パリが血に染まった

三澤洋史 

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パリが血に染まった
 パリが血に染まった。ドイツほど厳格でなく、イタリアほどゆるくなく、ウィーンより洗練されていて、お洒落でシックな、僕の大好きなあの大都会が、無差別な殺戮の餌食とされ、混乱と恐怖と慟哭と絶望の淵に落とされた。何故?
 テロという行為に勝利はない。それは、振られた相手をストーカーとなって追い回すのと同じで、相手が反省し、再び好きになる可能性は皆無であり、それどころか、ますます嫌われ避けられるのは必至である。自分たちが侮辱されたから仕返しをしたからといって、相手が反省してイスラム教の素晴らしさに目覚めるとでも思っているのだろうか?もし、そうでないとしたら、彼等の目標はなんなのか?

 自分たちの宗教を広め布教するために、迫害に対して恐れずに戦うというのだったら、分からないでもないのだが、
「ざまあみろ!」
というのが目的となる宗教的行為というのが存在していいのだろうか?
 憎悪とか怒りとかを抑えて、愛とかやさしさとか平和をめざすという教えは、この宗教には本当にないのだろうか?僕はそうは思わない。そうでなければ、イスラム教がそもそも世界にこんなに広まるはずはない。その教えが良いものでなくて、どうして人々が受け容れることが出来ようか。
 そうやってせっかく広まった宗教なのに、今になって、その宗教の教えに従っているはずの国から、どんどん人々が難民となって出て行ってしまったり、自爆しながら殺戮する男達が次々と出て来ているとしたなら、むしろその宗教の初心から離れているとはいえないか?
 その先に平和な国やしあわせに暮らす国民がイメージ出来なくなってしまったのは何故?誰かがどこかで教えの神髄を誤解してしまったのだろうか?それとも、意図的に真意がゆがめられてしまったのだろうか?

 イスラム教の素晴らしさを広めようという気は、もう彼等にはないのか?僕はね、朝や正午や晩にひれ伏して祈りを捧げる行為は、決して前時代的だともおかしいとも思わない。むしろ、現代人は祈りを忘れた時から、ぶどうの実がぶどうの木を離れたように、神の真実という栄養が行き渡らなくなり、本来の生き方からはずれてきてしまったように思う。
 エゴのぶつかり合いを良しとする利己的で無神論的な西欧的な生き方に対して警鐘を鳴らすという意味においても、イスラム教徒には頑張って欲しいのに、テロなんて短絡的な行動を起こしてしまったら元も子もないではないか!そんなことをしたら、誰もその宗教の良さを信じなくなり、誰もその信者を好かなくなってしまう。テロリストにとっては瞬間的に勝利かもしれないけれど、宗教としては完全なる敗北である。彼等はイスラム教の終焉を導き、自らその幕引きをしようとしているのだろうか?

 僕はとても悲しい。それが宗教から出て来たことが、ことのほか残念だ。
「だから宗教は危険だ!」
「だから宗教を信じる人達は愚かなんだ!」
と思われてしまうのは耐えられない。
 自由主義社会、民主主義社会といわれている我々の社会はどうか?たとえば、昨今の様々な偽装事件など、「分からなければ何をしてもよい」とか、「今儲かればよい」とか思っている人ばっかり世の中に増えてきて、誰も知らないけれどきちんと正直に行動する人間とか、自分の欲を超える崇高な価値観に従って自己を律する立派な人とかが、巷にほとんどいないではないか。そんな社会よりも、よりいっそう高い価値観を有している社会があることを、宗教的国家であるとか宗教的民族とかは示すべきではないか。その使命を忘れて、ただいたずらに人を殺して、自分たちの威信を示すことのみにやっきになっているとしたら、一体誰がそれを評価できるのだろうか?

 今、世界は、出口の見えないまっ暗な穴倉の中をあてどなくさまよっているようである。このもつれ絡み合った糸をほどく糸の切れ端は一体どこにあるのだろうか?

