オフ会&出版記念パーティー無事終了

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

フル・プログラムの一日
 11月16日日曜日は、朝から忙しかった。前の晩に新町歌劇団の練習で群馬に帰っていたので、早朝新町駅から高崎線に乗り、10時の関口教会(東京カテドラル)ミサに出席。その後聖歌の練習。それから池袋の東京芸術劇場に行って、中島良史(なかじま よしふみ)さんが指揮する「カルミナ・ブラーナ」演奏会を聴く。そして青山に向かい、オフ会に出席した。
 中島良史さんとは不思議な縁がある。国立音楽大学声楽科に入ったばかりの僕は、合唱の授業で「カルミナ・ブラーナ」を練習していた。授業を受け持っているのは佐藤公孝(さとう きみたか)先生であったが、本番は、まだうら若い作曲科の講師である中島先生の指揮による都響のデビュー・コンサートになるという。
 練習している最中のある時、中島先生が突然合唱団に暗譜で歌って欲しいと言い始めた。学生達はいっせいに抗議した。
「ええっ?今からあのIn Taberna(言葉の多い男性合唱曲)なんて覚えられるわけがねえ!」
と言っている。それを聞いた僕は頭にきて、
「指揮者がそう要求しているのだから、僕達は全力をもってそれに応えるべきではないか」
と言い、密かに暗譜して、次の合唱の授業で、
「自分は少なくとも暗譜しているぞ」
と見せるために、上級生達もいる前でわざと後ろを向いて歌った。そこで、他の学生達は仕方なくしぶしぶ暗譜したのだ。
 それと、中島さんは、僕がとてもお世話になった、高崎高校出身のピアノ伴奏者である塚田佳男さんの大の親友なのだ。
「ちょっと変な奴だけれど、よろしく頼むな」
と言われていた。よろしくと言われても、相手は10歳以上の先輩で先生だし、こちらは入学したての学生だ。
 最近では、中島さんが指揮者をしていたガーデンプレイス・クワイヤーに招かれて「マタイ受難曲」を指揮させてもらったりと、なにかにつけて関係が途切れずに今日まで来ている。

 さて、演奏会で見る中島さんの指揮は「なつかしかった!」のひとことに尽きる。考えてみると、なんともう40年も前の話なので、覚えてないだろうと思っていたが、音大に入って初めての学外の大きな演奏会だったから、よっぽど印象的だったのだろう。中島さんの動きのひとつひとつまで覚えていたのには自分で驚いた。
「次こういう風に振っていたな」
と思うと、その通り指揮する。僕はまるで預言者のように、次の中島さんの動きが全部読めるのだ。それに、中島さんは、体型やおかっぱのヘアースタイルまでそっくりあの時のままやんけ。違うのはお互い髪の毛の色だ。あの時は僕も中島さんも真っ黒だったが、今は二人とも結構白い。
 緊張感に溢れた演奏で、最後の音が鳴り終わると、大きなブラボーの叫びがあちこちから上がった。合唱も大変力強く素晴らしい演奏会であった。中島さんは70歳になるという。その割にはとても若いし、指揮の仕方もエネルギッシュ。どうか、いつまでもバイタリティに溢れた活動をし続けて下さいと祈りながら東京芸術劇場を後にした。

さて、夜はいよいよ「オフ会=出版記念パーティー」だ。僕は、青山の会場目指して電車に乗った。

オフ会&出版記念パーティー無事終了
 こんな楽しい夜はめったにあるものではない!いつも僕が通っている東京バロック・スコラーズや東大アカデミカ・コールのメンバーは、もちろんすでに気心が知れているけれど、そこにプラスして、オフ会ならではの出遭いが楽しさを倍加するのである。
 普段お互いに会話することもほとんどない参加者達が、それぞれを互いに自己紹介し合い、ただちに意気投合して仲良しになっていくのを見るのは、ことのほか嬉しい。

