飛行機の中なのでフヌケが目立たない!
今、この原稿を、ウィーンから日本へ向かう飛行機の中で書いている。行きの飛行機の中ではずっとスコアの勉強をしていた。でも、帰りは久し振りにスコアから離れて、ボーッとしている。ボーッとしてフネケになっていても、飛行機の中だから目立たなくていいなあ。
さっきまでメリル・ストリープ主演の映画「マンマ・ミーア」を観ていた。母親をめぐる3人の男の誰かが自分の父親に違いないと思った娘が、自分の結婚式にその3人とも招待して、父親を捜し当てようとする荒唐無稽な物語。その設定からして馬鹿馬鹿しいが、ストーリー展開も馬鹿馬鹿しく、さらに結末も馬鹿馬鹿しい。でも、とってもとっても面白かった。特に、超ステレオタイプのミュージカル仕立てで、突然音楽が始まると、街中のみんなが大量に踊り出す。これって、もしかしたらインド映画のパロディー?
しかし、観ながら思ったんだ。
「ああ、自分はもう1作だけミュージカルを書きたいなあ」
こんな風に馬鹿馬鹿しく、それでいて泣けてしまうおはなし。あはははは・・・・どこにそんな時間があるのだろうか・・・・。
でももし今度書くとしたら、絶対書きたいテーマがある。それは娘と父親の物語。勿論それを支える内的テーマは“愛”なんだけど、どこにでもあるストーリーではつまんないなあ。僕はね、孫の杏樹をとっても可愛がっているけれど・・・その前に・・・2人の娘の志保と杏奈を、目の中に入れても痛くないほど可愛がっているのだ・・・って、ゆーか、赤ちゃんの時からメロメロで、今でも同じようにメロメロ。でも、そんなメロメロ状態をミュージカルで描いたところで誰が観るかって感じなので、一度、自分の私生活から突き放さないとな。ちょっと複雑で、飛び切り素敵な展開・・・書けるような気はするけれど、肝心の時間がない。
こう思うのも、昨晩の楽友協会ホールにおけるマーラー第2交響曲「復活」公演が大成功に終わったお陰だろう。なにせ今の僕は、世界中の人に感謝し、愛を与えきりたい気持ちなのだから。とってもとっても自分の人生に満足し、しあわせ感100パーセントなのだから。
さて、話を数日前に戻そう・・・。
ウィーン楽友協会
ウィーンの街
生まれて初めてのウィーン。しかし僕は、初日から何の違和感もなくこの街に溶け込んだ。ここは様々な文化が混じり合う不思議な街。たとえばコーヒーは、エスプレッソを中心としたラテン的文化。メランジェと言われる飲み物は、何のことはない、エスプレッソに泡立てたミルクを混ぜたカプチーノ。だからイタリア文化かと思うが、melangeという言葉はフランス語で、「混じり合った」という意味。
イタリア文化ともフランス文化とも融合している。建物の感じも、いろいろが混ざり合っている。勿論それは、マリー・アントワネットをフランスにお嫁にやり、ミラノと深い交流があったハプスブルグ家の繁栄と無関係には考えられない。
それに、人々の雰囲気が(勿論街には外国人で溢れているとはいえ)、ドイツ人ほど硬くなく、イタリア人ほどゆるくなく、日本人にはちょうどいい。街全体にゆったりとした余裕のような雰囲気が流れている。こういうところに文化というものは育つのだな。
演奏会用ポスター
シェーンブルン宮殿の庭
シェーンブルンのリス君
ハイリゲンシュタット~ベートーヴェン~マーラー
さて、この日はハイリゲンシュタットに行くと決めていた。つまり、ベートーヴェンが難聴で苦しんだあげく遺書を書いたとされるベートーヴェン・ハウスと、彼が田園交響曲の第2楽章「小川のほとり」の構想を練ったと言われている散歩道を訪れるためだ。
不思議だな。こうしてベートーヴェン・ハウスの中にいると、
「へえっ、ベートーヴェンって本当に生きていたんだ。それで、かつてここで食事したり作曲したり寝たり、つまり実際に日常生活を営んでいたのだ」
と思う。考えてみれば当たり前のことなんだけれど、その実在感にかえってとまどう。
しかし、ベートーヴェン・ハウスに限って言えば、本当はあまり実在感がない。何故なら、ベートーヴェン・ハウスは、このウィーンに無数にあるのだ。というのは、ベートーヴェンは前代未聞の引っ越し魔で、このウィーンの街中だけで、なんと70回以上も引っ越ししたという。70回だよ!
