都会の憂愁と新実徳英氏との出遭い

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

都会の憂愁と新実徳英氏との出遭い
 1月11日土曜日。東京大学音楽部コールアカデミー演奏会で、多田武彦作曲男声合唱組曲「東京景物詩」を指揮した。場所は彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール。柔らかい響きの良いホールだ。僕の指揮した第3ステージは、OBのアカデミカ・コールと現役との合同ステージ。
 ここのところアカデミカ・コールとの関係が密になっている。昨年10月のケルビーニ作曲「レクィエム」に引き続き、この演奏会、そして7月にはOB東京六大学合唱連盟演奏会で、僕の作品を演奏することになっている。
 「東京景物詩」は、かつてコールアカデミーが多田武彦氏に委嘱した作品。北原白秋の詩に作曲され、いにしえの雰囲気を漂わせつつ都会の憂愁が表現されている佳作である。

冬の夜の物語

女はやはらかにうちうなづき、
男の物語のかたはしをだに聴き逃さじとするに似たり。
外面にはふる雪のなにごともなく、
水仙のパッチリとして匂へるに薄荷酒(はっかざけ)青く揺げり。
男は世にもまめやかに、心やさしくて、
かなしき女の身の上になにくれとなき温情を寄するに似たり。
すべて、みな、ひとときのいつはりとは知れど、
互(かた)みになつかしくよりそひて、
ふる雪の幽(かす)かなるけはひにも涙ぐむ。

女はやはらかにうちうなづき、
湯沸(サモワール)のおもひを傾けて熱き熱き珈琲を掻きたつれば、
男はまた手をのべてそを受けんとす。
あたたかき暖炉はしばし息をひそめ、
ふる雪のつかれはほのかにも雨をさそひぬ。

遠き遠き漏電と夜の月光
 僕はこの詩がとても好きだ。最初の3行くらい読むと北国の風景のようにも思われるが、「似たり」という言葉に「あれっ?」と思う。これって、女が男の物語を一生懸命聴いているフリ?
 男の態度も同じ。かなしい女の身の上話を親身になって聴いているフリ。次の言葉は決定的だ。
「すべて、みな、ひとときのいつはりとは知れど」
なあんだ、と肩すかしを食う。だからこれは大都会の物語なのだ。
 しかし、なんだろうな、この雪に閉ざされた不思議にあたたかい空間。すべてフリなんだけど、それでも偽りの世界の真っ只中にいくばくかの真実の心が通い合い、それがゆきずりのものだけに輝いてはいないだろうか。
 特に微笑んでしまうのは、「男は世にもまめやかに、心やさしくて」という言葉。恐らくこんな姿は妻の前でも見せたことはないのではないか。男は自分で驚いているかも知れない。下心から故とはいえ、自分の中にこんなやさしい面があったのかと。
 これほどやさしくしてくれている男だけど、夜が明けると出て行き、自分の事など忘れてしまうのを女は知っている。でも、ひとときのかりそめの愛であっても、今は浸っていたい。そんなあやうい詩情が奇妙に胸を打たないだろうか。


演奏会プログラム
(画像クリックで拡大表示)


 「東京景物詩」を練習したり演奏していると、キャノンボール・アダレイのアルバムSomethin' Elseに収められている「枯葉」のマイルス・デイビスのトランペット・ソロを思い出す。退廃的な都会の憂愁。クールな心の外皮にくるまれたもろい情緒。都会は、人間の欲望を受け容れ、呑み込み、癒してくれる、悪徳に満ちた善意を持つ。
 アカデミカ・コールのおじさまたちは、そんな情景を見事に描き出してくれた。さすが人生を長く生きてきただけのことはある。おじさまたち、「おぬしらも相当ワルよのう」!
しかしながら、現役諸君!きみたちのピュアーな歌声には心を洗われるのだが、見ていると、みんな草食系で、スケート選手の羽生結弦(はにゅう ゆずる)君みたいで、これからはもちっと人生の機微というものを味わいなさい!女声合唱のコーロ・レティツィアの娘(こ)達の方がずっと覇気があるではないか。君たちの方があの娘達に押し倒されそうだね。いやはや、今は女子の時代だねえ!

