バーベキューのお盆~ひつまぶしetc.
皆さん、お久しぶりです。函館から帰ってきてやや気が抜けたけれど、お盆になって群馬県高崎市新町に帰り、実家の庭で、函館の朝市から送った殻付きホタテやとうもろこしなどでバーベキュー・パーティーをして甥や姪などと共に大いに盛り上がり、ガトーフェスタ・ハラダのコンサートの練習をガシガシやり、そうこうしている内に新国立劇場ではまた「パルジファル」とずっと先の「ドン・カルロ」の合唱音楽稽古が始まり、この23日、24日の土日では名古屋に行って、ジュピター交響曲やモーツアルトの「レクィエム」の集中稽古に明け暮れ、こうしてまた新しい週が始まったというわけである。
お盆が始まる直前の8月12日は、新国立劇場合唱団テニス・クラブの例会があった。お盆で参加者が少なかったが、黒澤明子さんの通っている東久留米のテニスコートがとても安く借りられたので、思い切ってコーチを雇ってみんなでレッスンを受けた。やっぱりプロの教えを請うべきだね。一日で随分上達した気がするよ。
次の日の13日、僕は三澤家の長男なので、お盆迎えをするために早朝ひとりで電車で帰省する。みんなに馬鹿にされながらラケットとボールを持参する。実家の庭が広いので、そこで壁にボールを当てて練習しようと思っていたのだ。そしたら姉の長男の敦夫君がテニスをやるという。世の中テニス人口って多いんだね。彼がラケットも持っていたので、二人でテニスコートを借りて練習をした。
テニスコートは、僕がよく行く新町屋内プール・アクアピアの横にあって、アクアピアが管理している。コートを借りるのに、なんと1時間210円だって!しかも最初に申し込んだら、コートに入るのに鍵も何もないし、勝手にプレイをして、帰りに事務所に寄る必要もないので、次の人達が借りなければいつまでだってやってられる感じ。
僕は水着持参で行き、敦夫君と一緒にテニスした後、敦夫君とは別れてひとりでプールに入った。汗を掻いた体を水の中でクールダウン。こんな気持ちのいいことって世の中あるだろうか!テニスとプールは最高のコンビネーション!出来れば水着のまま体も拭かずに家に帰りたかった。だって敦夫君、車で帰っちゃったから、泳いだ後、実家まで歩いて帰らなければならなかった。その間にまた汗だくだく!あのプールに入った瞬間の爽快感はどこへやら・・・。
新国立劇場合唱団の次のテニス・クラブ例会は27日水曜日の午前中。劇場のすぐ横にテニスコートがあるだろう。そこで行う。初回の時にウェルカムでみんなにタダにしてもらったお陰で、僕はこの歳になってから新しい楽しみを得た。その感謝の意味を込めて、今回は僕が驕るからみんなで行こうよ、と誘ったら、フルメンバーの8人集まるという。ちょっと天気が心配だが、今からとっても楽しみなんだ。でも、午後からは「パルジファル」や「ドン・カルロ」の練習なんだよね。凄くエンジンがかかってとても良い練習が出来るか、くたびれ果ててレロレロになるかどっちかだろう。
この週末の名古屋ムジークフェライン管弦楽団とモーツァルト200合唱団の練習は、名古屋の名門東海高校の講堂で行った。休憩時間にテラスに出たら、講堂のすぐ横にあるテニスコートでテニス部が練習試合をしていた。あまりに上手なので唖然としてしまった。凄いな、高校生って。合唱コンクールでもなんでもそうだけど、あの集中力は若さの特権なんだろうな。スマッシュが決まったときの爽快感なんかたまらない!僕がやっているテニスとは別のスポーツのような気がする。
さて、2日間かけて合宿のように行ったこの東海高校での練習では、弦楽器の弓の使い方を決めたり、音の長さを楽器毎に指定したり、かなりきめ細かな練習が出来た。どの作曲家でもそうだけど、特にモーツァルトは、こうしたことをきちんと整理しないと、曲としてサマにならない。オーケストラのサウンドが見る見る良くなってくる。こうした練習をしながら思ったのは、わずか2日やそこらで仕上げて演奏会に乗せてしまうプロってなんなのだろうか、ということだ。
本当にみんながこうしたモーツァルトの文法のようなものを共通認識として分かっているならばいいけれど、プロといえどもそうでない場合が多い。すると、ただ音符をさばくだけで本番に臨んでしまうことになる。実際、そんな演奏会が少なくない。昨年の「パルジファル」同様、今回の演奏会もアマチュアリズムの勝利に終わるような気がする。ジュピター交響曲もレクィエムも、みなさん楽しみにして下さいね。
さて、23日の練習の後は、モーツァルト200合唱団の団長達と一緒に“しら河浄心本店”に行く。なんと名古屋の“ひつまぶしデビュー”。うなぎは、これまで浜松バッハ研究会の練習に行く度に食べていたので、特に名古屋で食べる必然性を感じなかった。
愛知芸大の非常勤講師として通っていた時代から数えると、もう30年近く名古屋に行き続けているのに、生まれて初めて名古屋のひつまぶしを食べた。うーん、やっぱりうまいもんだねえ。一杯目はそのままご飯茶碗にもって、二杯目はネギや海苔などの薬味と共に、三杯目はご自慢のだし汁をかけて食べると作法が決まっている。どれもそれぞれの味があっておいしい。特にだし汁と鰻のコンビネーションが最高!
