運動意識を持ち続けるべきだと、この4日間で僕は気がついたわけである。

 さらに内傾についてだけれど、これについても自分なりに結論を出した。ターンの始動は内傾から始まってもいい。でも、これまでSAJが初心者達に教えていたように、両足に均等に体重をかけてひねりを全くせずにターンを仕上げるのは、斜度の低い圧雪車で完全に整備されたゲレンデに限られる。ゲレンデがボコボコの場合、片足ずつ対応しなければならないので危険度が高い。それに対応出来る人は相当上手な人だ。
 要するに、内傾とは、スピード・コントロールとキレを柔軟に使い分けられる外向傾をすでに習得した人が“遊びで”やるものだ。それだってなにもわざわざ内傾にしなくてもいい。ゲレンデなんて、いつ何時(なんどき)荒地にはまり込むか分かったものではないから、いつでもブレーキをかけられるように外向傾でいればいい。フル・カーヴィングをやりたかったら、板のエッジだけ鋭く食い込ませればいい。こうした“くの字”姿勢こそ、レーシングの選手達がやっているフォームではないか。
 要するに、内傾を一生懸命学んでも、なんにもいいところがないのである。はっきりいって内傾とはナンセンスな滑りだ。こんなナンセンスなことを指導者達にも初心者達にも何年にも渡って強要してきたSAJは阿呆である。

 テイネ・スキー場で最も多く滑ったのは、札幌オリンピック女子大回転コース。コブ斜面をはじめとして様々な変化に富んだこのゲレンデからは、一回滑るごとに10の学びを得ることが出来た。急斜面でも怖がらずに思い切ってスキーのトップを落としていきさえすれば、コントロールを失うことは決してない。
 急斜面で険しいコブと格闘している内にフォームが乱れそうになったら、ムキになるのはやめて、一度なだらかな斜面で落ち着いてフォームの確認をする。背中が丸まっていたり腰が引けていたりするのが癖になったらいけない。それから再び急なコブ斜面に戻る。今度は「なるべく理想的な姿勢で」挑む。そちらの方が逆に近道だ。
 そうしたことを繰り返していたら、コブの中でもターンがつながって直線的に降りられるようになってきた。でも思った。このコースを、かつてのアスリート達は目にも止まらぬ速さで駆け抜けていったことだろう。上には上があるものだな。

新雪の魅力
 12月27日木曜日夜半から、北海道一帯は猛吹雪に襲われた。28日午前中に、いったんは穏やかになったけれど、山間部では刻一刻と天気の移り変わる厳しい一日となった。こんな日は圧雪車が入らないから、全てのゲレンデはナチュラル・バーンとなる。つまりは新雪だ。頂上から滑り降りて行くと、ところどころ誰も滑っていない処女雪がある。そこをめがけて板を走らせる。親友の角皆優人(つのかいまさひと)君は、
「新雪とコブの滑り方は同じだ」
と言っていたが、今回初めて実感した。新雪ではスピードは出ないし、足に抵抗があるが、トップから入ってかかとで仕上げる運動は全く一緒なのだ。それにしても、新雪を滑るのは、まるで雲の上を飛翔しているようだな。幻想的で夢を見ているみたいだ!


山頂カフェから

ひとり打ち上げ
 4日間の日程が終わった29日の晩、禁酒を解いてひとり打ち上げをした。ビールを飲みながらお通しをつまんでいたが、注文していたタラバ蟹の炙り焼きを見たら、普段あまり飲まない日本酒が飲みたくなった。それから帆立の醤油バター焼きも来た。熱燗をちびりちびり飲みながらそれらを味わう。うーん、極楽極楽!体がほわんと温まって心もポワワワンとしてくる。。
 お酒を飲まないと、僕の場合、
「あそこが良くなかった。あそこでもうひと頑張りすれば良かった」
などとひとり反省会が限りなく始まってしまう。僕は、見かけによらす案外グズグズとひとりで悩むタイプなのだ。だがお酒の力は偉大だ!気持ちがおおらかになって、
「4日間よく頑張りましたね!」
と自分で自分を褒める気持ちになった。連日クタクタになるまで頑張った自分がいとおしくも感じられ、
「ご苦労さんでした!」
とねぎらった。まだまだ未熟なのは間違いないが、この北海道滞在の間に確実に進歩はしたからね。それに、こうしたことが出来るということは、自分が健康である証だ。
 そう考えていたら、突然神さまに感謝したい気持ちで一杯になってきた。さらに、僕を快く送り出してくれた妻にも感謝したくなった。疲れ切って転がり込んだ僕に温かい珈琲を出してくれた手稲山頂カフェのおねいさんにも、リフトで隣同士になったおじさん達にも、みんなみんなに感謝を捧げたくなってきた。
 そうこうしている内にどんどん酔っぱらってきて、こころよい達成感と手当たり次第の感謝のなかに意識が沈んでいく。外では札幌の街に絶え間なく雪が降り続いている。しあわせな北国の夜がスローモーションのようにゆっくりゆっくりと更けていった。

