飯守泰次郎さんの「ローエングリン」
パリから帰ってきた5月4日水曜日。成田空港から新国立劇場に直行し、14時から始まる「ローエングリン」立ち稽古に出席する。時差ボケする間もないくらいの短い滞在だったので、飛行機の中でそんなに眠れなかったにもかかわらず、体調は悪くなかった。
例によって、記憶力抜群、手際よさにかけては日本一の演出助手、澤田康子さんが、4日の昼夜、5日の昼夜、そして6日の午後までの3時間練習5コマで、まるで刺身職人が、数匹の魚から見事な舟盛りにさばき上げるように、めまぐるしい速さで立ち稽古をつけていった。
ただ、新人達は、あまりに短期間でおびただしい情報を叩き込まれたので、どの音楽でどのように動けばいいかは分かったものの、自分の歌っていないところのソリストの歌詞の意味や、それに対応する微妙なリアクションとかがまだよく分かっていないので、演技にリアリティを追求するのはまだ酷というもの。それは仕方ない。それをこれからの練習で肉付けしていかなければならない。それでも、見ていると、経験者達がきめ細かく面倒を見ている。そういうやさしい先輩達の光景は、見ていて嬉しい。
さて、6日金曜日の晩は、指揮者飯守泰次郎氏の合唱音楽練習。伝令役の萩原潤さんを呼んで、最初は男声合唱だけの部分を練習した。ある箇所を練習した後、飯守さんが言う。
「ここ、譜面には書いてないけれど、クレッシェンドしているね。実は、僕はそうしたくて自分の譜面に書き込んであるんだ。三澤君、僕の譜面のぞき見たの?」
「いえ、バイロイトでそうやっていたので、そのやり方をみんなに指示しただけです」
「さすが!」
その後、女性が加わって、第1幕の難所である「白鳥の合唱」と呼ばれる箇所を練習する。
「おおっ、最初の弱音もよし!言葉の飛ばし方も、リズムもよし!僕のやって欲しいことを全て先取りしてやっているね」
「ノルベルト・バラッチュがこの箇所をとても厳しく稽古つけていました」
別の箇所でも、
「ここのsubito pianoも何も言わずにやってくれたね。僕がやりたかったこと・・・これもバイロイト仕込み?」
「はい!」
「全て、前準備してくれているので、練習が進むねえ!」
第3幕終景で、オルトルートの最後のあがきの歌唱に対する、Ha!という叫びの箇所。多くの指揮者が、音をはずして完全な叫びにしてしまうのを分かっていたが、ワーグナーは音符で書いてあるので、書いてある通り2分音符で歌わせた。するとマエストロは止めて、
「あのう、ここね・・・」
飯守さんが言い終わる前に僕は、
「やっぱりもっとSchrei(叫び)にしたいですか?」
「そ、そう・・・」
「いちおう音符で書いてあるので、あとでどうなってもいいように音符で歌わせておきました。では、もうちょっと崩しましょう」
「はい!」
僕は合唱団の方に向き直って言う。
「では、最初の音だけ正しく歌い、すぐ下にポルタメントかけるようにずらしてみて!」
それでやってみる。マエストロは、
「もっと、叫びになっちゃってもいいかな」
と言う。何度か試した結果、飯守さんの一番気に入った感じになった。
「三澤君は、僕が何も言い出さない内に、全部分かっちゃうんだね」
「飯守さんのやりたい事、全部僕には理解できます」
こんな風に飯守さんとは、ほとんどツーカーだ。それでも、直される箇所や、軌道修正される箇所はある。それはこういう理由からである。飯守さんも僕も、バイロイトではこうやっているのが分かっていて、それを音符処理や音楽造りの美学のデフォルトにしているけれど、それだけでは飯守さんも僕も永久にバイロイトを超えられないのだ。
だからある箇所は、飯守さんが個人的な音楽的見解であえてバイロイトとは別の方法を取った箇所であり、反対に、ある箇所は、僕が前段階の合唱練習で、あえて僕の趣味で合唱団に別な要求した箇所なのだ。
僕と飯守さんは、その意味ではバイロイト楽派と言っていい。ルーツが一緒。違いは、同じ楽派の中での個人差である。飯守さんの解釈の違いに、僕は彼の魂の苦悩と試行錯誤の歴史を見る。僕もそうだったから。だから、飯守さんが、バイロイトのやり方からはずれた選択をした時にも、僕には、彼がどのような思考方法を通って、その結論に達したかが手に取るように分かるのだ。ワーグナーをやっていて、バイロイトからはずれるということは、それほど勇気の要ることだからである。
「ローエングリン」はまだ始まったばかりだが、彼の期待に応える為にも、もっともっと合唱団を磨いて、一皮むけた状態で本番に突入していきたい。
ナディーヌゆかりの場所探訪
サン・ミッシェル界隈
聖ミカエル像
モンマルトル
モンマルトルの丘からパリを一望
モンマルトルの路地裏
丘の下のメリーゴーランド
忘れられたら・・・忘れられたら・・・・あーあ、完全にストーリーのネタバレしてしまった。でも、推理小説ではないのだから、ネタバレしても、ま、いっか。パリから帰ってきて、8日日曜日の午後に、さっそく「ナディーヌ」の特別強化練習があった。その準備のためにDVDでナディーヌとピエールがパリの街角を闊歩する「素敵な妖精」という曲を見ていたら、涙が出て来てしまった。やっぱり僕は、パリという街が大好きなのだな、と自分で気付いた。
時には忘却こそ救い
でもわたしは思う
辛くても報われなくても
それでも、それでも
愛する人生は素晴らしい
愛する為に
愛する為に
人生はある
苦しみも涙も
生きている証
サクレ・クールの屋根の聖ミカエル
パリの病んだ空に祈りは届いたか?