 この演奏会の第4部は、コールアカデミーが作曲家の新実徳英(にいみ とくひで)氏に委嘱した作品だった。「芭蕉の句による『月に詠ふ』」という曲で、松尾芭蕉の俳句を12句も使いながら、それを4つの曲にまとめあげたアカペラ男声合唱組曲である。我々が、たとえば星野富弘作詞の「花に寄せて」などで知っている新実さんの作風とは全然違って、いわゆる現代曲風というか、無調に近い斬新な音楽。これを現役諸君は良く仕上げた!羽生でも、やる時はやるんだ(笑)!
 レセプションで新実氏と席が隣り合わせとなり、いろいろお話が出来て面白かった。僕は作曲をする時、結構ぐずぐずしていて時間もかかるのだが、彼は決心したら一気に書く主義だという。また今回の曲については、わずか575のの17文字の俳句で合唱曲を作るにあたっての方法論などを伺えて興味深かった。
 最後の方で、みんなで歌いましょうということになり、お決まりの「いざ立て戦人よ」を一同で歌い始めた。僕の横でなんと新実さんも大きな声で歌っている。
「へえ、この人も合唱人間なんだ」
とびっくりして見たら、相手も歌っている僕を見て同じ顔をしていた。
 「ウ・ボイ」をみんなで歌った後、ヴォイストレーナーの宮下正さんが、いきなり前に出てきてマイクを奪い、しゃべり出した。なんと僕の恩師である山田一雄先生が、「ウ・ボイ」を振ってぐちゃぐちゃになった逸話であった。そうしたら新実氏が手を挙げて立ち上がり、また山田先生の別の逸話を語られた。山田先生ほど逸話に事欠かない指揮者は珍しいのだ。指揮をしながら暴れすぎて舞台上から落ちたり、途中で自分がどこを振っているのか分からなくなって楽員に「今どこ?」と訊いたり・・・・。
僕も手を挙げて、別の逸話を話す。そしたらまた新実氏が手を挙げて別の逸話を・・・。大爆笑の嵐が果てしなく続いて実に愉快であった。新実氏って気さくで楽しい人だね。

圧倒的なカルメン
 新国立劇場では、ビゼー作曲「カルメン」が舞台稽古に入った。グルジア人のカルメン役ケテワン・ケモクリーゼが素晴らしい。まさに体当たりの演技で圧倒的な存在感を見せる。
 まず美人なのがいい。そして自分の美貌を分かっていて、それを生かす術を心得ている。全ての動きがドラマに結びついているし、何より凄いと思うのは、自分の感情やモチベーションだけで動くのではなく、どう動けばどういう風に観客から見えるのかという冷徹な眼を持っていることだ。
 ドン・ホセ役のガストン・リベロの歌と演技も秀逸。なにせ動きが機敏で、剣を使った立ち回りなどでは、テーブルを飛び越えたり、歌手とは思えない動きをする。この主役二人がそうだから、実に緊張感に富んだ公演となるのは間違いなし。
 その他、ミカエラの浜田理恵さん、スニガの妻屋秀和さんのサポートも揺るぎない。カルメンの女友達のフラスキータとメルセデスには平井香織さんと清水華澄さんという実力者を配しているのもにくい。

 「カルメン」はオペラの中のオペラと言われるけれど、実はオペラの本道からはちょっとはずれている。もともとはオペラ・コミック、すなわち今風に言えばミュージカルのようなタッチで描かれた作品だ。だからこそ親しみやすいメロディーがあり、オペラのようにバレエではないフラメンコなどの舞踏のシーンがあり、オリジナルではセリフもあった。 これが人気が出たために、セリフの部分はレシタティーヴォに書き直され、フランス語圏の国でなくても上演可能なグランド・オペラとして生まれ変わった。ちなみに、レシタティーヴォの音楽はビゼーではなく、エルネスト・ギローの手による。その結果、現在に到るまで、全世界で上演数の最も多いオペラとなっているのだ。
 極端に言うと、ヴェルディのオペラは、素晴らしい歌唱力があれば、少々演技が大根でもまあなんとかなる。ところが「カルメン」では、ストレートに歌えるだけではだめだ。ハバネラでもセギディリアでも、民族的な色合いのニュアンスが要求されるため、特別な音楽性と歌唱力が求められる。しかも第2幕「ジプシー・ソング」などでは踊りが出来ないといけない。
 男を次々と誘惑していく魔性の女を演ずる場合、その魔性の部分を強くアピールするか、あるいは可愛くコケティッシュな部分を強調するか、様々な役作りのアプローチがある。今回のケモクリーゼはそのどちらも強調しない。実に自然体でありながらエロチックそのもののカルメンを描き出している。スカートをめくり太股があらわになるのも厭わず、足を大きく広げ腰を振る。見ているこちらが目のやり場に困るほどである(笑)。
 ホセが、ミカエラという許嫁がありながらカルメンに惹かれたのは、カルメンの色気に惑わされた以外にない。しかしながら、カルメンの投げた花をしおれてまで持っているというホセの中途半端な純情に、カルメンはとまどう。そのすれ違いに、すでに破局は目に見えている。

 この「カルメン」だけは、観て損はないですよ。また、初心者のオペラ・デビューにも最適。1月19日日曜日から2月1日土曜日まで5回公演。いいぞう、美人でエロチックなカルメン!オペラ・グラスのご用意を。でも全員が持って来たら怪しいからやめてください(笑)!

