アヴェ・マリア

三澤洋史 

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花粉症な毎日
 ヤバイ!始まりこそ遅かったが、今年も花粉が絶好調に飛びまくってますねえ。しかも、僕の場合は、鼻だけでは足りなくて、気管の方にまでアレルギーが起こり、時々咳が出る。そんな時は、喉の一点に痒いものが留まったままで何度咳をしても抜けない。だからめちゃめちゃ咳き込んだりしてしまうが、何でもない時は本当に何でもない。とっても困るんですけど。
 先週は、新国立劇場合唱団員の次期契約更新のための試聴会及び新人採用のオーディションが続いていた。試聴会では次期芸術監督の飯守泰次郎氏も僕の隣で聴いておられた。僕は、歌い終わった歌手達に、
「ありがとうございました」
と言わなければいけないのだが、マスクがはずせなかった。アレグラもあまり効きませんねえ。でも、眠くなったり喉が渇いたり口の中が乾くのも嫌だから、強い薬は飲みたくないんだ。

 一番困るのは、プールに行こうという気になれないことである。もともと塩素アレルギーがある僕は、プールに行くと声がややおかしくなる。今プールに行ったら、アレルギー症状が倍加されて鼻水が止まらなくなってしまうであろう。
 一方で、僕にとってのスキー・シーズンは終わってしまったし、先週は天気も悪かったから自転車で初台まで行くことも出来なかった。そんなこんなでなんとなく運動不足の今日この頃だ。

 でも、今日は(24日月曜日)お天気が良いので、「死の都」千秋楽だけれど、自転車で出掛けてみようかなと思っている。終演後はそのまま家に帰らずに、同じ国立ではあるが志保の家に行く。志保もトミーノも仕事なので、妻が志保の家で孫の杏樹ちゃんを見ているから、夕食もそこで食べる。
 杏樹はもうすぐ(28日で)4ヶ月になる。手足をバタバタさせながら大きな声で笑う。もう可愛くてたまりませんなあ!まさにAnge(天使)ですなあ。相変わらずメロメロじーじです。

アヴェ・マリア
 今年の7月は、僕にとっては怒濤のような月になる。新国立劇場では久し振りに高校生の為の鑑賞教室として、7月9日から15日までの間に、プッチーニ作曲「蝶々夫人」を東京フィルハーモニー交響楽団で6回公演指揮する。「蝶々夫人」は、過去に尼崎公演も含めると、なんと18回も振っている。今度の夏の6回を振り終えたら24回になるわけだ。
 20日日曜日には志木第九の会でメンデルスゾーン作曲オラトリオ「聖パウロ」を指揮する。オケはニュー・シティー管弦楽団。そして、自分にとってもうひとつとても大事な演奏会がある。それは、東京六大学OB合唱連盟演奏会でアカデミカ・コールの演奏する、自作男性合唱組曲の指揮だ。これが「蝶々夫人」の真っ只中の13日日曜日にあるのだ。

 東大コール・アカデミーのOB合唱団であるアカデミカ・コールに行くようになってからもう随分経つ。その間に、ケルビーニ作曲「レクィエム」をオーケストラ伴奏で2度ほどやったのを初めとして、大好きな多田武彦の「雨」や「東京景物詩」など、沢山の演奏会をやった。
 そのアカデミカ・コールから新作の依頼を受けていた。数年前のことである。そこで、いろいろ詩を探し始めた。八木重吉、立原道造、あるいは北原白秋や高村光太郎など読み耽ったが、どうもこういう日本の詩に曲をつけようとしても、僕のところには、この種のインスピレーションはあまり降りて来ないようで、無理矢理作ればテクニックでそこそこの曲は出来そうな気がするが、多田武彦の亜流になっても仕方ないなあと思っていた。
 僕がグズグズしていてなかなか曲を作らないので、担当者が業を煮やして言った。
「先生、すでにある曲でもいいですよ」
この言葉で、ハッと思い立った。そうだ、以前新町歌劇団とソプラノの中村恵理さんのために作曲した組曲「アッシジの風」の中の「主の祈り」と「聖フランシスコの平和の祈り」があるな。
 この2曲は、僕の洗礼名である聖フランシスコの生まれたアッシジに行った印象をもとに、イタリア語の歌詞に作曲したものである。自分で言うのもなんだけど、アッシジで大いにインスピレーションを掻き立てられ、溢れる信仰の情熱を音楽に込めることに成功した曲だ。
 ソプラノ・ソロと混声合唱の曲を、ソロもない男声合唱に直すのは無謀のような気もしたが、「バッハとパロディ」の精神で、敬愛するバッハ先生に習って僕はこの2曲を編曲した。思ったよりうまくいった。知らない人は、この編成のために作曲したと思うだろう。
 これにもう1曲祈りの曲を加えて、「3つのイタリア語の祈り」としたいと思った僕は、いろいろ探したが、結局落ち着いたのは、めちゃめちゃ月並みな「アヴェ・マリア」。そして作曲に取りかかった。やっぱり「アヴェ・マリア」は良く出来た祈りだ。

