秘蔵写真特別公開

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

秘蔵写真特別公開
 この今週号の「今日この頃」を、みなさんのうちの多数がご覧になる2月10日火曜日、僕は自分の母校である群馬県高崎市新町第一小学校で講演会をしている。対象は4、5、6年生で、タイトルは「夢を叶えるために」。拙著「オペラ座のお仕事」を読んでくれた人は知っているだろうが、小学校時代の僕は、音楽教育など全く受けていないただの洟垂れ小僧であった。それがどうして指揮者になれたのか、夢はいつ生まれ、実現させるためにどんな苦労をしたのか、などを小学生にも分かるようにお話しする。
 講演をするにあたって、田舎の家にしまってあったアルバムを送ってもらって、その中からいくつかの写真をスキャナーにかけ、静止画ファイルとしてプロジェクターで写しながら話を進めていこうと思っている。そのファイルの中から、今回はみなさんに秘蔵写真を特別公開しよう。


幼稚園入園式の朝

 これは幼稚園の入園式の朝だそうである。なんだかボーッとした顔しているなあ。この頃から頭が良かったみたいだけど、お袋の話では、まわりからちっとも利口そうな顔していないね、と言われ続けていたそうである。ほっといてよ!
次に興味深い写真を紹介しよう。


小学三年生横須賀

 これは小学校3年の時に横須賀の叔父さんの家で撮ったものである。ピンボケだけれど僕の生涯初めての「指揮をしている写真」だ。お袋のお姉さん(僕の叔母さん)は、横須賀に住んでいて、そのご主人は、僕のことをとても可愛がってくれた。叔父さんは、サラリーマンであったが、大変な読書家で、いろんなことをよく知っており、知性の香りが漂っていた。僕は横須賀の叔父さんが大好きだった。
 その叔父さんが、音楽に特別に興味を示している僕を発見して、ある時、指揮の仕方を教えてくれたのだ。
「4拍子はこういう形。3拍子はこう。右手は図形を振り続けるけれど、左手はいつも一緒に動くのではなくて、必要に応じて表情をつけるために使うんだよ」
 叔父さんには先見の明があったなあ。こうして写真を撮って残してくれていたのがありがたい。叔父さんは、別に自分でどこかのオケや合唱団を指揮したことなんて勿論なかっただろうが、今になって思うと、教えてくれた事は結構正しい。その意味では、僕の生涯で初めての指揮の師匠である。
 かといって、横須賀から帰ってきた僕が、それをきっかけに音楽にのめり込んでいったということも特になく、相変わらず土手に行って走り回っていた悪ガキの日々が続く。音楽が特別なものとして僕の心を占めていくのは、まだまだ先の話である。

 さて、僕はさりげなく緊張している。今の小学生達に僕の話はどんな風に響くのだろう?文化庁のスクール・コンサートでは小学校によく行っており、小学生には馴れているつもりでも、演奏するのとお話しするのとでは違う。みんな楽しんでくれるかな?そして、僕の話から何かを感じ取ってくれるかな?

「こうもり」について書かなかったわけ
 この「今日この頃」に何も書かないうちに新国立劇場「こうもり」公演が終わってしまった。断っておくが出来が悪かったのでは断じてない。問題はむしろ僕の方にある。というのは、最近の「イスラム国」による誘拐及び殺害の事件に心を痛めていて、「こうもり」について書くことをためらっていたのだ。
 何故ためらうのか?うーん・・・「さまよえるオランダ人」の方がためらいは少ないかも知れない。3.11の時もそうだったけど、何かがあると自分の心の中にいつもある、
「こんな時に悠長にオペラなんかやってる場合か」
という罪の意識のようなものが即座に頭をもたげてくる。特に「こうもり」のようなオペレッタ(喜歌劇)の場合は・・・。

 僕より数倍熱心なカトリック信者である妻は、僕がチャップリンやミスター・ビーンのビデオを観ながら娘達とゲラゲラ笑っている時には、輪の中に入りたがらない。妻だけでなく、クリスチャンにはこういう人が少なくない。つまり、何かをエンジョイすることに対する怖れのような感情だ。彼女を見ていると、とても楽しいことがあるとかえって不安になるみたいだ。原罪というものを感じているからかな。
 妻ほどではないけど、僕の中にもその傾向が多分にある。だからスキーとかやっても、レジャーという方向にはいかずに、これは修行をしているのだと自分に言い聞かせるので、どうしてもガッツリ取り組んでしまう。旅行に行くにも、巡礼とか勉強とかいう目的がないと落ち着かない。娘達が小学生の頃、二度ほど家族でヨーロッパ旅行をしたけれど、一度目はルルド巡礼を最終目的地にしたし、二度目は僕のソルボンヌ大学夏期フランス語集中講座に同行させ、パリ南の膨大な学生寮に約4週間滞在した。こうした目的が全くなくて、ただお楽しみだけのためにハワイとかにはとても行く気になれないのだ。

