雪、雪、雪の一週間

三澤洋史 

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雪、雪、雪の一週間
 先週は毎日雪の中にいた。白馬に行く時はいつも、
「ああ、雪国に来たんだなあ!」
と、雪を見ただけで感動するところから始まるのだが、今回だけはすでに東京が雪に埋もれていたので、なんか新鮮な感動がなくてつまんなかった。
 中央高速が閉鎖されていて高速バスが運休となり、JRに切り替えて白馬に着いてみると、リゾートホテル・カーサビアンカのマスターの大野正吾さんが言う、
「この雪でスキー場はかなりの打撃だと思いますよ。キャンセルが相次いで・・・」
そうかあ、スキー場だからって雪が降ればいつも嬉しいわけではないのか。都会に雪が降って首都圏の高速道路などが遮断され、スキー場に来ることが出来なかったら困るんだ。
 親友角皆優人(つのかい まさひと)君との再会と、彼のスキー・レッスンについては後半に書く。スキーに興味のない人もいるからね。白馬から帰京する12日水曜日は、半日滑ってからホテルに戻り、お風呂に入り昼食を食べて大野さんに車で五竜停留所まで送ってもらった。
 12時40分発の高速バスに乗り、中央道日野停留所で降りると、停留所の下には妻が車で待っていた。僕は荷物を車に乗せ、聖蹟桜ヶ丘の駅に着くまでにスキーウェアーからいつものジャケットに着替え、長靴から普通の靴に履き替え、必要な物だけバッグに入れて、何食わぬ顔をして東京バロック・スコラーズの練習に行く。
 しかし、なんだねえ。僕の妻になるのも楽じゃないねえ。こんな遊びの後始末をさせられるんだから。いや、妻にはとても感謝してます!

 2月14日金曜日。朝起きたらまた雪が降っている。その雪の中、10時にイタリア語のレッスンに行き、11時半に歯医者に行って、それから新国立劇場に向かった。午後の「カヴァレリア・ルスティカーナ&道化師」の合唱練習はしたけれど、雪がどんどん降るので、晩の「ヴォツェック」の練習は中止せざるを得なかった。
 次の朝起きて窓を開けてもっとびっくりした。どうみても30センチ以上積もっている。新聞を郵便受けまで取りにいくのに、雪かきをしないと一歩も進めない。ようやく辿り着いたら新聞が来ていなかった。家の前の道を見たら・・・なるほど・・・こりゃあ新聞屋も来られないな。凄いな。こんなの初めてだ。
 今日は午後から東京バロック・スコラーズのオケ練習及びオケ合わせがある。昨晩は、この練習がそっくりなくなる覚悟も決めた。でもその可能性を考えただけで身が震えた。雪は止んでいるので、午後の練習までにはなんとかみんな練習場に来られるのではないか。遅れる人や来られない人がいても仕方ないから、いるメンバーだけでなんとかやりたい。
 結局、オーケストラはひとりの欠員も出ることなく、無事練習をすることが出来た。いつも思うが優秀なオケだ。コンサートマスターの近藤薫君は、今は九州交響楽団のコンマスをしているが、その成長ぶりが著しい。オーボエの小林裕さんは、前回はなんと合唱団員としてモテット演奏会に乗ってくれた。今回、再び本来のオーボイストとして登場。合唱も来られない人はいたが、全体としては充実した練習が出来てホッとしている。
 でも帰り道では、電車の待ち時間が長く、いつもより随分時間がかかった。やっと国立駅に辿り着いたら、僕の家の方に向かうバスが運休になっていた。ガッチョーン!タクシーは・・・と思って見ると、長い列が出来ていて、車が全然来ない。ダメダコリャ!あきらめて雪道を家まで歩くことにした。40分かかった。今朝お散歩していないから、夜のお散歩か。あはははは・・・トホホ・・・。

