2週間のスクール・コンサートを終えて

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

再びオフ会の連絡
 11月16日日曜日18時AOSHIMA青山店で行われる「オフ会=出版記念パーティー」の追加ご案内です。オフィシャルな締め切りは過ぎたけれど、まだまだ募集しています。お店に伝える都合上、遅くても木曜日くらいまでには受付を完了したいとは思っています。

 妻が、
「お店にピアノがあるんだったら、あなたがジャズピアノを弾けばいいじゃない」
と言うので、なるほどなと考えた。
僕が高校一年生の時に相良先生のピアノ・レッスンで、どんな感じでジャズ風に弾いて怒られたか、なんていうのも披露したら面白いかも知れない。ということで、ちょっとした三澤洋史ジャズ・ピアノ・コーナーを設ける予定。内容は現在思案中。
 その他、アトラクションをやってくれる人達もボチボチ現れている。絶対に楽しい会になるよ。どなたでも結構だから、是非みんな参加してね。申し込みはこちらから

2週間のスクール・コンサートを終えて
 音楽を聴いている子どもたちの眼が好きだ。指揮者が演奏中後ろを向いてはいけないのを分かっていながら、僕はしょっちゅう子どもたちを見ながら指揮をしている。彼らの反応を見ていると、音楽の力をまざまざと感じるから。音楽が、彼らの全身に染み込み、彼らの心と体を内側から照らしていくのが、ありありと見えるのだ。
 音楽自体が持つエネルギーを直接にも感じるけれど、それを受け止め、今度は自分から発散する子どもたちの2倍返しのエネルギーを受けて驚くこともしばしば。限りない至福のひとときが2週間も続いた。音楽を奏でる人生を選んで本当に良かったと思うのは、まさにこういう時なのだ。


子どもたちの笑顔


 とっても元気が良くて積極的な学校もあれば、控えめでおとなしい学校もある。歌唱指導をしていく内に調子に乗ってザワザワする学校もあるけれど、変にシーンとしている学校よりもずっと子どもらしくていい。反応が素直な学校ほど、音楽が子どもたちの中にスーッと入っていくのを感じる。
 しかし、いつも思うのは、学校によってこうも子どもたちの雰囲気が違うものかということ。都会か田舎かということもあるかも知れないし、地域性もあるだろう。でも田舎だから素直とも限らないし、都会だからスレてるとも言えない。
 ひとつ言えることがある。校長先生とお話をすると、その学校がどういう学校だか分かる。校長先生の人間性が、その下で働く教師たちの雰囲気を作り出す。それを生徒たちはしっかり見ている。
 子どもたちは、根っこはみんな同じ。明るくて天真爛漫。その部分に音楽の力は働きかける。でも、そうした子どもたちの内側にさえ、時として闇が巣くっているのが分かる時がある。家庭環境や、クラスの雰囲気や、担任の先生との関係、友達との関係などに、密かに闇が忍び入っているのかも知れない。
 でも、音楽はその闇を溶かす力を持っている。音楽を聴いている刹那だけ闇を忘れるのではない。音楽は光である。その光で闇という存在そのものを消滅させる。光は心の中に残って内側から人をずっと輝やかせる。だから、光と闇との戦いの勝敗はもう決まっている。闇は決して光に勝てない。
 ところが楽観してもいられない。子どもたちの心の中に音楽が入って行きさえすれば、その光で輝かせることは出来るが、心を閉ざしている子どもの中には、なかなか音楽が染み込んでいかないのだ。入っていかないことには輝かせようがない。勝敗は決まっているといいながら、常に光と闇との戦いが歴然とあるのは、こうした理由による。

 だからこそ、僕はスクール・コンサートに価値を見いだしている。かけがえのない事をやっているのだという自負がある。子どもたちの心の根っこの部分を輝かせることは、ある意味、魂の救済にもつながる行為なのである。そして、そのためには、最高のクォリティを持った音楽が奏でられなければならない。
 その点、今回の新国立劇場合唱団のメンバーの実力と人間性は、手前味噌ながら世界に誇れるものがある。みんな毎回毎回真摯に音楽に取り組んで最高の音楽的クォリティを維持しながら、それぞれの演奏を心底楽しみ、そして生徒たちからしっかり感動をもらって帰って来る。
「『ふるさと』でさあ、『いかにいます父母』って歌ってから、『志を果たして、いつの日か帰らん』って歌っていくと、いつも涙が出そうになってくるんだ」
「あ、あたしも!そのあとの『山は青きふるさと、水は清きふるさと』も、ウルッときちゃう」
なんていう女性団員達の会話をバスの中で聞くのが嬉しい。演奏する彼らの心がきれいだから、子どもたちに伝わっていくパワーももの凄いのだ。

長旅の生活
 こうした素晴らしい体験の連続の一方で、肉体的あるいは私生活的には、長旅を続けていると、やっぱり疲労がたまってくる事実は否めない。面白いのは、物欲というものがなくなってくること。スーツケースとカバンだけで各地を回っているのだ。何か買いたいと思っても、荷物が増えるだけだから、買いたいという気持ちそのものが失せてくる。


