再びオフ会の連絡
11月16日日曜日18時AOSHIMA青山店で行われる「オフ会=出版記念パーティー」の追加ご案内です。オフィシャルな締め切りは過ぎたけれど、まだまだ募集しています。お店に伝える都合上、遅くても木曜日くらいまでには受付を完了したいとは思っています。
妻が、
「お店にピアノがあるんだったら、あなたがジャズピアノを弾けばいいじゃない」
と言うので、なるほどなと考えた。
僕が高校一年生の時に相良先生のピアノ・レッスンで、どんな感じでジャズ風に弾いて怒られたか、なんていうのも披露したら面白いかも知れない。ということで、ちょっとした三澤洋史ジャズ・ピアノ・コーナーを設ける予定。内容は現在思案中。
その他、アトラクションをやってくれる人達もボチボチ現れている。絶対に楽しい会になるよ。どなたでも結構だから、是非みんな参加してね。申し込みはこちらから。
2週間のスクール・コンサートを終えて
音楽を聴いている子どもたちの眼が好きだ。指揮者が演奏中後ろを向いてはいけないのを分かっていながら、僕はしょっちゅう子どもたちを見ながら指揮をしている。彼らの反応を見ていると、音楽の力をまざまざと感じるから。音楽が、彼らの全身に染み込み、彼らの心と体を内側から照らしていくのが、ありありと見えるのだ。
音楽自体が持つエネルギーを直接にも感じるけれど、それを受け止め、今度は自分から発散する子どもたちの2倍返しのエネルギーを受けて驚くこともしばしば。限りない至福のひとときが2週間も続いた。音楽を奏でる人生を選んで本当に良かったと思うのは、まさにこういう時なのだ。
子どもたちの笑顔
長旅の生活
こうした素晴らしい体験の連続の一方で、肉体的あるいは私生活的には、長旅を続けていると、やっぱり疲労がたまってくる事実は否めない。面白いのは、物欲というものがなくなってくること。スーツケースとカバンだけで各地を回っているのだ。何か買いたいと思っても、荷物が増えるだけだから、買いたいという気持ちそのものが失せてくる。
旅のじーじ
恵那峡
湘南国際村の合宿と新しい指揮法
先週は、旅の真っ直中、浜松バッハ研究会の合宿を終わったばかりで「今日この頃」をお送りしたが、今週は、金曜日に旅から帰ってきたと思ったら、土日で東京バロック・スコラーズ(TBS)の合宿だった。場所は三浦半島の湘南国際村。海と富士山の見える美しい丘に建っているが、残念ながら今回は曇りで富士山は見えなかった。
ここには宿泊者無料の温水プールがあって、なんと朝の7時から夜の10時まで使える。ま、25メートルは取れていなくて、18メートルしかないが、僕は8日土曜日の午後、みんなが受付をして発声練習をしている間にもう泳いでいたし、午後9時に練習が終わってからも30分くらい泳いだ。早朝も7時に泳いでから朝食会場に行った。さっきも書いたけれど、旅の間にすっかりお育ちになってしまった体をなんとかシェイプアップしたいので、こんな風に足繁く通ったというのもある。
10月10日に発売になった雑誌ハンナで偉そうなことを書いてしまった僕は、次のTBSの「バッハのクリスマス」演奏会で、
「なんだ、言ってることとやってることが違うじゃん!」
と聴衆に言われないようにしなければならない。
それなので、今回の合宿では、発声を合わせることから始まって、子音の入れ方や母音の色、及び全体のサウンドの構築に力を注いだ。その結果、合唱団からこれまでにないまろやかな音色が得られるようになった。フォルテの時でもある種のしなやかさが内在することが、本物の合唱団の音色なのだ。
そして、それを実現するために、僕は、自分の本「オペラ座のお仕事」のカラヤンの章で書いているように、最近ますます響きとの因果関係がつかめた「カラヤン風の腕の動き」を実践してみる。つまり響きを操る指揮のテクニックである。これはもともと水泳からヒントを得たものであるが、今回の合宿では、水泳と合唱練習を交互に行ったので、泳いだすぐ後では効果がてきめんだということが、はっきり分かった。
それは、クロールで、入水した手を伸ばしていって、指先に体重を乗せるようにし、ストロークのためのキャッチを始める瞬間までの水を感じる感覚なのだ。その感覚を感じながら振ると、みんな、その動きに乗って歌うのが歌いやすそうだし、実際にひとりひとりの団員の不必要な力が抜けて良い発声になっていく。
この指揮法はやればやるほど画期的だと気が付いてきた。カラヤンの後、誰もそれを踏襲する人がいなかったのは残念だ。いや、むしろ僕がこれから極めればいいのであるが・・・もうちょっと研究を続けて、いずれみなさんにも分かるように体系化して、なんらかの形で発表しようと思う。
ポスト・ピリオド奏法を掲げるTBSの「21世紀のバッハ」の核を成すのは、この指揮法かも知れない。何か名前を付けた方がいいな。コラールなどは、この指揮の仕方で本当にみるみる響きが変わっていく。勿論、今の自分は、新国立劇場合唱団などでもこの指揮法で振っているが、バッハには一番合っているような気がしているのだ。