まもなく22歳になろうとする時に、郷里のボンからウィーンに移住して以来、56歳で亡くなるまでの30数年の間に70回・・・ということは平均して1年に2度以上引っ越ししなければ計算が合わない。うひゃあ・・・ばっかじゃないの?理由はいつも騒音を原因とする隣人や家主との不和であったと言われている。これで、
「全人類よ、抱き合おう!」
と偉そうに言うんだから、笑いたくなるが・・・うーん・・・笑ってはいけないのかも知れない。逆に、そうだからこそ、ベートーヴェンは「苦悩を突き抜けて歓喜」の音楽を書けたのだ。 なので、ベートーヴェン・ハウスは70もあるわけ。それぞれが、「○○を書いたベートーヴェン・ハウス」と歌っているんだけど、そう言われてもねえ・・・ここだけでもいいよ。
ハイリゲンシュタットの遺書の家
ベートーヴェンの散歩道
散歩道の脇のワイン畑
マーラーの墓標にて
モーツァルトの見ていた景色
それから旧市街に戻ってきて、今度はモーツァルト・ハウスに行った。モーツァルトもウィーンの中で度々引っ越しているが、最も長く実りある時を過ごした住居が博物館になっている。日本語で案内する機器を貸してくれて、部屋毎に丁寧な説明がなされているが、すでに知っていることも多いので最後はどんどん飛ばして次の部屋に行く。後ろで妻があわてている。
人気作曲家としてもてはやされ、経済的にもうるおっていたモーツァルトは、建物の1フロア全部借り切って贅沢な暮らしをしていた。ザルツブルグから出てきたお父さんがあきれたという。今見ると、確かに広いけれど、そうとんでもなく豪奢な館という感じでもない。それより僕には、窓から見える景色が気になった。へえ、こんな景色をモーツァルトは毎日見ながら作曲していたのか。
モーツァルトが見ていた路地
お前にはその覚悟があるのか?
19日土曜日。僕は午前中はホテルでスコアの勉強。マーラーの音楽がどんどん近くなってくる感じがする。でも、変な話、あまり勉強しすぎると、個々の音ばかり気になってきてしまって、かえって肝心のマーラーの理念とかから離れてしまう気もする。スコアは至近距離だけから眺めるだけでは駄目なんだ。一度離れて大きな視点から俯瞰することも大事。ドレミがドレミを超えて夢やファンタジーに飛翔しないと、スコアの勉強が完成したとは言えない。ここが難しいところ。
お昼に街に出る。マリアヒルファーMariahilfer通りの生地屋で買い物していた妻と落ち合って、ナッシュ・マルクトと呼ばれる市で昼食を食べ、その後、そこからほどなく近い「シューベルト最期の家」に行った。残念ながらたまたま閉まっていたので、外から眺めるにとどまった。まあ、ヨーロッパの都市では、みんなアパートだから、楽聖の住居といっても特別な風情はない。
それから再び妻とは別れて、僕がひとりで向かった先は中央墓地であった。ここには沢山の音楽家のお墓が集まっている。その一画に入ると、再び例の寒気が襲ってきた。変な話だが、その寒気の度合いで、今の自分とそれぞれの音楽家との関係が分かる。墓標の前に立った時、一番寒気が感じられたのはブラームスであった。僕はブラームスに向かって、先日の「ドイツ・レクィエム」のお礼を言いながら祈った。ブラームスが微笑んでくれているように感じられた。
ブラームスの墓
ベートーヴェンの墓
ヴォルフの墓
Ego sum resurrectio et vita.これはヨハネによる福音書第11章25節からのイエスの言葉である。
(わたしは復活であり、命である)
イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか?」僕は知っていたのだ。このイエスの言葉の最後に「このことを信じるか?」と彼が問うていることを・・・。だから鳥肌が立ったのである。自分は一生懸命スコアの勉強をしているけれど、本当に分かっているのか?分かろうとしているのか?マーラーが必死で訴えたかったこと、すなわち、
ミサのありかたについて
20日日曜日。オケや合唱団の一団は、昨日の午後から晩にかけて到着した。今日は、午後からこのウィーンでの初めての練習。しかし今日は日曜日なので、僕たち夫婦は、午前中にミサに行く。ウィーン最大の教会であるシュテファン寺院での10時15分のミサは、聖歌隊がオルガンに合わせて歌う壮麗なもの。このミサの様子は、オーストリア国営放送にて生中継されているという。
しかし、KyrieあるいはGloriaなど、大事なミサ曲は聖歌隊が全部歌ってしまう。会衆は聴いているだけ。確かに、一般の人がとても歌えない高レベルな多旋律の楽曲を、指揮者に合わせて聖歌隊は見事に歌う。旅行者がお客様として一回くらい味わうのは悪くない。シュテファン寺院は立派だし聖歌隊は上手・・・でも、もし自分がこの小教区の信者だったとしたら、どうなんだろう?
