怒濤の一週間

三澤洋史 

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怒濤の一週間
 いやあ、忙しかった!先週は火曜日から金曜日まで東京を離れていた。秋に新国立劇場合唱団による文化庁のスクール・コンサートがあるが、それに先駆けて各学校でワークショップを行っていたのだ。
 火曜日の朝に東京を発ち、名古屋で下車。コンビ・タクシーで岐阜市笠松町に向かい、笠松中学校でワークショップ。その後岐阜駅前のホテルに向かうが、僕は岐阜から名鉄電車で名古屋に単身電車で戻り、その晩はモーツァルト200合唱団の「ドイツ・レクィエム」の練習に出る。それからまたまたJRで岐阜に戻った。
 水曜日は長森南中学校。木曜日は下呂市立竹原小学校。金曜日はハードスケジュールで、午前中に郡上市立大和北小学校、午後は関市立小金田中学校。昼食はコンビ・タクシーの車中でとった。帰りの名古屋に向かう道は暴風雨の中。事故渋滞もあり、名古屋駅に着いたときは、新幹線の発車まで6分くらいしかなかった。
 週末も週末で息をつく暇もなかった。土曜日の午前中は東京バロック・スコラーズの練習。夜は志木第九の会で、ベートーヴェンのハ長調ミサ曲と第九の練習。その間の午後の時間は、本当は新国立劇場で「沈黙」の初日なので、差し入れを持って合唱団員達の激励に行こうと思っていたが、あまりにも疲れていたので、一度家に帰りベッドに身を投げ出して熟睡してから志木に向かった。
 日曜日は朝から関口教会(東京カテドラル)。ミサの後、聖歌隊の練習をして、オルガニスト会議に顔を出した後、群馬県高崎市に向かう。中央公民館で「おにころ」の立ち稽古に3時から6時まで参加し、その間に合唱団から出すサイド・キャストのオーディションなどもして、再び新幹線に飛び乗り、自宅に戻った。
 月曜日に再び9:10の新幹線で東京を離れ、名古屋に向かう。29日月曜日の午後は豊田市大林小学校。30日火曜日は郡上市大和西小学校とワークショップを2つこなして、今現在名古屋駅前の喫茶店にいる。というのは、帰ろうとして帰れない状態だからである。 なんでも新幹線で火災事故が起きて、上下線で運転を見合わせているとのこと。うーん、にっちもさっちもいかぬ。そうでなくても、ずっと落ち着かない毎日を送っていて、原稿もロクに書けていない。この原稿もいつ仕上がるんだろう?

 ワークショップでは、指揮者ではなくてピアニストをつとめていた。各パートひとりづつの4人の歌手を新国立劇場合唱団から連れて行き、僕が司会しながら彼らのオペラ・アリアや重唱の伴奏をして、後半では発声のポイントを指摘しながら簡単な発声指導をする。 その際に、今回のワークショップをにらみながら、僕は「発声の心得」という曲を作曲した。これは、「背筋を真っ直ぐ伸ばしましょう。足は肩幅開いてね」といったポイントを4人が歌いながら、生徒達にも参加させていく「参加型」の曲である。
 この曲の後半では、新しい曲をみんなに口移しで教え、発声にも気をつけさせながら歌わせる。実は、秋の30人での新国立劇場合唱団スクール・コンサートでは、このメロディーを生徒に歌わせて、そこに合唱団が新しいオブリガートをつけて歌ったり、アカペラ(無伴奏合唱)で伴奏したりして、多角的に楽しめるよう編曲する・・・つもりだ。つもりだと言っているのは、今現在、「おにころ」のオーケストレーションが中断しているので、頭の中に浮かんでいるだけで、まだなんにも手をつけていないのだ。まあ、僕の頭の中では完成しているので、きっといつか仕上がるであろう。