 16日日曜日。新幹線は平常通り動いていたので、浜松バッハ研究会の「マタイ受難曲」の練習に行く。驚いたことに、浜松駅に降り立ったら雪のゆの字もない。この両週末、浜松では、雪はちらつきもしなかったそうである。東京でも名古屋でも降ったのに・・・。浜松の辞書には「雪」という言葉は載っていないそうである。むしろ春風がそよいでいる。いやあ、常春の国だねえ。人間もなんとなくのほほんとしているものね。

佐村河内守氏の作曲偽装を生み出した社会
 始めに断っておくが、僕は佐村河内守(さむらこうち まもる)氏の曲(実は新垣隆氏の曲)を一度も聴いたことがない。なので、彼の音楽そのものに関して何かを語る資格はない。しかしながらはっきり言えることは、この作曲偽装事件は、食材偽装や賞味期限偽装などと共通の性格を持っている。つまり、「売ること最優先」のあまり、人間として最も基本的な「正直に生きる」というモラルを忘れた結果である。だからこれは、作曲する本人の問題だけでもない。「そうとは知りながら」それを止めるどころか、一緒に流れに乗っかっていた人達が必ずいるのだ。本当に深刻なのは、こうしたことを許してしまう社会のあり方である。

 食材偽装の時にも僕は発言していた。
「おいしければ、ブラックタイガーだっていいではないか。この味とこの値段が釣り合えば、また食べればいい。それを判断するのは本人の舌でしょう」
それをそのまま当てはめたい。
「その曲が良ければ、新垣隆(にいがき たかし)氏の曲として楽しめばいい。どうして佐村河内守氏の曲でないといけないの?耳が聞こえないという付加価値がないと評価されない価値基準って、どーよ?」
 恥ずかしいのは、権威付けられた名前を「眼で食べる」食通もどきや、「現代のベートーヴェン」という「肩書きを聴く」エセ音楽通だ。さらに、もっと罪が重いのは、そうした「違いの分からない」人達に群がって、そこから甘い汁を吸おうとするエセ専門家やプロデューサー達。
 こんなのは日本だけの現象だ。まあ、そもそもポップスの世界では普通にあったのだけれどね。

 話は変わるが、ベルリンに留学する前、僕はホテルやレストランでジャズやポップスのピアニストとして留学資金を稼いでいた。その時同業者として知り合ったのが、俳優の石田純一のお姉さんであるピアニストの石田桃子さんであった。ある時、彼女と二人で渋谷のある芸能プロダクションに行った。作編曲の仕事をもらうためであった。ところが担当者と会って言われたのが次のようなセリフであった。
「曲の中で使えそうなフレーズをどんどん提供して欲しいのです。それを組み合わせて作曲家が曲を作ります」
「つまり、ゴーストライターということですか?」
「ははは、ゴーストライターまでもいきませんよ。単なる素材提供者です」
「・・・・」
ピンキーさん(石田さんのニックネーム)が無言で立ち上がった。
「行きましょう、三澤君!」
僕も立ち上がって、
「お会いして頂いてありがとうございました」
と言って、二人で出てきた。ピンキーさんはマジ怒っている。
「冗談じゃないわよ。あたしたちを何だと思ってるのよ!」
「んだんだ!」

 こんな風に僕達は芸能プロダクションの世界を垣間見たわけだ。こういう仕事を、
「はい分かりました」
って受ける人が世の中にはいるんだろうなあ、悲しいことだなあ、と思った。
 でも、歌謡曲はともかく、クラシックの世界って、本来はそんなのとは無縁じゃないか。無縁だから価値があるんじゃないか。どうせたいして儲かりもしないんだから。
この問題に関して、こんな記事があります。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20140209-00032494/
大野和士さんの言っていることはもっともだよね。