 ただあまりそうしたエンジョイすることに否定的な感情が出てき過ぎると、音楽をやる自分としては具合の悪いことがある。作曲などで、音楽の中で自由なファンタジーを羽ばたかせたい時に、
「自分は罪人であり、取るに足らない人間だ」
と思っていると何も生まれない。それよりも、尊大と言われようが、
「自分は、神から特別な恵みをいただいた天才だ!」
と思った方が、自分の内面が輝き、その輝きと波長の合った素晴らしいインスピレーションが下りてくるのだ。スピリチュアルな本などで波長同通の法則という言葉をよく見るが、自分の意識が向いた方向から、それにふさわしい光が来るのだ。
 指揮者としての自分も、
「ああっ、なんて素敵!なんてしあわせ!」
と感じていると、もっともっとしあわせ感を呼び寄せ、それが演奏者や聴衆に波及していく。指揮者こそは、誰よりも先に、その音楽の喜びを味わい尽くすエピキュリアン(享楽者)であるべきなのだ。

 だから「こうもり」という作品の楽しさに浸かることに何の後ろめたさを感じる必要もないわけだ。まあ、実際「こうもり」の上演に“従事する立場”の僕としては、違和感のようなものは少しも感じない。軽い内容の作品とはいえ、みんなそれぞれのセクションで“プロ意識を持って真剣に”関わっているのは事実だし、実際とてもハイレベルな公演であった。合唱団も歌だけでなく演技も含めてトータルな意味で大健闘。音楽がきちっとまとまっているのは、生粋のウィーン子である指揮者のアルフレート・エシュヴェ氏の功績。彼のお陰で、単なるギャグに堕ちずに全体が格調高いものに仕上がったのだ。往年のキャラクター・テノールであるハインツ・ツェドニク氏が演出を手がけた舞台は、クリムトの世界の衣裳及び照明も含むところの色彩感が秀逸。挿入曲のポルカ「雷鳴と稲妻」の合唱団とダンサー達の踊りは、端で見ていても本当に楽しそう。

 躊躇したのは、ただ筆をしたためることに対してなんだ。なんでだろうな・・・うーん・・・「ダンナが舞踏会で浮気をしようとしていた相手が変相した奥さんだった、めでたしめでたし」というたわいのないお話しを、「イスラム国」の話題と並べて書く気が起きなかったのだ。
 報道によると、捕虜のパイロット殺害の報復として、ヨルダンがまた「イスラム国」の拠点を攻撃しているというし、一方で「イスラム国」では、いたいけのない子どもに武器を持たせて戦闘員にしたてようとしているという。そんな映像を見せられるだけで涙が出そうになる。

 まあ、それでもこう考えることも出来る。笑いは人間の生活には必要なものだ。人間は笑わなくなった時が危ない。笑わない人は恐い。国もそうだ。だから、こうして楽しいお話に笑うことの出来る環境を絶やしてもいけないのだ・・・うーん・・・でもやっぱり・・・世界中の子どもたちがしあわせに微笑む世界が実現するまで、僕は本当に心の底から笑うことは出来ないなあ・・・・。

浜松のマタイ受難曲
 2月7日土曜日。浜松バッハ研究会の練習に行く。12月に行く予定だったが、珍しく病欠してしまったので久し振りなのだ。実はその時、ウィルス性胃腸炎にかかってしまったのだ。「今日この頃」でも書かなかったし、あまり周りの人にも言っていないのは、それを聞いても良い気持ちになる人はいないからだ。浜松に行く日には、すでに症状はおさまっていたので、行こうと思えば行けないことはなかったが、体はフラフラで、しかもウィルス性だから人にうつると大変だったので、行くのはやめて家で一日寝ていた。
 で、気がついてみると、1月は忙しくて日程が取れなかったので、今日の練習が終わると、もう一度3月に練習があった後は、もう本番直前なのだ。ヤベエ・・・・12月の練習を休んだのはホント痛かったぜ!

 オケもアマチュアなので、11月から練習している。今日は前半が合唱稽古、午後からオケと合唱の合同稽古というスケジュール。3時間近くかかる大曲なので、とても丁寧に繰り返しの練習などやっている暇はない。だから今日は「無理矢理通し稽古」にした。でもね、合唱の入った大きな曲以外は、オケも今日は初めてなんだ。
 福音史家のレシタティーヴォは、チェリストと一緒に僕がチェンバロを弾く。またアリアも、オルガニストと僕とで半分くらいに割り振っている。イエスが歌う時に光輪として奏でられる弦楽器を指揮するのも簡単ではない。そうした稽古もなんにもしていないが、とにかく強引に通した。
 あっちこっちに絶えず問題が出てきて、
「ううっ、と・・・止めたい!」
と思うが、我慢我慢!今止めて注意なんて一度始めたら、どこもかしこも止めたくなって時間がいくらあっても足りない。

