浜松「マタイ受難曲」演奏会無事終了

三澤洋史 

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浜松への旅
 4月17日金曜日12時3分。ひかり号が東京駅からゆっくりと発車した。目の前にはとんかつの「まい泉」が作った東京駅限定の特別弁当が置いてある。現在、東京駅の地下はとっても魅力的。いろんなお店が並んでいて、お昼時になると、それぞれの弁当がしのぎを削っている。今日も、どれにしようかなと迷いながらも、その迷うのが楽しくもあり、ゆっくりと品定めをしていたところ、目の前で、
「はい、ただ今東京駅限定弁当が出来上がりました!」
とお姉さんが持って来たので、その勢いにつられて買ってしまった。
 しかし、衝動買いの割にはなかなか良かった。横に大きくはないので、一見量が少なそうに見えるが、「かつ丼」「そぼろ」「カツサンド」の3種類が縦に積み上げられていて、なかなかボリュームもあり、それぞれがおいしいので、とても満足感が得られた。


まい泉弁当

 その日は、3時からテノールの畑儀文(はた よしふみ)さんとチェロの西村美菜子さん、それに僕のチェンバロの3人で福音史家のレシタティーヴォの合わせ稽古。でも畑さんとは、ガーデンプレイス・クワイヤー、東京バロック・スコラーズと、最近になってから「マタイ受難曲」で2度も共演しているので、練習は何の問題もなくスルスルっと進む。
 この人のドイツ語の表現力はドイツ人より良い。彼は、僕が何を表現したいか全部分かってくれているし、僕も彼が何を表現したいか手に取るように分かる。こんな人は、人生60年生きて来たが、なかなかいない。
 チェロの西村さんは、今回福音史家のレシタティーヴォを弾くのは初めて。上手な人だが、僕が即興でアルペジオを入れたり入れなかったり、あるいは畑さんの表現を受けて音符を長くしたり短くしたりすると、チェロとずれたり長さが揃わなかったりするので、ちょっと悩んでいる。僕は休憩時間に彼女にアドヴァイスをする。
「あのね、全然神経質にならなくていいからね。正解はないんだ。あるいは間違いというのもないんだ。ジャズのアドリブと同じで、こっちがけしかけたり、あるいは畑さんに反応したり、両方が行き違ってもどうってことないさ。まあ、ゲーム感覚でエンジョイしながらやろう」
 こういうと、「なんていい加減なのだ!」と思う読者もいるのかも知れない。しかし、クラシック音楽が、譜面通りにカチカチに弾かなければならなくなったのは最近のことで、昔はバッハもモーツァルトもベートーヴェンも即興演奏の名手だったし、もっとおおらかだったのだよ。ちなみに、僕の弾いている譜面にはチェロの音しか書いてなくて、それぞれの音の下には数字が書いてある。僕はそれを見ながらドラマの起伏に合わせて即興で和音を弾き、ストップを変えて音量を変化させたりしながら演奏しているのだ。だからやる度に全然違うわけ。
 夜はオケが入って合唱部分のオケ合わせ。畑さんにも入ってもらって福音史家のレシタティーヴォからの導入も練習。

 4月18日土曜日。午前中が空いていたので、中田島砂丘に行く。早朝散歩はやめて朝食をとった後、ひたすら海岸を目指して歩く。


中田島砂丘

約1時間かかって砂丘に辿り着いた。浜松バッハ研究会には1990年から来ているので、もう25年も経つが、この有名な中田島砂丘に来るのは初めてなんだ。
 土曜日だからだろう。休日モードという感じで、犬を連れてお散歩をする人は勿論、家族連れやカップルが渚で戯れている。また、モーター付きのパラグライダーであるパラモーターが飛んでいたり、サーフィンをする人達がいたり、みんなこの海岸を生活の中に溶け込ませていてエンジョイしているのだ。


サーフィン

 僕も、こうして打ち寄せる波の音を聴いてボーッとしているだけで癒されるなあ。本当にこのまま一日中でもボーッとしていて、癒されるのを通り越してこのままボケ老人になりそうだなあ。それならそれでもいいか・・・・いやいや、そうもいかん!よく考えたら、僕は「マタイ受難曲」という大曲を指揮する指揮者なんだ。


中田島砂丘

 帰り道、ちょっとおしゃれな喫茶店を兼ねているケーキ屋さんがあったので、イチゴショートを食べながら珈琲を飲む。それからのんびり歩いて浜松駅まで戻ってきたらもうお昼の時間になっていたので、鰻重を食べて一度ホテルに戻ってきた。やっぱり浜松に来たら鰻を食べなきゃ!

