またまた旅です

三澤洋史 

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またまた旅です
 今週は東京にいるが、来週からまた10日間ほど東京を留守にする。今年の秋は、ウィーンに行ったり、あるいは文化庁のスクール・コンサートで愛知岐阜を巡ったり、本当に旅が多くて、家にあまり居ない。そして、家に戻ってくると、今度は家でないと出来ない仕事がたまっており、また次の旅までの間、超あわただしくて、家に居る気がしない。
 ある意味、旅の最中の方があきらめもつき、気が楽ともいえる。文化庁の旅の間に、2度ほど(岐阜市と関市)新国立劇場合唱団テニス部の練習に参加した。合唱指揮者と団員という立場の違いはあるが、テニスになると僕はただの初心者なので、みんなのあたたかい視線の中で、団員達と同じ目線になり、屈託のない楽しい時間を送れる。
 豊橋、岐阜、関では、それぞれ地元のプールで泳いだ。岐阜には、サッカー・チームFC岐阜の根拠地であるメモリアルセンターがある。ここは巨大なスポーツ施設で、その一画に素晴らしいプールがあった。関では、休憩時間の後、ラジオ体操第一をさせられて、恥ずかしかった。こんな風に、旅の方が時間がゆっくり流れる気はする。でも、朝食バイキングでは食べ過ぎるし、夕食は飲み過ぎるし、孫の杏樹には逢えないし、長くいるとやはり、これが本当の生活というわけではないなあと、だんだん思うようになる。

 10月18日日曜日に、志木第九の会でベートーヴェンのハ長調ミサ曲と第九の演奏会(和光市市民文化センター・サンアゼリア大ホール)を行った後、火曜日から京都に行き、10月22日木曜日に、京都で京都市とロームシアター京都の主催する「高校生の為のオペラ音楽セレクション」 を指揮する。オケは京都市交響楽団、合唱は新国立劇場合唱団と京都府合唱連盟のコラボレーションで、ソリストは新国立劇場合唱団から出す。プログラムは、「カルメン」の序曲と名場面集から始まり、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の合唱及び間奏曲やナブッコの「想いよ、金色の翼に乗って」、「ローエングリン」第3幕前奏曲から結婚行進曲、オペレッタ「こうもり」から序曲と名場面集、そして「椿姫」の「乾杯の歌」で終わる。
 この演奏会が終わると、その足で尼崎に行って高校生の為の「蝶々夫人」公演。でも、今回の指揮者は城谷正博君なので、僕は合唱の面倒を見ていればいい。それが28日木曜日まであり、その日に帰って来る。ふうっ!これでとりあえず長旅は終わりかな。それからやっと本拠地である新国立劇場に入って、「トスカ」と「ファルスタッフ」の練習の日々が始まる。

下村君のこと
 下村博文君は、僕の高校(県立高崎高校)の同級生で、3年生の時に同じクラスであった。昨年の暮れ。ちょうど読売日本交響楽団の第九大阪公演の日、大阪のホテルに着くなり彼から電話がかかってきた。
「三澤君、お久しぶり」
「いやあ、下村君、偉くなっちゃって、僕も嬉しいよ」
「何を言ってる。三澤君だって・・・本を読ませていただいたよ。実はね、僕は教育改革を真剣に推し進めようとしているんだ。それで、是非三澤君の意見を聴きたくて電話した。
通常の環境にない子供や、特殊技能がある生徒達を支える環境をどうしたらいいか、腹を割っていろいろ話したいんだけど・・・出来れば君の親友の角皆優人君(彼も同じクラスだった)も一緒に、食事をしながら話せたらと思っている」
「うーん、角皆君は、もうスキー・シーズンが始まっているので、白馬を離れて東京に来たりするのは難しいかも知れないけれど・・・でも、訊いてみるよ」
「三澤君の演奏会って、近々あるかい?もし可能ならば、それを聴かせてもらって、演奏会後に場所を設定して、ゆっくり会いたいんだけどね」
「今は、新国立劇場が建て込んでいて、僕自身が指揮する公演はしばらくないんだ。逆に僕が合唱指揮をしている新国立劇場の公演だったら、いつでもいいよ。文部科学大臣が来るといったら、劇場としてはどうとでも対応してくれると思う」
「そうか、分かった。じゃあ、また日程を調整して伺う日を決めるからね」
「OK!」
実際には他のこともいろいろ話したので、全部で20分くらいだったろうか。昔の通り、物静かな話し方であるが、その陰にひしひしと彼の情熱が感じられて、ちょっと感動した。

