聖週間とチェレスティーノ神父

三澤洋史 

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カテドラルに通う今日この頃
 4月13日日曜日は枝の主日。四旬節も大詰めに入ると、キリストが十字架に架かって死ぬ聖金曜日を中心とした聖週間の期間に突入する。その聖週間の最初は、キリストのエルサレム入城を記念する枝の主日だ。

弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。
「ダビデの子にホサナ。
主の名によって来られる方に、祝福があるように。
いと高きところにホサナ」
(マタイによる福音書21章6-9)
 僕はこの場面が大好きで、自分のミュージカル「愛はてしなく」でも、この光景をなんとか舞台上で表現したくて、熱狂的なダンスシーンを含むコーラス・ナンバーを作曲した。というか、こんなこと言っても誰も信じてもらえないだろうけれど、前世の記憶みたいなものを持っている。つまり「僕はこの場にいた!」という記憶である。不思議と、十字架を担いでいくイエスを眺めた記憶は全くないので、きっと他の弟子たちと一緒に恐くて逃げてしまっただろうと思われる。いやはや情けない。
 2011年にミラノに在外研修に行った時は、パリからお遊びに来ていた次女の杏奈と一緒に、枝の主日の朝にミラノを発って、ヴェネツィアに一泊の小旅行をした。ミサには出れなかったのだが、サンマルコ広場に着いたら、ミサが終わって出て来た信徒達が持っている棕櫚の枝が大きいのにびっくりした思い出がある。


ヴェネツィアの枝の主日


 今年の枝の主日のミサは、東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂で受けた。ちょっと説明するが、教区の本部では司教の座る椅子がある。この椅子のことをカテドラと呼ぶ。そしてカテドラルとは、カテドラ(司教座)のある教会のことを指すのだ。
 たとえば名古屋だったら、布池教会が、愛知、岐阜、福井、石川、富山を統括する名古屋教区のカテドラルというわけである。東京教区は、東京都と千葉県を統括していて、この東京カテドラルに岡田武夫大司教が座るカテドラがある。大司教はここの敷地内に住まわれていて、東京カテドラルは、東京教区のみならず、時には日本全国規模で大きな行事をする拠点となっている。
 と同時に、ここは関口教会という小教区の教会として、具体的に付近の住民の信者を持っている。日本でいえば、檀家を持つお寺と一緒である。このあたりは文京区の関口という土地なのだ。このように、聖マリア大聖堂はひとつの建物で二つの異なった役割を担っている。だから呼び方も東京カテドラル関口教会と並列している。
 この関口教会には聖歌隊がある。基本は小教区の教会の聖歌隊なのだが、必要な時にはカテドラルの聖歌隊としての顔も見せないといけないというややこしい聖歌隊だ。実は、僕はこの関口教会聖歌隊の指導を最近頼まれたのだ。ところが、なにせここ何十年間もの間クリスマスくらいしか教会に行かないインチキ信者なので、まず自分自身が立ち帰らないといけない。そこで、この2月から、仕事の入っていない日曜日の午前中には関口教会の朝10時のミサに通っているのである。

 でもね、通えば通うほど、これはまだ指導どころではないなと感じている。あまりに長い間、俗世間の垢にまみれていたので、そう簡単に偉そうな顔してミサの中で聖歌隊を指揮したりしてはいけないと思うのだ。だから今は、むしろ聖歌隊のメンバーの中に混じって歌っているだけなのである。
 主任司祭の山本量太郎神父は、とても音楽を大切にする人で、ミサの中で司祭が唱える文句を全て歌う、いわゆる「歌ミサ」を行っている。最初に行った時は驚いた。冒頭の、
「主はみなさんと共に~」
から歌だ。
「うわっ、こんなところまで歌ってる!」
僕はひとりでびっくりしていたが、周りの人は当然という感じで、
「また司祭と共に~」
と歌い返している。
 そんな山本神父だから、新国立劇場合唱団を指導している僕に白羽の矢を立ててくれたのだろう。それはとても光栄であり感謝しているが、ここでは音楽さえバシッとやればいいというものではない。でも、僕がグズグズしているので、聖歌隊のレベルが僕の気に召さないのでやる気をなくしているのでは、とかいろいろ気を回して心配をさせてしまった。
 いや、全く違うのですよ!もうしばらくBuss und Reu(懺悔と悔恨)の日々を送らせて欲しいというのが本音である。それを山本神父にもお話しした。

 それよりも、こうして久し振りに教会に行く日々が始まって、最初はただでさえ忙しい日々がもっと忙しくなるのではと自分でも思っていたのだが、案外そうでもない。物理的には確かにより忙しい。でも広大なカテドラルの空間の中で、ぼんやりと心をからっぽにしていると(こんなだからダメなのかも知れないが)、なにか自分の心がとても満たされていて静かで、あわただしさみたいなものとは正反対だ。なにより、僕の全身から穏やかな満たされた波動が出ているのを自分でも感じるのだ。

