新国立劇場合唱団テニスクラブ
新国立劇場合唱団に最近テニスクラブが出来た。で、僕も誘われた。
「いや、生まれてから一度もテニスやったことないから・・・」
と言ったらあきらめるかと思ったら、ソプラノの黒澤明子さんが、
「初心者大歓迎ですよ。教えてあげますから」
と言う。黒澤さんは、びわ湖ホールの声楽アンサンブルのメンバーになる前は、テニスのインストラクターをめざしていたほど上手なのだと他のみんなが言う。
それで、何にでも好奇心旺盛な僕は、一度だけお試しで参加してみることにした。すると、大学時代ずっとテニス部だったというソプラノの紺野恭子(こんの きょうこ)さんはじめ、メンバーのみんなが喜んでくれている。
「コートを借りて、そのお金をみんなでシェアーするんですが、三澤先生は、今回だけ特別ウェルカムでタダにします」
黒澤さんは、そう言いながらテニスボールが4つ入ったケースを僕に渡し、
「これは、わたしから先生へのプレゼントです」
おおっ!なんという暖かいオ・モ・テ・ナ・シ!
「ただし、テニス・シューズがないとコートに入れてもらえない時がありますので、テニス・シューズだけは買って下さい」
「はい、分かった」
ラケットはテノールの二階谷洋介さんが貸してくれた。
「このラケットとボールで、地面をポンポンと軽く打つだけでもいいですから、次の例会までにちょっとでも慣れておいて下さい。それだけでも違いますよ」
ということで、生まれて初めてテニスラケットというものを持った。バトミントンより重くて大きい。
そういえば、六本木男声合唱団倶楽部をはじめ僕の合唱団の発声練習や指導をやってもらっているテノールの初谷敬史(はつがい たかし)君も、最近テニスに凝っていると言っていたな。19日土曜日は、志木第九の会の「聖パウロ」のオケ合わせ。初谷君は合唱合わせの前の発声練習で来ることになっている。そこで彼にメールを打つ。
「新国立劇場合唱団テニスクラブで人生におけるテニス・デビューをすることになったよ。それでさ、ラケットを持って行くから素振りを教えてくれ」
「おお、いいですね!もちろん素振りバッチリ教えますよ」
指揮者がテニスラケット持ってオケの練習場に行ってどうするんだ?午後と夜の間の1時間の休憩時間に、僕は初谷君に素振りを教わった。なにせラケットの持ち方すら知らないのだからね。
それだけでは飽きたらず、次の日の「聖パウロ」の本番が終わって打ち上げまでの間にも、志木市民会館パルシティわきの空き地で、初谷君と二人で軽く打ち合いをした。彼がラケットを二つ持ってきていて、僕はボールを持っていたのだ。まったく、演奏会当日にふたりとも何やってるんだ。
「先生、結構上手じゃないですか!」
とおだてられて、すっかりいい気になって打っていたら、ボールがはずれて、駐車場に停めてあったある車の前の部分に軽く当たってしまった。その瞬間、
「あっ、今当たりましたよね!」
突然後ろから鋭い女性の声がした。見ると若いカップル。女の子が走ってきた。その後から男の子が困ったような顔をしてゆっくり来た。初谷君が、
「え?そうでしたっけ?」
ととぼけると、
「そうでしたっけじゃないですよ。ボールが当たったんですよ。ボールが・・・」
とメチャメチャ怒っている。
見るとその車はBMWだ。ははあ・・・こんな時は謝るに限る。かつて愛犬タンタンがよその犬にかみついた時も、もう謝るしかなかった。だから最近は謝り慣れている。
「ああ、済みません!どうも大変申し訳ないことしました。怪我はないですか?ええと、車も・・・見るところ特にキズのようなものはありませんよね。軽く触れただけですよね」
「そりゃあそうだけど・・・」
ちょっとひるむが、
「だいたいこんな所でやるなんて非常識にもほどがあるのよ!」
と、どんどん声を荒立てる。これいくらなんでも怒りすぎじゃね?しかもこの娘、かなり情緒不安定だ。僕たちはもともと冷静だけど、どんどん目が点になって落ち着いてきてしまった。逆にそれが彼女には気に入らないようで、怒りはとどまるところを知らない。
「そうですね、こんなところでやってはいけませんよね。初谷君あっちに行こう!どうも申し訳ございませんでした」
とそそくさと立ち去る。こんな時はもう逃げるしかないね。歩きながら初谷君が小声で言う。