 下村君は、小学3年生の時に父親を交通事故でなくした。彼の母親は、パートタイマーで3人の子供を育てたが、彼はその後、交通遺児育英会の交通遺児奨学生第1期生となり、高崎高校から早稲田大学に進んだ。さらに彼の子供が、ディスレクシア(識字障害)というLDの一種であったが、それを受け容れてくれる教育システムが日本にないことから、外国に留学させざるを得ない状況にあったと聞く。そうした経験から、我が国における、発達障害を含めた特別支援教育の必要性を強く訴えてきた。僕にアクセスしてきたのも、そうした教育改革の流れの中からであるようだ。
 事の発端は、早川書房が、僕の「オペラ座のお仕事」を下村君に送ってくれたことによるが、その後、文藝春秋からも、巻頭の方の同級生紹介のコーナーで、下村君と角皆君と僕とで写真入りの取材したいという旨があった。それじゃあ、その取材のために集まって、その後一緒に食事を・・・と計画したが、現実問題として3人ともそれぞれ忙しく、なかなか実現しなかった。そうこうしている内に、下村君の身辺が騒がしくなってきてしまった。

 政治の世界というのは、本当に魑魅魍魎(ちみもうりょう)だね。 最初、献金問題をほじくりかえしているかと思っていたら、その内、東京オリンピックに関する一連の問題、すなわち新国立競技場のデザイン問題やエンブレム問題が起きてしまった。それが、いつしか下村君の責任問題になり、あろうことか彼はクビになってしまった。
 僕は、とても残念だ。彼の教育改革への情熱は、あっけなく頓挫してしまった。彼としては、東京オリンピックをやるために文部科学大臣になったわけでもないのに、全く予想もしなかった所から揚げ足を取られることになってしまった。彼が辞めたって、一連のオリンピックをめぐる迷走の原因追及は進まないだろうし、きっと根本は何も変わらないだろう。それどころか、彼が辞めることで、この問題には蓋をされ、忘れ去られてしまうような気がする。

 この迷走の本当の原因を知っているかい?それはね、“経済最優先”という現在の日本のあり方にあるのだ。何故みんなが、東京オリンピックの誘致にあれだけ喜んでいるかというと、その経済効果によって日本の景気を一気に活性化させようとしているからだ。新国立競技場の建設費だって、何千億かかるから悪いとは本当は誰も思っていなかった。どれだけかかったって、それで経済が回り、そこに群がる者達が利益を得れば、それが社会に還元して結果オーライと思っていた。
 しかし問題が出てきたのは、元来建設費が原因ではない。デザインからくる強度の問題である。あのデザインで開閉式の屋根を支えるとしたら、柱に相当の負担がかかり、それが地震国の日本において果たして耐えられるのかということであった。
 しかし、その疑問が出てきた時点でも、まだ「お金さえかければなんとかなる」という意見があり、その声にさからえなかった。それで、さらに金額がふくらんでしまったが、そのお金をかけたから絶対安全とは言い切れなかったし、もし競技中に大地震が起きて屋根が崩れたりしたら、世界の祭典が大惨事になる。それで、誰かが言い出した。
「そんなにお金をかけても安全って言い切れないんじゃ、お金かけるだけ無駄なんじゃない?その前にデザイン変えたら?」
それで一気に流れが変わった。何事も雰囲気で動く国だから、一度「無駄だ」という声が上がると、今度はそれの大合唱になる。マスコミもそれに乗る。モラルで動いているんじゃない。空気読んでいるだけ。経済原理と安全性を天秤にかけて、安全性に傾いた理由は、もしかしたら3.11以来の安全神話の崩壊が影響しているかも知れない。