 でもね、通してみて、通し稽古というのは、これはこれで意味があるんだと思った。やっているうちにだんだん流れが出来てくる。偽りの証言に沈黙するイエス・・・しだいに興奮してくる群衆・・・あざけられ、つばを吐きかけられ・・・そして十字架を背負って歩むイエスの弱々しい足取り。マタイ福音書の言葉をそのままなぞっているだけなのに、息詰まるドラマの展開に手に汗握る。不謹慎なのを承知しながら言うと、素晴らしいストーリーだ!そして、それを描写するバッハの卓越した音楽!
 その受難劇も佳境を迎えるある瞬間、僕の眼前に突然パッと見えたものがある。最近よく起こるデジャヴ現象のひとつ。それは、このメンバーで最終的に出来上がるであろう音楽の全体像だ。それは一瞬にして全てが見える。うーん、見えるんだか聞こえるんだかよく分からないのだが、とにかくそこに在るのが感じられるのだ。音楽それ自身が「こういう風に仕上がりたい」と望んでいるように思われ、それは、僕が自分の頭でヒネリ出した解釈などというみみっちいものではないのだ。僕はただその「音楽の流れ」に従って、今はまだ現実世界のどこにもなく、ただイデーだけで存在しているものを、この世に送り出さなければならないのだ。
 次の3月の練習は、今日の通しで気付いた問題箇所のピックアップ練習。本番までの間に越えなければならない峠やハードルは山ほどあるが、浜松バッハ研究会の「マタイ受難曲」の仕上がりは、もう僕の目には見えている。きっと感動的な演奏になると思う!

 おっとっと・・・・もしかしたらバッハ研の団員達もこの文章読んでるのかな?だとしたらヤバイ。彼らを決して楽観させてはいけない。まだ全然出来てねえぞ。ここも直して、あそこも直して・・・いいか、3月は覚悟しとけ!

ただ、僕を信じてついてくれば、月に連れて行ってあげます。観に来てくれるお客さんもね。僕の還暦になって初めての演奏会です。

ニセコ!
 さて、来週の更新原稿は北海道のニセコから届くと思います。今週の木曜日の午後の新国立劇場合唱団の「運命の力」音楽練習の後、僕は羽田に向かい、札幌行き19:00の飛行機に乗る。新千歳空港からバスに乗って、深夜にニセコのホテルに到着。次の日の金土日と中3日まるまる滑り、月曜日は半日滑ってから帰って来る。
 何故そんな休暇が取れたかというと、これには理由がある。新国立劇場合唱団は、その間にオペラ「沈黙」長崎公演に行っている。合唱指揮は、僕のアシスタントの冨平恭平(とみひら きょうへい)君。この合唱メンバーは6月の「沈黙」本公演と一緒である。その6月のスケジュールにからんで、劇場内のいろいろなローテーションの都合から、僕は「沈黙」を冨平君に任せて降りなければならなくなったのだ。そうなると、2月の長崎公演と合唱指揮者が違ってしまうと二度手間なので、こちらも冨平君が手がけることになった。
 というわけで、僕は残念ながら(うふふふ)長崎には行けないので、彼らが長崎に滞在している間のポッカリ空いてしまった数日を、仕方がないから(おほほほほ!)ニセコで埋めようというわけ(うわっはっはっは!)・・・オホン・・・失礼!いやいや、僕は、この遠藤周作原作の宗教的題材のプロジェクトにホントは加わりたかったのだよ。久し振りに長崎にも行ってみたかったし。

 さて、このスキー・シーズンに数日のオフがまとまって取れたともなれば、やっぱり北海道に行くっきゃないでしょう。おととしの年末に行った札幌のスキー場でもよかったが、知り合いの何人かが、
「なんといっても、北海道ならニセコでしょ」
と言うもんで、やはりここは話の種にもいっちょ行ってみるかと決心したのです。
 それから、ここからが大事なんですが、僕は3月が来ると還暦になるんだから、誕生日プレゼントの前借りというわけなのだ。

 数年前、上村愛子のモーグルをテレビで観て、
「あれをやりたい!ようし最初の二、三年でスキーそのものをうまくなり、それからコブを徹底的に練習して、還暦には還暦モーグルだい!」
と決心した。
 うーん、はっきり言って上村愛子のようなモーグルというのはちょっと苦しいけれど、少なくともコブは滑れるようにはなった。その意味では初心貫徹しているわけだ。だから還暦を前にして自分で自分を褒めてあげたい。さらに、集中して滑れる環境を与えられて、もうひとつ腕を上げたい。なにせ果てがないんだ。先ほどの「こうもり」の欄でも述べたけれど、これは修行なのだからね・・・うひひひひひひひ!
 ニセコでは、親友の角皆優人君のスキースクールで以前インストラクターをしていたモーグル・スキーヤーの方に、深雪スキーのレッスンを受ける予定。ニセコでは湯沢あたりと違って極上のパウダースノウなので、深い新雪の中で失速し、雪の中に全身埋まってしまってにっちもさっちもいかなくなったら、命の危険すらあると聞く。だからきちんとレッスンを受けるべきなのだ。その代わり、上質の深雪では、決して他では味わえない天国のような浮遊感が味わえるとのこと。うふふふ・・・やだ・・・どんなかな・・・・。

 この歳になって新しい感覚、新しい世界観、脱皮し、大空に向かって羽ばたいていく自分!還暦を迎えても僕は前進を続けていく。人生は止まらない!



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© HIROFUMI MISAWA