さて、今週末は、ガトーフェスタ・ハラダ本店のホワイエで“おかしなコンサート”がある。今回のテーマは「旅」。「青葉城恋歌」や「涙そうそう」など、僕のアレンジした親しみやすい曲がならんでいる、テノールの田中誠君が「知床旅情」や「長崎の鐘」などを歌う。「新町潮騒のメモリーズ」達があまちゃんコスチュームを着て歌う「潮騒のメモリー」も見どころ。今から楽しみなコンサートである。ただ、演奏会場のように大きくないので、残念ながらもうチケットは完売している。
赤毛のアン
NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」が面白いので、本屋でいろいろ関連図書を探したが、肝心の「赤毛のアン」の小説はそこには置いてなくて、村岡花子関係の本ばかり置いてある。なんだよ、まず「赤毛のアン」を読ませることが先決だろう。と、半ば気を損ねながら単行本のコーナーに行っても見つからない。もっと気を損ねて文庫本のコーナーで、やっと松本侑子訳の集英社文庫の「赤毛のアン」を見つけて買った。
「赤毛のアン」はこれまで一度も読んだことはなかった。男子は、特に若いうちはこういう少女趣味の本には抵抗を示すものだ。ちなみに「若草物語」も読んでいない。それに児童文学として位置づけられているような気がして、ますます自分からは遠かったのだ。
ところが読み始めるとすぐに、自分が大きな偏見を抱いていたことに気が付いた。これはとうてい児童文学などと呼べるものではないのだ。文章は格調高く知的で、聖書や英米文学からの引用がいたるところにちりばめられている。その文化的背景を即座に理解するのは、残念ながら我々日本人にはほとんど不可能である。ネイティヴの人達でさえ高い教養が求められている。
Mrs lachel Lynde lived just where the Avonlea main road dipped down into a little hollow,松本侑子の訳はごく自然にwhereという関係代名詞で結んだ従属文を訳している。
レイチェル・リンド夫人は、アヴォンリーの街道が、小さな窪地へとゆるやかに下っていくあたりに住んでいた。それに対して村岡花子の訳。
アヴォンリー街道をだらだらと下って行くと小さな窪地に出る。レイチェル・リンド夫人はここに住んでいた。原文の長い1センテンスは、松本侑子訳で5センテンスに、村岡花子訳で6センテンスに分けられた。村岡花子は、最初のコンマまでをさらにふたつに分けることによって、日本人にとってより自然で親しみやすい文章にした。関係代名詞が出てくるだけで文章はバタ臭くなるからね。このように徹底して日本人の読者が抵抗なく読めるように配慮してある一方で、すでにこの最初の文章にして、村岡花子の創作がおおいに紛れ込んでいる。
もしマリラが、「マシューはオーストラリアから来たカンガルーを迎えに行ったんですよ」と言っても、リンド夫人は、こんなには驚かなかっただろう。唖然として、五秒ばかり、ものが言えなかった。(以下邦訳はすべて松本侑子)予想に反して女の子が来てしまったのに、農園の助っ人として男の子を欲しがっていた当事者のマシューが、あろうことかその女の子を引き取りたい意向を示した時の、マリラのリアクション。
「あの子を孤児院に返さなくてはなりませんからね」僕がこの歳になって「赤毛のアン」を読んで良かったと思う一番の理由に、マシューとマリラのアンに対する愛情描写に強く惹かれたというのが挙げられる。マシューもマリラも、世間的には不器用な人間。人間関係を上手に築くことが不得意で結婚相手にも恵まれず、お互い世の中を避けるようにひっそりと暮らしていた。しかし、アンに出遭い彼女を扶養していく内に、その弾けるような生命力の前にいつしか不器用な愛情表現のガードが無防備にされ、殻を破らされ、しだいに心に愛をはぐくむ成熟した人間へと成長を遂げていく。