 ということで、先週はずっと空いている時間を「アヴェ・マリア」の作曲に費やしていた。音楽はエリック・サティのように始まり、中間部でやや速めのワルツのようになって、シャンソンのようでもあり、ショパンのようでもある。
「なんだって?それで『アヴェ・マリア』になるのかい?」
という声が聞こえてきそうだね。

 この曲だけイタリア語の他にラテン語を使用した。ベースがずっと低い位置で、定番であるラテン語のAve Maria, gratia plena Dominus tecum.を淡々と歌う上に、動きのある音符で上3声がイタリア語のAve, o Maria, piena di grazia, il Signore è con te.を歌っていく。その同時進行がとても楽しいと思うよ。
 ちなみにaveはラテン語で「ようこそ」という意味。マリアがイエスを身ごもったことを知らせるため、天使ガブリエルが天から使わされてマリアの元へ行き、最初に言った言葉がこれだ。
「おめでとうございます、マリアよ」
とも訳せるけれど、直訳はむしろ「こんにちは」でもいいくらいだ。各国語の訳が少しずつ意味が違うのが面白い。
 フランス語はJe vous salue, Marieで、
「私はあなたに挨拶を送る」
の意味だけど、スペイン語は、
Dios te salve, Mariaだから、
「神は君に挨拶を送る」
となる。まあ、ガブリエル自身でも神でもどっちでもいいんだけどね。ドイツ語もduを使うしイタリア語もスペイン語もtuと「君」に相当する言葉を使うのだけど、フランス語だけ何故かvousという「あなた」に相当する敬称を用いる。
Le Segneur est avec vous.
「主はあなたと共にまします」
って感じになって、イタリア語の、
Il Signore è con te.
「主は君と一緒だよ」
と随分印象が違う。

 7月13日の演奏会では、伴奏として第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノ、そしてアコーデオンを使う。僕のお気に入りのコンサート・ミストレス藤田めぐみさんが出演してくれる。第2曲目の「聖フランシスコの平和の祈り」では、疾走する曲調の中、アコーデオンがスパニッシュ・ムードで大活躍するし、「アヴェ・マリア」の中間部でも、パリの街角のストリート・ミュージシャンのようなアコーデオンが聞かれる。こう言うと、
「一体どんな祈りの曲やねん?」
と思うでしょう。興味のある人は演奏会に来てください。祈りの曲としては一風変わっているかも知れないけれど、
「なあるほど、これもアリだね」
と、きっと納得してもらえると思う。親しみやすい調性音楽です。

 産みの苦しみというほどではないけれど、作曲している間は、完成するまで落ち着かなくて、早くすべて吐き出してせいせいしたいと思うものだ。いつも頭の中にあって、歩いていても突然、
「あっ、あそこのところ、やっぱりフラットつけた方がいい!」
なんて、どうでもいいような小さい事が気になって、一刻も早く家に帰って直したくなる。今は家のパソコンで譜面作成ソフトを使って作曲しているので、昔のようにいつも五線紙を持ち歩いてというわけにもいかないのだ。
 そして曲自体が出来上がって、推敲して間違いを直し、
「よし、これで出来上がりだ!」
となった時のあの開放感ったら!ふっと肩の荷が降り、心の中にじわあっと幸福感が広がってくるんだ。この歓びは作曲というものをしたことない人には分からないなあ。演奏者がコンサートで得る達成感とは全然違う種類のものだ。それを僕は昨晩味わったのだ。つまり、「アヴェ・マリア」は昨晩仕上がったわけである!

 曲のタイトルであるが、最初「3つのイタリア語の祈り」としようとしていたが、なんとなく野暮ったいので、志保の夫のトミーノやその母親のイタリア語翻訳者とよしま洋さんと相談しながらイタリア語のタイトルをつけた。
Le Preghiere Semplici レ・プレギエーレ・センプリチ
そして副題として「3つのイタリア語の祈り」とした。
 このタイトルの由来はこうである。「聖フランシスコの平和の祈り」のイタリア語の原題はPreghiera Sempliceという。意味は日本語とは大違い。Preghieraは祈り、sempliceは英語のsimpleだから、「シンプルな祈り」なのだ。このあっけないくらいシンプルなタイトルが逆に気に入って、他の「主の祈り」も「アヴェ・マリア」も「シンプルな祈り」なんだから、いっそのことこれを複数にすればいいじゃないということになったのだ。イタリア語の専門家が身近にいるようになってとてもありがたい。

 東京六大学OB合唱連盟演奏会は、7月13日日曜日、池袋の東京芸術劇場で13:30開演です。でも早稲田、明治、立教、法政、慶應義塾のそれぞれOB男声合唱団が出るので、アカデミカ・コールの出番は(多分最後と聞いているけれど)何時になるかはっきりとは分かりません。分かったら教えるので、興味のある人は是非来てね。

 それにしても、怒濤の7月を乗りきるためにも、昨年の「パルジファル」に向かった時のように体力増強しなくてはいけない。早く花粉の飛ぶ時期が過ぎ去って、プールに通う日々が始まって欲しいなあ。

