癒しのレクィエムであるために

三澤洋史 

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校歌の編曲
 「おにころ」が終わって放心状態になっていたが、いつまでも気が抜けていたままではいられない。9月終わりから10月始めにかけて文化庁主催のスクール・コンサートがある。その8校の校歌を新国立劇場合唱団のために急いで編曲しなければならない。
 いつも生徒たちが歌っている校歌が、30人の新国立劇場合唱団の特性を生かした編曲でコンサートの最初に輝かしく演奏されると、たいていの生徒達はそれだけで、
「おおっ!」
と驚いてしまう。コンサートで彼らの心をいち早くキャッチするには最適なのだ。

 この編曲であるが、お盆で帰省した時や「おにころ」公演の前一週間群馬に滞在した時に、合間を見つけて手がけるはずだった。実家には、以前僕がおふくろに作ってあげた自作パソコンがあり、その中に譜面作成ソフトのFinaleが入っており、ディスプレイもそこそこ大きいので、音源モジュールやキーボードを国立の自宅から持参していって、これまでにも帰省中に様々な譜面を作っていたのだ。
 ところが、今回は全く編曲に手をつけることが出来なかった。別に「おにころ」が忙しくて時間が取れなかったわけではない。空いている時間はあったが、自作パソコンの調子が悪くて開けなかったのである。XPだしね。今は時間がないが、そのうちバージョン・アップしてあげよう。
 なので、「おにころ」が終わって国立に帰ってきても、ボーッとしてはいられないのだ。まあ、いつまでも“たそがれの老人”のままでいるわけにもいかないので、丁度いいのだ。譜面作りのホームグラウンドである家のパソコンを使って急ピッチで始めた。1日1曲のペースで、現在のところすでに4曲仕上がった。「おにころ」のオーケストレーションをしていたお陰で、以前よりスラスラと出来るように感じられる。

ミサ曲の演奏と祈り
 8月29日土曜日は、目黒パーシモンで東京大学音楽部OB合唱団アカデミカコールの演奏会。この演奏会の中で、僕は第4部のラインベルガー作曲「ミサ曲ヘ長調Op.190」を指揮した。ラインベルガーという作曲家は、現代ではあまり知られていないが、1839年にリヒテンシュタインで生まれ、生涯にわたってミュンヘンで活躍し、1901年に没したドイツ人で、ミュンヘン音楽大学のオルガン科と作曲科教授として当時は広く知られていた。
 僕は、ベルリン芸術大学指揮科の時代に、オルガン科の学生の大学院修了試験として、ラインベルガー作曲オルガン協奏曲をベルリン交響楽団で指揮したことがある。その時の印象としては、彼と同時代のブラームスの作風に似ているというものであった。しかし、今回演奏した男声合唱とオルガンのためのミサ曲は、その時とは全く違った印象だ。

 それは、まっすぐ祈りに向かっている。オルガンの扱いには熟練し、声楽的処理や和声的進行も凝っているが、作曲的技巧を披瀝したり外面的効果を狙ったりすることは一切なく、まさに教会でのミサに奉仕する目的で書かれた作品である。それだけに、演奏に関しては、外面的には簡単でも、ある意味極限的に難しいともいえる。つまり、この曲は全ての邪念を寄せ付けない厳しさを持っているのだ。
 
 以前書いたが、この演奏会で、オルガニストの坂戸真美(さかと まみ)さんと夢の共演を果たした。4月10日金曜日に、カトリック関口教会(東京カテドラル)のオルガン・メディテーションで彼女の演奏を聴いて惚れ込み、即座に依頼した演奏会がこれだったのだ。
 オルガンという楽器は不思議だ。よく、ピアノのことを「猫が鍵盤の上を歩いても同じ音がする楽器」と言う人がいるが、オルガンはもっと極端で、タッチで強弱が出ないし、音色はストップで規定されている。だから今回のように比較的弾くのが容易な楽曲の場合、腕前の差がとても出にくい楽器のはずなのに、そこから様々なものが滲み出てくるのだ。
 僕と同じカトリック信者である坂戸さんの伴奏でラインベルガーのミサ曲を指揮していると、その音の間から、彼女の純粋な信仰心がひしひしと滲み出てきて、感動してしまった。やはりカテドラルでの演奏に触れたときの印象は嘘でなかった。何を弾いても坂戸さんからは坂戸さんの音楽が滲み出るのだろう。僕が霊的なものを感じるからかな?いいや、違う!やっぱり、音の合間から感じられるのだ。恐らく霊感のない人でも同じように感じると思う。音楽とは不思議なものである。

 さて、アカデミカコールの演奏の話をしよう。この団体は、それぞれのメンバーが現役のコールアカデミーだった時代から、指揮者前田幸市郎氏の薫陶の元で宗教音楽に親しんでおり、他の世俗曲ばかりやっている団体よりは、ずっと真摯な態度でミサ曲にも取り組んでいる。現に、昨年のOB六大学演奏会での僕の自作である「3つのイタリア語の祈り」の演奏も、心のこもった素晴らしいものであった。
 今回の演奏もとても良かった。特にキリエは集中していたし、ラインベルガーの持つ霊性が感じられた演奏であった。打ち上げの時に団員に見せてもらったアンケートにもそう書いてあったから、やはりそれは僕の個人的感想ではなく、実際そうだったのだろう。いやあ、観客は恐いですなあ。みんなよく聴いている。
 しかしながら、祈りの気持ちの持続性という意味では、どうだったのだろう?グローリア及びクレドは、山あり谷ありの複雑な曲なので、本番に強いアカデミカコール特有の緊張感で乗り切れたが、次のサンクトゥスの前半のような単純な曲や、ベネディクトゥスのような清冽な曲になると、祈りの気持ちのテンションを維持することがやや難しかったかも知れない。勿論、演奏としてはレベルは保っていたし、破綻は決してなかった。これが宗教曲でなかったら、立派な演奏であったことに疑問をはさむ者はいないのではないか。

