充実した1日
1月23日土曜日。朝から東京バロック・スコラーズの練習に行く。13時まで練習してから、お昼を急いで食べ、ソプラノのパート練習を僕がつける。その後、本郷の求道会館に移動して、カップリング講演会。さらに打ち上げと、フル稼働の1日であった。
しかし、東京バロック・スコラーズにとって、この1日があるのとないのとでは、恐らく2月7日のロ短調ミサ曲演奏会の仕上がりに大きな影響が出るに違いない。それほど実りのある大事な1日であった。
まず、朝の合唱練習であるが、この日は徹底的に割り切って、内面的なアプローチを意図的に避け、実質的な練習に終止した。具体的に言うと、音程、リズムといった「書いてある通りに正しく歌う」という要素を容赦なく追求し、次に音色、すなわち発声法と共鳴のさせ方を徹底的に直し、最後にバランスとフレージングを規定していった。
ひとりひとりの実力が上がっていくほど、各個人の音色を溶けあわせるのが難しくなる。それぞれが個別のメソードを持っているし、持ち声も違う。しかし、それを合わせるのが合唱の醍醐味でもある。いや、合わない声なんてないのだ。
Cum Sancto Spirituの一番難しいフーガでは、各パート2人ずつ、アカペラ&指揮なしで歌わせた。崩壊しそうになっても、なんとか自分たちで修復させる。実際の演奏では、ここまで崩壊することはないが、究極のアンサンブル能力を養うためには、このリカヴァリーの練習がとても役に立つのだ。
さらに、午後のソプラノ・パート練習でもひとりずつ歌わせ、発声や音程など厳しく直した。慣れない団員にとっては恐ろしい指導であるが、これに耐えられるようでなければ当団は務まらないのだ。
ミサ曲の内容に踏み込む
今回のカップリング講演会は、カトリックの神父である嘉松宏樹(かまつ ひろき)氏をゲストにお迎えしての異色の講演会であった。バッハは、いうまでもなくルター派のプロテスタント教会に属しているが、彼の晩年において、あえてカトリックのミサ曲全曲に取り組んだ。その本当の理由は現代に至るまで謎とされている。しかし、いずれにしてもミサ曲であるからには、聴衆にとって、ミサとは一体どういうものかという疑問から入っていくアプローチが有益であることは間違いない。
会場となった求道会館は、とても素敵な建築で僕は大好きだ。仏教の建物なのだが、昔の教会という匂いがする。それもそのはず、これを作った近角常観(ちかずみ じょうかん-明治3年滋賀県生まれ)は、浄土真宗大谷派の僧侶でありながら、若い時に欧州に留学し、特にマルチン・ルターの思想に傾倒して、教会風のこの建物を大正4年に建てたという。
近角自身、その壇上から「煩悶する人間が絶対他力によって救済される」という親鸞の思想を熱く語り、仏教界のみならず幅広く同時代の知識人に大きな影響を与えたと伝えられる。そうした情熱が、この建物に入っただけで、宗派を超えて伝わってくるようだ。
正面に仏像がある。この仏像に背を向けて、カトリック教会の神父が、ミサについて滔々と語るのを見るのはなんだかおかしい気もするが、不思議と違和感は感じなかった。
講演会は、最初の20分間、僕がロ短調の内容をかいつまんで語り、その後、嘉松神父によるミサの説明。そして休憩をはさんで、僕と嘉松神父の対談。その後、質疑応答という構成であった。
嘉松神父は、長崎教区の司祭であるが、現在カトリック中央協議会出版部長として東京に出向。中央協議会は、出版するだけでなく、教会からの正式な書物を出すということは様々な方面での教義的裏付けが必要なので、それに携わる人達の、教義や典礼に関する豊富な知識は不可欠である。その点、嘉松神父はフランスで典礼に関する勉強を徹底的に行ってきたので、その方面に関しては、我が国において彼の右に出る人は決して多くないと思われる。しかし、そんな重鎮であることをみじんも感じさせないほど、穏やかで気さくな人間である。
彼が語ったミサの説明の中で、次の点が特に印象に残った。
Kyrie(主よ、憐れみ給え)
この祈りが始まる前に、回心の祈りがある。大部分の信者は、Kyrieを回心の祈りの続きだと思っているが、回心の祈りは、その後の司祭の、
「全能の神がわたしたちをあわれみ、罪をゆるし、永遠のいのちに導いてくださいますように」
