露出
最近露出がはだはだしい。いや・・・別に、裸で街を歩いておまわりさんに捕まったとかいう話ではないです。僕のことを扱った記事があっちこっちの本や新聞に出回っているのだ。この3月だけでも「プレジデント」、月刊「カトリック生活」(ドンボスコ社)、そして日本経済新聞の土曜日の「交遊抄」に僕の記事が掲載された。また、共著として取材協力した「必ず役立つ合唱の本~教会音楽編」(yamaha music media corporation)も発売された。
これらはすべて「オペラ座のお仕事」(早川書房)がきっかけになっているとも言えるが、3月に集中しているため、僕とすると、還暦を迎えた途端、世界がグルグルと回り出したような気分だ。
最近、駅や街で見知らぬ人に、
「三澤さん!」
と呼び止められ、
「本読みましたよ!」
と言われることが少なくない。
みんな知り合いのように寄ってきて、新国立劇場の話をしたり、いろいろ音楽のことを聞かれる。なんだか有名人になった気分。昔だったら、もっと有頂天になっていただろうな。でもさ、ちょっと心配になるんだ。
たとえばVictoriaに行って、スキー用のソックスをいろいろ物色したあげく、やっぱ、なんでもいいや、と思って2足千円のをレジに持って行くのを、見知らぬ読者に陰から見られ、
「三澤って、本まで出しているのに案外ケチだなあ」
などと思われたりしたら窮屈だなあ。
なんちゃってね。僕は新国立劇場にタクシーで横付けしたりしないし、この先どんなに有名になっても普通の人と同じに地下鉄に乗り、本屋で新刊を物色したりする生活を変えるつもりはない。でも、見知らぬ人から呼び止められるのが思わぬ所だったりすると、やっぱりびっくりするよね。
とはいっても、別に嫌ではないので、みなさん、街で会ったら気軽に声をかけてもらっていいのですよ。急いでなければお相手しますからね。
そもそも、こういうととても生意気に聞こえるけれど、僕自身は、掲載された記事の内容そのものに飛びつくほど興味があるわけではない。何故なら、だいたいは「オペラ座のお仕事」に書いてあるし、インタビューの前に準備するような新しい内容はなにもない。ただ自分のことしゃべるだけだから。
でも、インタビューでしゃべった内容から、果たしてどのような記事が出来上がるのかという点にはとても興味がある。今回の「プレジデント」「カトリック生活」「合唱の本」そして日経新聞は、奇しくも全てインタビューを編集者が文章に起こしたものである。「合唱の本」と日経新聞には、
「執筆して下さってもいいです」
と言われたのであるが、僕自身忙しいこともあり、いろいろな理由で、インタビュー形式をこちらからお願いした。
日経新聞は、1時間以上のインタビューで角皆君との長年に渡る友情の軌跡を語った。膨大な量の情報量をしゃべったのだが、その中から、あれだけの少ない字数にすっきりまとめられたわけだ。凄いなあ、さすがプロだなあと思う。
この記事で、読者にとって少し新しい点があるかも知れない。それは、角皆君が、
「素晴らしいプレイが出来た時には、世界から音が消えるのだ」
と語ったことであろう。
ゲラを新聞社が送ってきた時に、彼にも送って確認を取った。その時彼から来た答えはこうであった。
「他人との競争ではなく自分に打ち勝った時に、世界が無音になるって書いてあるけれど、本当はちょっと違うんだよね。自分に打ち勝つというより、自分と調和できた時(自分と和する時)が正しいんだ」
でも、編集者の文章は記事の字数枠にぴったりと当てはまっていて、この文章をちょっとでも変えてしまうと、バランスが崩れて最初から書き直さなければならなくなってしまうため、今回は角皆君にあやまってそのままにした。だって、ゲラ到着は掲載の数日前だったからね。やっぱり、こういうニュアンスは、自分の筆で書いた方が的確なのだろうが、僕自身は、角皆君との交流をあれだけの枠に収めるなんて芸当、とてもできん!
その無音の体験だが、僕もよくする。といっても、僕の場合は演奏会で音楽が鳴っているわけでしょう。無音は実際にはあり得ないのだが、不思議なんだ。音は鳴っているのに絶対的ともいえる静寂があたりを支配しているのだ。
これは体験した人でなければ分からないだろうな。そして、こういう体験を共有出来るということ、しかも音楽の畑ではなく、アスリートの彼と共有出来るということが、どれほど稀有で貴重な事か!その意味で、僕と角皆君とは、出遭うべくして出遭った腹心の友というわけである。
「プレジデント」では、僕のインタビューから「リーダに求められる資質」というポイントを強調して聞き出してまとめ上げている。そもそもインタビューで僕に訊いてくるポイントがこれまでのどの雑誌社や新聞社とも違うし、僕の答えに対して、次の質問の矛先が予想外で、結果として向こうが流れを作っていくのだ。へえ!面白いなあ、と思った。そして、出来てきたゲラを見ても、なるほどなあ、こういう風に持って行くのかと感心することしきり。
恥ずかしい話であるが、「プレジデント」は、こういう事でもなければ、もしかしたら一生開くことのない雑誌かも知れない。ページをめくっても、言ってることがよく分からなくて、自分の記事以外あんまし真面目に読んでいない(笑)。ごめんなさい!
President
撮影関谷義樹神父
カトリック生活
合唱の本