イラク戦争から今日まで
 イラク戦争の時、上空からピンポイントでねらうミサイルの映像を観ていながら、漠然と感じていた不安を思い出す。こんな簡単にいっていいのだろうか・・・と。圧倒的な軍備の違いにイラクの軍隊は為す術もないが、このあまりにもスマートな映像には映らないものこそ、もっと恐いものではないか。
 もっと恐いものとは・・・つまり、この映像の下でふくらませているであろうイラク人達の怒りと憎悪である。この戦争で彼等は負ける。あまりにあっけなく負けるだろう。しかし、彼等の怒りと憎悪は内に鬱積し、いつかゾンビのように蘇るに違いない・・・僕はそう感じていた。

 西欧的な考え方は、とても短絡的で分かり易い。あるものを悪と規定し、それをやっつける。民主主義国家(善)と独裁国家(悪)、キリスト教(善)とイスラム教(悪)というように二元論でものごとを考えると簡単である。悪と決めつけられたものは容赦なく裁いてよし。しかも暴力(武力)でそれを封じ込める。こうした価値観で自由主義社会は動いている。その価値観の旗手はアメリカである。そして我が国はそのアメリカにべったりである。
 本当にそれでいいのだろうか?このままアメリカにどこまでも追従していったら、アメリカは本当に僕達日本人をしあわせにしてくれるのだろうか?むしろ逆なんじゃないだろうか?このやり方ではもう駄目なんじゃないだろうか?だとしたら、日本人はそろそろ自分たち独自のやり方を追求し始めないといけないんじゃないだろうか?

 何も僕は、日本人がこれからテロ攻撃のターゲットになってしまう可能性が高まるから、恐いからアメリカと離れようと提案しているわけではない。そうではなくて、そうしたやり方をするアメリカと同じ穴のムジナだと思われて本当にいいのだろうか、と問いたいのだ。日本人は本来、アメリカ人のように考え行動する民族ではない。あの絶対的平和憲法を守ろうとするのだって、もとを正せば、日本人が元来争いを好まず平和と友好を愛する民族だからではないか。
 安保法案成立に反対する理由だって、本当は「そんなアメリカ」と一緒にされて、憎悪の対象にされることに対して、「日本人はそうじゃないんだよ」と言いたいからではないか?でも、今のままでは、確実にアメリカの一味と世界に認識されている。それは日本人として残念なことではないか?

 ただね、アメリカの傘下を離れることは、そう簡単ではない。そこにだって覚悟が要る。この事を話し始めると、また長くなってしまうので今日は割愛するが、少なくとも僕が言いたいのは、世界情勢がこれだけめまぐるしく変化していくなかで、我々日本人のあり方もきちんと決めて、それにふさわしい行動をとっていかなければならないということだ。しかも、のんびりしている暇はないのだ。

韓人教会との合同演奏会
 11月15日日曜日午後3時。カトリック東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂にて、関口教会聖歌隊と韓人教会聖歌隊との合同演奏会が開かれた。東京カテドラルでは、小教区関口教会のミサと共に、毎週日曜日の12時15分から、在日韓国人のための韓国語によるミサが行われている。その韓人教会と関口教会は、普段はあまり接触はないのだが、この聖歌隊同士の演奏会を通してお互いの交流を深めようとしているのだ。合同演奏会は、今年で3年目だという。勿論僕にとっては初めて。

 僕は韓国と韓国人に対してとても好印象を持っている。昔僕は、中村栄台本、李演国作曲「人は知らず~おたあジュリアの殉教」というオペラを指揮するため、ソウルに行ったことがある。はっきとは覚えていないのだが、確か1994年か1995年の話。
 東京室内歌劇場主催による初演時は、韓国人である作曲家の李氏やプリマドンナの李揆道(イ・キュウドウ)さんの他はみんな日本人であったが、ソウル公演では、逆に僕の他は全て韓国人。ちょっと心細かった。
 でも、現地では、みんなとても温かく僕を迎い入れてくれ、しかもいろんな所に食べに連れて行ってくれた。とてもおいしかったが、みんな辛く、最後にはちょっとお腹をこわしたのではあるが・・・。