 まだしばらくは、この静謐なる空間に浸っていたい。あわてることはない。時が来れば、何らかの道が自分の前に示されるであろう。それが神の御旨であれば。

チェレスティーノ神父逝く
 4月14日月曜日。妻の所に電話が入った。立川教会の主任司祭であるチェレスティーノ神父が危篤だという。体の具合が悪く、入院していたのは知っていたが、何故こんなに早く、と思った。今夜が峠と言われて妻はあわてて病院に出掛けて行き、がっかりしながら戻ってきて言った。
「今夜どころじゃない。もういつ息を引き取ってもおかしくない状態」
晩に再び電話が入った。
「そうですか・・・・」
答える妻の声がとても小さかった。神父の臨終を知らせる連絡であった。

 長女志保の結婚式のビデオを覚えていらっしゃる方も多いと思う。昨年の8月、その式を立川教会で行ってくれたのがチェレスティーノ神父であった。その晩、僕の家でささやかな夕食会をした。
 志保の夫のトミーノや、彼の母親で翻訳者のとよしま洋さんなど、イタリア語に堪能な人が多いのに、イタリア人であるチェレスティーノ神父は、こちらがけしかけても全くイタリア語を話さなかった。この日本の地では、自分はイタリア人であることを捨てて日本人に成り切る、と決心しているようで、かえってその真摯な態度に胸を打たれた。

 チェレスティーノ・カヴァニヤ神父は、1953年10月20日にイタリアのベルガモ(正確にはベルガモ近郊の小さい町)で生まれた。とても信仰深い地域で、街中の人達が日曜日にミサに出掛けて行くそうだ。彼の家は貧しかったが、やはり敬虔な雰囲気の家庭で育ったという。
 10歳の時に小神学校に入り、わずか23歳で司祭に叙階。早くから異国の地の宣教への情熱を持っていたと聞く。叙階の翌年の1978年には、もう来日して、最初の2年間は日本語を勉強し、それからミラノ外国宣教会が担当する各地の教会で司祭を務めた。
 1990年から2000年まで府中教会の主任司祭を務め、それからカテドラルに行って東京教区本部事務局長及び東京教区司教総代理を務める。2011年4月より立川教会に赴任する。その頃、僕はちょうどミラノに研修に行っていた。帰って来てみたらイタリア人の神父がいるので驚いた。

 彼は、イタリア人には珍しく物静か。でもしゃべり始めると止まらない。結婚式の後の我が家のパーティーでは、東京カテドラルに新しいオルガンを導入した時の話をいろいろしてくれた。
 東京教区本部事務局長の時代に、彼がオルガン導入の責任者となって、イタリアのオルガン工房とコンタクトを取ることから始まり、オルガン組み立て業者の来日のケアや、平行して教会修復工事を担当していた日本の建設業者との仕事の仕方の摺り合わせなど、いろいろ気を配って完成にまで導いたのだ。話す内にどんどん熱が入ってくる。その熱に僕達一同惹き込まれた。
 日本ではとかくパイプ・オルガンをある種の“権威の象徴”のように捉える傾向がある。だがこれは、“象徴”の割には予想以上に費用がかかる。とりわけ、作った後のメンテナンスには、意表を突くほどの出費がかさむ。だからパイプ・オルガンは「金食い虫」のように言われている。
 しかしながら、僕はカテドラルに通うようになって実感しているが、ここのオルガンの音は特別だ。どこのオルガンとも違う。フォルテも耳に痛くないし、ピアノの音色のまろやかさは筆舌に尽くしがたい。さらに、広大で残響の長い聖堂空間とのサウンド的コンビネーションは理想的だ。
 このオルガンの響きに満たされた聖堂に身を置いていると、場違いな言い方かも知れないが、僕は禅との共通性を感じる。そういえば、チェレスティーノ神父は、日本の禅にとても興味を持っていて、自分でも禅道場で修行したそうな。西洋文化の粋を集めたようなオルガンという巨大な機械のような楽器と、そして禅。そんな正反対のものをつなぐような音をこの楽器は持っている。

 立川教会に毎週通う妻は、チェレスティーノ神父の、静かな中に燃える熱い信仰の炎にすっかり魅せられていた。僕も、会う機会は多くはなかったが、本当に何に対しても真摯に向かい合う姿には、端で見ていても感銘を覚えていた。
 今年に入ってから体調がすぐれず、直前になってミサが出来ないということもあり、みんなで心配していた。どこが痛いという切羽詰まった状態になかったため、入院するわけでもなく放置されていたが、実は肝臓と腎臓の機能が極端に低下しており、4月始めに緊急入院した。それからは、あれよあれよという間に悪くなって死に至ってしまった。まるで体が自分から死に急いでいるようであった。事実そうだったのかも知れない。というか、神様が、
「もう帰っておいで」
と呼んでるように思えた。

 亡くなる直前まで苦しんでいたとも聞くが、水曜日に立川教会に安置してある亡きがらに会いに行ったら、静かでおだやかな顔をしていた。
ともあれ、今は、
「お疲れ様」
と言ってあげたい。享年60歳。僕とあまり変わらない。

