還暦の心境

三澤洋史 

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還暦の心境
 この「今日この頃」が更新されるのは、3月2日の夜だろうが、おそらくほとんどの方は、3月3日火曜日にこの原稿をお読みになるはずであろう。そうです。その日こそ、まさに僕が60回目の誕生日を迎える、歴史上の大きな節目の日なのです。
 ところが、あらためて還暦の心境を語ろうとすると・・・実は、これまでほとんど毎年、誕生日毎に、“心境”だの“遺言”だの語ってきてしまったために、なんと、新しく言うことがない!
そこで、これまでの誕生日のあたりの原稿を読み返してみると・・・・。

 なんて毎年偉そうなことを言っているのだろう!読みながら、自分で自分が恥ずかしくなり、腹立たしくもなり・・・自分を一体何様だと思っているのだ?その、「悟る」とか「覚醒」とか軽々しくいうの、やめてくれないかな。よくもまあ、ロクでもないことを延々とベラベラと飽きもせずに並べ立てている。あきれてものも言えんわ。一番腹が立つのは、謙虚さが足りないということだね。
今僕が、我が60歳のお誕生日を迎えて思うことはただひとつ、これだけだ。

よくここまで僕を生かしてくれました。
天よ、ありがとうございます!

 同級生達の中でも、あるいは先輩後輩の中でも、これまで還暦を前にその生涯を閉じた方々は少なくなかった。僕自身、この歳まで生き残れるという何の保障も確信もなかった。それが、現在、特に深刻な大病に苦しんでいることもなく、大きな事故にも遭わず、経済的にも特に窮地に追い込まれているわけでもなく、家族共々元気で日々の生活を暮らせているとしたら・・・・そのことだけでおおいに感謝で、もうそれ以外何も言うことはない。

ああ、こういう風にストンと単純になってしまうんだな。
それが僕の還暦!

休息週間
 無欲に還暦を迎えたのにはもうひとつ理由がある。ニセコから帰って来てから、ずっと体調が万全ではなかった。最初は声が変だけかと思ってお酒なんかも飲んで油断していたが、しだいに体全体を巻き込んでいき、ついにベッドに伏す時が来た。
 先週初め、マノン・レスコーの立ち稽古は、相変わらずジルベール・デフロの情熱で推し進められていたが、火曜日に合唱を含む第1幕、第2幕、第3幕を集中してやってから、水曜日が突然休みになった。何故ならマノン・レスコー役のスヴェトラ・ヴァッシレヴァの来日が遅れていて、これまでカヴァー役の横山恵子さんで稽古を行ってきたけれど、いよいよ水曜日から稽古参加となり、その日はヴァッシレヴァがらみの集中稽古となったからだ。

 休日になった安堵も手伝ってか、体がついにイエロー・カードを出した。水曜日の朝、起きたらあまりに体が重いので、
「あれ、もしかして熱がある?」
と思って熱を測ったら、なんと38.7度も出ていた。さっきも言ったように、新国立劇場はたまたま休みになったからよかったものの、本当はその日の12時から、ある新聞社の取材が入っていた。残念ながらキャンセルをして、次の週にまわしてもらうことにした。
 午前中、体が「ベッドに強力な磁石で吸い付けられているの?」と思うほど重く、ベッドに沈み込んでぐっすりと寝た。午後医者に行く。医者からもらった抗生物質のお陰で、次の日の木曜日の朝には、熱はほぼ平熱に下がった(検査もしたけどインフルエンザではありません)。
 その日は、集中稽古の終わったヴァッシレヴァと合唱団の合わせ立ち稽古が5時からあると聞いている。行けば行けないことはないが、これ以上体調不良を引きずるのは嫌だし、次の日の金曜日も元来休日なので、この際だからまる3日間徹底的に休んで治してしまおうと、劇場に連絡して欠席させてもらった。

 その金曜日というのは、実はガーラ湯沢へスキーをしに行くはずであった。「日帰りびゅう旅行」というパック旅行をネット上から申し込んでいて、リフト券付きの新幹線指定券の往復チケットが家に届いている。当然行けるはずもないのでキャンセルした。
 ちなみに、こういうパック旅行というのは、申し込む時にはワンタッチ及びカード払いでとても便利だが、いざキャンセルする立場になると、実に面倒くさい。カード払いというバーチャルな要素と、チケットという現実的なものとの齟齬の摺り合わせをしないといけないからだ。
 手順とすれば、まずびゅうの予約センターに電話して取り消しを申し込む。それから自分の足で最寄りの駅のびゅうプラザに行って切符を無効にしてもらい、その切符を自分でびゅうの予約センターに送り返すのだ。1日遅れる毎に違約金のパーセントが跳ね上がるので、旅行の中止を決めたらなるべく早くしなければいけない。電話も返送も、びゅうプラザでやろうと思えば出来るだろうに・・・恐らくペナルティの意味があるのだろう。自分で電話して返送しろなんて意地悪としか思えない。

