なにかが降りてくるためには

三澤洋史 

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なにかが降りてくるためには
 いつも、大きな本番があると、心の中に常に大きな重荷が引っ掛かっていて、時に耐え難いほどである。これさえ終われば・・・と思いながら暮らしている。手慣れた曲であるほど、僕は1音1音覚えようとする。
 暗譜で指揮することは必要なのか否かという議論は、そもそも僕には存在しない。必要だから暗譜するのではない。そういうことを問う人は、きっと必要最低限のことしかやりたがらないのだろうな。そもそも本番中に、譜面を置くかどうかなんてどうでもいいのだ。どっちみち覚えていないと僕は演奏会に臨まないけど、必要とあらば譜面は置くし、置かない方が偉いなんてこれっぽっちも思っていない。ただ、完全に覚えているのに、どうして譜面をわざわざ置いて、1ページ毎にめくる必要があろう?。
 それ以前に、僕は、これだけ素晴らしい曲を演奏出来るのだから、出来るだけその曲と時間をかけて密に付き合い、出来るだけ深く知りたいのだ。ちょうど、愛する人と出来るだけ一緒に居て、その人のことを、癖や習慣まで詳しく知りたいと願うのと一緒だ。
 それで、譜面に必死で近づくのだけれども、バッハのような偉大な作曲家を相手にすると、音符は覚えられても、その“音符達を産み出した衝動”の部分に到達するのは容易ではない。本当の事を言うと、自らの才能の欠如を憂う自己嫌悪の毎日を送ることになるのだ。
 作曲家と自分とがなかなか同化出来ない悩みもある。才能の有無だけではなく、やはり別の人間だからね。最後の最後まで自分とバッハとの感性の摺り合わせに難儀するんだ。さらに、とことんスコアと付き合うので、関わり過ぎて、変な話、ロ短調ミサ曲なんて見るのも聴くのも嫌だあ!もう解放されたい!って思ってしまう時期がある。バッハなんて大っ嫌い!なんて感じ。信じられないだろうけれど・・・しかし、それを乗り越えると、今度は自分の吸う息吐く息が全てロ短調ミサ曲になる。一日中頭の中で勝手にロ短調ミサ曲が流れ始める。バッハが筆を下ろしてひとつひとつの音符を書き入れた、その気持ちが理解出来る。この音しかない、という想いが伝わってくる。

 そうすると、公演中には、指揮していて、全て自分から即興的に音楽が紡ぎ出されていくような感覚になる。作曲家にそれだけ同化するということだ。いいかい?そうなって、初めて、公演中に何かが降りてくる、という状態になるのだよ。何も努力しないで、勝手に天上界から何かが降りてくるということはないのだ。世の中そんなに甘くはない。当たり前だろう。

 演奏会がうまくいけばうまくいくほど、その次の日からの虚脱感が著しい。これさえ終われば・・・と思っていたにもかかわらず、終わってみると実に虚しい・・・というか、明日から一体どうやって生きていけばいいのか?と途方に暮れる。演奏会が終わったらあれもしよう、これもしよう、と決めていたクセに、緊張感が完全に解けてしまって、次の朝になるともうただの還暦のジージが陽だまりの中にボーッと居るのみなのだ。
 なんにもする気が起きない。普通の人に戻るなどというレベルではない。この状態だけ見たら、むしろ廃人に近いと言ってしまっても過言ではない。頭の中では、演奏会はもう終わっているのに、ロ短調ミサ曲の演奏がエンドレスに流れている。誰かスイッチを切ってくれえーーーっ!

