オフ会のご案内

三澤洋史 

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オフ会のご案内
 最初にご案内します。11月16日日曜日に、このホームページCafe-MDRのオフ会を開催します。これは、僕の著書「オペラ座のお仕事」(早川書房)の出版記念パーティーも兼ねています。時間は18時から。場所は地下鉄青山一丁目近くにあるワインダイニングAOSHIMA青山店というお店です。会費は、ちょっと高いけど7千円で、飲み放題です。
 ちなみに、このオフ会には、今回の出版に関してとても関係が深い2人が、僕によって個人的に御招待されています。ひとりは、このホームページにも時々登場していて、(村岡花子風に言うと)僕の腹心(ふくしん)の友であるプロスキーヤーの角皆優人(つのかい まさひと)君です。角皆君は奥様の美穂さんと一緒に来ます。
 そしてもうひとりは、早川書房の僕の担当編集者である坂口玲実(さかぐち れみ)さんです。まだ三十代前半という若さですが、とても頭が切れて知的なスレンダー美人。でもねえ、最近結婚して残念ながら人妻です(なにを言ってるんだ)。彼女が僕の原稿を並び替え、章立てして、僕に文章の分量調節など細かく強要し、厳しく厳しくしごいて・・・あ、いや導いて・・・大事に大事に仕上げてくれました。いくら感謝してもし過ぎることはありません。
 オフ会なので、このホームページ上からの申し込みを原則とします。「今日この頃」を愛読しているけれど、僕とは個人的に面識はない、という方でも、反対に僕のことを知っているけれど、普段あまり話せないという方でも、地方の方でも(交通費及び宿泊費は自腹でお願いします)、音楽界の方でも、全く音楽に疎い方でも、ワグネリアンでもアンチ・ワグネリアンでも、オペラ好きでもジャズ好きでも、外国語おたくでも宗教おたくでも、カトリック信者でもプロテスタントでも仏教徒でも神主さんでも、なにびとたりとも来る者はこばまず。どうか遠慮なさらずに申し込んで下さい。
 お店の都合で定員50名です。それを越えた場合、厳正に抽選を行う可能性がありますが、その場合でも先着を優先。なので早い者勝ち。ふるってご応募下さいね。絶対、楽しい会になることは保証します!ピアノがあるので、何か余興を用意したい方も申し込んで下さい。さあ、クリック、クリック!

旅情 京都~浜松~豊橋
 旅情というのは、ホームシックがあるから感じるものなんだね。10月31日金曜日、西伊豆の仁科(にしな)小学校の公演を終えて三島駅に着くと、他の合唱団員達は東京方面に向かっていそいそと帰って行った。でも、僕は反対にひとりで京都に向かう。その時、胸がキュンと淋しくなった。
 日が短くなって、三島を出発する頃にはもうあたりはうす暗い。新幹線の中から見えるシルエットの山並みや黒く沈んだ海、街の灯に、ふと何ともいえない風情を感じる。ああ、これこそ旅情というものか!旅情はひとりでしみじみ感じるものなんだね。
 京都に着くと、京都ヴェルディ協会の幹事達が僕を待ち構えてくれていた。御池にあるイタリアン。カプレーゼ、生ハム、サルシッチャ(イタリアン・ソーセージ)などの定番から始まった料理、及びスプマンテ、白、赤ワインと飲み物も申し分なく、先ほどの孤独な旅情はどこへやら。身も心も大満足!僕ってつくづく単純な人間なのだと思った。
その後、
「センセ、祇園に行きまひょか?」
と誘われたのだけれど、スクール・コンサートをするための、行き帰り2時間ずつの西伊豆のバス旅行と、三島から京都までの新幹線の旅に少々疲れていた僕は、残念ながら失礼してホテルに入った。
 京都ヴェルディ協会の「ヴェルディ・レクィエム講演会」会場でもある、御所の横のザ・パレスサイド・ホテルは、今回の2週間の旅で唯一の連泊出来るホテル。11月1日の朝、僕はこれまで公演で着た5枚のワイシャツをクリーニングに出し、館内のコイン・ランドリー2台使って、おびただしい量の洗濯物を洗濯し、乾燥機にかけた。ふう、これであとの一週間も安心。
 お昼は、理事の1人であるOさんに案内されて御所の中に入った。なんでも一年に2回だけ、数日間しか一般公開されてないのだが、今回は、10月30日から11月5日までの間に僕が来たので、是非案内しようと待ち構えていてくれたという。そうした心遣いに本当に感謝。
 中に入っていろいろ見物して驚いたのは、御所の中の建物もふすまに描かれた鶴や虎などの絵も、日本的というよりはむしろかなり中国的。プライベートな空間ほど日本的だが、あらたまった場所は、大陸からの影響を受けたままなのだ。「日本古来の」というのは、単なる思い込みか幻想かも知れないなと思った。
 そういえば、明治維新のすぐ後の洋館の方が、現在の洋館よりずっと欧米的だ。まずはオリジナルをそのまま真似、それから日本的なものへのアレンジをするのが日本文化の特徴か?