「そうすべきなんだろうなあ」
「そうすべきなんだろうなあ、ですって!兄さんは、そう思わないの?」
「そうさな、あの子は本当に気だてのいい可愛い子だよ。あんなにいやがっているのを追いかえすのは不憫でなあ」
わしは逆立ちで暮らすのが好きでね、とマシューが言っても、マリラは、こんなに驚かなかっただろう。
アンは感激の「ああ」を連発すると、マリラの腕の中にぱっと飛びこみ、血色の悪い頬に、熱烈なキスを浴びせかけた。マリラにとって、子供の方から顔にキスされたのは、生まれて初めてだった。またもや、例のはっとするような甘い心地に揺さぶられた。アンが夢中になって抱きついてキスしてくれて、内心は感激していたが、多分そのせいで、マリラはそっけなっく言った。マリラは、こうした愛情表現には全然慣れていない人間なので、アンを甘やかしてはいけないという配慮も手伝って、いつもわざと冷たくアンに接する。それでも、どうしようもなく溢れ出てきてしまう愛情が余計僕達の胸を打つのだ。後半になればなるほど、それは切ないほどの感情となって溢れ出てくる。
「さあさあ、そんなにキスしなくていいよ。言われた通りにきちんと仕事をしてくれる方が嬉しいよ」
(第13章、待ち焦がれる愉しさ)
空想に耽っているアンを、マリラは愛しげに見つめていた。そんな眼差しは、明るい所では決して表に出さず、薄暗い中に暖炉の火がばんやりと照り映えているような所でしか、見せなかった。愛情とは、言葉で伝えたり顔に表したりするものであるが、マリラはそれができなかった。しかしマリラは愛の表現を身につけていないとはいえ、その思いを表に出さないだけに、この灰色の目をしたやせた少女を、いっそう深く激しく愛するようになっていた。こういたマリラに対する僕の強い共感は、もし10代の頃にこの小説を読んでいたとしても、決して得られなかっただろうな。
(第30章、クィーン学院受験クラス、編成される)
"God's in His heaven all's right with the world,"こんなブラウニングの詩を引用したラストシーンはノーテンキに見えるかも知れない。しかしこの直前、アンはいつも自分のおしゃべりを微笑みながら聞いてくれていた最愛のマシューを失い、それに伴って、自分があれほど望んでいた進学を断念しているのだ。普通の人間だったらとても「この世はすべてよし」などとは言えない状況だ。しかし彼女は、自分の余儀なくされた進路変更についても、冷徹な眼で俯瞰し、こう言い切るのだ。
whispered Anne softly.
「神は天に在り、この世はすべてよし」アンはそっとつぶやいた。
Now there is a bend in it. I don't know what lies around the bend, but I'm going to believe that the best does.そして今や、その進路変更をすら楽しんでいるように見える。
今、その道は、曲がり角に来たのよ。曲がったむこうに、何があるか分からない けど、きっと素晴らしい世界があるって信じているわ。
It has a fascination of its own, that bend, Marilla. I wonder how the road beyond it goes.これを読んで分かる通り、アンはただの楽観主義者ではない。彼女は、どんな危機や困難もポジティヴに捉え、プラスに変えていく人生の錬金術を身につけているのだ。
それにマニラ、曲がり角というのも、心が惹かれるわ。曲がった先に、道はどう 続いていくのかしらって思うもの。