角皆君のレッスン~全てはボーゲンから
 11日火曜日は、角皆優人君を一日独占して個人レッスン。奥さんの美穂さんもわざわざ僕に付き合ってくれた。僕の長女の志保とあまり歳の変わらない美穂さんのことを、志保と次女の杏奈は、
「きゃりーぱみゅぱみゅみたい」
と言う。妻は、
「可愛くて妖精みたい」
と言う。
 僕はそのどちらにも同意する。性格がおおらかというかボケボケというか(失礼!)、とにかく不思議な魅力を持っていて、究極的ななごみ系だ。愛玩動物のようでもある。いや、褒めているんだよ。ホントだよ。
 きゃりーぱみゅぱみゅのことを話したら、角皆君が言えなくて舌を噛んでいる。僕は彼にとっておきの発音方法を伝授する。
「あのね、正しい発音の仕方を教えるからね。まず、なるべく口を横に開いて、なるべく高い声で引き延ばして『キャリーーー!』って言うんだ。それから急に口をゆるめて脱力して一気に小さい声で『ぱみゅぱみゅ』って言ってしまう」
「あははははは!」
みなさんもご一緒にどうぞ。はいっ!キャリーーー、ぱみゅぱみゅ。はい、よくできました!


雪の妖精


 さて、真面目にレッスンの話をしよう。午前中の前半は、なんとプルーク・ボーゲンから始まった!僕のこれまでの認識では、ボーゲンというのは初心者がするもので、パラレルまでのつなぎであって、一度パラレルを覚えてしまえば、もうあまり気にしなくてよいものであった。しかしながら「たかがボーゲン、されどボーゲン」。ボーゲンって実に奥が深い!
 白状するが、僕は自分で思っていたよりもボーゲンがずっと下手だった。特にシュテム・ボーゲンはほとんどやったことがなかったので、まるで初心者だった。ヤベエ、ボーゲンをナメていた。
 ボーゲンでの重心移動のメカニズムがきちんと分かっていなかった、ということは、本当はパラレルでもよく分かっていなかった可能性がある。ボーゲンの利点は、それを落ち着いてやることで、今自分の重心がどう動いて、そこに遠心力と重力がどう関わってくるのか認識出来ること。
 どんな優秀なアスリートでも、基礎練習あるいは基礎フォームで完璧な人はいない、と角皆君は言う。そして何か問題が起こったら、必ず基礎練習に戻ること、とも言う。高度の技で起きる問題の原因が、意外と基礎練習の中に隠れていることもあるという。だから僕がこの時点でもう一度ボーゲンに戻ったのは本当に良かった。その証拠に、後でその恩恵を随所で実感することとなったのだ。
 それに僕の場合は、もうひとつ大きな問題があった。それは、内傾を批判していたくせに、実は知らず知らずの内に基本スタンスがかなり内傾になっていたのだ。言い訳すると、それは僕が今使っているやんちゃなVelocityというK2の板のせいだ。だって内傾からターンを始めるとこの板喜ぶんだもん。まあいいや、ひとのせいにするのは止めよう。
 その内傾がボーゲンをやっても出てしまう。だから角皆君は、その後レッスンで、ボーゲンだけでなく、全ての滑りにおいて僕の内傾を徹底的に直し、外向傾及び外足加重に導いていった。

 さて、ボーゲンで無意識だった重心移動を意識化し、その後カーヴィングでも内傾を直された後、午後にはHakuba47のルート2という、五竜スキー場の中でも一番の急斜面に行った。
「重心を切り替える時に、抜重を意識しないで次の外足になる足の「内エッジ」を意識して!」
と彼が言う。今回、角皆君は、抜重意識を強調しない。むしろ「抜重を意識させないこと」を意識的に行っているようすら思える。その通りにすると、驚くほどなめらかなターンが出来た。急斜面でもブレのない安定したターンだ。
 下で角皆君が叫んでいる。
「三澤君、凄いよ!ここまで進歩するとは思わなかった!」
いやあ、それほどでもお!先生が良いからな。
 まてよ・・・それでも抜重は結果的にはしているんだ。しているんだけど、自分から「抜重!」と意識すると、急斜面ではジャンプのようになってしまって雪から離れてしまい、それだけリスクが大きくなる。それに対して、このやり方だと、重力は決してゼロやゼロに近い状態にはならずに、常に接雪の意識を持ち続けることが出来る。それに、前のターンの終わり即次のターンの始動となって、どこまでも静かで安全でなめらかなのだ。
 これだったら、どんな急斜面でも落ち着いて滑れる。反面、滑っている本人からすると、「ホレホレ急斜面だい!行くぞう!」
というスリルがなく物足りなさも残る。でも・・・これでいいのかも知れない。僕もオペラ歌手達によくアドバイスをするのだ。
「歌っていて楽すぎて物足りないくらいが理想的な発声なんだ。自分としてガッツリ歌った、なんて思うのはだいたい圧をかけ過ぎなんだよ」
それをそっくり今の自分にあてはめてみればいいんだ。

