究極の説得力~平さんの本

三澤洋史 

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風邪よ来るな!
 先週はじめから妻が風邪を引いていた。すぐ治るかなと思っていたが、どんどん悪くなり、夜中に隣のベッドで激しく咳き込んでいる。その内、僕もなんだか咳が出るようになってきた。
 火曜日にスキーに行って、それから木曜日に泳ぎに行ったら、金曜日あたりから体がぐったり疲れている。いつもの筋肉痛のレベルではない。ヤバイ!今、風邪を引くわけにはいかない。今週はいろいろ大事な打ち合わせだの、僕が出向いていかなければ始まらない用事が詰まっているのだ。
 風邪って、この時の踏ん張りが大事なんだな。ここで気弱になるとサッと入られてしまう。今のところ完全進入は許していない。でも、風邪の菌に四方を包囲されている感じだ。そこで出来る限りのことをする・・・といっても、お酒を断って、その代わりレモンを搾って蜂蜜を入れたお湯を飲むとか、お散歩をさぼって睡眠時間を確保するとかいう程度であるが、僕にとってはそれでも一大事なのである。
 不思議なもので、一度割り切ってしまうと、あれほど好きなお酒類を特に欲しなくなるものだね。それでは、このままいっそのことお酒をやめたら、もっと健康的な生活が送れるとも思うんだけど・・・・うんにゃ!それだけはご勘弁を!酒なくて何の人生よ!
 玄関には、妻に怒られながら楽天から取り寄せたワイン6本セットが封も切らずに置いてある。残念!早く飲めるようになろう。って、ゆーか、飲む前にうっかり杏奈などに見つかってしまったら大変だ。隠さなければ・・・と、なんて意地汚い親だろう。
 とにかく、ちょっと体力が落ちている今日この頃です。ですが、頑張ります!この寒空の中、巷では相当風邪が流行っているので、みなさんもくれぐれも気をつけてお過ごし下さい。

手洗いとうがいは案外効きますよ。  

究極の説得力~平さんの本
 平光雄(たいら みつお)さんには一度だけお会いした。昨年の夏の「パルジファル」演奏会の時、親友のスキーヤー角皆優人(つのかい まさひと)君が楽屋に連れて来て紹介してくれたのだ。
 それまでにもいろいろ話は聞いていた。名古屋の小学校の先生で、学級崩壊に至ったクラスを立ち直らせたりする情熱教師として有名だ。平さんは水泳をやっていて、あるマスターズの大会で偶然角皆君と隣り合わせになったのが縁で知り合ったという。見るからにエネルギッシュな感じがするけれど、とても気さくで自然体の人だ。

 その平さんが本を出した。タイトルは「究極の説得力~人を育てる人の教科書」(さくら社)。これは是非みなさんに紹介したい本だ。たすきには、
「これは、教師と、人を育てる立場にある人のための、自己啓発書です」
と書いてあるが、教師は勿論のこと、むしろ万人が読むべき本だ。人を育てるノウハウが語られているだけではなく、むしろ人間が他人とどう向き合うか、またそのためには、自分自身がどういう生き方をしないといけないかを問う“哲学書”ともいえるからだ。
 哲学書というと何か硬いイメージがあるが、表現は平易で読みやすい。悩める若い教師ヒロシと職人教師との対話という形を取り、様々な問題について、あっと驚くようなサジェスチョンがなされる。僕も、アマゾンで取り寄せて、ちょっとかじり読みするつもりで本を開けたら、なんと一気に読んでしまった。