こんなことをもう何十年も繰りかえしているんだ。

スネでベロを押すこと~楽しいコブ作り
 2月12日金曜日。ガーラ湯沢スキー場。残念ながら、異常な雪不足のため、一番の目当てな南エリアの260万ダラーとブロンコという長いコブ斜面が未だオープンしていない。残念だ。唯一のコブ斜面は、北エリアのスーパースワン。なので、中央エリアの中級斜面ジジや急斜面グルノーブルなどでウォーミング・アップした後、ただちに北エリアに向かう。

 今年の目標はバンク・ターン(コブの溝をなぞって行くコース)を完全に身につけること。でも、スーパースワンに出来ているバンク・ターン用の溝は、僕のようなじーじには間隔が短く深すぎてやりにくい。そこで僕は、やり易いようにコースを自分で作ることにした。
 コブは、基本的に人が滑って作るものだ。同じシュプールを何度もなぞっていくと、ズラしてえぐれたところが自然に深くなっていき、滑っていないところは結果的に盛り上がっていってコブが形成される。
 僕はまず、あまり人に荒らされていない新雪に、バンク・ターン用の最初のS字シュプールを描いた。北エリアは、結構急斜面のブロードウェイの途中から一度初心者用のスワンに入り、すぐ横にそれるとスーパスワンに入る。
 ブロードウェイはそのまま続いていて、ジャンプ台などが出来ていてスノ・ボーダーなどが様々なフォームでジャンプしている。あんな風にジャンプできたら楽しいだろうなあ、とも思うが、今の僕の職業柄、怪我するといろんな人に少なからぬ迷惑がかかるので、エアーにはあまり足を突っ込まない方がいいよなあ・・・でもなあ・・・リフトの上から見ていると、楽しそうだなあ・・・。
 リフトを降りてコブ斜面までのブロードウェイでは、コブを想定したショートターンやズラシの練習をしたり、ゲレンデがすいている時には、フルカーヴィングで超高速で駆け抜けたりしてスーパースワンにあっという間に辿り着き、何度も同じシュプールをなぞってコブ(バンク)を作ることに精を出す。スーパースワンは短いし、リフトは高速の4人用クワッドなので、毎回あっという間にゲレンデに到着。1日で一体何回この斜面を滑ったのだろう。まるで取り憑かれたように、滑ってはリフトに乗り滑ってはリフトに乗った。

 気が付いてみると、カーブのきつい個所の溝はだんだん深くなり、そこから抜け出たところでは、どんどん雪が盛り上がってきて、立派なコブが出来てきたぞ。手前味噌ながら、僕の作るコブは芸術的で丸くて、他の人達が作る極端な段差ばかりのバンクコースとは大違いだ。世界でたったひとつの僕だけのためのmy bumps。自分の距離感で練習出来るんだ。
 最初はコブ作りということもあって、ズラしを多く使ってスピード・コントロールしていたが、コブが出来上がってきたら、だんだん調子に乗ってきてズラしを控えめにし、スピードを出してみる。整地と違って、ちょっとスピードを出しただけで、コブ斜面から受ける圧力や衝撃は見違えるように変わる。抜重してコブを越える時、気をつけないとジャンプしてしまう。まあ、それでもいいんだけど、やっぱりジャンプしない方がカッコいいような気がする。
 それで、抜重する瞬間に足を引き、コブの形状をグルリンとなぞって雪にへばりつくように盛り上がりを越えてみる。おおっ、これどこかの本に書いてあったな!ジャンプすると、着地の時に態勢が不安定になる可能性があるので、やっぱりジャンプしないに越したことがない。
 溝の所では、ターンの外側に箒で掃くようにズラしを入れる。目線と上半身は必ず谷の方を向いているべし。そうすると結構体がねじれる。自分が雑巾になってギューッとねじられる感じ。でも、これが次第に快感になってくる。