 さて、京都ヴェルディ協会主催の「ヴェルディ・レクィエム」講演会、この旅に出掛ける前に必死で作った講演会資料の準備がきちんと出来ていたので、時間配分もうまくいって、とても良い雰囲気の中で終わった。
 ただ、この協会の中には、ワグネリアンがかなりの割合でいることを知っていた僕は、前口上でうっかり新国立劇場の「パルジファル」について触れたもんだから、最後の質疑応答のコーナーに入ると結構質問してきた。
「ここはヴェルディ協会だからね」
と軽くかわして、ヴェルディの質問を受け付けてその場をしのいだが、そんなんで満足するワグネリアンではない。
 レセプションになると、
「ハリー・クプファーの演出のあそこんとこは・・・・」
など、複数の人達が僕を取り巻いた。ワグネリアンはしつこい。

 音楽の世界で働いているから音楽談義に花を咲かせる機会も少なくないと思うでしょう。ところが、そんなことはないんだなあ。僕は、音楽家の中でも特に議論好きだと自分で思う。特に学生時代は、角皆君なんかと毎日でも口から泡を吹かして語り合っていた。でもプロになってからは、通常ほとんど議論なんてしない。
 なんでしないんだろうな。ひとつは、偉そうなことを言っても、演奏してみれば実力はお互いすぐ分かってしまうので、不言実行の方が美徳という価値観が支配しているかも知れない。
 もうひとつは、スポーツ選手もしばしばそうだけれど、ひとつのことに非凡に秀でているので、思考が追いついていないというのもある。僕も時々、言葉に出してしまうと、自分が演奏している本当の感覚とちょっと違ってしまうのを感じることがある。僕は、それでも、あえて言葉に出してみたいんだけどね。
 たとえば、角皆君は、自分の小説「星と、輝いて」で、モーグルの競技をやっている最中のアスリートの刻一刻と変わる心中の状態を表現することを試みている。そのことによって僕たち凡人は、普段決してうかがい知ることの出来ない世界に触れることが出来るわけだ。だから、言葉に出してみることは、様々ななリスクを伴っても必要なことなのだと思う。

 音楽談義をたっぷり楽しんでから、ホテルの部屋に帰ってテレビをつけたら、昨晩の渋谷はハロウィンで大賑わいだったとニュースでやっていた。東京中がまるで仮装行列だ。あのさあ・・・これって・・・みんな意味分かってやってるの?
 ハロウィンというのはね、元来ケルトのお祭りで、10月31日の夜半には、日本のお盆のように、死者の霊が家族の元に戻ってくるとされていた。一方、カトリック教会では、11月1日が諸聖人の日、次の2日が死者の日(あるいは万霊節)なので、いずれにしても死者との接近が見られる時なのだ。
 アメリカでは、特に子どもたちが仮装して街を歩くのが流行り、それがあちこちに伝わっていったようである。でもさあ、日本では何でも表面的になってしまうなあ。キリストの降誕を祝うクリスマスでさえ、ホテルでカップルが高級フレンチを食べる日になってしまったり、いやはや、なんとも薄っぺらい文化の国である。
 と偉そうに文化論を披瀝したいのであるが、ひょっとして「灯台もと暗し」・・・メイクをやっている次女の杏奈あたりは、こんな時は本領発揮という感じになるのでは・・・・心配になった僕は、
「渋谷とかに繰り出してねえよな」
とメールを打ったら、
「仮装は渋谷じゃなくて新木場に行った。杏樹(志保の娘、僕の孫)と一緒に仮装したかったよ」
という返事が返ってきた。あちゃあ!