年末年始
12月24日。
 僕と妻と杏奈の3人でカトリック立川教会の6時のミサに行く。ミサ後、聖歌隊の練習をつけて、8時15分から聖堂でプチ・コンサート。実は、この立川教会の聖歌隊の面倒を見るのは今年で最後になる。ちょっと感慨深いものがある。その理由は、いずれ時が来たらみなさまにもお知らせする。
 9時の二度目のミサには出ないで家に帰ってくる。志保夫婦が僕達の家にやって来ていて、クリスマス・ディナーの準備をしてくれている。今年は杏奈とトミーノという二人の料理人がいるので、牛肉のカルパッチョから始まり、ミネストローネ、鮭を使ったイタリア風煮込み料理、そして鶏肉の丸焼きと超豪華!杏奈がフランスから持ち帰ったちょっと奮発したブルゴーニュの白ワインを空ける。極上の味わいにみんなで感動する。

 食事の前に毎年僕がお祈りをした。毎年、
「来年のクリスマス・イヴもこうして元気でみんなでお祈りが出来ますように」
と祈るのだが、昨年のクリスマスの時には、トミーノという新しい家族が増えるなんて夢にも思わなかったし、ましてやこんな可愛い杏樹ちゃんがこの世に存在しているなどとは考えられなかったので、特別な想いでお祈りを捧げた。

26日から30日までは北海道。

12月30日。
 羽田空港から高崎線で直行した僕を、神棚の掃除と松飾りの用意とが待っていた。妻と次女の杏奈も新町の実家に集合。家の玄関に松飾りがつくと、それだけでお正月気分が盛り上がってきた。晩ご飯は、僕が新千歳空港で買ってきた特大ほっけ2枚をみんなで突っついた。
12月31日。
 杏奈とふたりで高崎に出て買い物。杏奈が友達とたこ焼きで忘年会をしたという話を聞いていたら、衝動的にたこ焼き器が買いたくなり、高崎駅前のヤマダ電機で950円でたこ焼き器を買う。それから、たこ焼き用の粉だの、天かすだの、タコそのものだの、青海苔だの、紅ショウガだのを買う。また、蕎麦に入れる鴨肉を高島屋で買う。
 家に帰って来て、まずソバつゆのための“かえし”を作る。醤油、みりんを鍋に入れ、火にかけて温かくなってきたら、ザラメを少しずつ入れて溶かす。沸騰する直前で火を止める。
 夕方になったら、お正月に親戚一同が集まる時に備えてたこ焼きを試しに作る。例年の通りに熱燗で乾杯し、茶碗蒸しに手をつける。それから惰性で紅白歌合戦を観る。「あまちゃん」が大人気だったとはいえ、あそこまで時間を割いて「あまちゃん特集」が出来るNHKは凄いが、それにしても長すぎねー?予想外に大成功して有頂天になっている気持ちは分からないでもないが、節操なくやり過ぎじゃねー?

 深夜0時になった瞬間に、僕は神棚の水を取り替える。親父が大工だったから、こうした行事は欠かせない。コップに表面張力で盛り上がるほどの水を入れ、神棚に供える。それからパンパンと手を打ち鳴らしてお辞儀をし心を合わせる。これをすると実際に心が浄められる気がする。これを読んでいる読者から、
「クリスチャンなのに・・・」
という声が聞こえてきそうであるが、こうした神道の行事にも何か意味があるんだよ。宗教の狭い枠を超えた、もっと本質的な何かがね。
1月1日。
 杏奈と二人で初日の出を見に土手に行く。その日は晴天。朝陽がくっきりと見えた!みんなが平和に1年を過ごせますようにとお祈りする。それから橋のたもとの虚空蔵尊のところに行ってお賽銭にお金を入れて、御札とみかんと甘酒をもらう。