 ちょっと章立てだけでも見て下さい。

第1章 人を育てる仕事に就いたのだ
第2章 つまるところ説得力勝負だ
第3章 人間としての幅と深み
第4章 見た目も磨かなければならない
第5章 「手っ取り早く」はあり得ない
 ね、それだけでも興味深いでしょう。素晴らしいのは、平さんは、読者に訴えたいがために、自分でも本当は言いたくない過去の古傷にもあえて触れる。だから、きれいごとではなく、誠実さと熱意とがひしひしと伝わってきて胸を打つ。ひとつの例を挙げる。
  実は私も、若い頃こうした不幸な事態を招いたことがある。
学習発表会で劇の指導をしていた。自分で脚本を作り、自分が黒澤明かつかこうへいにでもなったような気分で熱い演技指導をし、本番は大成功!給食の時間には牛乳で乾杯もした。「大成功バンザーイ、乾杯!」と。
翌日、作文を書かせた。当然、多くの子が成功の喜びを綴っていた。が、こんな文面を目にして、一気に凍り付くような気持ちになった。
「やっと学習発表会が終わった。喜んでいるのは先生だけ。私はあんなことしたくなかった」(24ページ)
 これは、「こだわりの学級経営は意外と弱い」というタイトルの項。どうです、なにか胸に迫るものがあるでしょう。こういうことを書けるということは、平さんがどれだけ真摯に教育現場と向かい合って生きて来たかということの証である。この事件がどうしてこのタイトルと結びついてくるのかは、是非御自分で本の中身を読んでみて下さい。教師でなくても、様々な立場の人の様々な状況に共通することがいっぱい書いてあります。
 この歳になって出遭う人というのは、自分の価値観に共鳴する人が多いなあ。指揮者には教師的な部分も沢山あるから、僕には特に心にビンビン響く。

読み終わって、ああ面白かったで終わらずに、いつも側に置いて、何かあるごとに開いてみたい本。


マイゲレンデ
 1月21日火曜日。ガーラ湯沢。また帰ってきた!新幹線を降りたらもうゲレンデなので、日帰りで行き易く、僕は毎冬何度もここへ来る。だから、すっかりホーム・ゲレンデの気分だ。
 しかしながら今日は大雪。視界も悪く、午後になっても止む気配がない。最初は新雪っぽくて良かったが、時間が経つにつれてゲレンデはどんどんボコボコになってくる。まあ、こうやって毎回ゲレンデの環境がガラリと変わるのがスキーの特徴。そこにスキーというスポーツの奥深さがあるともいえる。

 夜通し雪が降っている場合には圧雪車が入ることはないので、フルカーヴィングでギュンギュン飛ばしてというのは望むべくもない。その点は残念だけれど、スピード・コントロールをしながら、出来そうだなと分かると体を傾け外足を伸ばしてカーヴィングに切り替える。こうやってキレとズレを使い分けながら、雪に柔軟に対応していく練習も悪くない。
 荒れたゲレンデをカーヴィングで走らせると、両方の足にそれぞれデコボコが伝わって足がブルブルするが、圧をかけていれば結構対応できる。スラロームの選手は、少々のコブなどは、ターンせずにこれで乗り切ってしまうんだろうなあ。これはこれでかなり腿の筋肉を必要とする。

 いつも行っている南エリアのコブ斜面ブロンコは、今日は殊の外難しかった。おそらく数日前まで硬いコブとなっていたであろう箇所に新雪がかぶさっている。またその周辺には本当に何メートルもある柔らかい処女雪の箇所がある。それらがイレギュラーに入り組んでいて一様に新雪に覆われているので見分けが付かない。
 最初、一見なだらかになっているので油断して入ったら、これまで出逢った全てのゲレンデの中で最も難しいシチュエーションであった。うわあ、どうしよう!僕は角皆君の言葉を思い出す。
「スキーのトップをセンサーにしてデリケートに対応する。これが新雪コブへの対応のコツ」
 言うは易く行うは難し。次に同じ箇所に行く時には、最初に通った自分のシュプールをなぞれば簡単だと思ったのだが、なにせドカ雪なので、リフトに乗っている間にもう雪が降り積もってしまい、シュプールはきれいさっぱり消えている。それどころか、毎回リフトから降りたらもう、自分自身が雪だるまのようになっているよ。

