空前絶後の「嘆きの歌」演奏会

三澤洋史 

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空前絶後の「嘆きの歌」演奏会
 7月27日月曜日午前。この原稿を、またまた名古屋のホテルで書いている。何故なら、昨日7月26日日曜日に「嘆きの歌」の本番が終わったのであるが、今日は夜にマーラー「復活」の名古屋地区の合唱稽古があって、東京の自宅に帰れるのは深夜なのである。
 そんなわけで今日は夜まで暇なので、午前中にこの原稿を書き上げて、午後はプールに行き、その後図書館に行って、これまで中断していた「復活」のスコアの勉強を再開する予定。
 僕はうっかりしていて、本番用の靴を東京の自宅に忘れてきてしまった。そこで白馬から演奏会に来てくれる親友の角皆優人君に頼んで彼の靴を借りて指揮をした。彼は驚くことに、僕より足のサイズが小さかった。僕は24.5だが彼は24。でも靴はピッタリと僕の足に収まり、かえっていつもの自分の靴より良かったので、
「これから演奏会やる度に貸してよ」
と言った。勿論冗談である。
 打ち上げの後、彼といろいろ積もる話があったので、楽員やソリスト達と別れ、彼と二人でケーキのおいしい喫茶店に入った。熱帯夜に栄の繁華街の真っ直中で、二人の還暦おじさんがまるで女子会のようにケーキをほおばりながら(って、ゆーか、女子は最近はむしろ生ハムにワインですよね)、とりとめのない話に興じているのは、かえって異様かも知れない。話題はいつも通り、スキーのこと、水泳のこと、そして音楽、音楽、音楽・・・。

 さて、「嘆きの歌」演奏会である。また手前味噌と言われるのを覚悟で言う。これは、後世にまで語り継がれるほどの名演に仕上がった。オケの熱気がもの凄く、僕でさえ圧倒されるほどだが、これを逆手にとってけしかけ追い立てる「じゃじゃ馬馴らし」のような快感は、他のオケでは決して得られない。

 「葬礼」では、奏者達に、
「僕は舞台に出ていって挨拶するやいなや始めるから、驚かないで用意してね」
と言っておいた。優れた映画は必ず冒頭のシーンが素晴らしいが、演奏会の開始の仕方は、その演奏会全体の印象を決定する。
 僕が指揮台に立ってお辞儀した後、みんながすぐに座って構えてくれたので、聴衆がまだ心の準備が出来ていない内に、冒頭の第1ヴァイオリンとヴィオラによるアクセントを伴ったトレモロが鳴った。直後に続くチェロ、バスの「ドシドレミ」が、緊張感と音の厚みをもって聴衆を威圧したと思う。
 「葬礼」は、第2交響曲「復活」の第1楽章の初稿とも言われるもので、内容はほぼ一緒だが、ダイナミックスやテンポの設定はかなりシンプルである。冒頭からイニシアチブを取るチェロ、バスのメロディーは、「復活」では強弱がめまぐるしく変化するけれど、「葬礼」では長い間フォルティッシモのまま。ところが、このベタなダイナミックスが「復活」と違った骨太の印象を与えて魅力的である。
 一方、テンポに関しては、何も書いていなくても、どうしても「復活」のように動かしたくなってしまう。それはこういうことだろうと思う。「復活」は、マーラーの生前、彼自身の指揮で何度も上演されているが、その都度新しい表情が加えられている。指揮者として第一級であったマーラーが上演に際して決めていったテンポ設定は、やはり音楽上自然で理に適ったものであるのだ。それを最初に知っている僕にとっては、まっさらな「葬礼」のスコアを見ても、どうしても「復活」の方になびいてしまう。
 ということで、テンポは随分「復活」寄りに動かした。もし、「葬礼」と「復活」とを並べて演奏するような場合なら、意図的に「葬礼」をシンプルなままで演奏することもアリだろうが、演奏会で「葬礼」のみ演奏するのに、わざとつまらなく演奏するのも聴衆に失礼だ。これはこれとして、ある種の完成品として提供するべきだと思うので、その意味では、これで良かったと思っている。

 「花の章」では、トランペット・ソロのHさんの演奏が光っていた。さらにあちらこちらのパートから香り高いニュアンスが漂ってきて、素敵な演奏に仕上がったね。土曜の夜の練習後に、Hさんも交えて、みんなでブルゴーニュ・ワインを飲みに行ったのが効いているのかも知れない。それにしても、今更また言うけど、あの薄いスコアから、よくこんな音楽が生まれるものだ。鳴らしてみて分かるのだが、こういうのを真の天才というのだろうな。