 僕のホームページが立ち上がってから、今年で10年目。パーティーは、そのコンシェルジュを紹介するところから始まった。コンシェルジュのSさんの話しを聞きながら、僕は、このホームページが、僕の音楽活動を陰から様々な方法で支えてきてくれたことをあらためて思い起こしていた。
 ある時は、新国立劇場の営業部の人が、「今日この頃」を読んでいて僕の文章力を評価してくれ、それがオペラ公演のチラシのエッセイを担当するきっかけとなった。その他、いろいろなインタビューや仕事の依頼が「今日この頃」を縁として僕の所に舞い込んできた。その中でも、なんといっても今回の「オペラ座のお仕事」(早川書房)執筆にあたっては、早川書房編集者の坂口玲実さんが「今日この頃」を読んでいたことが発端となったわけである。
 ということで、マイクを坂口玲実さんに渡した。彼女こそが、僕の本の真の功労者である。何故なら、それぞれの原稿は勿論僕が書いたものであるが、その原稿を使って全体を構成し、章立てしてタイトルをつけ、プロローグやエピローグなどの足らない部分の加筆やあらたな執筆を僕に要求し、ひとつの作品に仕上げたのは他ならぬ彼女だからである。先日、週刊誌のサンデー毎日の書評で「全体がオペラ仕立て」と書いていただいたが、その名誉はひとえに彼女に帰す。

「オペラ座のお仕事」の中で重要な役割を果たした親友の角皆優人(つのかい まさひと)君は、白馬からの高速バスが事故渋滞で大幅に遅れた関係で、1時間以上も遅れての到着となったが、かえってそれが、「待ちに待ったスペシャル・ゲスト」という華々しい登場の仕方となってよかったのかも知れない。
 彼は、スピーチで、僕も忘れていた昔のエピソードなども披露してくれて、一座は大いに盛り上がった。わざわざこのパーティーのためだけに白馬から駆けつけてくれたんだよ。本当にありがたい!今度12月には、僕達家族は、杏奈や志保一家(杏樹も一緒)も連れて白馬に行くんだ。その時も、音楽談義をはじめとして、彼と心ゆくまで語り合いたいと思っている。
 パーティーでは、僕もジャズ・ピアノを弾いたが、音楽劇「ノアの方舟」の中の輪唱の「トンテンカン」やAve Verum Corpusをみんなで初見で歌ったり、音楽で結ばれている仲間達とのしあわせなひとときを満喫することができた。いつまでも続いて欲しかったが、あっという間に閉会の時間が来てしまった。
 でも、またやりたい。今回は10周年&出版記念ということでややあらたまって豪勢に行ったけれど、オフ会だけだったらもっと気軽に出来る。ただの飲み会という感じで、時々オフ会をやりましょうよ、ね、みなさん!またこのページで呼びかけるから、みんな来てね!

P.S.1 11月16日の日経新聞朝刊には、先日インタビューした「オペラ座のお仕事」の記事が載っています。


P.S.2 写真は、左からコンシェルジュのSさん。僕。早川書房編集者の坂口玲実さん、角皆優人君



チョイワル・ロードバイク
 新しくペンキを塗られたロードバイクが、とうとう我が家に到着した。目のさめるようなイタリアン・レッド。しかも本体にはイタリアのオートバイのDUCATIのロゴが入っている。


DUCATI M330 SERIE 1623 COMPETIZIONE

 DUCATIはね、バイク仲間に言わせると、
「もっとスピードを出してごらんよ。気持ちいいぜ!」
と巧みにささやく、ちょっと危ないやんちゃなバイクだそうで、僕はバイクは乗らないけれど、Velocityのようなやんちゃなスキー板をこよなく愛するので、ロゴを入れるならDUCATIと決めていたのだ。
 出来上がりを見たら、このロゴの文字や入り方も実に本物っぽく、しかも真性のワッペンまで貼ってある。どう見ても正規商品にしか見えないが、DUCATIは自転車を作っているメーカーではないので、実際にはこの世に決して存在しないんだ。
 フレームの上側の軸にはM330と1623という数字が見える。つまり330=ミサワで、1623=ヒロフミなのだ。まさに世界にひとつしかないマシーン。この素晴らしいペンキを塗ってくれたのは、新国立劇場合唱団テノール・メンバーのOKさん、通称クボケンだ。
 恐らく、バイク愛好家やロード愛好家達はみんな驚いて、きっととても高いんだろうなあと思うに違いない。でも、彼はペンキ代と、その他、解体に際して交換した部品の実費以外決して受け取らないのだ。
 ということで、納車の日は「ドン・カルロ」の立ち稽古初日。クボケンは車で僕のチャリオ君を新国立劇場の駐車場まで運んできて、練習終了後駐輪場で納車式。何人かのバイク仲間の団員が立ち会い、みんな口々に、
「これ、マジいいね!」
と言ってくれた。

 なに?
「それってインチキじゃない?」
だって?
「そんなことして大丈夫なの?」
だって?
 心配ご無用!平気平気・・・だと、思うけれど・・・ええと・・・少なくとも犯罪者として牢屋につながれることはないような気がするよ。販売したりするのではなくて勝手に色塗って自分で乗っているだけだから。
 クボケンもそれを知っていて実費以外もらわないのだろう。なにせ彼は、バイク仲間のみんなのマシンに、色を塗ったり、部品をつけかえたり、いけないマフラーをつけたりしていて、もっと危ない橋を渡っているからね。まあ、そのことと合わせて、このロードバイクも、ちょっとヤバイかも知れない。
 でもねえ、この歳になってきて、こうしたチョイワルないたずらというのは必要かも知れないと思っているのだよ。いろいろな邪念が取れてくるのはいいんだけど、あまり急に悟りきった聖人のようになっては人生つまらないでしょ!

