アナと雪の女王
これまで文化庁のスクール・コンサートの最後に送るアンコール扱いの曲は、小学校中学校共、カルメンの行進曲であったが、今年から変更した。中学校はそのままだが、小学校用として「アナと雪の女王」のLet it goを取り入れた。
新国立劇場のプロデューサーのTさんが、あるオーケストラのスクール・コンサートに視察に行ったら、アンコールでその曲を演奏し始めたところ、小学生達がみんなで大声で歌い始めたので驚いて帰って来た。それで、うちでもやろうかという話になった。
僕は、「アナと雪の女王」が流行っているのは知っていたが、内容については全然知らなかったので、Let it goという曲がどこでどのようなシチュエーションで歌われるのか知るためにDVDを借りて観てみた。
日本語版の小さいけれど重大な過ち
さて、僕はこの映画をDVDで観ながら、ふたつの点でかすかな違和感を持った。そのひとつは、元来僕が何故「アナと雪の女王」のDVDを観たかという理由となったLet it goの歌詞についてである。
というのは、日本語版で観ていた僕は、エルサがひとりで山の中に入っていく場面で歌われる、
なのに、その後物語がどんどん進んでいくと、そうした決心したエルサのせいで国中は雪と氷に包まれてしまい、妹のアナが会いに行ってもエルサは心を閉ざしたまま。それどころか巨大な雪のモンスターを作り、やってくる人達を攻撃する。
どう考えても、エルサのやっていることは間違っているようにしか見えないのだ。彼女がそうした状態になった転換期に歌われたのがLet it goとあれば、ちょっとおかしいのではないか、と僕は思った。そこで・・・・。
僕は英語版の歌詞をインターネットで探した。凝り性の僕は、同時にドイツ語版とイタリア語版も入手した。すると・・・・大変なことに気付いてしまったのだ!みなさん、下の歌詞をよく読んで下さい。僕が頑張ってかなり直訳調で訳しました。
The snow glows white on the mountain tonight
今夜は、山の上では雪が白く輝き
Not a footprint to be seen
足跡も消されてしまった
A kingdom of isolation
孤立の王国
And it looks like I'm the queen
そして私は その王国の女王のようね
The wind is howling like this swirling storm inside
風はうなる 心の中に渦巻く嵐のように
Couldn't keep it in, heaven knows I've tried
抑えておくことが出来なかった これでも頑張ったのよ 天は知っているわ
Don't let them in, don't let them see
誰も中に入れてはだめ 誰にも見せてはだめ
Be the good girl you always have to be
いつも“いいこ”でいなければならなかった
Conceal, don't feel, don't let them know
隠すのよ 何も感じないで 気づかせてはだめ
Well, now they know
でも今は 知られてしまった
Let it go, let it go
そうなったらもう、なるようにさせるしかないじゃない
Can't hold it back anymore
もう隠すことなんて出来ないもの
Let it go, let it go
なるようにさせるしかないのよ
Turn away and slam the door
背を向けて ドアをバタンと閉めて
I don't care what they're going to say
何を言われたって気にしない
Let the storm rage on
嵐が吹き荒れるに任せるのよ
The cold never bothered me anyway
(私の心の)冷たさが 私を煩わせることは決してなかった
It's funny how some distance makes everything seem small
おかしいわ ちょっと離れただけで 全てがたわいのないことに見えるの
And the fears that once controlled me can't get to me at all
私を押さえつけていた恐怖も もう私を捉えたりはしない
It's time to see what I can do
今こそ 私が何が出来るかを知り
To test the limits and break through
限界を試し それを打ち破るその時だわ
No right, no wrong, no rules for me
正しさも 間違いも ルールもないの
I'm free
私は 自由よ
Let it go, let it go
なるようにさせるしかないのよ
I am one with the wind and sky
私は 風や空と一緒の存在
Let it go, let it go
なるようになればいい
You'll never see me cry
あなたはもう私が泣くのを見ることはないでしょうね
Here I stand and here I stay
私はここに立って そしてここにとどまるの
Let the storm rage on
嵐よ 吹き荒れるがいいわ
My power flurries through the air into the ground
私の力は 空を抜けて 地を揺るがす
My soul is spiraling in frozen fractals all around