ミサに参加した気がしなくて欲求不満になるに違いない。だから、かつてマルティン・ルターは、簡単なコラールを作って一般会衆にも歌えるようにして、会衆がミサに自分から能動的に参加しているという意識を強めたかったわけだ。
「行きなさい、主の平和の内に」
「神に感謝」
この後、日本では閉祭の歌が歌われる。しかしここでは閉祭の歌はない。まだ司祭団が動き出さない内に、オルガンが派手に「追い出し」の曲を奏でる。一般会衆は、司祭団を見送ることなく席を立ち、知り合いと話を始め、どんどん帰って行く。たしかにミサというものは「派遣の祝福」で終わるとされているので、教義的には閉祭の歌は必要ない。うーん・・・でもさあ、やっぱり司祭が完全に退場するまで見送りたいというのが日本人的心情だよね。
僕は思ったね。こうした素晴らしい教会で素晴らしく響き渡る音楽に触れて「素晴らしずくし」なんだけど、こうした中にいると、信仰しているような気分にはなるけれど、本当の信仰は育たないんじゃないか。ここで聖体を拝領して元気をもらったような気になるのは錯覚ではないか。
豪奢な大寺院の中に湧いたかすかな疑問。勿論、信仰はひとりひとりのもの。自分は自分なりの祈りがミサの中で出来たからいいんだけど・・・。
初日練習~難題山積み
さて、いよいよ練習が始まった。もう観光気分ではいられない。練習は楽友協会の建物の地下3階グラスホールで行われた。この演奏会にはリスクがいっぱい待っている。まず、チェロとコントラバス及びコントラ・ファゴットなどの大型の楽器は、全てこのウィーンで借用することになっていたが、たとえばレンタルのチェロは、体の大きいヨーロッパ人に合わせて、指板から弦までの高さが高く、強く指で押さえないと音程も決まらないし音自体も出ないという。チェロ団員達が、うわあ、これに慣れないといけないのかと悲鳴を上げている。
2人のハープ奏者と、第5楽章の大量のバンダ奏者(舞台裏の打楽器、トランペット、ホルン奏者)もこちらで調達。その他にもヴィオラ、チェロ、コントラバス及び打楽器などにもエキストラが入った。みんなヨーロッパ人。予想した通り、曲のことをよく分かっていない。僕たち、熱い想いを抱いてわざわざ日本から来たマーラー・プロジェクト・オーケストラの団員との温度差はいかんともし難い。しかし、これをなんとかしないことには先に進めない。2人のチェロ奏者の若いお兄さん達なんてほとんど音を出していない。
気がついたら僕は、2人のハープ奏者の女性が、入りを間違えたり落ちたり変な音を出す毎に止めて、ドイツ語で、
「ハープさん、また落ちましたよ」
などと、かなり厳しい口調で直していた。相手には怒っているように見えただろうから、なんと生意気な日本人と思っただろうが知ったことではない。
バンダにははっきりいってかなり手こずった。合唱の最初の入りの直前の、拍子もテンポもフリーになる箇所がある。ここは事前に勉強してきて、オケ中のフルートとピッコロ、あるいはバンダ同士のトランペットとホルンとの関係が分かっていないとグチャグチャになるだけだ。案の定、彼らは手ぶらで何の用意もなく来た。あはははは・・・・ったくよう!