とにかく見てよ、この写真。カッコいいでしょ!めっちゃ気に入っているんだ!



親鸞完結編
 スキーに行く時には、不思議と宗教的な書物を読みたくなるんだ。2010年の冬、湯沢中里スキー場に鈍行で行く時に、五木寛之の「親鸞」(講談社)を読み始めた。それから「親鸞」激動篇が発刊され、今年はスキーに行くまで待ちきれずに新刊の「親鸞」完結篇を読んでしまった。上下巻あって短くはなかったが、先日の長旅で読書に飢えていた僕は、仕事の合間にあっという間に読んでしまった。

 宗教書だと思って読むと、ハッキリ言って面白すぎる!竜夫人(りゅうぶにん)や覚蓮坊(かくれんぼう)といった登場人物たちがそれぞれ怪しすぎる。ストーリー展開もドラマチックで手に汗握りすぎる(笑)。
 ただこれは欠点ではない。五木氏は、親鸞が生きた時代の京都や東国の雰囲気をあますことなく描写し、救われるか救われないかギリギリの人達の人間模様を表現することで、彼の説く念仏の本質を描き出そうとしているのだ。まさに小説家にしか決して出来ない技といえるだろう。
 親鸞の死までを描いた完結篇というだけあって、この上下巻では晩年の親鸞の心境があますところなく描写されている。その中でとても心惹かれる言葉があった。それは親鸞の師である法然上人の言葉だ。
「人は愚者になりて往生す」
 もともとは、比叡山などで知識を詰め込んで分かったような気になっている状態から離れて、自らを愚か者となすことで往生への道が開けるという意味で、法然が語った言葉である。けれど親鸞は、しだいに歳を取って自分の記憶力や視力が衰えていくのを感じ、これに悩まされながらもある時気付くのだ。こうした“老い”も、往生するための仏の慈悲だと。仏が、老いをもってわれらを愚者にしてくれるのであれば、これを潔く受け取ろうぞと彼は説く。
 そして親鸞は、物がそっと自然に還るように死んでゆく。親鸞の末娘の覚信は、
「親鸞さまが往生なさるとき、きっと驚くような奇瑞(奇蹟)がおこるはずです。わたしたちは、それをしっかりみとどけて、世の人びとに伝えなければなりません」
と言ったが、何も起きなかった。
 僕は、かえってそれに感動した。ごくごく当たり前に生きること。自然から出て自然に還ること。これこそが人生の原点だと思うから。

 さて、念仏を中心とした他力の浄土宗系から、僕は基本的には距離を置いている。最近はパウロの
「人類のために罪を背負って十字架にかかったキリストを信じることによって救われる」という思想にも疑問を投げかけている。一番の原因は、「救われる、救われない」という線引きにある。
「はい、あなたまでは天国!あなたは残念ながら地獄!」
というものだろうか、と思うからだ。
 それに、もしこの世が極楽浄土に行くためだけにあり、その為に、人生をただ念仏するだけで過ごすべきだしたとしたら、そもそもこの世に生まれてきた意味がないではないか。やはり我々は、この世でなければ出来ない事をするべくこの世に生まれ落ちたのではないか。それが、いかに苦悩や不条理に満ちた世界であっても、この世とは、“来世へのプレリュード”以上の意味がある場ではないのだろうか。
 しかし、親鸞にはそのことも分かっていたのだと思う。ある意味、彼は一生をかけて迷っていたのだと思う。体調が悪くなると、このまま死ぬのではと怯える自分がいる。
「念仏三昧の日々を送り、来世に希望を託しているなら、何故自分は怯えるのだ?」
と彼は自問自答している。そういうこと全てをひっくるめて、僕は親鸞という人間が大好きだ。本当に偉大なる人物とは、彼のように自分に正直な人間だと思う。
 僕も、彼のように自分に正直に生きよう。そして、時来れば親鸞のように大自然に包まれながら往生したい。



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