私の魂は あたり一面 凍った雲の断片となって 渦を巻く
And one thought crystallizes like an icy blast
そして思いは 氷の突風のように 結晶するの
I'm never going back, the past is in the past
もう決して戻らないわ 過去は過去だもの
Let it go, let it go
なるようにさせるしかないの
And I'll rise like the break of dawn
私はあかつきのように立ち上がるの
Let it go, let it go
なるようになればいい
That perfect girl is gone
あの“完璧な少女”なんて もうどこにもいないのよ
Here I stand in the light of day
私は 陽の光に照らされて ここにいるわ
Let the storm rage on
嵐よ 吹き荒れるがいいわ
The cold never bothered me anyway
(私の心の)冷たさには 慣れっこになっているのよ
どうです。全然違うでしょう。エルサは、自分が魔法を使えることをずっと隠して“いいこ”を演じていなければならなかった。でも、ある時それが民衆の前でバレてしまった。もう、どうしようもない。なるようになるしかない。エルサは、半ばやけっぱちになって山にこもる。唯一嬉しいのは、もうこの自分の魔法を行う能力を抑えなくてもいいという自由を得たこと。だからエルサは、みんなに背中を向けて、ドアを閉めて、自分の世界に引きこもる決心をしたのだ。
つまり、Let it goは、この物語全体が悪い方に傾いていくきっかけとなった曲だ。みなさんも、テーマ・ソングの割には案外物語が始まってから早くに出てくるなと思ったでしょう。それなのに、日本語訳の方は、とてもポジティヴなエンディング・テーマのように訳されている。これは意図的なものだな。つまり、この曲を軸にして売ろうという魂胆がミエミエなのだ。
ただ、ここで日本語の歌詞を聴いてしまうと、僕のように、この曲と後半のストーリー展開とに違和感を感じてしまう人は少なくないだろう。本当は、こういうことはやってはいけないのだ。これは意訳ではない。意図的改竄(かいざん)だ。
もうひとつの違和感はタイトルだ。これはLet it goのことに気付いたことから芋づる式に分かったことである。「アナと雪の女王」の原題を知って唖然とした。そしてその瞬間、すべてのことがスルスルっと符合して、この制作者の意図とこのストーリーに潜む奥深さが完全に理解出来たのだ。
原題はFrozenという。freeze(凍結する)の過去分詞だ。直訳すると「凍結された」とか「凍り付いてしまった」だが、「凍り付いてしまった世界」とか「(エルサの)凍り付いてしまった心」とかという意味をも含んでいるのは間違いない。英語圏の子どもたちは、このタイトルを一目見て、瞬時にこれはエルサの閉ざされた心とそこからの解放の物語だと気付くわけだが、日本ではどうであろうか。
先ほど述べた「赤毛のアン」をモデルにしたアナへのシンパシーが、このストーリーへの本当の理解をさまたげてはいないだろうか。それに関しては、「アナと雪の女王」というようにアナの名前を最初に持って来たことが影響していないだろうか。
たとえば、子どもたちは、真実の愛の相手は氷売りのクリストフだと思ってはいないだろうか。違うのである。凍り付いてしまったアナを救ったのはエルサの真実の愛である。そして、このFrozenという物語の核は、エルサの心が真実の愛に目覚めて「溶解」する瞬間にあるのである。アナとクリストフは、その後恋人同士にはなるが、アナが生き返った時には、まだお互いを本当にかけがえのない存在と認識し合うまでには至っていないのだ。
こうしたことは、もしかしたら小さいことかも知れない。しかし、同じようにこうした物語を作っている僕からしてみると、むしろ一種の犯罪にも相当する。タイトルとLet it goの歌詞の意図的改竄は、日本の子どもたちの作品への正しい理解をさまたげているのが明らかだと感じられるからだ。推測するに、その原因は・・・たぶん・・・ちょっとした経済原理からきている。これが日本の姿だ。
この現象は、日本とアメリカとの関係とも似ている。抑圧され、追い詰められたエルサは、さらなる誤った道へ自らを追いやっていくしかない。それが現代アメリカの病んでいる姿ならば、日本は、その赤裸々な姿を見ようともせずに、その影の部分を隠し、「ありのままの自分になるの」などと、きれいごとばかり並べて集団的自衛権などを持って追従していく。これから物語が悪い方向に行くのに、エンディング・テーマ的な見せかけのしあわせを夢見るお人好しさ。
「アナと・・・」というタイトルで、主人公をアナだと思わせる狡猾さ。だってエルサよりもアナの方が感じが良いもの。そうやって主人公エルサの心の深い深淵に焦点を合わせることから意識を遠ざけることが、見たくない真実から目を反らせて、表面的な明るい面ばかりを見させて、本当に深刻な事態を導く現代の日本の社会との符合をどこかに感じないだろうか。
たとえば、御嶽山の噴火の兆候は絶対にあったはず。しかしながら、一番の行楽シーズンに一番の金づるを閉鎖することの経済的リスクは無視出来なかった。さらに、予知がはずれたときの攻撃も恐かっただろう。それで結局、気軽さと楽しさだけを強調したまま、最悪の事態を招いてしまったわけである。あげくの果てに、予知は出来なかったと開き直っている学者たち。不思議なのは、まわりもそれ以上深く追求しない。もし追求したら、たぶん、どこからか圧力が入るのではないかな。