 考えてみよう。専門家であれば、一見してあのデザインが導き出す様々な問題に気付いたであろうし、気付かないようでは専門家の資格はない。そういうことを判断するために専門家がいるんだし、実際それだけの権限も与えられていただろう。
 では、どうしてその専門家ではなく、下村君が責任を取らなければならないかというと、その専門家の判断よりも上の権限を彼が持っているからだ。つまり、話がどうどう巡りするけれど、それが“経済原理”である。彼の悲劇の原因は、彼が属しているのが、経済最優先を掲げて突っ走っている最中の政党だということだ。その政党は企業をとても大切にする。
 仮に専門家の判断がどのようなものであっても、その政党からしたら、ギリギリまで言うことを聞くわけにはいかなかったのだろう。なにせ、今や東京オリンピックは、我が国の経済成長のための最強の武器なのだから。新国立競技場だってそのシンボルなのだから、デザインは奇抜なほどいいし、高いほどステイタスが得られ、経済成長の渦は勢いを増す。こうした流れの中で、下村君に一体何が出来ただろうか?
 しかし、突如として流れは変わってしまった。僕は、マスコミの、
「無駄だ!」
の大合唱に狡猾さを感じる。マスコミは全て知っているのだ。でも、本当のことを隠して、国民の、
「そういえば高すぎた。けしからん!」
という感情だけを煽る。
 さて、新国立競技場建設は白紙に戻った。すると、それにより利益を見込めなくなってしまった人達は、あせり、うろたえ、怒ったのだろうな。その怒りをどこかにぶつけないでは済まなかったのだろうな。それで、一番のヘッドの首が飛んだわけか・・・。

 言っておくけれど、これらは全て僕の単なる想像である。資料的な裏付けはない。でも、そうでなければ、何故他のもっと責任問題になりそうな人達がのうのうと居座っていて、彼が辞めなければならなかったのか、僕には理解できない。
 下村君と電話で話した時に、彼が熱心に話していた様々な理念を、僕はなんとしても成就させてあげたかった。それが一瞬にして泡のごとく消えてしまったことが、今頃どれだけ彼を落胆させていることだろう。決して、彼は自分の利益なんかでそれを行おうとしていたわけではない。それどころか、むしろ全財産を投げ打っても、命を賭けてでも・・・という気概で臨んでいたに違いないのだから・・・。
 でも、僕は感じていたのだ。そんな彼だから、彼はこの政党に属しているには、あまりに純粋すぎるのではないか・・・と。彼が経済最優先の価値観とは全然違うところで生きている人間であったとしても、彼自身、経済原理至上主義の巣窟に居を構えているのだ。この矛盾よ!勿論、与党にいないことには大臣になることもあり得なかったのだけれど・・・・。
 僕が、今まで彼のことを書かなかったのは、彼がこれまで“今をときめく文部科学大臣”だったからかも知れない。そういう有名人と同級生だということで、なにか自慢しているようにとられるのが嫌だったのかも知れない。そんなことにこだわるのも、まだまだ人間が出来ていない証拠だね。こうなってしまってから書くんだから、とっても悲しいよ。
 彼が大臣でなくなったことで、彼から離れていく人は少なからずいるかも知れない。でも僕だけは違うからね。絶対に違うからね。下村君は僕の誇りだ。彼が大臣かそうでないかなんて僕には関係ない。僕は、肩書きなんかで人を判断しないんだ。

 ついでに言うけど、エンブレム問題に関しては、これは純粋に個人のモラルの問題であり、話にならない。
究極の経済最優先の行動って知っているかい?それはね、人のものを盗むことだよ。
それが一番楽だけれど、人間だったら、それだけはやってはいけないんだ。
そんな獣の次元にまで日本人は堕ちてしまっている。
そんな奴の責任を下村君が取れっていうのかい?
ふざけんじゃないよ。
下村君の崇高な志をなめんじゃないよ!

ううう・・・今日だけは泣かせておくれ!



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