原稿遅延のわけ

三澤洋史 

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原稿遅延のわけ
 ごめんなさいね、みなさま!今週の更新は1日遅れてしまいました。その理由ですが・・・まあ、聞いて下さい。この週末はとっても忙しかったのだ。

 12日木曜日。12時から新国立劇場において新人合唱団員発掘のためのオーディション。今年は例年に比べてやや少なめなので、3時半頃に終了。7時からの「マノン・レスコー」公演まで時間があるため、東京体育館に泳ぎに行く。
 昔は、50メートル先の折り返し点で背が立たなくてあわてふためいた思い出があるが、今は落ち着いてターンして100メートル毎に一休みする。夜に備えてクロールと平泳ぎを混ぜながら、900メートルに抑えて泳ぎ、お風呂にゆっくり入ってシャンプーして体を温め、再び劇場に帰ってきた。
 「マノン・レスコー」は超順調に進んでいる。指揮者に対するブラボーは嬉しい。日本の聴衆もだんだん成熟してきたなあ。

 13日金曜日。再び12時からオーディション。それからまた東京体育館に行く。今日は1000メートルと決めて、あまり休まずに短時間に集中して泳ぎ、その後のお風呂をゆったりと入る。
 夜は東京カテドラルでオルガン・メデテーション。和久徑子(わく みちこ)さんのオルガンでバッハ・プログラム。途中で、マタイ受難曲から有名なアルトのアリア「神よ、あわれみ給え」が、アルト・ソロとヴァイオリン独奏を伴って演奏されたが、それが聖マリア大聖堂の響きと相まってとても美しく響いていた。というか、このオルガンの音色の親和力をもってすれば、管弦楽なしでも充分に成立するのだなと感心した。
 オルガン・メデテーションの後は、目白の駅前のイタリアンで、山本量太郎神父を交えてオルガニスト達と食事を共にする。その晩は、東京教区の事務を28年努めたという婦人が退職した送別会でもあった。奇しくも、その方は群馬県出身で、なんと僕たち夫婦が結婚式を挙げた時にミサを執り行ってくれたフレビアン神父の話で盛り上がった。
 僕は二十歳で洗礼を受けたが、その頃よく桐生にあるフランシスコ会修道院に遊びに行っていた。その修道院の館長であったフレビアン神父と親交を結んだ僕は、その後日本のフランシスコ会の本部である六本木のフランシスカン・チャペルセンターの館長となった彼に結婚式をお願いしたのだ。一方、その婦人は、(僕の記憶違いでなければ)フレビアン神父が前橋教会の主任司祭だった時に、彼のお陰で洗礼を受けて信者になったそうである。
「主人は45歳で亡くなりました。わたしは悲しみにくれていましたが、フレビアン神父様は、わたしの話を聞くなり、確信に満ちて『ご主人とまた会えますよ!』と言ってくれたのです。そのひと言でわたしは信者になろうと思いました。わたしの命の恩人です。至らない時にはきちんと叱ってもくれました」
フレビアン神父はそういう人だ。いろんなことにきちんと向かい合ってくれる人。だから僕たちは結婚式を彼に頼もうと思ったのだ。
 最近この欄でもよく書くが、僕が関口教会(東京カテドラル)に通うようになってから、こうした共時性が嫌というほど起こる。普通に考えると、こんな忙しい僕が関口教会に通えるはずはないとも思うのだが、こうしたことがあまりに次から次へと起こってくると、もう、神様が僕にやれと命令しているようにしか感じられないのだ。
 関口教会のオルガニスト達とも、だんだん馴染みが深くなってきて、関口教会が自分のホームグランドだと思えるようになってきた。なんといっても、あの素晴らしいオルガンと聖堂の清められた雰囲気に日常的に接することを許される今の立場は、本当にしあわせであると言うしかない。

 14日土曜日。11時から現新国立劇場合唱団員の次シーズン継続のための視聴会。沢山メンバーがいるので審査は延々と続くが、ひとりひとりが生活を賭けて歌うのだから、決しておざなりに聴くことは許されない。
 6時過ぎまで審査し、クタクタに疲れたが、すぐに劇場を飛び出し、今日も関口教会に向かう。7時から聖マリア大聖堂で聖歌隊の聖週間の聖歌練習。一年の内、たった一度だけ歌われる聖歌が並ぶ。しかも短くも簡単でもない。でも、この四旬節にあって、今年ほど復活祭の到来を待ち望む年もない。