深ーーーい雪にハマる
 ある時、深雪かと思って油断してカカト寄りに乗ったら、硬いコブでパンッとはじかれ、気がついたら宙を舞っていた。あはははは、「2001年宇宙の旅」の美しく青きドナウの気分・・・・なこと言ってる場合ではない。体勢を立て直して上手に着地したら、なんとかリカヴァリー出来るかも知れない・・・よいしょ!頑張れ!・・・空中で大奮闘・・・ところが、予想に反してフワッと軟着陸・・・真綿のような柔らかさの中に体が沈み込んでいく・・・おほほほ、なんと心地よいのでしょう・・・このまま体を委ねましょう・・・母の胸の中にすっぽりと包まれて・・・まるで、おっぱい飲んでる杏樹ちゃん・・・は、いいんだけど・・・ヤベエ・・・起き上がれないぞう・・・どうしよう・・・ええと右足はどうなってる?左足は?
 両方の足が別々の方向を向いてスキーの先端から深く潜り込んでいる。胴体は下を向いている。簡単だ、足を引き抜けばいいんだ・・・と・・・支えがないと引き抜けない・・・ええと、ストックを突いてと・・・ズブズブズブ・・・うわあ、どこまでも入っていく!地球の中心にまで続いているなこりゃ。困った・・・どうすんべ・・・まあ、あわてても仕方ない・・・僕は体の力を完全に抜いてゆっくり考える。おうっ!体の力を抜いたらね、なんとか糸口が見えてきた。とにかく片足だけでも雪からスキーを抜こう。うんしょ、うんしょ、うんしょ・・・ふうっ!汗かいた。
 そんなこんなで10分くらい格闘していたかなあ。とにかく、なんとか起き上がれた。見るとその辺一帯はみんな深雪のようだ。ということで今度は深雪スキーにトライする。ターンしてフワッと降りるとスキー板が完全に見えなくなるまで沈み込む。でもあわてずに待っているとまた浮き上がってくる。札幌でも新雪は滑ったが、こんな深いのはなかった。バランスの取り方は整地とは全く違う。ええと、スキー板の面でとらえるんだな。カカト加重した後抜重してスキー板が雪から飛び出たら、空中で重心移動。いるかのようなドルフィン・ターン。これ結構腹筋使う。くたびれるけれど面白い。これはこれでハマる。
 でも午後になったら雪に加えてさらに靄(もや)のようなものが張り出してきて、視界が極端に悪くなった。どうも僕の経験から言うと、ガーラの南エリアには靄が出やすいようだ。こうなるともうコブ斜面は危なくて行ません。怪我だけは絶対にしたくないからね。

 ということで、再び中央エリアの整地に戻ってきた。南エリアより視界が良い。ジジという中級コースが荒れ放題になっていて、小さいコブがあちらこちらに出来ている。これは好都合。ジジとはまた今の僕に(爺々)ぴったりなコースではないか!
 ここで僕がトライした約1時間は、本日最も収穫の大きかった時間。僕は何度も何度もリフトに乗ってはショートターンの練習を繰り返した。右手のストックを突くやいなや左手のストックを前方に上げて、インテンポなショートターンを行う。
 つまり、ターンの間隔を一定にすることを最優先にし、その時点でたまたま着地する様々なコブの形状に対応する。コブの頂上に乗ることもあれば谷底に落ちることもある。コブに合わせてターンをするのではなく、コブの存在を無視してターンをし、リカヴァリーの練習。実際の大きなコブや深いコブではこんなやり方は危険すぎるが、このくらいのコブだと対応可能。
 おへそは常にフォールラインを向いている。ターンをする度に体がねじられる。ひねる、ひねる、ひねる!これはまるでカービー・ダンスかコアリズムだ。樫木裕美さん頑張ってえ!シェイプアップに最高!明日の朝には、ウェストがくびれるかな?
 こうなるとスキーとは一種のダンスだな。しかも、今僕が使っているK2のVelocityという板は、しなやかでたわみやすいものだから、余計バネが利いて、ビュンビュンとどこまでもダンスさせてくれる。今日の僕の頭の中を流れていたのはバッハではなく、マンボNO.5だ。ウー!