 ソウルには、一週間の練習を2度と、南山(ナムサン)にある国立劇場での7回公演を含む二週間滞在したので、合計して約1ヶ月いたことになる。最後の公演には、妻と二人の娘だけでなく、僕の両親も呼んだ。驚いたことに、この僕の大家族まで食事に呼んでくれて歓待してくれた。一昔前の日本に残っていた下町っぽい人情がここにはあった。
 また、練習の合間に、南山から街に降りていって、南大門や名洞(ミョンドン)などをブラブラ歩いた。上野のアメ横などをもっともっと大規模にしたような、ゴチャゴチャした市や店の活気に驚いた。
 また日曜日にはカトリック教会のミサにも行った。大きな教会を満員にして、信者達が素晴らしい声で聖歌を歌っていた。どこへ行っても、彼等のエネルギーに圧倒され、この国はこれからもっともっと伸びていくだろうとその時思った。

 それと全く同質のエネルギーを、僕は韓人教会聖歌隊の歌声から感じた。聖歌隊の指揮者を紹介するからと連れて行かれた時、僕は当然の事のように、自分と同年配くらいの男性の指導者を想像していた。すると、そこにいたのは、若くて可愛らしい女の子だった。ウッソー!この娘が指揮すんの?指揮者だけでなく、聖歌隊全体が若い。
 僕達は合同曲の練習を3週続けて関口教会の10時のミサ後に行った。12時15分から韓人教会のミサが控えているので、あまり長くは練習出来なかったが、3回あったので、結構いい感じに仕上がってきた。
 菊谷卓也作曲「シャローム」は僕が指揮し、Why We Singという英語の曲は彼女が振った。Lee Jaewon Angelaという名の彼女は、全身を使ってけなげに指揮をする。平均年齢が高い関口教会のメンバーにとって、英語の曲はハードルが高かったが、合同曲の後、別の部屋で練習した成果があって、だんだん関口教会のメンバーの声も聞こえてきた。

 演奏会では、最初に韓人教会聖歌隊が4曲歌った。4曲目の「美しい国」という意味の韓国語の歌が胸を打った。合唱団が若いから声が美しく透明で、しかも母国語だということもあり、心がこもって切々と心に訴えかけてきた。
 それから、我々が3曲歌った。賛美歌の「いつくしみふかく」と、新垣壬敏作曲「(聖フランシスコの)平和の祈り」それと「神様といつも一緒」である。この「神様といつも一緒」では、僕は、関口教会の若者2人にお願いしてギターを弾いてもらった。
 この曲は、僕が群馬の新町教会で洗礼を受けた頃、とても流行っていた曲である。この曲を作曲した末吉良次さんは、あの頃よく桐生のフランシスコ修道院からブラザー佐藤達郎さんと一緒に遊びに来てくれて、ミサでは僕が大声で歌いながらギターを弾いていたのだ。その時の雰囲気をなんとか再現しようと試みたのがうまくいって、曲が始まるやいなや会場から手拍子が起き、会場が大いに沸いた。
 それから合同曲になったわけであるが、最後のWhy We Singが終わった後、拍手が鳴り止まず、僕達はアンコールを用意していなかったので、Why We Singをもう一度歌った。

 演奏会後、関口会館のケルン・ホールでの打ち上げも、とてもなごやかで、みんな晴れ晴れとした顔をしていた。何人もの韓人教会聖歌隊のメンバーが、僕の所に来て、
「三澤先生の指揮で歌えたのがとってもしあわせです。先生のファンになりました」
と言ってくれた。歌が結びつける力の強さを僕は感じていた。
 今年も待降節が近づいている。僕は、関口教会聖歌隊の指揮者になってからもうすぐ1年経とうとしているのだ。もう40年も前になるが、末吉さんと一緒に聖歌を歌い、洗礼を受けた頃、教会には僕だけでなく若者達が出入りしていて、小さい教会ではあるが活気に溢れていた。僕達は、みんなと熱く信仰のことや、いろいろ他愛もないことまで語り合っていた。その輪中には、今の僕の妻もいた。あの日々の情熱が、老年にさしかかった僕の胸に、もう一度甦っている。教会っていいな。信仰って素晴らしいな!



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