・・・・あれから数時間経って、今は自宅にいる。ふうっ!大変だったわ。なんだか焼身自殺を図ろうとした人が、下り新幹線の車内で頭に油を撒き火をつけて車両火災騒ぎになったお陰で、新幹線が長い間止まり、挙げ句の果てに僕達が乗るはずになっていた便が運休になってしまった。
 こうなるともう、運転再開してたまたま名古屋駅に到着した電車の自由席に乗って行くしかない。それが、予想した通り超満員で、僕達は名古屋から東京までずっとデッキに立ったままでいた。本当は、帰りの新幹線で残りの更新原稿を書こうかと思っていただけに、この時間のロスは痛かったぜ。って、ゆーか、クタクタだ。この原稿が出来たのが奇蹟だぜ、まったく。

 さあ、明日からまた「おにころ」のオーケストレーション再開だ。もう、クライマックスの「僕はおにころ」が終わって、終曲「宇宙の川」に入るところなんだけどね。でも、それから見直しして、パート譜に起こし、奏者達がめくりやすいようにレイアウトを丁寧にして、プリントアウトして群響に渡さないといけないので、もう少しかかるなあ。それから「嘆きの歌」の勉強や「復活」や「ドイツ・レクィエム」や・・・・うわあ、マジ、出来るのかい?この還暦ジジイに?
 とはいいながら、途中関市では市役所の隣の体育館のプールで泳いだり、健康管理だけは怠っていない。早朝のお散歩も頑張っている。でもね、カロリー管理が出来ているかというと・・・エヘヘ・・・微妙・・・・。いや、微妙どころではない。岐阜は、鶏肉料理の「けいちゃん」や「けいちゃん唐揚げ」とか、どぶろくとか、おいしいものばかりで、夜は歌手4人とマネージャーで飲んだくれていたので、ヤバイ・・・実にヤバイ。やっと東京に帰ってきたので、これからまた心を入れ替えてヘルシーに過ごします。

 それにしてもね、小学校や中学校の生徒達の、あのキラキラした瞳の輝きを見るのは、僕達音楽家の特権かも知れないなあ。今度、秋に合唱団30人連れて行って、新国立劇場合唱団の響きを聴かせたら・・・と思うだけでワクワクしてくる。
 書いている通り忙しいし、今日みたいにアクシデントが起こったりすると、確かに疲れるけれど、音楽ってやっぱり素晴らしいし、こうした事を職業に出来るというのは、なんと恵まれたしあわせなことなんだろう!
 

夏にスキーを想う
 時々むしょうにスキーに行きたくなる。あの雪山を縦横に駆け巡りながら、幼子のように無心になって遊び切る感覚は、他では決して得られない。まあ、この忙しさでは、仮に行ける条件が揃ったところで、にっちもさっちもいかないのだが、夜ベッドに入って眠りに入るまでなどに、イメージの中で滑っていると、それだけでしあわせな気持ちになる。

 Kindleの中の角皆優人(つのかい まさひと)君のスキーに関する書籍、すなわち「エフ-スタイル・スピリット・基礎編、スライド編、ポジション編、最上級ニューライン編」などは、繰り返し読んでいる。これらは、僕にとっては第2のバイブルのような位置を占めている。
 そこに最近、もうひとつの書籍が加わった。中井浩二という人の書いた「アルペンスキー・ターンテクニック」だ。どうやらこの人は、プロのスキーヤーではなく、科学者らしい。この本の中でいくつか興味を惹いた記述があった。まず中井氏はこう語っている。