 さて、その日のレッスンの最後はコブだ。ここのところ北海道でもガーラ湯沢でもコブばかり行っていたので、少し上手にはなったと思うのだが、びっくりしたのは、さっきの急斜面同様、外足の内エッジを意識しながらコブでターンをしたら、まるで整地でターンをしているのではと思うほどなめらかに出来た。ここにきてボーゲンでやったこともはっきり効果として現れている。
「三澤君、コブの方が全然うまいじゃないか。整地よりきちんと外傾になっているし」
まあ、コブでは外傾にしないとマジ危ないからね。
 今日のレッスン。前半のボーゲンの下手さに比べて、後半では、角皆君は褒めてくれるんだけど、当の本人は、あまりのスムースさにむしろキョトンとしていた。ということは、それだけレッスン中に進歩があったってことなんだろう。


友情万歳


デイレッスンを横取り
 2月12日水曜日。今日は午前中だけ滑って午後のバスで東京に帰るので、僕は自由に滑ろうと思っていた。角皆君達は、10時から一般客を対象にした予約なしのデイレッスンがあるので、申込者がいたら一緒には滑れないけれど、とにかく9時半からの申し込みの時間にFスタイルの受付に行って会うだけは会おうねと話し合っておいた。
 でも、例の大雪でこの連休にはお客がいなかったし、今日はさらにその連休も明けてしまった平日だ。デイレッスンを受ける人が誰もいない。ああ、なんてもったいない!そこで僕は角皆君に提案した。
「あのさ、誰もいなかったら、僕がデイレッスンを申し込めば、結果的にデイレッスンの4000円で個人レッスンになっちゃうんだろう。申し込んでいい?」
「ええ?そんな、悪いよ」
「その代わり、ちゃんと気合いを入れて教えて!」
「いいけど・・・何を習いたい?」
「コブ!」
「よしきた!」
ということで、12日の午前中いっぱい使って、ひたすらコブを滑った。これまで通りのスライド・ターンに加えて、コブの溝に沿って滑るバンク・ターンの初歩も習った。実に充実したレッスンであった。

 彼の後に続いて滑ると、何の問題も起きようがないほど安定してコブが滑れる。しなやかに、確実に・・・・。僕は思った。これを基本形にして、これからはもうコブでも捨て身の無茶滑りは止めよう。昨日今日で学んだいろんなドリルをやりながら、落ち着いて一歩一歩スキルを高めていけば、自然にどんなコブでも滑れるようになる・・・と。

 レッスンの最後に、アルプス平からとおみゲレンデに降りてきて、最後のドリルをやる。
「三澤君、内足を浮かして外足だけで滑って!こんな風に」
あれっ、昨日まで上手に出来なかったのに、出来るぞ!そうかあ、コブを滑っていたので外向傾に慣れてきたんだ。体が自然に「くの字」に曲がって上半身がフォールラインの方を向いている。
「上半身が理想的な体勢になっているよ。それでは、今度は浮かした内足のトップを外足側に曲げてスキー板を交差させて滑ってごらん」
おおっ、まるでアクロバット・スキーのようだな。でも出来るぞ。面白いな。

 こんな風に最後の最後まで徹底して外向傾を教え込まれた。今、あらためて思う。やはり外向傾こそスキーの王道でありスキーの神髄だ。昔から変わってないし、この先どんなにスキー板が進歩しようが、決して変わらない永遠のメソードなのだ。この絶対的な安定度の上に全ての滑りが展開されなければならない。整地もコブもレーシングも・・・。
もう僕も内傾に浮気しないで、昨日今日で与えられたドリルを繰り返しやって、もっともっと安定して滑れるようになろう。