ガトーフェスタ・ハラダの演奏会
 一方、その怒濤のような7月の後だが、8月の終わりの31日には、群馬県高崎市新町でガトーフェスタ・ハラダのコンサートがある。今や全国的に有名な、あのラスクのハラダである。ここの本店のホワイエでコンサートをする。
 そのための新町歌劇団用の編曲も、「アヴェ・マリア」と平行して行っていたが、この編曲はとても楽しい。何故なら、僕の世代の者にとってはなつかしい曲ばかりでプログラムを構成するからだ。
 たとえば、沖縄編として「涙そうそう」と「童神」。トワエモアの曲として「虹と雪のバラード」「地球は回るよ」。この後「誰もいない海」を編曲予定。それから「琵琶湖周航の歌」。この後「見上げてごらん夜の星」などを編曲する予定。
 さらに、このコンサートにはゲストとしてテノールの田中誠君が出演してくれる。彼が歌う曲が、たとえば「影を慕いて」「長崎の鐘」など。要するに懐メロなんだけど、こうして並べてみると、昔はメロディーが美しく、歌詞と一体となって心に染みいる曲が多かったなとしみじみ思うのだ。
 トワエモアの曲を編曲していると、あの頃はまだ日本が元気だったんだな・・・未来に期待と希望をみんなが持っていたんだな、とまぶしい気持ちになる。

時は今流れても 愛があるならば
明日もまた 花は咲く
愛の朝に

この世に生まれた よろこび見つけた
あの時に めぐり逢って
愛のために 生きてゆく
ことを知った
 景気も良くて生活がどんどん豊かになっていった時代。でも、よく考えてみると、経済だけがそうさせていたのではないような気がする。人々が気が付かなかっただけなのだ。景気がそれを後押ししたのは事実だけれど、むしろ人々の中にある“希望”そのものが、世界を潤わせていたのだ。
 今の日本が駄目なのは、未来に希望を持てないからだろう。その閉塞感が若者を無気力にさせ、至る所で変な事件を起こさせている。僕は、これらの曲を演奏しながら、あの時代からバイタリティをもらって、それを来てくれた人達と分かち合いたいと考えている。

 ハラダのコンサートは、大勢は入らないのだが、2回公演を考えているので、遠方からでも来れます。また詳細が決まったらお知らせします。

カルミナ・ブラーナの歌詞

Swaz hie gat umbe,
daz sint allez megede,
die wellent an man
Alle diesen sumer gan.
 この歌詞をドイツ人に見せると、みんな間違いなく笑う。そして読み方と意味を説明してくれるが、とっても恥ずかしそうな顔をする。きっと日本語の方言を外国人に説明する時も、僕達もおんなじ顔をするのだろうなと思う。
「Swaz hie gat umbeは、Das was hier geht umherのこと。つまり、ここで輪を描いて回るものという意味だ。
daz sint allez megedeは、das sind alles Mägdelein それはみんな乙女達という意味。
die wellent an man alle disen sumer gan・・・・うーん、このanはよく分からないなあ。einen Mannじゃないかなあ。Die wollen einen Mann diesen ganzen Sommer gehen夏中ひとりの男を求めて過ごす?うーん・・・・」
 バイロイト音楽祭で合唱アシスタントを一緒にやっていたシュテッフェン・シューベルトは頭をかしげた。それがずっと頭に引っ掛かっていたが、その後いろいろ調べてみたら、どうやらこのanが曲者で、ohne(なしで)の意味らしい。ドイツで一般的に用いられている現代ドイツ語訳では以下の通り。
die wollen ohne Mann diesen ganzen Sommer gehen.
乙女達はこの夏中を男なしで過ごそうというのだ。
その他、英訳、イタリア語訳、フランス語訳の全てがwithoutの意味で使っている。現代ドイツ語辞典では、anは、an der Wienのように、「なになにの側に」という意味などで用いられ、否定的な意味はないが、一方でカルミナ・ブラーナの場合、何語であっても肯定的に「ひとりの男を求めて」という風に訳しているのはひとつもない。まあ、僕達だって、古典文学の意味をと訊かれても答えられないことは多いだろうから、ドイツ人でも古語に詳しい人でないと分からないだろうが、いつか言語学者にきちんと訊いてみたい。

 その他、俗語のドイツ語を全部説明したいけど紙面がない。というか時間がない。時間がある時にゆっくり説明しよう。僕の合唱練習では、こういうのは練習中に全部説明してあげるんだけどね。それと共にニュアンスもドイツ人仕込みで指導してあげられるんだ。これに関しては、こうやって文章で書いても仕方ないので、やっぱり僕の練習を受けるしかないね。
 カルミナ・ブラーナを演奏する時は、聴いたドイツ人が笑い出すように、なるべく田舎っぽくこの俗語のドイツ語を発音すべし。swasはdas wasに沿うように発音したらスヴァスかも知れないが、あえてめちゃめちゃ子音を立ててシュヴァツと言おう。シュヴァッツとなっちゃってもいいよ。ウンベのベなんかももの凄く強調して、みなさんが自分で笑っちゃうくらいに発音するのだ。

 今度のバレエ公演では、このドイツ語のニュアンスが聴けますよ!興味のある人、あるいは合唱をやっていてこの感じを知りたい人は必聴!



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