 11月2日には、京都を出て浜松に到着。待ちに待った鰻重を食べてから、弁天島の合宿場に向かう。ここでたっぷり「マタイ受難曲」に浸った。11月3日の午前中いっぱいまでは合唱練習。午後からは初めてのオーケストラ練習。初日なので大曲中心。
 2012年の東京バロック・スコラーズの「マタイ受難曲」演奏会を経て、いくつかの変更点が生まれている。バッハの自筆のオリジナル・スコアには何も書いていない。ところが、実際に使用されたパート譜には、弦楽器の弓の使い方をはじめとして様々な書き込みがある。それは当時の演奏者のものであってバッハのものではない。勿論、バッハが立ち会っていたのだろうから、バッハの意図に反することはやっていないに違いない。ところが、バッハの意図に反することはやってないが、では、本当にバッハの意図するものなのか、ということになると、はなはだ怪しい。もしかして、バッハは、そこのところはどうでも良かったので、
「好きにやって」
と責任回避した可能性もある。

 合宿を終えて、豊橋在住の合唱団員に車で送ってもらって、豊橋市内のホテルに入る。最近まで日航ホテルだったこのホテルには備え付けのプールがある。僕は部屋に荷物を置くやいなや、水着を引っ張り出してそそくさとプールへ向かう。
 久し振りにプールに入って、身も心もリフレッシュした。実は、先週ちょっと腕を痛めていたり、やや体調がすぐれなくて、一度このホテルに来たのだけれど、泳ぐことが出来ずに無念な想いをしている。
 2度あった新国立劇場テニス・クラブ「旅」特別例会の1日目も、腕の故障でキャンセルしてしまったのだ(2度目は行った)。だから、今日泳ぐことが出来て、しかも腕が完治したのを見届けることが出来て本当に嬉しい。
 その後、ひとりで焼き鳥屋に行って、皮やねぎまなどと共にビールを飲む。
おおっ!至福のひとときよ!
最後にはマッサンに敬意を表して、竹鶴のハイボールを飲んで帰ってきた。やけにうすいな、このハイボール。

 それで、こうしてホテルの一室にこもって、原稿を書いているというわけです。明日から、またスクール・コンサートの再開だ。気を引き締めていこう!チャン、チャン!

平さんの本
 平光雄さんの「子どもたちが身を乗り出して聞く道徳の話」(致知出版社)を読んで、本当に嬉しくなった。平さんは教師歴32年。問題を抱えた子どもたちを次々と立ち直らせてきた伝説の小学校教師だ。彼は、紙芝居やイラストを使って子どもたちの心をたちどころにつかんでしまう不思議な才能を持っている。その様々な方法が、この本の中に書いてある。
 読んでいくうちに、なるほどなと思った。たとえば、「目玉おやじ」の紙芝居の話。「もう私なんか死んだ方がいいんだ」などと自己卑下をする小学生に対しては、「そんなことはないよ、親も先生も君のこと愛している」とやさしい言葉をかけてあげるのが、一般的な処方箋であると考えられているが、それではその子の「自尊」の念は育まれないと平さんは説く。何故なら、そういう子はそれを努力放棄の隠れ蓑にしている場合があると彼は言う。
ならばどうしたらいいか。そこで彼は紙芝居を使いながらこう説く。