初日の出

 甘酒を焚き火にあたりながらフウフウ言って飲む。全然知らない人が親しそうに話しかけてきた。新町では僕は「おにころ」で顔も知れ渡っているので、こういうことはよくあるが、もしかしたら親父かお袋の知り合いかもしれない。適当に話を合わせる。甘酒のお陰で冷えた体が温まってきた。
後で杏奈が聞く。
「誰?」
「知らない」
「あはははは!」
 群馬の実家では、何故か1月1日元旦の早朝に蕎麦を打つ習慣がある。以前はお袋が打っていたが、何年か前から、僕は蕎麦さかいに修行に行って蕎麦打ちを習い、お袋の跡を継いで行っている。でも、僕が蕎麦を打つのは1年に1回だけ。だからその都度忘れている。
 2度に分けて打って、1度目はやや失敗してうどんみたいに厚くなってしまった。2度目は大成功。まあ、1度目のでも食べられないことはないが、茹で時間を少し長くしないといけない。やっている内に思い出して、だんだんうまくなるのだが、また来年の正月まで打たないと忘れてしまうなあ。高島屋で買ってきた鴨で、鴨南蛮蕎麦をする。杏奈はねぎを焼く。やはり鴨はうまいですなあ。鶏肉ではこうはいかないものな。奮発した甲斐があった。

 午後に志保の夫婦がやって来た。もちろんmia carina(僕の可愛い)杏樹ちゃんも。杏樹にとっては初めての遠出。新町の実家でお茶を飲んだ後、妻のお母さんの住んでいる隣村の玉村にみんなで行く。今夜は玉村で泊まり。
 志保の夫のトミーノに群馬のことを知ってもらおうと、“上毛カルタ”を杏奈と高崎に行った時に買ってあった。
「鶴舞う形の群馬県」
「伊香保温泉日本の名湯」
など、群馬県人なら誰でも知っていて、学校教育の中にも積極的に取り入れられている。その上毛カルタを、妻の妹の娘で小学校6年生の彩香(あやか)ちゃんも交えてみんなでする。彩香ちゃんは、学校で上毛カルタをやっているので誰よりも強い。それからMONOPOLYという人生ゲームをする。トミーノがあくどく儲けるので一同のひんしゅくを買う。


おじいちゃんですよう

1月2日。
 妻のお母さんの家から新町の実家に帰る。夜は姉や姉の子供やその孫など親戚一同が集まって、カニやらお好み手巻き寿司やらでパーティ-。僕のお袋の名物料理である白モツの串カツ(今は姉と僕の妻で作っている)は大人気。料理が出来るまで姪の貴子の長男の虎太朗(こたろう)と遊ぶ。すごく頭が良くてやんちゃで可愛い。スキーを始めたそうで、すぐ上手になったそうだ。トミーノがサービス精神旺盛なので、虎太朗はトミーノにもなつく。


スキー姿の虎太朗

1月3日。
 またMONOPOLYをする。今度は僕とトミーノがあっけなく破産する。最後は志保と杏奈の一騎打ち。女の戦いは恐い。夜はみんなでたこ焼きパーティー。タコだけでなくウインナやチーズなどいろんなものを入れてめっちゃ楽しかった。
 トミーノはすっかり三澤家の家族に溶け込んでいる。杏樹ちゃんも元気で、まわりの人達が話しかけるので、反応が確かなものになってきた。
1月4日。
 東京に帰ってきた。年賀状がいっぱい届いている。しばらく留守にしていた家は寒い。杏奈は風邪気味で熱が少しあるので、自分のアパートには帰らずに、家で静養することにした。
 体が冷えているので、午後に妻と二人でスパの“湯楽(ゆら)の里”に行く。杏奈はベッドで寝ている。湯楽の里はもの凄い人で、湯船もサウナも隣の人とくっついて入る。露天風呂から眺める新月が美しかった。夜は、家が冷え切っているので、パジャマの下にヒートテックの下着を着て、さらにカイロを背中に貼って寝る。
1月5日。
 名古屋モーツァルト200合唱団に行って、モーツァルトのレクィエムの練習。これが今年の初仕事。遊ぶのも楽しいが、やはり仕事するのが一番楽しいかも。これは9月の演奏会のための準備だが、モツレクの前プロとしてモーツァルトのジュピター交響曲を指揮出来るのも、今からもう待ち遠しい。

さあて、今年も頑張るぞ!



Cafe MDR HOME

© HIROFUMI MISAWA