浜松への旅
4月17日金曜日12時3分。ひかり号が東京駅からゆっくりと発車した。目の前にはとんかつの「まい泉」が作った東京駅限定の特別弁当が置いてある。現在、東京駅の地下はとっても魅力的。いろんなお店が並んでいて、お昼時になると、それぞれの弁当がしのぎを削っている。今日も、どれにしようかなと迷いながらも、その迷うのが楽しくもあり、ゆっくりと品定めをしていたところ、目の前で、
「はい、ただ今東京駅限定弁当が出来上がりました!」
とお姉さんが持って来たので、その勢いにつられて買ってしまった。
しかし、衝動買いの割にはなかなか良かった。横に大きくはないので、一見量が少なそうに見えるが、「かつ丼」「そぼろ」「カツサンド」の3種類が縦に積み上げられていて、なかなかボリュームもあり、それぞれがおいしいので、とても満足感が得られた。
まい泉弁当
中田島砂丘
サーフィン
中田島砂丘
追喪
今年は、4月5日に復活祭が来ても、この「マタイ受難曲」演奏会が控えていたので、今ひとつ心が中途半端だった。でも、いろいろ考える内に、もしかしたらこれでいいのかも知れないとも思うようになった。何故なら、キリストを見棄てて逃げ去った弟子たちにとっては、たとえキリストが蘇ったとしても、全く屈託のない心で喜ぶ心境にはとてもなれなかったに違いないのだから。
ペテロのことを思う。彼は、復活したイエスから、
「お前は私を愛しているか?」
と3度も聞かれた。そして、
「わたしの羊を飼いなさい(つまりその後の教会の頭となりなさいという意味)」
という言葉をいただく。そのペテロは、イエスが十字架上で亡くなる前の晩、イエスのことを3度も知らないと拒否している。その後悔は簡単には消えないが、一方でイエスは、そんなペテロのことをすでに赦している。
聖書学者佐藤研(さとう みがく)氏によると、新約聖書の福音書は、受難のくだりから伝えられ書かれていったという。初期のキリスト教伝道の情熱は、十字架にかかったイエスを述べ伝えることから発しているとも言われている。そこには、イエスの十字架上の死に対して、何も出来なかったという弟子達の無力感が根底にある。
佐藤氏は言う。弟子たちは、イエスの十字架上の死に対しての喪の作業を繰りかえし繰りかえし心の中で行っていたであろうと。それを「追喪(ついも)」という言葉で佐藤氏は表現した。
そのことを考えた僕は、復活祭だから全ての悲しみを忘れて喜びだけに浸るというのではなく、イエスの復活の喜びはそのままで十字架上の死とまさにコインの裏表になっていて、「復活は死を含み、死は復活を含む」ものだと理解した。そのことによって、復活の喜びは、自分の中でもっと奥深いものとなった。
僕は勝手に想像する。ペテロは、彼の生涯を殉教で終わる時、初めてこう思えたのではないか。
「ああ、これでやっと少し借りが返せる。心が楽になる」
僕の指揮をずっと見てきた人がいたら、ここにきて僕の振り方が随分変わってきたことに気付くのではないだろうか。今回、チェンバロを弾くこともあって、僕は指揮棒を持たないで全曲指揮した。すると自分でも、ああ、ここまで変わったんだな、とあらためて認識した。
僕は、肩ではなく肩甲骨から指揮している。その方が運動が大きく、かつ細やかな表現が可能だからだ。それはクロールのリカバリーの腕の動きに似ている。それと、僕の腕のレガート運動は、腕だけではなく体全体から発していて、僕の意識は、あたかもコブ斜面をなめらかに滑り降りているように、きめ細かく加重と抜重を繰りかえしている。これが音楽における音圧の微妙な変化に対応しており、プレイヤー達は、驚くことにこの加重抜重に無意識の内に対応しているのだ。つまり今の僕の運動は、通常の指揮法ではとても難しいとされている拍と拍の間のデリケートな表現を導き出すことが出来るのである。
しかし、これはまだ人に教えることは出来ないなあ・・・というか、これを理解出来るためには、水泳とスキーをかなり深くやらないと無理だなあ、とも思う。逆に言うと、僕は自分がなんであんなにコブ斜面の滑走にこだわっていたのかが、今こそはっきり分かった。自分が、これまで音楽の中に感じていた「音圧の変化」に対応する指揮法を、無意識の内にコブ斜面の中に見出していたってことだな。
演奏会の最中、僕の気持ちはペテロと同期していたような気がする。キリストの受難劇をペテロの眼を通して振り返り、追喪を捧げていたのではないか。最も向き合いたくない自分の弱さとあえて向き合い、イエスを見棄ててしまった悔恨の情を抱きながら・・・最も思い出したくない受難劇の詳細をあえて辿りながら・・・それでもそんな自分を見棄てずに、教会の牧することを任せてくれたイエスに対する溢れるような愛を、僕も自分の胸の中に熱くたぎらせながら、指揮をし、チェンバロのひとつひとつの音を紡ぎ出していったのだ。
いつもそうだが、演奏会が終わりに近づくと、とても淋しくなる。
「え?もう終わり?」
という感じで、いつまでもこのひとときを続けていたい気持ちなのだ。最後の福音書の個所、すなわち、
彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。が終わると、僕は楽譜を閉じ、立ち上がって最後の2曲を指揮した。つまり、物語はこれで終わり、あとは安息の音楽なのである。終曲を指揮しながら思ったのは、やはり先ほど書いた、コインの裏表のこと。この安息の音楽の裏側には復活があるなあ、ということである。
マタイ受難曲を終えて