 当日の27日金曜日、悔しいなあと思いながらガーラ湯沢のホームページを恨みがましく開いてみた。すると・・・「本日強風のため営業中止」と書いてある。
「ヤッター!」
いやいや、そんなこと思ってはいけない。こういうのをドイツ語でSchadenfreudeという。Schadenは「被害、損害、損失」という意味。Freudeは第九でも有名な「喜び、歓喜」。あらためてクラウン独和辞書を引くと、あからさまに書いてある。
「Schadenfreude : 他人の不幸を喜ぶ気持ち、ざまをみろと思う気持ち」
昔ドイツ人に聞かれたことがあるんだ。
「日本にはSchadenfreudeという言葉はないの?」
「単語としてはないよ」
「やっぱり日本は善良な国だなあ」
まあ、言葉がないからといって、そういう気持ちがないわけではない。あまり日本を買いかぶってはいけないと思う。
 ガーラ湯沢は、駅からゴンドラでひと山分登ってからゲレンデが始まるので、周りのスキー場を見下ろすほど標高が高い。その分雪質は良いが、強風に悩まされ、時々営業中止を余儀なくされることがある。僕も過去に一度だけある。中止になっても付近のスキー場に振り替えてもらえるから、リフト券がまるまる無駄になって、手ぶらで空しく帰ってくることはない。だから、そんなに「ざまあみろ!」でもない。

 ということで、まるまる3日間完全にオフにして、いやあ寝た寝た寝まくった!こんなに眠れちゃうんだと思うくらい眠った。どんだけ僕の体は疲れていたんだ?肯定したくないんだけど、やっぱりニセコから疲れを引きずっていたんだと思う。
 まあ、健康体だって、あんなに一日中コブばかり滑っていたら体がガタガタになるだろうに。ホントのこと言うと、コブを滑りまくったお陰で、膝と腰にかなり疲労感が残っていた。いつもの筋肉痛のちょっと規模が大きいだけかと楽観視していたが、ちょっと右膝の違和感が気にはなっていた。
 僕は右膝が弱く、左回りターン(右足が外足になるターン)の安定度がいまいちだったので、今回それを徹底的に直した。特に相手がコブなので、左回りの時にきちんと右足に100パーセント加重出来ないと危ないのだ。そのせいで両方のターンが均等になってきたのはいいが、これまでにかかっていない重圧を右膝が引き受けるようになったわけだ。
 そこで親友の角皆君にメールで訊ねてみた。半月板の損傷も疑われるが、結果的にはたいしたことないだろう、もう少し様子を見ようというのが結論だった。もともと痛みはそんなになかったし、そうこうする内に違和感もしだいに治ってきたので、安心した。角皆君達が相手にしているトップ・アスリート達の膝の故障から比べたら屁みたいなもんだろう。
 でも僕は気が付いた。体の至る所にかかった局所的な過労の負担は、体全体が散らすように引き受けて、この2週間ばかりかけてゆっくり癒していたのではないか。たかが右膝だけというなかれ。体の一部である限りは、体が自分の負担として負ってくれたのかも知れない。

 これまでスキーをしても、決して怪我と故障だけはしないように心がけてきた。もし骨折でもしたら、周りにどれだけ迷惑をかけるか分かったもんじゃないからね。だからいつも、もうひとつというところで、
「いやいや、この辺でやめとこう」
と自制することが僕には求められているのだ。
 それを知っていながら、時々夢中になって、
「ええい、いっちゃえ!」
と垣根を破ってしまいたくなるのも僕の性格。高校生の時、何度も腱鞘炎になりながらピアノを練習しまくった情熱は、いつも僕の内部にマグマのようにたぎっているのだ。それが噴出してしまうと今回のようなことになる。

 今の僕に対して、神様がこう言っているように感じられる。

「もう分かったろう!お前はもう歳なんだから、決して無理することは許されていないのだ。別に試合に出るわけでないので、無理する理由もないのだ。とことんやりたい気持ちは分かるが、その気持ちをコントロールすることこそ、今のお前には修行なのだ」

いやはや・・・悟りとも覚醒とも・・・まだまだ遠い・・・青二才の還暦じーじだなあ。



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