自分の中には、もうひとりの自分がいる。「する自分」と「それを見ている自分」だ。この「目玉おやじ」みたいな「見ている自分」は、「おまえ、あのときずるいことしたよな」「あのとき全力じゃなかったよな」「あのとき人につられて本心じゃないことをやったよな」という風に自分のやることを全て見ているんだ。この「目玉おやじ」が見ているのは、悪いことばかりではなく、自分のがんばりも報われなかった努力も見ている。その「目玉おやじ」に「うん、オマエもなか なかよくやっている」と認められることが大切なんだ。これを「自尊」の念という。
これを読んで凄いと思った。僕はよく「おてんとうさま」という表現をするが、「おてんとうさま」と言ってしまうと、ちょっと宗教的な匂いがするし、古い日本の価値観に戻るような気もする。でも、「目玉おやじ」は画期的だ。ダイレクトにイメージが伝わるし、それでいて「良心の声」から「自分を律する生き方」や聖書の「天に宝を積む」という格言まで全てを包み込んでいる。

 戦後の教育からゴッソリ抜け落ちてしまったものがこうした道徳教育であった。国家神道の教育への介入を否定したのは分かるが、その勢いで、道徳や倫理、すなわち人間が人間であるために最低限持っていなければならないモラルでさえ、偏った価値観を強要されるという理由で遠ざけられてしまった。
人が、
「誰も見ていなければ何をしてもいいんだ」
あるいは、
「やったもん勝ち、得たもん勝ち」
という価値観でしか動かなくなった時、それは野獣よりも劣る存在となる。野獣は、「誰も見ていなければ」などという卑怯なことを考える余裕もない自然で純粋な存在だから。
逆に人は、
「誰も見ていなくても正しいことをやる」
という状態になってはじめて野獣を超え、万物の霊長たる存在になる。
 しかし、その「正しいこと」というのを現代において誰が教えるのか?どういう価値観で?モンスターペアレンツや教育委員会の攻撃をどうかわすのか?昔は、宗教がその役目を担っていたが、今は、ミッションスクール以外ではそれは不可能なんだ。特に公立の学校では。
 そうしたシビアな現代日本のシチュエーションの中で、僕は「目玉おやじ」ほど完璧な解決法はないと断言する。これでレッド・ゾーンの“宗教”をスルリと通り抜け、子どもたちの「良心」にガツンを訴えかけるので、子どもたちの心はただちに内側から変貌を遂げるであろう。まったく天才的である。
 その他にも、「友情といっても、どんな心でつながっているかが問題だ」とか、「裁きの目に囲まれたクラスと、応援の目に囲まれたクラスとはどっちがいいか」という話とか、「気づかないことは悪である」とか、僕にとっては宗教的なテーマの中でも奥義に属するドグマにいとも簡単に到達し、それを小学生たちに確実に伝えている。
 戦後の教育の荒廃が、人間として必要な行動原理を教えることの欠如にあることは疑いようのない事実であるが、それがすでに長期に渡ってしまっているので、問題は、本当は子どもではなくてむしろ親の方にある。親が、自分の子どもを甘やかし、短絡的で刹那的な価値観で子どもたちを育てているのだ。
 だから、子どもたちを叱ると、ただちに親がクレームをつけに学校にやってくる。こんなだから、子どもたちは増長し、「きちんと座って先生の言うことを聞く」という、人にものを教わるという原点さえ失う末期的状況となっている。
 こうした中で、平さんのような現場で戦い続ける教師は、誰にも支持されることのない茨の道を歩き続けてきたであろう。平さん自身が、誰も見ていなくても「目玉おやじ」に褒めてもらうことを頼りに生きてきたのではないか。僕は、自分の著書「オペラ座のお仕事」の中で、角皆優人君のことを「もうひとりのマイルス・デイヴィス」と言ったけれど、平さんも「さらにもうひとりのマイルス・デイヴィス」であると位置づけ、限りないリスペクトを捧げる。みなさんもどうか読んでみてください。超読みやすくて、あっという間に読破してしまうよ。



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