音楽の友に載りました

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

風邪を引いた先週
 先週の月曜日。朝のお散歩の後、いつもより体が疲れているのを感じたが、気にすることもなく更新原稿を仕上げ、午後は、読売日本交響楽団の第九の合唱稽古をしに新国立劇場に向かった。第九の練習は楽しいので、結構エネルギッシュに練習をつけたのだが、その後、自分のデスクに戻ってきたまま動けなくなってしまった。何故かぐったりしているし、体が冷えている。第九の練習で声を使いすぎたからかも知れないけれど、なんとなく喉が痛い。
 しかし、今日の晩は、自作ミュージカル「ナディーヌ」の練習と、その後に忘年会が控えている。「ナディーヌ」の合唱団は、公募したので、僕にとって「初めまして」の人も少なくない。しかもいろんなジャンルの人が集まっているようだ。だけど、これまでなかなか忙しくて練習に行けなかった。だから、忘年会では団員達のことをよく知るチャンスだと思うのだ。是非行きたい!。
 そこでドトールに行って温かいものを注文し、体を暖めてから練習場に向かおうと思っていた。しかしながら、いつもと違ってちっとも体が暖まらない。それどころか、なんだか寒気がしてきた。それでも、忘年会はともかく、ギリギリまで練習だけは行こうとしていたのだが、とうとう断念しなければならなかった。というより、家にさえ無事に着けるかどうか分からなくなってきた。
 なんとか家に着き、熱を測ったら、高熱ではないが37・8度あった。その内、どんどん喉が痛くなってきた。

 それから、金曜日くらいまでグズグズしていた。火曜日の朝になったらもう熱はほとんど平熱に戻ったし、仕事を休むほど悪くはないのだが、ずっと喉の痛みが続いていた。夜は早く寝て、朝のお散歩も控えた。お酒は月曜日から金曜日まで一滴も飲まなかった。むしろ蜂蜜とレモンのお湯を自分で作っては毎晩飲んでいた。一方、読響の第九は、マエストロ稽古からオケ合わせ、ゲネプロ、サントリー・ホールをはじめとする本番(初日はBS日本テレビの収録)へと進んでいった。
 東京バロック・スコラーズも、水曜日の定期練習の後、忘年会をやっていて、今年の読響第九の指揮者である上岡敏之さんのマエストロ稽古の後、僕は練習場か忘年会会場へと駆けつけることになっていたが、これも「ナディーヌ」同様、断念しなければならなかった。2月初旬に10周年記念のロ短調ミサ曲演奏会を控えているので、みんなの気持ちを鼓舞するために是非とも行きたかったのだけどね。とっても残念!

 本当に大変だったのは、その間にいくつかの平行する仕事が詰まっていたこと。まず、二期会「トロヴァトーレ」公演のプログラムに載せるエッセイ6000字の原稿の締め切りが12月18日金曜日であったので、これに間に合わせないといけなかった。先方からは「ワーグナーとヴェルディというテーマに引っ掛けて思いの丈を書いて下さい」という要望があった。思いの丈はぶちまけたいが、しかしながら、ヴェルディの比較的初期の作品である「トロヴァトーレ」には、まだワーグナーの影響は全くない。先方にそう連絡すると、
「それでは、『トロヴァトーレ』にはまだあまりワーグナーの影響は感じられないが・・・と前触れしておいて、そのあとどうぞ思いの丈を・・・・」
などと呑気な事を言っている。
 それでも、なんとか苦労して書き上がった!しかも、手前味噌ながら結構良い原稿が出来たぞ!ひとつだけ、「チラ見せ」すると・・・ワーグナーは「ニーベルングの指環」で前奏曲を廃し、ドラマに直接流れ込んでいけるように作曲した。それが次の時代の新しい流れになり、R・シュトラウスやプッチーニなども前奏曲や序曲を置かずにオペラを開始するのが潮流となったが、それは「ラインの黄金」が初めてではなく、なんと「ラインの黄金」が世に出るずっと前に「トロヴァトーレ」にはすでに序曲がないのである。
 優れた舞台感覚を持つヴェルディが、自らのドラマ性を追求したあげく、ワーグナーと同じ結論に到達した、という事実を提示することで、僕は、何もかも違うように見えるこの二人の芸術家が、それぞれのドラマトゥルギーを追求する情熱において共通しているのだ、という結論を導き出したかったのだ。

 また、23日水曜日には、愛知祝祭管弦楽団の「ラインの黄金」の練習がある。ウィーンのマーラー作曲交響曲第2番「復活」から戻った彼等は、すでに何度かの練習を重ねているが、23日は僕の初練習である。その日は練習後に僕自身による講演会が催される。基本的には団員向けであるが、名古屋のワーグナー協会の会員にも声を掛けているもので、「ラインの黄金」のライトモチーフの解明が主なテーマである。この準備も行わなければならなかった。
 それ以外にも、まだいろいろ細かい仕事を抱えていたが、これらを第九の仕事の間にこなさなければならない。健康であれば何ということもないのだが、空いている時間はなるべく睡眠時間として確保しながら、出来る時に集中的に作業を行った。いやあ、よく寝た。寝て、食事をして、仕事しただけの一週間。こういうのは、生活にうるおいっていうのの真逆なんだね。
 19日土曜日から、元気になってきたので朝のお散歩を再開した。今は再び元気である。ああっ、健康って素晴らしいですね!