 15日日曜日。10時から関口教会のミサ。今週は続けて3日も関口教会に通ったぜ。まるでとても敬虔なカトリック信者のようだね・・・おっとっと・・・。その後新国立劇場に行って「マノン・レスコー」の公演。

 16日月曜日。早朝家を出て、ガーラ湯沢にスキーに行く。本当は、その行き帰りの新幹線の中でこの原稿を仕上げて、今日中にコンシェルジュに届けようと思っていたが、ちょっとアクシデントが起きてそれが叶わなくなった。だから結果として原稿が1日遅れてしまった。みなさま、ごめんなさい!
 まあ、アクシデントというほどでもないのだけれど・・・実は、次女の杏奈が一緒に行きたいと言い出したのだ。
「仕事が急に休みになって空いたので、パパ連れて行って!」
と言われれば、どこまでも甘い親バカとしては、ノーと言えるわけないでしょう。
 杏奈は今メイクのアシスタントとして忙しい日々を送っているが、音楽の世界と違って、メイクのアシスタントというのは、ほとんどタダ働きのようなもので、空いている日にはアルバイトをしている。だから、なかなか過酷な毎日のようなので、時々家に帰ってきてゆっくりしたり、姪の杏樹の面倒を見たり、僕や妻に甘えることで少しでも癒されるというならば、むしろ大歓迎だ。なので、新幹線の原稿書きはやめて、いろいろ杏奈と話したりして過ごすことにしたのだ。

 一方、僕にとっては、スキーはあのニセコ以来だ。風邪でダウンして行けない日があったので、とても待ち遠しかった。でも今日はあまりガッツリ滑るのはやめた。杏奈にいろいろ教えながら、ゆったりといこうと思った。
 まあ、そうあらためて決心する必要もなかった。何故なら今日は快晴で気温が高く春風が吹いていて、ちょっと滑るとすぐ汗がでてしまうので、ガッツリなんてとてもとても滑れなかった。つまり、のほほん春スキー日和というわけ。
 スキーというものは、面白いもので、緩斜面で杏奈に教えながらでも、自分自身は充分練習できるのだ。つまり、完全にバランス制御という観点から見た場合、自分自身をチェックするポイントはいくらでも出てくるのである。杏奈の滑りを見ながら、後ろ向きに滑るのだって簡単ではない。
 プラスして、
「うーん、今の杏奈の滑りのどこが問題で、どうすればどう直るのか?」
と考えただけで、それが自分の滑りへのチェックになる。たとえば、自分で杏奈のように滑ってみる。そして体重移動のどこが問題かと探り、逆に、どうあらねばならないか考えるのは、自分で無意識にきちんと滑るよりはるかに難しいよ。
 とはいうものの、ある時は南斜面に連れて行って、杏奈には整地を滑らせ、僕の方はくねった整地を真っ直ぐに突っ切るコブ斜面を滑るという時間もちゃっかし作って、自分的にも満足した1日であった。

 お昼には、杏奈はステーキ丼、僕はかつ丼とスキー場の定番のガッツリ肉食系。それと・・・やっぱ生ビールでしょう!だって杏奈が飲みたいって言うんだもの(なんだその言い訳は?)・・・ヤベエ・・・午後にはお昼寝したくなってしまったよ。そして3時過ぎに切り上げて、ガーラの湯に入って、ソフトクリームを食べて、帰りの新幹線に乗った。


ガーラ湯沢の父娘


 でも、実は僕の1日はまだ終わっていなかったのだ。僕だけ高崎に下車して杏奈と別れ、その晩は「おにころ」合唱団の高崎練習に行って、新町の実家に泊まったのである。もう10時過ぎには床に入った。まあ、スキーはユルユルでも、結果としてはなかなかシビアな1日だったわけ。
 ということで、この原稿は新町から上野へ向かう特急の中で書いている。今日は11時から、N響と新国立劇場合唱団のオケ合わせがあるのだが、なんと東京藝術大学構内で行われるのだ。その後、再び劇場に戻って、午後から視聴会の最終日の審査がある。