 逆に言うと、こういうことを問われるとしたら、ミサ曲の演奏は限りなく難しくなってしまう。でも、“クリスチャンでない者はミサ曲を演奏してはならぬ”みたいな話になってしまうのは僕の本望ではない。何故なら、僕の精神は宗教という狭い枠組みから全く離れているから、クリスチャンかそうでないなどということはどうでもいいのだ。
 人間の中に様々な感情が息づいているように、音楽は、人間の様々な心情を映し出す。美しい恋歌や、ドロドロした内容のオペラや、哲学的な楽劇や、そして崇高な宗教曲などが存在する。ホセがカルメンを刺し殺す場面を“宗教的に演奏”しようとしても場違いなように、宗教的な作品は、やはりそれに見合った精神状態で演奏されるべきであろう。
 しかしながら、宗教的作品は、人によってはややハードルが高いようだ。恋愛感情は、思春期以降の人間であれば誰でも容易に理解出来るが、宗教的感情というと、それに馴れている人とそうでない人との差が存在するからだ。特に“祈り”ということになると、それを日常的に行っている人とそうでない人の距離は少なくないかも知れない。
 まあ、その事は、実は僕に最もあてはまることで、つい最近まで教会から離れていた僕は、祈りからだって離れていたのだ。それが関口教会に聖歌隊指揮者として通うようになって、ミサの間だけでなく、朝のお散歩の時やふとした日常生活の合間に祈りを取り入れることが多くなった。だからこそ、今回の演奏会でも、そういうことをより感じるようになったので、本当は偉そうなことを言えた義理ではないのだ。

 ある団員が、打ち上げの席で僕に近づいて言った。
「この曲をやって、祈りというものがどういうものか少し分かった気がしました」
意外に嬉しかった。というか、こう言う言葉を聞くと、やってよかったと思った。そうなのだ!僕もふくめて、みんな祈りの初心者なのだ!僕だって、本当に祈りというものが何なのか分かってんのかいな?と訊かれたら、100パーセント答えられる自信なんてないさ。
 その団員に勇気づけられた。僕はこれからも宗教曲を演奏していくだろう。その度に、僕も求道者として“祈り”とは何か探求し続けていくだろう。その時、一緒に演奏する人たちと共有出来たものこそが、“僕の音楽の中に表現された祈り”なのだろう。
「僕はひとりで祈りの境地に入っていたけれど、みんながついてこなかった」
という言い訳は、決してしてはならない。何故なら、指揮者である僕は音が出せないのだから、出て来たものこそが全てなのだ。

癒しのレクィエムであるために
 次の日の8月30日日曜日。僕は名古屋にいた。その日、名古屋はお祭りで、駅の改札を出た途端、コンコースに溢れる人の群れに驚かされる。様々なコスチュームに身を包み、顔に絵や模様を書き込んだ若者達の群れが闊歩する。この日は、安保法案への反対デモが全国で行われているだろうから、ここ名古屋でも、そういう人たちもこの人の群れに混じっているだろう。うーん、僕も練習がなかったら、今日あたり10万人の内のひとりとして国会周辺にいたに違いない。

 さて、モーツァルト200合唱団は、次の週末である9月6日日曜日に「ドイツ・レクィエム」演奏会を行うので、今日は最後の集中稽古。バリトンの萩原潤さんも東京から参加して、3曲目と6曲目から練習を始めた。予想通り、大変な美声でしかもきめ細かく音楽的な歌唱。彼を呼んで良かった。みんなも大喜び。
 しかし僕は、萩原さんが帰ってから、合唱団のみんなに向かってお説教をする。やっぱり、どうしても僕はこだわってしまうんだなあ。つまり・・・曲は、一週間後の演奏会に向かってとても良く仕上がってきている・・・でもね、この曲が“癒しのレクィエム”だということが充分に表現出来ていない。そこが不満なのだ。
 でも、お話をしてからは見違えるように良くなった。話したら分かってくれた。気持ちを込めるということだけでこれだけ変わってしまうんだ。だから音楽は恐いし、だからこそ素晴らしい!

 東京交響楽団と東響コーラスとで「ドイツ・レクィエム」を演奏してから10年経った。その間、別に封印していたわけではないけれど、この大事な曲をむやみやたらと演奏しなかったことは事実だ。それだけに、演奏するならば後悔のないようにやりたい。
 帰りの新幹線の中でもう一度スコアをめくる。胸の中に、この演奏会がうまくいく確信が生まれた。あたたかく、やさしさで会場が包まれるような“癒しのレクィエム”が響き渡るに違いない。もう僕は、この演奏会の事で神様に感謝している。そしてその感謝は実現化するに違いない。

祈りは、純化すればするほど、感謝のみになってくるのだ。



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© HIROFUMI MISAWA