「おんなは恐えーですね」
「まあ、BMWだからな。トヨタとかだったら、ああは怒らんだろう」
でもそのBMWはどう見ても彼女のじゃなくて彼氏のだよな。その当の彼氏は、見るからに育ちの良さそうなボンボンって感じだ。車もどう見ても自分で稼いで買ったようには見えない。彼は、彼女が怒り始めたらすかさず、
「おい、行こう!」
と言って彼女にこれ以上しゃべらせないよう気を遣っていたが、彼女は一度キレたらもう制御不能のようだ。相手が僕たちのようにやさしい人達じゃなかったら、そのうち逆ギレされちゃうかも知れないし、もしかしたら、すでにあの彼氏はそんな目にあっているかも知れないなあと、ちょっと同情してしまった。うーん、このカップルの将来はどうなんだろう。
って、ゆーか、そんな人のこと心配する前に、ぶつかったのがヤクザさんのベンツなんかでなくて良かったと思わなければ。
さて、新国テニスクラブ例会は、23日水曜日、読売日本交響楽団のオケ合わせがよみうりランドの山のてっぺんの練習場で行われた後、午後3時から調布の屋外テニスコートで行われた。じっとしていても汗が噴き出てくる真夏の昼下がり、ジリジリと焼け付くようなハードコートの上には陽を遮るものひとつない。
僕が未経験なのに参加と聞いて、バリトン団員の秋本健さんが面白がって急遽参加。彼も初心者だという。これでメンバーは、女声が岩本麻里さん、黒澤さん、紺野さん、男声が徳吉博之さんと二階谷さん、それに僕と秋本さんを加えた7人となった。
黒澤さんが全体の仕切り役を務め、他の人達がウォーミングアップしている間、僕と秋本さんにフォームから懇切丁寧に教えてくれた。すごく分かり易くて教え上手!しかも、区切り毎に、
「先生、水飲んで下さい!」
と熱中症の心配までしてくれる。喉渇いてからじゃ遅いんだってね。お陰で最後まで体調維持できた。
さて、テニスって、やってみたらめっちゃ面白いね。こんな初心者でもなんとか玉がラケットに当たってくれた。でもボールが思ったよりよく弾むので、気をつけないと飛びすぎてしまう。卓球とバトミントンと羽根つきはやったことあるけど、あなどってはいけない。そう簡単ではない。
基本フォームが体に入っているわけもないから、アウトの玉が来てもジャンプして打ったり、羽子板みたいにラケットを水平にして上に打ち上げたり、僕の場合、およそやることがシッチャカメッチャカだ。
しょっちゅう黒澤さんが見張っていて、
「先生、そういうボールは無理して打たなくていいです!」
と言われたり、
「そんな格好で打たなくていいように、正しいフォームで打てる位置になんとか体を運ぶのです!」
と言われたりする。うはははは!とにかく自分の方に向かってきた玉にはちょっかい出したいのだ。
これハマリそう。きちんとしたインストラクターについて習いたい。でも、スキーに水泳に自転車に、ハマルものが多すぎて大変だ。帰り際に二階谷さんに、
「ねえ、このラケットさあ、買った時の値段で今すぐ僕に売ってくれない?」
「ええっ?しばらく貸しておいていいよ。自分の別にあるし」
「いや、自分のものにしたいんだ」
「いいけど・・・」
ということで無理矢理即金で手に入れた。こんな風に、何かにハマッた僕は常に待ったなしの行動をとる。いくら歳をとってもその癖は直らない。
パンツまで全部びっしょり濡れたのを総とっかえして着替えて、夜は何くわぬ顔をして六本木男声合唱団倶楽部の練習に行く。初谷君が発声練習をしていた。
「行って来たよ。ラケットにボールは当たるけど・・・簡単じゃないな・・・ハマリそうで困っている」
「いいじゃないですか、先生。ハマッちゃいましょうよ。嬉しいな、仲間が出来て」
次の日、フォーレの「レクィエム」本番前に、テニスクラブのメンバー達が次々に僕に訊いてくる。
「三澤さん、体調大丈夫ですか?熱中症にならなかったですか?筋肉痛は?疲れてないですか?」
「大丈夫だよ。それどころか、今日はゲネプロと本番の間が空いていたので、急いで東京体育館に行って1200メートルばかり泳いできた」
「ウッソー、信じられない!」
あはははは、年寄り扱いするんじゃない。炎天下のテニスコートが暑かったのには閉口したが、今の僕にはテニスなんて体力的にはたいしたことないさ。またみんなとやるんだ。楽しみ楽しみ!