 ふうっ、なんという忙しさ・・・ただ、その中にプールが入ったりスキーが入ったりして、自分でもっと忙しくしているところが少なからずある。僕の場合、先日のように熱が出るとかしないと、1日家でのんびり・・・なんて状態には決してならないのだ。なんて貧乏性でしょう。でも、こんな風にしているのは元気な証なのです。こうでないと僕らしくないや。

今やマーラーは僕の血であり肉
 マーラー作曲交響曲第2番「復活」の勉強を開始した。その前に、池袋のヤマハに行って、ユニバーサル版の最新エディションのスコアを買ってきた。分厚い校訂報告書と二冊セットになっている。マーラは、生前に何度も「復活」の演奏会を自分の指揮でやっていて、その度に細かい変更を行ったり、演奏者に指示を出しているので、「スコアを提出した時点で完成」という風にすっきりとはいかないのだ。
 旧版と比べると、変更はa tempoのaの位置や、クレッシェンドの開始の場所がちょっとだけズレているというマイナー・チェンジにしか過ぎないのだが、変更量がハンパでないのと、やはり最新版の方がいろいろがすっきりしているので、決してあなどれない。ただ、それらの変更に関して、最後に本人が指揮した演奏会だから、それがベストだろうと短絡に決め込むことに関して、僕はちょっと懐疑的なんだな。ま、そんなこと言ってると、永遠にらちがあかないので、どっかで結論を出して動かないといけない。

 それよりも、スコアを読んだり、スコアを見ながらi-Podで演奏を聴いたりしてあらためて思ったのは・・・・これまで何度となく聴いていたのに、今この歳になって、自分でも驚くほどこの曲と自分の感性との距離が近いことだ。
 第1楽章の初稿である「葬礼Totenfeier」などは、まだ20代後半に書かれたものであるのに、そのホ長調の第2主題の中には、とても成熟した精神的覚醒が見える。第2楽章と第3楽章については、僕には第3交響曲の第2及び第3楽章との内的つながりを感じる。つまり第2楽章ののどかなレントラーは、美しい田園風景とそこに咲き誇る野の花たちのむつまじい会話を感じるし、第3楽章は森の獣たちとのつながりを感じる。そして、そのスケルツォがしだいに内部崩壊を起こしていき、最後にはシッチャカメッチャカになる精神的過程に、今の僕はかなり違和感なく同調出来るのだ。特に、第5楽章冒頭と同じモチーフになるクライマックスは、垣間見た高次元の啓示なのだ。
 第4楽章の「原光Urlicht」の人類の悲惨さへの深い共感は、どう見ても若者の作品とは思えない。マーラーという人の意識は、時々次元を超えてしまい、今自分が置かれている年齢や環境などを全く無視して、大いなる覚醒の世界にボーンと飛んでしまうのだろうな。

 とにかく僕には確信がある。現在の僕こそ、この作品を演奏するべきなのだ。9月のウィーンでは、マーラーが僕に乗り移るであろう。今から楽しみでたまらない!

Sister Cristina
 2014年3月、イタリアのThe Voiceというオーディションの番組で、ちょっとした出来事が起こった。その番組は、審査員達が後ろ側を向いて歌っている人の姿を見ないで審査する。そしてこれは合格と思った時点で、OKスイッチを押し、椅子を回して歌手の姿を見るのだ。ところがその日、ある女性のイカしたロック調の歌に同意した審査員達がOKスイッチを押し、椅子を回してみたら、なんとそこには歌っていたのは、頭巾をかぶり十字架を首にかけ、メガネをかけた現役の修道女であったのだ。


 その話題は瞬く間に世界を駆け巡り、そして・・・この3月11日に日本でとうとうCDが発売になった。彼女の名前はクリスティーナ・スクッチャ。ウルスラ会の修道女である。このCD、みなさん騙されたと思って買ってみてよ。特にLike a Virginなんてマドンナの曲なんか、題名見ただけでドキドキしてしまうよね。シスターの歌なんて思えないほど、ゴキゲンな演奏が聴けるが、よく聴くとその向こう側に神様への熱い想いも垣間見えるよ。


Sister Cristina





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