角皆君、ありがとう!僕のスキー熱はとどまることを知らず、僕と君との友情はまだまだ続いていくね。

カーサビアンカの夜
http://www.casabiancagoryu.net/
 最初の晩、カーサビアンカで夕食を食べていたら、マスターの大野さんが言う。
「三澤さんはお酒飲まれますか?」
「好きで困るんですよ」
「ここの地下ねえ、居酒屋になっているんですよ。後でいらっしゃいませんか?」
「ちょっと夕食後やることがあるので、そうねえ9時過ぎに顔を出してみます」
「ひとり紹介したい人がいるんですよ。7時半頃到着するんですが、大阪のお医者さんです。コブを滑りに五竜にやって来て、角皆さんを教祖のようにあがめています」
「へええ、面白そうだな。会ってみよう」
ということで9時過ぎに大野さんに案内されて行ってみると、居酒屋と言ったって想像していたものとだいぶ違う。まあ、だだっ広い普通のお部屋に大きなスクリーンのあるカラオケセットがおいてあり、テーブルがあって台所があるだけのもの。とても一般の客が何気なく入ってくるような店ではない。

 中にすでにひとりの初老の紳士がいた。いきなり僕のことを関西弁のイントネーションで、
「センセー!はじめまして!私松若(まつわか)と申しますう」
と言う。
「角皆さんからセンセの話いろいろお話聞いてます。スキーのブログも読ませてもろてます。時々角皆さんが『これ読みなさい』と言うんですわ」
うわ、恥ずかしいな。
 聞いてみると松若良介(まつわか りょうすけ)さんは僕と学年が一緒だった。大阪で内科、循環器科の松若医院を営んでいるが、ある時からコブに取り憑かれ、同じ大阪市のお医者さん同士で2005年にコブを滑る極楽会なるグループを立ち上げた。そのステッカーやトレーナーの制作を担当しており、角皆君のレッスンを受けにわざわざ週末などに白馬にやって来ているそうだ。明日は、僕が角皆君を個人レッスンで独占するため、一度僕も習ったモーグル選手の上田諒太郎さんをコーチにレッスンを受けるという。
 この居酒屋のスペースには、昔温水プールがあったそうである。それを、
「居酒屋にしようよ!」
と提案したのが極楽会で、特に松若さんは「居酒屋おおの」という看板を患者さんに作らせて持って来たり、いろいろなものを寄贈しているという。自分でも「極楽会」と背中に書かれた派手なジャケットを着ている。
「これも私が作ったんですわ。スキー場で着ているとすぐ分かりまっせ」

 大野さんが言う。
「三澤さん、ここにはいろいろなとっておきのお酒がありますよ。何飲まれます?」
というので、誘われるままにいろんなお酒をチャンポンでバンバン飲んでしまった。中でも日本酒の生酒がまろやかでうまかったなあ。厨房には茅ヶ崎で修行をしてきたという大野さんの息子さんが入って、イカの自家製一夜干しや鯵のたたきネギ味噌などの素晴らしい一品料理を作ってくれる。
 松若さんとは、共にコブに取り憑かれ、角皆君を共通項に持つ同士、気が合わないはずがない。話はどんどん花が咲く。上村愛子の話題や、コブの話やきりがない。一時間くらいで引き上げるつもりが、気が付くと日付が変わりそうになったので、あたふたと引き上げた。

 次の晩は、レッスンを終えた角皆夫妻が、カーサビアンカに夕食を食べに来た。上田さんも来たので、夕食時には僕、角皆君と美穂さん、松若さん、上田さん、それにマスターの大野さんも話に加わり、大いに盛り上がった。
 その後、角皆夫妻は帰っていったが、僕はまた居酒屋に誘われた。この誘惑がヤバイね。
「今晩はすぐに引き上げますからね」
と念を押して言ったが、やはり話に花が咲いてしまった。しかし心を鬼にして早めに退散。

ヤバイ!このホテル、楽しすぎる!



Cafe MDR HOME


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