今年の聖週間
 さて、枝の主日の後、聖週間のミサにも全部出たかったけれど、仕事が入っていてそうもいかなかった。でも今年は可能な限り出席した。こんなことは学生の頃以来だ。
「ねえ、聖木曜日の夜のミサに出られないのなら、聖香油のミサって行ってみない?」
と妻が言い出した。
「聖木曜日の午前中にカテドラルであるのよ。東京教区中の司祭達が一堂に集まって、その日に聖別した香油を各教会に持って行って、洗礼式などに使うの」
「へえ、面白そうだな」
妻の車でカテドラルに行く。祭壇の上に祭服を着た神父達が何十人もいた。それが聖変化などの時に一斉に祈りの文句を唱えるのは壮観であった。
 聖金曜日には、本当は新国立劇場で「アラベッラ」の合唱音楽練習が入っていたが、木曜日の晩の練習をかなり一生懸命やって成果が上がったので、金曜日は休みにしてカテドラルのミサに出た。最初から聖金曜日のミサに出たかったからそうしたのでは、という疑惑を持ってはいけない。そういうことも考えないではなかったが、すべて木曜日の出来次第だったからね。
「良く出来たら明日休みにしてあげるから、今日は一生懸命練習しよう」
と言ったら、とっても集中した良い練習が出来たんだ。ほら、やっぱり金曜日休みにしようとしていたんじゃないか・・・でもね、2日間ダラダラした練習をするより、よっぽど良いのだ。帰り際に、
「明日は聖金曜日だから、休みにしてあげるからみんな最寄りの教会に礼拝に行こう!」と言ったら、みんな笑いながら帰って行った。
 聖土曜日の復活徹夜祭のミサには、「カルミナ・ブラーナ」の本番のため出席出来なかったが、その代わり復活祭の日曜日及び今日(21日月曜日)の2日間は怒濤のようであった。日曜日は、朝10時にカテドラルでミサを受け、午後に新国立劇場で「カルミナ・ブラーナ」の本番に立ち会い(全然内容が違うぜ!こんな不謹慎でいいのか?)、それから急いで家に戻ってきて着替えて、夜の6時から立川教会で行われるチェレスティーノ神父の通夜に出たのだ。午前中はキリストの復活の晴れやかな気分に浸り、夜は一転して悲しみの感情に支配された。午前中の山本神父の熱のこもった説教に結構感動し、夜の岡田大司教のチェレスティーノ神父との親しい交友のお話に胸を打たれた。
 さらに今日は1時からカテドラルで行われた葬儀に妻の車で行った。先日の聖香油のミサのように、また祭壇の上に神父達が何十人もいた。こんな大規模なミサだとは思わなかった。まあ、長年カテドラルで事務局長していたのだから無理もない。

 こんなに教会ばっかり行っていていいんだろうか、とかえって不安にすらなった一週間であった。まるで敬虔なカトリック信者のようではないか(笑)!でも、なんだろうな、心が洗われて魂が喜んでいる感じがする。チェレスティーノ神父がこのタイミングで亡くなったのも、もしかしたら神のはからいかも知れない。

カルミナ・ブラーナ快進撃&ファスターの衝撃
 新国立劇場バレエ団公演「カルミナ・ブラーナ」が初日の幕を開け、快進撃を続けている。4月19日土曜日20日日曜日と2日間公演した後、4日間お休みして、次の週末に向けての25日金曜日26日土曜日27日日曜日の3日間、再び公演する。

 ところで、前半の「ファスター」という曲が面白い。これは2012年のロンドン・オリンピックを祝して、バーミンガムのロイヤル・バレエが、オーストラリアの作曲家マシュー・ハインドソンに委嘱した作品だ。それを、現在新国立劇場バレエ部門芸術監督であるデビッド・ビントレー氏が振り付けた。
 激しいオスティナートのリズムに満ちた音楽で、ミニマム・ミュージックともとれる。その音楽に乗って、バレエのコスチュームではなく、なんとレオタードのような衣装に身を包んだダンサー達が踊る・・・というよりほとんど走っていると言った方がいいな。とにかくオリンピックに臨むアスリート達の葛藤や歓びなどが表現されていて、もの凄くエネルギッシュなのだ。タイトルのfasterも「より速く」という意味で、オリンピックのモットーである「より速く、より高く、より強く」からきている。
 これねえ、騙されたと思って絶対観た方がいいよ。バレエという常識が完全にくつがえるから。デヴィッド・ビントレーという振り付け家は、まさに天才だ!「カルミナ・ブラーナ」でもそう思ったけれど、こんな人を芸術監督に迎えたバレエ部門は凄いな。でも、もう今期で任期終了なんだ。だからこそ、時間のある人は来てね。「カルミナ・ブラーナ」は、今回3回目で、ますます安定していて、きめの細かい表現が出来ているよ。



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