 午後になったらソリスト達が来て、アリアのオケ合わせ。そして5時からは通し稽古。全員で曲の流れやペース配分をつかむために、何があっても止めないという覚悟で始めた。途中で、「うーん、と、止めたい・・・」と思う個所もあったけれど、心を鬼にして通した。その代わり、明日はゲネプロはしないで、今日の直し稽古だけして本番に臨む。

追喪
 今年は、4月5日に復活祭が来ても、この「マタイ受難曲」演奏会が控えていたので、今ひとつ心が中途半端だった。でも、いろいろ考える内に、もしかしたらこれでいいのかも知れないとも思うようになった。何故なら、キリストを見棄てて逃げ去った弟子たちにとっては、たとえキリストが蘇ったとしても、全く屈託のない心で喜ぶ心境にはとてもなれなかったに違いないのだから。
 ペテロのことを思う。彼は、復活したイエスから、
「お前は私を愛しているか?」
と3度も聞かれた。そして、
「わたしの羊を飼いなさい(つまりその後の教会の頭となりなさいという意味)」
という言葉をいただく。そのペテロは、イエスが十字架上で亡くなる前の晩、イエスのことを3度も知らないと拒否している。その後悔は簡単には消えないが、一方でイエスは、そんなペテロのことをすでに赦している。
 聖書学者佐藤研(さとう みがく)氏によると、新約聖書の福音書は、受難のくだりから伝えられ書かれていったという。初期のキリスト教伝道の情熱は、十字架にかかったイエスを述べ伝えることから発しているとも言われている。そこには、イエスの十字架上の死に対して、何も出来なかったという弟子達の無力感が根底にある。
 佐藤氏は言う。弟子たちは、イエスの十字架上の死に対しての喪の作業を繰りかえし繰りかえし心の中で行っていたであろうと。それを「追喪(ついも)」という言葉で佐藤氏は表現した。
 そのことを考えた僕は、復活祭だから全ての悲しみを忘れて喜びだけに浸るというのではなく、イエスの復活の喜びはそのままで十字架上の死とまさにコインの裏表になっていて、「復活は死を含み、死は復活を含む」ものだと理解した。そのことによって、復活の喜びは、自分の中でもっと奥深いものとなった。
 僕は勝手に想像する。ペテロは、彼の生涯を殉教で終わる時、初めてこう思えたのではないか。
「ああ、これでやっと少し借りが返せる。心が楽になる」

 僕の指揮をずっと見てきた人がいたら、ここにきて僕の振り方が随分変わってきたことに気付くのではないだろうか。今回、チェンバロを弾くこともあって、僕は指揮棒を持たないで全曲指揮した。すると自分でも、ああ、ここまで変わったんだな、とあらためて認識した。
 僕は、肩ではなく肩甲骨から指揮している。その方が運動が大きく、かつ細やかな表現が可能だからだ。それはクロールのリカバリーの腕の動きに似ている。それと、僕の腕のレガート運動は、腕だけではなく体全体から発していて、僕の意識は、あたかもコブ斜面をなめらかに滑り降りているように、きめ細かく加重と抜重を繰りかえしている。これが音楽における音圧の微妙な変化に対応しており、プレイヤー達は、驚くことにこの加重抜重に無意識の内に対応しているのだ。つまり今の僕の運動は、通常の指揮法ではとても難しいとされている拍と拍の間のデリケートな表現を導き出すことが出来るのである。
 しかし、これはまだ人に教えることは出来ないなあ・・・というか、これを理解出来るためには、水泳とスキーをかなり深くやらないと無理だなあ、とも思う。逆に言うと、僕は自分がなんであんなにコブ斜面の滑走にこだわっていたのかが、今こそはっきり分かった。自分が、これまで音楽の中に感じていた「音圧の変化」に対応する指揮法を、無意識の内にコブ斜面の中に見出していたってことだな。

 演奏会の最中、僕の気持ちはペテロと同期していたような気がする。キリストの受難劇をペテロの眼を通して振り返り、追喪を捧げていたのではないか。最も向き合いたくない自分の弱さとあえて向き合い、イエスを見棄ててしまった悔恨の情を抱きながら・・・最も思い出したくない受難劇の詳細をあえて辿りながら・・・それでもそんな自分を見棄てずに、教会の牧することを任せてくれたイエスに対する溢れるような愛を、僕も自分の胸の中に熱くたぎらせながら、指揮をし、チェンバロのひとつひとつの音を紡ぎ出していったのだ。

いつもそうだが、演奏会が終わりに近づくと、とても淋しくなる。
「え?もう終わり?」
という感じで、いつまでもこのひとときを続けていたい気持ちなのだ。最後の福音書の個所、すなわち、

彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。
が終わると、僕は楽譜を閉じ、立ち上がって最後の2曲を指揮した。つまり、物語はこれで終わり、あとは安息の音楽なのである。終曲を指揮しながら思ったのは、やはり先ほど書いた、コインの裏表のこと。この安息の音楽の裏側には復活があるなあ、ということである。

 こうして、還暦を迎えた後の最初の演奏会が終了した。福音史家の畑さんの素晴らしさは先にも書いたが、憂いを含みながらも天使の優しさをもって歌ってくれたソプラノの國光ともこさん、マグダラのマリア的な悔恨の情をしっとりと表現してくれた三輪陽子さん、そしてペテロ、大祭司、ピラトを丁寧に描き分けながら、バスのアリアも素晴らしく歌ってくれた塩入功司さん、それと荘厳さの中にやさしさを感じさせてくれた大森いちえいさん、本当にありがとう!最後に櫻井茂さんのヴィオラ・ダ・ガンバが特に光っていたことを加えておきたい。


マタイ受難曲を終えて

 今、僕の中には予感がある。それは、これが僕のもうひとつの人生の始まりであるという予感だ。これから秋にかけていくつかの演奏会が控えているが、そのどれも僕らしいというか、まさに自分が自分らしく演奏出来るものばかりだ。そのどれに対しても、謙虚になって丁寧に向かい合っていこうと僕は決心した。

だいじょうぶ。きっとすべてうまくいく。僕は今、父の家にいるのだから。



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