 滑り終わるとガーラの湯に行く。最初に大きな湯船に入ってポカポカ。極楽極楽!それからサウナと水風呂との間を行ったり来たり。お湯から出るとソフトクリームを食べる。おおっ!天国のようなおいしさ!

転べ!生涯現役でいるために
 スキーで転ぶと心が折れるという人がいる。僕は逆だ。スキーに行って、一度も転ばなかったら、僕は自分を恥じる。無理は決してしないし、絶対に怪我だけはしまいと心に決めている。でも、それと転ぶ転ばないは別の話だ。
 スキーほど自分で危険値を決められるスポーツはない。同じコブ斜面でも、スピードを上げた途端、危険値は限りなく上がるし、いくつかのコブをやり過ごしながら斜滑降的に降りてくるのと、ひとコブひとターンで直線的に降りてくるのとでは、要求されるスキルが全く違う。それを決めるのは全て自分自身だ。
 だから、一度も転ばないというのは、自分のキャパシティの内側だけで滑っているということであり、本当に熟練した人は別だけれど、僕のように発達途上にある人間にとっては、臆病な情けない状態なのである。

 では何故心が折れるのか?それは明白だ。すなわちプライドがそうさせるのである。実は、本当のことをいうと、この僕でさえちょっとは心が折れるのだ。こんな下手くそな僕でさえ、ちょっと進歩するともうプライドが生まれる。まったく、人間ってしょうもない生き物である。プライドは敵だ。こんなもの、百害あって一利なしだ。そのプライドを捨てると、初めて赤裸々な自分自身と向かい合える。
 かといって、わざと転ぶことを薦めるわけではないし、転べば転ぶほど良いわけでもない。要は、転ぶことを厭わずに前向きで滑るという態度だ。実際には、そんなには転ばない。仮に転んでも、心が折れる必要はないけれど、一方で、いつまでも同じ転び方をしていたら悲しい。そうならないように考えたり練習したりして、少しでも進歩出来るように努力すればいいのだ。人間って進歩を喜ぶように出来ているのだ。
 スポーツはみんなそうだけれど“肉体との対話”である。主人は自分の心であり、肉体を自分の意志に従わせようとするのだが、実は、主人が自分の家臣のことを良く分かっていないことが多い。主人は家臣に負荷をかけることによって家臣のスキルを知る。能力がもっと伸びそうだと思えば、もう少し負荷をかけてみる。
 でも、撤退することを恐れてもいけない。家臣の志気が落ちていたりスキルが落ちていたりしたら、一度撤退し、慰めねぎらってあげることも必要。先ほどの話に戻るけれど、転ぶのを恐れるのもプライド故ならば、撤退を躊躇するのもプライドの成せる技だ。撤退にとまどっていると今度は怪我をするのだ。

 この歳まで音楽家としての活動を続けていると、演奏や練習で失敗する可能性というのは極めて少なくなってくる。
「それは自分が巨匠の域に入ってきたからだ」
などとうぬぼれたくもなる。その誘惑は甘いお菓子のようだ。
 うんにゃ!騙されてはいけない!それって、単に自分の能力の最前線で戦っていないからじゃないか。歳を取ってきているのだ。感性もテクニックも身体能力も落ちてきている可能性があるのだ。
 
 幸い、スキーに行って来たすぐ後は、いつもよりずっと自分のスキルに対して懐疑的になっている。スキー場で、自分の弱さに徹底的に向かい合ってきたからこそ、音楽の領域だって完璧なはずはないだろうと素直に思える。
 そしてもう一度思う。音楽の領域でだって転ぶことを恐れてはダメだ・・・と。歳取って丸くなっただの、巨匠の域に近づいたなんて言われたらもう終わりだ。ドラマだって、何も問題が起きなくなったら最終回じゃないか。

だめだ。だめだ。まだまだ未熟者だ。だから生涯現役でいるしかないのだ!スキーはそれを僕に気付かせてくれるのだ。



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