という罪の赦しの宣言で終了する。つまりKyrieとは回心の祈りではない。
ではKyrieとは何かというと、
「主よ、憐れみ給え」
とは言っているけれど、むしろ神への信頼の祈りである。そして、その後にGloriaが来る場合(Gloriaが歌われない時もある。たとえば待降節や四旬節)、Kryrieの後半は、Gloriaに向かって肯定的な賛美の色を強めていく。
Gloria(天のいと高きところには、神に栄光)
この祈りは、かつてクリスマスの時だけ歌ってもよいとされたり、通常の神父ではなく司教と呼ばれる位の高い人がミサを行う特別の時だけ唱えられたり、という歴史を持つ、とても祝祭的な色の濃い賛歌である。特にクリスマスの前や、復活祭の前は、それらの祭日の喜びを強めるために、意図的に省かれる。
Credo(信仰宣言)
現代の日本の教会では、ミサの中で、この「ニケア・コンスタンチノーブル信条」といわれる信仰宣言は語りで唱えられており、歌唱されることはまずないが、バチカンではむしろ、ミサの中でCredoと「主の祈り」の二つをなるべく歌唱されることを薦めているという。
Credoは、キリスト教徒であるための4つの柱の最初の柱として、ミサの外でも重要な要素である。すなわち、キリスト教徒とは、まず第1に、自分の信仰心を宣言する者である。しかも、自分の信じている事が教義的に間違っていないか唱えながら確認するために、教義のエッセンスでもあるCredoを使用する。
ちなみに第2の柱は秘跡。この中に、秘跡の最高形式としてのミサがある。信者はミサにあずかるべし、ということである。第3の柱は十戒という言葉にまとめられるように、信者はそれにふさわしい生き方をするべきということ。これは一般の法律を守るということと似ているけれど、ちょっと違う。おまわりさんには捕まらないけれど、キリスト教徒としてふさわしくない、ということはあるのだ。そして第4の柱は「主の祈り」という言葉に象徴されるように、信者は祈るべしということ。
ミサの中では、第1の柱であるCredoと、第4の柱である「主の祈り」が組み込まれているので、その意味でも重要なのである。さらに重要なこととして、これが言葉の祭儀に含まれていること。すなわち、福音書の朗読と司祭の説教を聞くことは、ある意味受動的であるが、信仰宣言は、それらの言葉を受けて、今度は自分から能動的に表明し宣言する行為であるというのを押さえておく必要がある。
Sanctus(聖なるかな)
この祈りをよく理解していない信者は多い。僕もそのひとりであった。実はSanctusの前に、司祭は叙唱というのを唱える。この叙唱では、
「神の威光をあがめ、権能を敬うすべての天使とともに、わたしたちもあなたの栄光を終わりなくほめ歌います」
という風に、我々の視線を魂の俗的な世界から天使達のいる天上的な世界に向け、我々の魂をより高いステージにグーッと上げてから、
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」
とSanctusに突入していくのである。
そしてSanctusのすぐ後には、いよいよ備えられたパンと葡萄酒が、キリストの体と血とに変容する聖変化という瞬間が訪れるわけである。この、ミサの中で毎回行われる奇蹟を、我々の魂が受け止める準備の意味としても、Sanctusの重要な位置づけが分かるだろう。
Agnus Dei(神の子羊)
これだけは、司祭のある行為と一体となった賛歌である。すなわち、この曲の間で「パン裂き」という行為が行われる。「神の子羊」というのはイエスのことである。この呼び名は、新約聖書のヨハネによる福音書からとられている。
(洗礼者)ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。裂かれるパンは、すでに聖変化が終わってイエスの体になっているので、会衆は司祭によって掲げられたパンを仰ぎ見ながら、イエスを指す「世の罪を取り除く神の子羊」と唱えるのである。
「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」
(ヨハネによる福音書第1章29節)