僕はドイツ語で根気よく説明し、何度も何度も繰り返した。やる毎に誰かが間違う。特に3番トランペットの若い男の子がトロくて、これには同じトランペット仲間も、
「お前なあ・・・いい加減にせえよ!」
という感じで、コヅかれながらやっていた。
そのせいで、初日のオケ練習は、第5楽章のバンダと合唱の近辺の練習に終始してしまい、全曲通らなかった。やむをえない。優先順位をつけて必要不可欠なところから攻めていかないと、本番が出来ないからね。
一方、合唱は、合唱指揮者の奥村泰憲(おくむら やすのり)さんが、僕のオケ練習と平行して、男声を中心とした大量のエキストラと日本から来た人達との合同合唱稽古をつけていた。奥村さんは、現在僕がやっている東京バロック・スコラーズでも指導をお願いしているが、ウィーン生活が長く、彼がかつて所属していたシェーンベルク合唱団から大半の男声エキストラをお願いしてくれた。
日本全国から公募した日本人合唱団と、この現地エキストラとの響き合わせには、奥村さんも大変苦労したと思われるが、そのお陰で、オケ合わせの時の合唱団の響きは、日本で練習していたのとは見違えるようになった。
マーラーはバス・パートに低音部記号の下の加線2本の下のBフラットまで書いている。そんな低い音など、体も声帯も小さい日本人には誰も出ないが、その超低音までしっかり聞こえたのには驚いた。
人選も含めて奥村さんに頼んでおいてよかった。また平行して稽古を組んだのがよかったね。僕は何でも自分でやりたがる性格だけれど、オケも合唱も、エキストラとの調整を含めた練習を全てひとりで引き受けたら、体がいくつあっても足りなかった。やはり合唱は合唱指揮者に任せるのが一番!って、ゆーか、いつも反対の立場で合唱の責任を負っているのは、他ならぬ僕だからね。
グラスホールでの練習
前川依子さんと
楽友協会ホールに入る
初めて入る楽友協会黄金の間(大ホール)。キンキラキンであることをのぞけばただの箱。床板は古く、譜面台も素朴な木製。勿論指揮者用譜面台も同じようにとても素朴なもの。指揮者楽屋に案内される。
うわあっ!この楽屋にカラヤンやベームなど歴代の巨匠が入って出番を待っていたんだね。ベーゼンドルファーのグランドピアノが置いてある。弾いてみた・・・ウッソー!・・・夢見るようなしなやかな音!こんな素晴らしいピアノでなんと「おにころ」の「神流川」を弾いてしまった。このバチあたりが!
指揮者楽屋
垣間見たウィーン・フィル・サウンド
ゲネプロが終わって、僕は一度ホテルに戻ったが、午後7時半から始まる本番までの間に、なんとウィーン・フィルの練習が入るという。なんていう時間の使い方!練習なので、舞台の設営を完全に変える必要はないが、ウィーン・フィルが練習出来るようには変えなければならない。つまり僕達の打楽器奏者達は、練習後本番までの間にセッティングを二度行わなければならない。
ホテルから5時にバスが出た。楽友協会ホールに着くと、舞台ではまだ練習していた。モーツァルトの交響曲第39番変ホ長調の第4楽章。指揮者はエッシェンバッハ。本当はいけないのだが、客席後方の立ち見席の入り口から間違って迷い込んだフリをして、妻と2人で盗み聴きする。なんという音!クラリネットなんて夢のようなサウンドで弦楽器と溶けあっている。なあるほど・・・このホールあってウィーン・フィルのサウンドありなのだな。ほんの10分ほどで練習が終わったけれど、とても貴重な体験をした。
いよいよ本番
さて、いよいよ本番の時がやって来た。ホールの響きは、ゲネプロとはガラリと変わった。聴衆が適度に音を吸収して、ちょうど良い残響になったのだ。最初の弦楽器が出た瞬間、ゲネプロほど響かないのであせったが、曲が進んでいく内に、響きすぎないので内声がクリアに聞こえるし、舞台上のアンサンブルがゲネプロよりももっとし易いことに気付き、安心した。さらに、ここで作り上げてまとまった音が、客席に飛んで行くのが見えるようで、ああ、やっぱり良いホールと絶賛されるだけのことはあるなと思った。