 今回ひとつ気が付いたことがある。それは、いつもブーツのベロにスネが当たっている方が安定性があること。といっても、つま先立ちをしているという意味ではない。むしろ足の裏自体はカカトにもしっかり体重が乗っている感じ。
 でも、このベロを押すということは、スキー板前部を中心に、全体にしっかり圧がかかっているということを意味するのだ。その結果、ターンの初動から仕上げまで、完全に板をコントロール出来るようになった。その安定感たるや、今まで何やってたんだろう、と思うくらいだ。
 スキーをやるみなさん!スネでベロを押す。これだけで、結構上達すると思いますよ。初心者の人達は、たいてい後傾になり易いので、ターンの後半では嫌でも体が板を押すけれど、ターン前半でも、しっかりズレるなりキレるなり、板を自分のコントロール下に置こうと思ったら、まずこれを試してみてください。といっても過度の前傾になるのも良くないからね。

 今日は、とても実りのある1日であった。コブは自分で作ってそれで練習するに限るね。難しいコブに挑むのもいいけど、やり易いコブでじっくり練習した方が、いろんな気付きを与えられて、結局的には上達が早いようだ。
 滑り終わって、ガーラの湯にゆったり入る。ああ、しあわせ!スネの裏の筋肉やモモ筋の疲労は、ハンパではないのだが、お風呂に入ってゆっくり揉みほぐす。それからサウナに入り、水風呂に入り~サウナに入り~水風呂に・・・・これって、どうなんだろうね?なんとなく体に悪いんじゃないかという気がしないでもないけれど・・・。水風呂に入るのは刺激的で良いのだけれど・・・。誰か本当のことを教えて?サウナ~水風呂の繰り返しは、ホントのところ、体に良いの?悪いの?

 ここで学んだ事を、僕はニセコで花開かせるのだ・・・・あっ、言ってしまった!ええと・・・すみません・・・来週の「今日この頃」ですが、北海道のニセコからお送りすると思います。2月21日日曜日に羽田空港から新千歳空港に向けて発ち、25日木曜日の朝まで4泊するけれど、今回はニセコ・グランヒラフという、ニセコに最初に開発されたスキー場の近くに宿を取った。
 昨年行ったのはニセコ・ヴィレッジというスキー場で、ここはヒルトン・ホテルとグリーン・リーフというふたつのホテルしかなくて、基本、その宿泊者のためのプライベート・ゲレンデの雰囲気であった。ホテルの外は一面の雪原で、下界から完全に隔離されている。
 リゾート気分が好きで、その隔離感と高級感が味わいたい人はいいのだけれど、僕はあんまりそういうの好きではない。それより、グランヒラフは、昔からのひらふ村という感じがそのまま残っていて、ホテルの近くにも沢山の居酒屋やレストランがあって通りも賑わっている。コンビニもある。昨年、バスで通りかかって、今年はここに来ようと決めていたのだ。ゲレンデも一番大きくバラエティに富んでいるし、ナイト・ライフも大いに楽しみ。勿論、僕は全山共通のリフト券を使って、昨年お気に入りだったニセコ・ヴィレッジの「みそしる」などコブ斜面にも通うつもりだけれどね。

 そのニセコから帰って来たら、すぐ次の日から、今度はびわ湖ホールの「さまよえるオランダ人」合唱指揮者として、京都に行く。大津ではなく京都と言ったのには理由がある。長女の志保もピアニストとしてびわ湖ホールに行く。そうすると、妻がひとりで孫の杏樹の面倒を見なければならなくなるため、いっそのことみんなで行こうという話になって、京都駅前のウィークリー・マンションを予約しているのだ。なので、2月21日から「さまよえるオランダ人」びわ湖公演が終わる3月6日まで、東京を離れます。
 「さまよえるオランダ人」のプロジェクトについては、いろいろ語りたいけれど、また来週以降に回そうと思う。ひとつだけ言及すると、先日の新国立劇場「魔笛」公演でも演出を手がけていたミヒャエル・ハンペの演出が素晴らしい。ひとつひとつの場面を実に丁寧に綿密に描いていて、ドラマ的に全てつじつまが合っており、初めてワーグナーに接する人にも強力にお薦めします。
 ハンペは、僕の作った合唱団をとても評価してくれて、僕達は大の仲良し。また、この続きは書きますね!



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