音楽の友に載りました
 音楽の友1月号が送られてきた。「指揮者の仕事場探訪」というコーナーで、最初のページに僕の仕事部屋の写真がドーンと出ている。以前この欄でも書いたけれど、僕の家に遊びに来た人達にも、この二階の仕事部屋だけはほとんど誰にも見せていなかった。何故なら、普段は超散らかっていて、とても見せられる状態ではないからだ。
 仕事場なんてそんなものなので、ありのまま見せたっていいのだろうが、取材となるとどこの写真をどのように撮られるか分かったものじゃない。お陰でもう今年の年末の大掃除が必要ないほど片付いた。けれど、出来上がった記事を見て、なんだ、ここだけ載るんじゃ、ほとんど掃除しなくてもよかったじゃん、と後悔した(笑)。


カホンとベートーヴェン像

 結果的に掲載された記事は面白かった。ゲラを送らない方針ですと言われたので、事前にチェックが出来なかったのが残念だったが、なるほど、こういうタッチでまとめたのかと感心した。
 ただ、気になる箇所は2つあった。「おにころ」の高崎公演のところで、「群響が泣きながら演奏してくれました」と書いてあった。正確には「泣きながら演奏してくれた団員もいた」だ。みんなが共感してとても良い雰囲気の中で練習から本番まで出来たのは事実であるが、全員が泣きながら演奏したら演奏にならなくなってしまうだろう。それに、この言い方は、なにか僕が傲慢な人間のように感じられる。群響関係の誰かがこれを読んでいたらごめんなさい!こんな生意気な言い方はしていないからね。
 また、一番最後のInfomationで、「ナディーヌ」の出演者募集の記事を載せていただいてとても感謝しているのだが、練習開始を2016年10月5日を書いてある。勿論、2015年の間違いである。公演が2016年8月27日28日なので、2016年10月ではもう終わってしまうだろうが。
 つまり、練習はとっくに始まっているのだ。でも、まだ大募集中である。来年の2月頃までであれば、途中で入ってもなんとか間に合うので、是非皆様、今からでもどうぞ!・・・と、こんな感じなので、ゲラさえ送ってくれれば、直してあげたのに・・・。

 あとは、とても良く書いて下さっている。おびただしい写真を撮ったので、一体どこが載るのか分からなかったが、自慢のスキー板であるK2のVelocityを持っている写真が載ったのはちょっと嬉しかった。それと、親友のスキーヤーである角皆優人(つのかい まさひと)君のことも書いてある。また、ルーブル美術館の階段のところに展示してあるサモトラケのニケの縮小レプリカにも興味を示してくれたんだね。
 本当は、ピアノの上に置いてあるベートーヴェンの頭像もバシバシ撮ったのだけれど、載らなかったね。これはね、角皆君が僕達夫婦の結婚式の時にくれたのだよ。次のような会話の末にね。
「三澤君。他ならぬ大親友の結婚式のお祝いだ。何でも欲しい物を言っていいよ」
「ホントに何でもいい?」
「うん」
「何でも?」
「うん、勿論だよ」
「じゃあ、このベートーヴェン像をくれ!」
「ええ・・・そ、それは・・・」
「何でもいいって言ったじゃないか」
「た、確かに、言ったけど・・・」
「くれ!」
「ううう・・・・仕方ない・・・三澤君のためだ・・・・いいよ、あげるよ」
「ヤッター!」
ということで、無理矢理角皆君の部屋から奪ってきた物だ。これを後生大事に持っている。ただ、ホントのことを言うと・・・ピアノの上に何十年も置いていたのだけれど、最近になって孫の杏樹がこのベートーヴェンを怖がるので、今は、ちょっと見えないところに隠してはいる。でも、時々出しては眺めて勇気をもらうのだ。
 写真を撮るためには、楽譜やCDが整然と並んでいる階下のピアノの部屋が良いとは思ったが、「仕事場探訪」の趣旨には、僕が日頃自分の巣としてほとんどこもっている2階の仕事部屋が合っているので、適切な判断をしてくれたと感謝している。

カホンが来た
 カホンという楽器をご存じだろうか?見かけただの木の箱である。というか、そもそもスペイン語でCajónというのは箱の意味。引き出しという意味もある。ところが、これがただの箱ではない。立派なラテン・パーカッションであり、コンガやボンゴなどよりずっと音色の変化の豊かな打楽器なのだ。箱の中は空洞で、裏にスネアドラムのスネアのようなものが貼ってある。これが複雑な音色を醸し出す。このカホンをAmazonで注文し、金曜日にとうとう家に来た。
 カホンをどこで知ったのかというと、なんとなく見たことはあったのだが、衝撃的に出遭ったのは、仙道さおりというパーカッショニストを知ったのがきっかけだ。ある時、Youtubeで長谷川きよしの「別れのサンバ」を見た。長谷川きよしというのは、歌もうまいけれどギターにおける超絶技巧の名手なのを知っているだろうか?