 さて、肝心の「嘆きの歌」であるが、基村昌代さんのバズーカ砲のようなソプラノには、聴衆はみんなド肝を抜かれたと思う。でも彼女の声は、強いだけではなくしなやかで表現は柔軟。来年から始まる「ニーベルングの指環」ではブリュンヒルデを歌ってもらう予定だが、もっともっと世に出るべき人材だ。
 歌手達は全員本当に素晴らしい歌唱を繰り広げてくれた。ボーイ・ソプラノの役をソプラノで歌ってくれた前川依子さんも、わざわざ東京から呼んだ甲斐があった。2階から彼女の透明な声が響き渡ると、会場の空気が変わった。弟の亡霊というよりは妖精のようであった。合唱のグリーン・エコーも大健闘。実に上手な合唱団であった。

 話題となった6本のハープであるが、これは2段で書いてあって、あとは重ねるだけなので、いざとなったら2本でも演奏可能である。逆に音がはっきり出る楽器なので、合わせるのは本数が多くなるにつれて難しい。しかも、マーラーの楽譜では、そんなこと全く気にしていないかのように、9連符だの10連符だの、イレギュラーな音符ばかり並んでいる。
 これ、どうするのだろうなあ、と思っていたら。ハープのトップ奏者の女性が僕の所に来て、
「あのう・・・これって、一体どう演奏すればいいのでしょうか・・・」
と言うではないか。
「あのね、僕もちょうど同じ事考えていたの・・・あはははははは・・・・」
「・・・・・・」
マズイ・・・・・笑ってごまかしている場合ではない。僕は指揮者だ。何か言わなければ。
「とにかくやってみましょう。それから考えよう」
「そんなんでいいんですか?9連符の場合、音をひとつ抜いて8つにして4つずつ1拍に入れましょうか?」
「いやいや、そんなことしてはいけない。やはりマーラーの書いたとおりにやらないと申し訳ない」
「では、どうすれば・・・」
「うーん、とにかくズレても気にしないってことで、一回やってみよう」
なんといい加減な答え!ハーピストは、あの瞬間絶対に僕のこと軽蔑していたに違いない。んなこと言ったってえ・・・僕だって、どうしていいか分かんねえ。文句は僕にではなくマーラーに言ってよ。
 ところがね、まあズレるんだけど、ハープって、同じ和音の中だったらズレてもあまり気にならないんだ。アルペジオの延長みたいで。マーラーもそれを知っていて、ああいう音符を書いたのか?それとも、そこまでも考えていなかったのか?このへんは永遠の謎である。6本いるんだから、6パートに分けて書いたらそれはそれで面白かったのに、2パートだけなので稼働率はあまり高くない。でもやはり6本の存在感は圧倒的であった。

 ゲネプロまでタイミングがズレズレだったバンダ(舞台裏オケ)は、本番どこもバッチシキマってよかったが、キマればキマるほど、ロ長調の表オケの裏で響き渡るハ長調のファンファーレとか、ハ長調で始まるが嬰ハ長調に変質していく音楽とか、気持ち悪いことこの上ない。しかし、この気持ち悪さがクセになり病みつきになっていく。
「うーっ、この瞬間!キモチわりー!・・・けどキモチいいー!」
これこそ「嘆きの歌中毒」というもの。これからは、これを1日1回は聴かないと禁断症状が出る・・・なんてね。
 この愛知祝祭管弦楽団の内のかなりの割合の人達が、9月にウィーンに一緒に行って「復活」を演奏する。なんか、このノリと勢いでいったら、ウィーン公演も大成功になりそうな予感がしてきたぜ!それどころか、来年の「ラインの黄金」から始まる「リング・シリーズ」が2019年の「神々の黄昏」までいって、2020年には東京オリンピックに合わせて、東京で4作品一挙上演なんて寝言でしか言えないような事だって成し遂げてしまいそうな気がして鳥肌が立つわ。
 それにしてもこのじゃじゃ馬オケを率いているコンサート・マスターの高橋広君こそが、最もじゃじゃ馬なのだが、ヴァイオリンも人間性もまじヤバイぜ!!空前絶後の「嘆きの歌」演奏会が大成功に終わって、愛知祝祭管弦楽団の暴走は留まるところを知らない。ヒロシ君だけでなく、一番ブレーキをかけなければならない僕がアクセル全開にしているのだから、もう始末に負えない。

還暦を過ぎてから分別を忘れるって、なんて楽しいんだろう!