オケのメンバーはとても集中している。一方、僕の方は、自分で振っているというよりも、音楽が勝手に流れていくように感じられる。勿論僕は、現実に響き渡るオケよりもワンテンポ早く振り下ろしていくのであるが、振り下ろした瞬間には、もうその次に実際のオケがどのような音で鳴るのかが分かっており、そして実際その通りになる。うーん、これって当たり前のようだけど、かなり霊能者的なんだよ。つまり、2つの時を持つ僕とオケとは、それらを包み込む大きな音楽の流れの中にいるということだ。
僕は、腰を浮かせんばかりにフォルテを弾くイカれたコンサート・マスターのピロシ君が大好きだ。第1楽章382小節で僕の眼の合図に「はい、分かりましたよ」と少しだけ微笑んで見つめ返してくる第2ヴァイオリンのUさんが大好きだ。タイミングを決して逃すまいと挑むようなまなざしを向けてくるチェロのTさんが大好きだ。
ちょっと辛そうな顔をしてフルートを吹くKさんや、左右に体を振って楽しそうにクラリネットを吹くWさんや、ガッツなまなざしのトランペットのHさんや、ちょっと体を傾けてやさしいお姉さんのように(しかも確実なタイミングと適切な音で)第2ティンパニーを叩くSさんや、なんと客席後方のバンダと掛け持ちしていて演奏中全速力で舞台を走る北海道から来たパーカッションのお兄さんなど、みんなみんな大好きでたまらない(ごめんね、特にコメントしなかった全てのみなさん、ガッカリしないでね)。合唱も、全国から集まったので、名前と顔が一致しない人が多いけれど、本当にみんな大好き!僕は、一緒にやってくれるプレイヤー達全てをたまらなく愛している!愛さずにはいられない!
みんなみんなこのウィーンの地に集結して、心をひとつにしてマーラーの音楽に向かい合っている。オケも合唱も日本全国から公募したまさに一期一会の団体なのだが、こんなかけがえのない仲間達と一緒に演奏出来るなんて、なんて素晴らしいことなんだ!僕は、なんてしあわせな人生を送っているのだ!
第4楽章に入って、三輪陽子さんが深い人類の苦悩と、暗闇の中に灯をともして生きようとする密やかな決意を語る。派手ではないけれど、内面的なものを表現できる良い歌手だ。そしていよいよ第5楽章に突入した。悠久の時を感じる壮大な音楽。啓示的な金管楽器のコラール。それから、苦悩の滅却を望んで、強く人生を生き抜いていこうとする勇壮な行進曲。曲は快調に進んでいく。
さて、合唱が入ってくる前の、最も難しいバンダの個所にさしかかった。あの何度も繰りかえした練習が実って、客席後方のバンダと舞台上の演奏者とのコンビネーションがピッタシ決まったぞ!そして合唱が入って来た。僕がこだわって何度も何度も繰り返し練習した箇所。ほとんど地の底から響いてくるいいようのない呻きともつかない声。最初のaufersteh'n(よみがえる)のテキストは聞こえなくていいんだ。だが次のJaと、もう一度繰り返すaufersteh'nは、
「なんだあの響きは一体?どうやら『よみがえる』と言っているらしいぞ・・・」
と認識されなければならない。いいぞ・・・その調子。
ブリリアントな豊嶋起久子さんのソプラノと、三輪さんの、ソロやデュエットが合唱とからみながら、曲がどんどん進んでいく。
そしてやってきた大いなる存在
Mit flugeln, die ich mir errungen, werde ich entschweben.最後のフーガが始まった。曲はクライマックスに向かってどんどん盛り上がっていく。
(翼を得て我々は飛翔していくだろう)
仕掛け人達と打ち上げ
!打ち上げ会場にて全員集合!