 ところが、僕がYoutubeでもっと驚いたのは、なんと伴奏が彼自身のギターともうひとりのパーカッショニストのみにもかかわらず、まるでベースとか他の楽器が入っているように充実していることだった。特に間奏の部分の即興のギターとフィルインされたパーカッションには度肝を抜かれた。しかも、それを叩いているのは可愛い顔をした女の子なのだ。それが仙道さおりだった。
僕は、夢中でYoutubeで仙道さおりの動画を探した。いろいろなパーカッションのレッスンや模範演奏をしている。天才だと思った。とにかくそのリズム感覚はただごとではない。
 それらのYoutubeを見てからというもの、僕のパーカッションへの情熱は蘇った。実は、僕は昔から結構パーカッション大好き人間なのだ。何?「おにころ」を聴いていれば分かるって?その通りである!
 かつて、新国立劇場で子どもオペラ「スペース・トゥーランドット」をやった時、カーテン・コールの時にアンサンブルに混じって、コンガを叩いていたのは僕です。下手な打楽器奏者よりはリズムが良いと自負しているのだ。
 家には、昔どこかで安く買ったエスニックなタイコが置いてある。暇があるとそれを使って練習するようになった。孫の杏樹は僕がタイコを叩くと大喜びで、タイコに合わせて踊っている。僕が練習して上達するにつれて、彼女の踊りにも激しさが増してきた。端で見ていて心配になるほどだ。将来はダンサーかな?僕も、もっともっと上達して、杏樹とふたりでストリート・パフォーマンスをしようかな。でも、普通のタイコでは限界がある。やっぱり、あの仙道さおりの叩いているカホンという楽器の七変化の音色には遠く及ばない。そこで思い切って買ったのだ。
 早速カホンを叩いてみた。箱の上に普通に乗って手で叩くだけのシンプルなもの。でもね、素晴らしい響き!ヤッホーッ!しかしながら、これを本当に使いこなすのは簡単ではない。手のひらや腕だけでなく両手の人差し指から薬指までを柔軟に動かす。時々、響きを曇ったものにするために足を使ってミュートする。ううー、奥が深い。シンセサイザーなど遠く及ばない。マニュアルの極地!カホンのリズムに乗せられて、杏樹のダンス、もはや芸術の領域!ストリート・パフォーマンスの夢に一歩近づいた気分。
 せっかくだから誰かに習ってみようかなと思い始めている。でもなあ、中途半端な先生に習っても仕方ないな。やっぱり、仙道さおりクラスでないとな・・・。誰か彼女と個人的に知り合いっていう人いませんかあ?

僕の年末~良いお年を!
 さて、今週はこの後読響の第九の公演が続くが、僕は24日のクリスマス・イヴには、関口教会(東京カテドラル)のミサで聖歌隊の指揮をする。17時、19時、22時、24時の4回と、次の25日の朝10時のミサを全部指揮してから、一度自宅に戻り、25日の晩の池袋芸術劇場の第九公演にあらためて出直す。興味のある方は、カテドラルに足を運んで下さい。街ではジングルベルだのサンタさんだので浮かれているけれど、教会で過ごすクリスマスこそが本物だからね。クリスマスは、サンタクロースが来る日ではなくて、キリストが生まれた日だからね。分かっていると思うけれど・・・。
 26日土曜日には、その読響第九大阪公演のため、日帰りで大阪に行く。そうするともう次の日は27日日曜日。朝、関口教会に出向いてミサの指揮をした後、急いで自宅に戻り、午後から家族で出発して、行き先は白馬。その晩は泊まるだけで、次の朝からいよいよ待ちに待った僕のスキー・シーズンが始まるのだ。この日を夏過ぎから指折り数えていたのだ!
 今年は、僕の家族だけではなく、甥のまーちゃんや、姪の貴子の家族、すなわち例の腕白小僧の虎太朗君達も白馬に大集合するのだ。実に楽しみな年末である。

 さて、そんなわけなので、このホームページの更新は、今年はもうおしまいです。28日は白馬で、次の週の1月4日もまだ正月早々なのでお休みさせて下さい。次の更新は2016年1月11日月曜日の夜。たまりたまったいろんな話題を携えて書きます。
また来年も頑張ります!
それではみなさんも、お元気で、良いお年を!!



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