たわみ
 月刊スキー・ジャーナル2月号を読んで嬉しくなった。やっと、こういうことが書けるようになったかという思いだ。今月号のテーマは「たわみ」。まさにこれこそがカーヴィング・スキーの性能をきちんと引き出すための方法論だ。これまでの内傾指向の指導では決して踏み込めなかった領域なのである。

 話は変わるが、新町歌劇団では、夏にガトーフェスタ・ハラダの本社のホワイエでコンサートをやる。そこで演奏する曲を、時間を見つけては編曲している。先日札幌に行った僕は、帰りの飛行機の中で聴いた「虹と雪のバラード」が気に入って、その編曲にかかろうとYouTubeでトワ・エ・モワの演奏映像を集め始めた。8分の12拍子だけかと思っていたらエイトビートの4拍子の演奏もあって興味深い。
 しかし、ある映像を観て目が釘付けになった。トワ・エ・モアの歌のバックに流れているスキーの映像は、今のスキーヤーと全く違う動きをしている。自分から飛び上がるような抜重を行い、垂直に立った姿勢で板を回し込んでいる。やはり、もうあの時代に戻ることは出来ないなと、あらためて思った。
 つまり、これからは、カーヴィング・スキーの持つ性能を最大限生かして、超高性能の滑りを追求し、飛躍的に広がったスキーの楽しみを広く伝えていくことによって、新しいスキー客を呼び込んでブームを作るべきであり、これまでのように姑息な内傾などで遊んでいる場合ではないのだ。

 さて、そうなると、なんといっても武器は「たわみ」だ。スキー板にサイドカーブが入っているので体を傾けただけでターンが始まる。この時に、板に圧をかけると板がたわむ。そうするとさらにサイドカーブがきつくなるのだが、その事によっていろいろな力学的現象が起きるのだ。
 ひとつは滑りにキレが生まれること。僕の感覚では、直滑降よりもスピードが出る。もうひとつは、圧をかけることによって安定性が生まれること。さらに、これまでの抜重のタイミングでは、圧を解くことだけで板が抜重を行ってくれるのだ。何故なら、たわみがバネの働きをし、体を押し上げてくれるからだ。
 このたわみから生まれる様々な浮遊感のなんと心地良いことか!この楽しさに気付くと、まさにスキーが病みつきになる。そしてみなさんにも、たわみに気付くまでうまくなって病みつきになって欲しい。ちょっとスキー・ジャーナルから文章を抜粋する。

スキーのたわみを引き出すには、重心とスキーの距離を取り、外スキーに体重を 乗せていくことが基本になります。(24ページ)
ほらね、外スキーでしょう。具体的に言うと、外スキーに圧をかけるためには、谷側の足を伸ばすようにする。山側の足は逆に曲げてたたみこむようにするのだ。エッジは内足も同じ角度にするんだけどね。
雪面からの抵抗と自らの圧のやり取りを行い、釣り合いの取れた状態(プレスの 利いた状態)を維持していくと、スキーが安定したターン軌道を描いてくれます。 このときにポイントとなるのが、上半身の傾きです。(写真)2でターンポジシ ョンを作ったあとは内傾を抑え、山まわりではやや外傾を意識したポジションを 取ることで、外スキーをしっかりと押さえることができます。(31ページ)
 ブラボー!よくぞ言ってくれました。やっぱりね、外向傾なんだよ。きまっているでしょう。だからスネは深く傾いているけれど、腰から上はくの字に曲がって直立しているアルペンスキーの大回転なんかで見る姿勢ってことだな。板は横向いているけれど、顔はフォールラインを向く。
 これこそ、初心者から上級者まで、コブでもレーシングでも全てに共通に通用するメソードなんだ。昔に退行するのではなく、最も新しい滑りの美学でもある。やっと明治維新がやって来た感じだね。スキー・ジャーナルよ、これからもどんどんやってくれ!期待しているぞ!


SKI Journal


 これまでの内傾を中心とした指導のあり方は、そのあり方が間違っていただけでなく、こうした正しいメソードを告げることさえはばかれるような雰囲気を作り上げてしまっていた。前シーズンの最後になって、正しい方向に戻ったその勇気は大いに讃えたいが、反対に、何年にも渡って世界の流れに完全に逆行して、誤ったメソードを強要し続けた愚かさと、それに対して内側からプロテスト出来なかった臆病と怠慢は残念としか言いようがない。
 今スキー・ジャーナルに期待しているぞと言ったばかりだけれど、この雑誌だって、これまで歯切れが悪かったんだよ。今回初めてだよ。こんな胸のスカッとするような記事を載せてくれたの。マスコミよ、一番言いにくい時に一番言いにくい事を言うのがあなたたちの役目なんだよ!しっかりしなさい!

 と書いていたら、次の休日に行こうと思っているガーラ湯沢の切符が宅急便で届いた。大宮から新幹線指定付き往復乗車券とリフト一日券が付いて8400円。安いでしょ。でも札幌からスキー場に行くのに比べたら高いよね。あーあ、冬だけでも札幌に住みたい!



Cafe MDR HOME

© HIROFUMI MISAWA