スキーヤーが最も意識すべきは、「雪面とスキーの間に働く力」です。力を意識した結果、体が自然とその力に応じた形になるのであって、最初に形があるのではありません。
さらにこうも語る。
スキーヤーから雪に力を作用させるのではなく、雪からの力の受け方をコントロールすることを意識する。
 これらの文章を読みながら、僕は、自分が何故これほどスキーにのめり込んでいるのかという原因が分かった気がした。つまり、スキーの中に僕は、芸術家としての理想のあり方を見るのだ。
 ある飛行機のパイロットは、「着陸とはコントロールされた“墜落”である」と語ったが、スキーとは「コントロールされた“滑落”」である。スキーは、重力による落下を動力としていて、(クロスカントリーは別にして)前進するための筋力を必要としない。スキーは落下するしかない。
 さらに、その際のゲレンデの状況は多種多様で、斜度、形状、雪質などの様々な制約下で滑らなければならない。つまり、スキーで一番求められるのは“対応”なのであって、たとえば水泳などのように、ひたすら自分のフォームと筋力に向かい合うのとは対照的である。
 これが今の僕が辿り着いた“指揮の境地”と同じだと思えるのだ。ただ、そう思えるまでに長い時間がかかった。やはり誰しも、最初は自分のバトン・テクニックでオーケストラを自由にドライブしたいと考えるものだ。また、指揮のテクニックが充分でない場合、思うようにオーケストラが動いてくれないという次元に留まっていると、今の境地にはとうてい達しないであろう。
 もし、あなたが、オケを自由自在に操れるテクニックを身につけたとしよう。次になにをしたらいいと思う?それは、自分の表面意識、特に「オレはこうしたい」という意志が消えるまでにスコアと向かい合うことだ。逆説的に言うと、「オレはこうしたい」ということをとことん突き詰めていかないと到達できない境地である。つまりそれは、自分の全身から音楽があたかも自然に流れ出てくるようになるまで、音楽と同化することを意味する。
 では、それが達成出来ると、何が起こると思う?自分の目の前にゲレンデが広がるのだ。それは、緩斜面だったり、急斜面だったり、コブ斜面だったり、パウダー・スノウだったり千差万別!さあ、それを何の苦もなく滑り降りるのが、今の僕が指揮者としてめざす境地だ。その時に、先ほどの中井氏の言葉がピッタリとフィットするのだ。

 様々なシチュエーションの雪からの、様々な力を受け止め、様々なフォームでコントロールし、全てに連続性を持たせて滑らかに滑り降りてゆく・・・・自分からフォームを作っていくのではなく、雪面に対応していく内に自ずから最も能率的なライン取りが決まり、重心移動が決まり、吸収動作やスライドやカーヴィングが決まっていく。こんな風に音楽が奏でられるならば、奏者も何の抵抗もなく、その流れの中に溶け込んでくる。
 音楽は、何物の制約をも受けることなく、大宇宙の中で鳴り響いている。そのひとしずくを僕はすくい取って自分の腕の動きに同化させる。

 中井氏は、雪とスキーの圧力の変動を、どのシチュエーションにおいても極力減らすことを心がけるべきだと説く。たとえばコブ斜面のように緩斜面と急斜面が極端に変化する場合でも、圧力がかかってくるコブの上では、吸収動作によって圧を逃がし、逆にコブの裏側では意図的に「遠ざかっていく雪を足で追いかけていって圧が下がらないように」するべきであるという。
 うーん・・・なるほどなあ。僕は、昔はフォルテのところは、なるべくみんながしっかり弾けるように強く大きく指揮していた。今でも見かけは変わらないだろうと思うが、むしろフォルテほど楽員に無駄な力が入って音がきたなくならないように脱力するよう心がけている。逆にピアノの箇所やゆったりとした箇所では、緊張感を失わないように自らの内面の圧を高める。

 ニセコでコブ斜面を滑っていて、僕が一番心がけていたことは、コブ斜面をあたかも整地のように滑ることであった。勿論目の前に現れてくるコブの形状にきめ細かく対応しているのだが、理想は、ショート・ターンのコースにたまたまコブがうまくハマッたという感覚である。まあ、そこに体を持って行くのだけれどね。
 同じように、指揮をするときには、フォルテやピアノやテンポの変化や楽想の変化に対応しながら、全曲を貫く1本のラインを僕は見失わないようにしたい。かなり急激なリタルダンドでも、同乗者が車酔いしてしまわないように、なめらかにブレーキをかけ、ターン弧を美しく仕上げてから次の楽想に移行していきたい。
 スキーをするようになってから、僕の音楽が一番変わったのはその点だ。その意味で、僕は、長い間のブランクと、このタイミングで再びスキーにハマるようになったのには、なにか大きな天の意志が働いているように思えてならないのである。音楽の世界の中で僕の意識が養われ、ある程度覚醒してくるのを待って、僕はスキーに再び魅せられ、しかもその運動の本質に気付かされているのだから。

夏にスキーを想う。ああ・・・スキーがしたい!



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