ジージだより
 1歳8ヶ月になる孫の杏樹は、最近、いろんなものを怖がり始めた。ピアノの上に乗っていた等身大のベートーヴェンの胸像を、
「あれ・・・コワイ!」
と言うので、哀れなベートーヴェンは、今やロフトの中で屋根裏の熱気にさらされている。
 家で使っているいくつかのうちわの内、あるものには、いろんなミュージシャンの写真が載っている。その内の1人の写真を、
「これ・・・コワイ!」
と言い出した。困ったなあと思った僕は、それをマジックで塗りつぶした。喜ぶかと思ったら、あんまり喜ばないで、
「ここ・・・まっくっく(真っ黒)!」
と言う。しかも、そのうちわをしまってもしまってもわざと取り出してきて、
「まっくっく!」
と言う。
 うーん、やっぱり黒くなって怖いのか、と思った僕は、じゃあ周りの色と同じに白くしよう、と思って修正ペンで再度塗りつぶす。これでほとんどその部分自体がなくなったようになった。すると杏樹は、
「ここ・・・ない!」
と言う。やっぱり、あまり嬉しそうな感じではない。
 うーん、そうだ!なんか絵でも描いてやれ。ということで、再度マジックを取り、そこに書き込んだのは・・・アンパンマンの絵であった。今、杏樹は保育園で「トントントントン、アンパンマン!」という歌を習っていて、アンパンマンが大好き。その歌って、本当は「トントントントン、ひげじいさん!」なのにな。
 だから即座に喜ぶと思ったのだが、杏樹はむしろ無表情でキョトンとしている。うちわの上の写真が消えたり変えられたりするのに慣れていないようである。

 これは25日土曜日の朝の話。僕は「嘆きの歌」の練習のために、もう名古屋に向けて出発しなければならない。
「ジージはお仕事で出掛けるからね。しばらく帰ってこないけれど、ママの言うことを聞いておりこうさんにしていてね」
と言ったら、
「ジージ・・・抱っこ!」
と甘えてくる。抱っこする。
「ジージも杏樹と離れたくない。ジージ名古屋に行くのやめよっかな!」
おいおい!志保がマジあわてている。
「パパ、早く行かないと駄目だよ。杏樹はあずかるからもう行きな」
なんて薄情な娘。僕たちふたりの仲を裂くというのかい。とはいえ、今出ないといけない。無理矢理志保に抱っこさせると、杏樹が激しく泣き出した。
「ジージー!」
「杏樹!」
「ジージいいいいい!」
「あんじゅううううう!ご・・・ごめん!バイバイ!」
涙をこらえて扉を閉めて出てきた(なんだい、この悲劇的な書き方は)。

 名古屋で練習の合間に志保からメールを受け取った。
「今、お昼寝から起きて、杏樹が『アンパンマン』と言いながら探し物をしていて、『あった!』と見つけたものが、今朝パパが描いたうちわだった!
『これ、誰が描いたの?』
って聞くと、
『ジージ・・・あいやと(ありがとう)!』
って言った!!分かってるじゃん!」

うふふ、僕は杏樹と気持ちが通じ合ってる。杏樹が大きくなったら結婚しようかな。

「おにころ」スコア完成!
 「おにころ」のフルオケ用スコアが完成し、パート譜のレイアウトも終わって、これらをPDFファイルに変換し、群馬交響楽団ライブラリアン宛に送った。年明けからずっと頭の中から離れなかったことからようやく解放されて、人生ハッピー!
 と言うと、あたかもオーケストレーションが重荷だったように思われてしまいがちだが、そうではない。オーケストレーション自体は、作曲ほどでないにしてもクリエイティブで楽しい。でも、もしこれが病気や事故やその他の理由で、本番までに間に合わなかったら、「おにころ」公演自体が危機にさらされるというプレッシャーがあった。しかも通常の仕事そのものも忙しいのに、その合間の時間を縫ってコツコツと行う作業だったので、中断されたとしたら、短期間で集中的に取り戻すということも出来ない。だから、譜面が完成しない内は、いつも心に一抹の不安を抱えていたのである。
 おかげ様で、チケットの売れ行きも良いらしい。興行的になんとか成立するところまで来た。でも、僕は指揮だけでなく、演出も行うので、合唱団やソリスト達の演技も仕上げて、さらに照明や舞台スタッフと綿密な打ち合わせをしていかなければならない。スコアが出来たと浮かれている場合ではないのである。まだまだ越えなければならないハードルがいくつもある。

「嘆きの歌」の演奏会が終わっても、僕の暑い夏は、これからが佳境。

愛知祝祭管弦楽団 「嘆きの歌-初稿版」紹介ページへのリンク
(事務局注 2021リニューアル時に追加)



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