旅のじーじ

 ホテルでバイキングの朝食を食べ、集合してバスで少なくない時間揺られて学校に行く。午前中に練習をして、お昼はお弁当を食べ、午後に本番。それからまたバスに揺られて次の街のホテルに着くと、もう夕方。食事に行ってお酒が入ると、もうその後はまとまった仕事は出来にくい。いろいろ仕事は持っていったんだけどね・・・。
 物欲がなくなってくるのはいいんだけど、つまり食欲ばっかりになってくるのだ。合宿が永遠に続いている感じ。
「今晩何を食べようかな」
ということしか考えないようになる。だから、残念なことに太ってしまった。
 長く旅行していると、その日を暮らすことばかりに囚われるようになってくる。移動がバスだから、本を読んだら車酔いしそうになるので、活字もあまり読まなくなる。従って勤勉欲もだんだん失せてくる。公演自体は価値あることをやっているという自負があっても、肝心の自分自身がそれに釣り合った行き方をしているか、だんだん疑問に思うようになってくる。良い演奏をするためには、そのための充電期間というのも必要かも知れない。
 いくら価値あることでも、一年中旅回りだけやっていたら、自分のオーラが小さくなってしまって、パワーダウンしてしまうような気がする。まあ、今回はまだ実際には全然セーフなんだけど、それでもこうした危機感を感じるのだからね。

 新国立劇場に来ている外国人の指揮者の中には、一年中ゲスト指揮者として世界各地の歌劇場を回っている人が少なくない。自分の家があっても、一年に何日居るのかなあ、と自分で自嘲的に数えていたりする。次の劇場の仕事の勉強を、公演の合間にスタジオを借りてやっている。偉いなあと思うけれど、自分にはそういう生活出来ないなあ、とも思う。
 やっぱり僕は、適当に家に帰って、そこを根拠に充電をしないとダメな人間のようだ。最近は、日曜日に教会に行くのも魂の充電には良いようだし、スポーツをするのも良い。それとなんといっても読書が良い!
 指揮者というのは、人に何かをもたらすべき人間なので、消耗してしまっては駄目なのだろうな。自己の内部は常に豊かであるべきなのだ。


恵那峡

湘南国際村の合宿と新しい指揮法
 先週は、旅の真っ直中、浜松バッハ研究会の合宿を終わったばかりで「今日この頃」をお送りしたが、今週は、金曜日に旅から帰ってきたと思ったら、土日で東京バロック・スコラーズ(TBS)の合宿だった。場所は三浦半島の湘南国際村。海と富士山の見える美しい丘に建っているが、残念ながら今回は曇りで富士山は見えなかった。

 ここには宿泊者無料の温水プールがあって、なんと朝の7時から夜の10時まで使える。ま、25メートルは取れていなくて、18メートルしかないが、僕は8日土曜日の午後、みんなが受付をして発声練習をしている間にもう泳いでいたし、午後9時に練習が終わってからも30分くらい泳いだ。早朝も7時に泳いでから朝食会場に行った。さっきも書いたけれど、旅の間にすっかりお育ちになってしまった体をなんとかシェイプアップしたいので、こんな風に足繁く通ったというのもある。

 10月10日に発売になった雑誌ハンナで偉そうなことを書いてしまった僕は、次のTBSの「バッハのクリスマス」演奏会で、
「なんだ、言ってることとやってることが違うじゃん!」
と聴衆に言われないようにしなければならない。
 それなので、今回の合宿では、発声を合わせることから始まって、子音の入れ方や母音の色、及び全体のサウンドの構築に力を注いだ。その結果、合唱団からこれまでにないまろやかな音色が得られるようになった。フォルテの時でもある種のしなやかさが内在することが、本物の合唱団の音色なのだ。

 そして、それを実現するために、僕は、自分の本「オペラ座のお仕事」のカラヤンの章で書いているように、最近ますます響きとの因果関係がつかめた「カラヤン風の腕の動き」を実践してみる。つまり響きを操る指揮のテクニックである。これはもともと水泳からヒントを得たものであるが、今回の合宿では、水泳と合唱練習を交互に行ったので、泳いだすぐ後では効果がてきめんだということが、はっきり分かった。
 それは、クロールで、入水した手を伸ばしていって、指先に体重を乗せるようにし、ストロークのためのキャッチを始める瞬間までの水を感じる感覚なのだ。その感覚を感じながら振ると、みんな、その動きに乗って歌うのが歌いやすそうだし、実際にひとりひとりの団員の不必要な力が抜けて良い発声になっていく。
 この指揮法はやればやるほど画期的だと気が付いてきた。カラヤンの後、誰もそれを踏襲する人がいなかったのは残念だ。いや、むしろ僕がこれから極めればいいのであるが・・・もうちょっと研究を続けて、いずれみなさんにも分かるように体系化して、なんらかの形で発表しようと思う。

 ポスト・ピリオド奏法を掲げるTBSの「21世紀のバッハ」の核を成すのは、この指揮法かも知れない。何か名前を付けた方がいいな。コラールなどは、この指揮の仕方で本当にみるみる響きが変わっていく。勿論、今の自分は、新国立劇場合唱団などでもこの指揮法で振っているが、バッハには一番合っているような気がしているのだ。



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© HIROFUMI MISAWA