60を目の前にして、またひとつ新しいものが人生に飛び込んできた今日この頃です。
爽やかな岩見沢と札幌の熱い夜
またカッターを空港に寄付してしまった。もういくつあげたのだろう。筆入れの中に入れ忘れて空港の検査で引っ掛かり、
「手荷物としてカウンターで預けて到着時にベルトコンベアーの上から受け取って下さい」と言われるが、あんなちっこいカッターのために誰がそこまでするか。
「さもなければ、ここに置いていってください」
すでにカッターだのハサミだのがいっぱい置いてある透明な箱の中に捨てなければならない。で、また買って、また忘れて引っ掛かるのだ。
僕思うんだけど、空港だって、あんなカッターだのハサミだのいっぱい持っていたって仕方がないのだから、同じ空港の到着ロビーに出た所でディスカウントで売ればいいんだ。自分のじゃなくったって、安ければ喜んで買うし、どうせ出口で買えるからと思えば、みんな喜んで差し出すじゃないか。空港だって、ディスカウントとはいえ儲かる。
ええと・・・まあ、そんなことはどうでもいい。7月25日金曜日、初めて北海道教育大学岩見沢校というところに行った。新千歳空港から列車に乗り、札幌駅を通り越してそのまま岩見沢駅に降り立った瞬間、乾いた爽やかな大気が僕を包み込む。東京は今頃ムッとした熱気に包まれているだろうに。
改札口では塚田康弘教授が僕を待っていた。実は彼は僕の国立音楽大学声楽科の同級生。国立音大では、当時声楽科だけで一学年に200人もの生徒がいて、VA、VB、VC、VDという50人ずつの4つのクラスに分かれていた。しかし男性はわずか25人くらいしかいないので、VAだけが男女半分ずつのクラスとなり、他のクラスは女性だけで構成されている。このクラスで和声学などの授業を行うのだが、僕も塚田教授(以下「塚田君」と呼ばせてもらう)もVAにいたのだ。VAには他に、先日僕が指揮した「蝶々夫人」でゴローの役を演じてくれた大野光彦君などもいた。
数えてみたら、僕たちが国立音大声楽科を卒業したのが1979年で、塚田君とは卒業以来会っていないので、なんと35年ぶりの再会ということになる。お互い歳もとっているので、駅で待ち合わせても分からないで通り過ぎてしまうのではないかと心配していたが、それは全くの杞憂であった。お互い会うなり35年の年月を越えて同級生に戻ってしまった気分だ。
塚田君の車に乗って駅前からまっすぐ伸びている道を走る。岩見沢の街はゆったりとしていて、道は広く空気もすがすがしい。
「なんにもないでしょう」
と塚田君は言ったが、本州の田舎の町とは雰囲気がまるで違う。僕はすっかり気に入ってしまった。車は北海道教育大学岩見沢校に入ってきた。そこかしこから楽器の音が聞こえてくる。やはり伸び伸びとしたキャンパス。
8月7日木曜日のコンサート「北の大地に響くオペラ合唱名場面集」は、ここ岩見沢ではなく函館で行われるが、実際に歌う学生は岩見沢校の声楽専攻の生徒達なのだ。これに新国立劇場合唱団のメンバーから10人と、さらに函館在住の社会人も加わって(といっても素人という意味ではない。教育大学卒業生などのプロ)最終的に合唱団が構成される。
曲目は、第1部がヴェルディの合唱曲集。「ナブッコ」から「想いよ、金色の翼に乗って」、「イル・トロヴァトーレ」から「鍛冶屋の合唱」など。第2部は、岩見沢校の作曲科教授の二橋潤一氏による日本の叙情組曲。「早春賦」「浜辺の歌」などの親しみやすい曲がメドレーで歌われるが、その中で「荒城の月」は、途中からこの曲のモチーフを使ったバッハも真っ青の厳格なフーガとなる。フーガでは歌詞もなんとラテン語に変わる。面白いからここに列挙する。
Vere in turri castelli | 春、城の高殿での |
In convivio florido | 花の宴 |
Lumen supra pocilla iacit luna | 盃に月の光が落ちる |
Lumen per pinos mille annorum ubi est | 千年の桜を経た光はどこにあるのだろう |