礒山先生のありがたいコメント
音楽学者礒山雅(いそやま ただし)先生が、御自分のブログで拙著「オペラ座のお仕事」(早川書房)に対して過分ともいえるコメントを書いて下さった。
礒山先生は、東京バロック・スコラーズのアドヴァイザーのような形で関わっていただき、何度もカップリング講演会をしていただいたり、演奏会に来ていただいて様々なアドヴァイスをいただいている。
というと、なんだ仲良しなのか、と思われるだろうが、この方はどんなに親しくなっても決してお世辞は言わない人なのだ。どんな席でも歯に衣着せぬ意見を正直にバンバン言う方でみんなに恐れられている。僕も勿論褒められるばかりではなく、時にお叱りを受けることもある。それだけに、それぞれのアドヴァイスは身に染みるものがあるし、ましてや褒められでもしたら、逆に「ホントだろうな?」と疑ってしまうほどだ。でも、このコメントは正直言って誰の批評よりも嬉しい。
「豚もおだてりゃ木に登る」という言葉があるけれど、僕は現在富士山のてっぺんで小躍りしています。ウフフフフフフ!
素晴らしい演奏会になる予感
「クリスマス・オラトリオ」をやっていると、どうしてこんなしあわせな気持ちになるんだろう。僕がクリスマスが好きなのが第一の理由だろうけれど、同じようにバッハもクリスマスに特別な想いを抱いていたのだろうな。それがひしひしと伝わってくる。
11月29日土曜日は、東京バロック・スコラーズの12月14日の演奏会「バッハのクリスマス」のためのオーケストラ練習及びオケ合わせ。埼玉芸術劇場「彩の国」大練習室で行われた。オーボエの小林裕さん、フルートの岩佐和弘さん、ファゴットの鈴木一志さん、コントラバスの高山健児さんといった、いつもの素晴らしいメンバーに加えて、今回は何人かの新しいメンバーが加わった。
コンサート・マスターの近藤薫さんが今回はどうしても都合がつかなかったため、群馬交響楽団のコンサート・ミストレスとして活躍している伊藤文乃さんをお呼びした。安定したテクニックと類い希な感性でソロ・ヴァイオリンを見事に弾いてくれた。また、オルガンには若手の山縣万里さんにお願いした。僕の信頼する西沢央子さんのチェロと相まって、通奏低音をしっかりかためてくれている。
以前頼んだときには、
「いやあ、バロック・トランペットは苦手で・・・・」
なんて言っていた辻本憲一さんは、どうしてどうしてご謙遜を・・・。彼の率いるトランペット軍団は、超高音でも柔らかさを失わずそれでいてパワフル!僕の理想とするドイツの金管の音に限りなく近い。
こんな素敵なメンバーでマグニフィカトとクリスマス・オラトリオの演奏会が出来るなんて、なんて楽しみなのだろう。東京バロック・スコラーズのメンバーもノリノリ。今度の演奏会がいつになく素晴らしいものになるのは必至。
さて、12月2日火曜日7時からは、カップリング講演会が代々木のオリンピック村である。講師は先ほども触れた礒山雅先生です!後半の僕との「爆弾対談」が呼び物となっているよ。演奏会に来られない人も千円払えば受講出来るので、どうぞいらしてください。
関口教会聖歌隊指揮者に就任しました
11月30日日曜日。今日から教会歴は新しい年度に入った。12月1日からスッパリというわけにいかないのは、待降節第1主日(日曜日)からこよみが始まるからだ。その待降節Adventは、降誕祭(クリスマス)の4週前の主日から始まる。救い主の誕生に向かって心を整え、生活を正しながら待ち望む期間である。
クリスマスは12月25日、イヴは24日と決まっているので、年によって曜日は毎年変わる。一方、待降節は必ず日曜日から始まるから、教会暦の初日がいつになるのかも年によって変わるわけである。
ということで、とっても中途半端な11月30日付けで、僕は関口教会聖歌隊指揮者になった。前にも書いたが、ここは東京教区としては岡田武夫大司教の司教座のあるカテドラルなのであるが、同時に小教区としては関口地区の教会として機能している。そのふたつが同じ東京カテドラルの建物を共有している。
聖歌隊は関口教会に属している。通常は日曜日の聖マリア大聖堂で行われる10時のミサで歌っているが、必要に応じて、教区からの要請によってカテドラル聖歌隊として奉仕する。
お話しはすでに1年以上前から聞いており、今年の初めから関口教会の10時のミサに通い始め、8月からミサ後に聖歌隊の練習を始め、様々な打ち合わせのために何度も足を運んで、用意周到に事を進めてきたので、僕にしてみると
「いよいよ始まった!」
という感じであった。
東京カテドラル聖マリア大聖堂はとても広く、残響が極端に長い。そこへもってきて、聖歌は、2階にある大オルガンを使って伴奏されるのだ。信者の数も多い。だから全体をとりまとめる指揮者は必要不可欠である。僕の前任者の町田治さんは、祭壇の向かって右のところに譜面台を置き、右側の聖歌隊と一般会衆の両方に分かるように指揮していた。僕もそれを踏襲する。
この教会に来て一番驚いたことがある。主任司祭の山本量太郎神父が、ほぼ最初から最後まで全て“歌ミサ”といって、歌でミサを執り行うことだ。入祭唱のすぐ後の、
(司祭)父と子と精霊の御名によって
(会衆)アーメン
(司祭)主はみなさんと共に
(会衆)また司祭と共に
というやりとりから全て歌で行う。
でも、何度か歌ミサを経験してみると、言葉で唱えるだけのミサよりも魂が高揚するのを感じる。ミサというものが、単に個人がそこに参加して聖体をいただいて帰るためだけのものではなく、聖堂内で音楽に乗って高揚し飛翔した魂同士が交わる場なのだということをしだいに理解出来るようになってきた。そうした歌ミサを大切にする山本神父に、僕は限りないリスペクトを捧げている。
こうした歌ミサは、普通の曲のような感じではなく、グレゴリオ聖歌風の曲調なので、僕はキロノミーというグレゴリオ聖歌用の振り方を取り入れながら指揮をする。演奏会を指揮するのには慣れている僕も、初回はとても緊張した。
歌ミサでは、誰よりも上手に指揮をするとか、クォリティの高い音楽を導き出すという通常の指揮者に求められることとは根本的に違って、典礼の流れを司祭と相まって音楽によって作り出していかなければならない。この残響の多い聖堂空間で、2階の大オルガンと聖歌隊、それに一般会衆の三者がバラバラになりでもしたら大変だ。でも、なんとかつつがなく終わってホッと胸をなで下ろしている。
いや、それどころか、自分の中に新しい感覚が芽生えつつある。うまく言葉では言えないけれど、普通の音楽に対する心構えも、今後どこかで少しずつ変わってくるのではないかという予感がしている。“音楽を奏でる”ということに対する根本的な姿勢が・・・。