しかしながら、パリ滞在中、街角にいていろいろ考えてしまった。この街は病んでいる。あちらこちらにロマの女性達(本当はジプシーと言った方がみなさん分かり易いのですが、差別語なのであえてロマと言います)が子供を連れて物乞いをしている。
見ていると、ストリート・ミュージシャンには喜んでお金をあげるパリの通行人達だが、彼女たちにお金をあげている人を見たことがない(まあ、僕もあげなかった)。そんなんで、彼女たちは本当に食えているのだろうか?それより、少しでも働くことを考えないのだろうか?あの一緒にいる子供達は、将来どんな大人になっていくのだろうか。母親と同じように、また子供を連れて物乞いをするのだろうか?
一方、街でi-Phoneを売っているお兄さん達がいる。パリはi-Phoneが盗まれるので有名な街だ。ちなみに、次女の杏奈は、留学時代2度も盗まれている。だから、あの怪しいお兄さん達が片手に1本だけ掲げて売っているi-Phoneも、どう考えても正規のルートを経て仕入れたようには見えない。盗難品の可能性大ありである。うっかり買ったら同罪として罰せられてしまうかも・・・。それより、あのお兄さんは、昼間から働かないでi-Phoneを立ち売りしていて、食えるのだろうか?
ロマの女性達も、あのお兄さん達も、顔つきから移民ではないかと思う。移民故に、なかなか働き口が見つからないのかも知れない。それで、どうしても食えない場合、スリや窃盗という犯罪に手を染める可能性もある。なんとしても生きていかなければならないという切羽詰まった状態に追い込まれた人間は、何でもするから。
Cité Universitaireでのオケ練習の後、RER(高速地下鉄)に乗ろうと思って改札を通ってホームに来た。グノーのミサ曲を指揮する団員の酒井雅弘さんも僕達の後から来たが、改札の所で一瞬止まったのが見えた。何をしているのかなと思っていると、その直後、彼は尋常でない大声を発した。
驚いて行ってみたら、彼の後ろの浅黒い顔をしたお兄さんが両手を挙げながら一瞬立ち止まっていた。彼も驚いた顔をしていた。その呆然とした表情は忘れられない。次の瞬間彼は階段を上がり立ち去っていった。下に落ちていた財布を酒井さんは拾った。
つまり、お兄さんは、改札を通ろうとした酒井さんの、ズボンの後ろポケットに入っていた財布に手をかけたのだ。日本と違って、パリの改札は、グルグル回る3つの棒を通り抜けてホーム側に入った瞬間、扉ごと閉まってしまう。だから、通り抜けてしまったが最後、もう簡単には戻れない。
その一瞬を狙った狡猾な手口。でも、お兄さんが未熟だったのか、酒井さんが用心深かったのか?酒井さんが通り抜ける直前に気が付いて、振り向いたから良かった。恐かったのは、その瞬間、お兄さんはすでに酒井さんの財布を抜き取って手にしていたのだ。酒井さんが大声をあげたから、彼は持っていた財布を地面に放り投げて、両手を挙げた。
「俺は、何もしていない」
というジェスチャーだ。僕が見たのは、その瞬間だったわけだ。酒井さんが声を発しなかったら、お兄さんはそのまま走り去ったのだろう・・・・おお心臓に悪い!僕たち、しばらく胸のドキドキが止まらなかったよ。
こうしたスリや泥棒のたぐいが、パリでは後を絶たない。あまりに多いため、警察も到底追いつかないし、届け出たとしても大抵は泣き寝入りするしかないだろう。逆に言うと、そうしなければ生きていけない人達があまりにも多いということでもある。
かつて、アフリカ諸国を中心に世界一植民地を持っていたフランス。街を歩くと、まず黒人の割合の多いのに驚く。次いでアラブ系の人達。植民地からの移民も含めて、パリは大量の移民を受け入れてきたが、近年、政策の転換によって急激に制限されている。留学生のビザもなかなか降りない状態である。
アラブ人の経営するスーパーなどは、国で決められた営業時間を無視して、罰金を払ってまで、早朝あるいは深夜営業を営んでいる。それが働く主婦達の助けになっているのはいうまでもない。
そんな風に、移民達は、様々な形でフランス人社会の生活に入り込んでいるので、今や移民なしでは、パリの生活は成り立たない。それなのに、国あるいは国民達の差別意識はなくならないし、彼らに対する視線は冷たい。そうした状況が、この首都の犯罪を増長させている。このいたちごっこ。
そうした街で、連続テロ事件が起きても不思議はないとあらためて思った。あまりにいろんな人種がいるので、誰がテロリストだか本当に分からないということもあるし、外国人は誰しも、多かれ少なかれ、この国には不満を持っている。その濁った想念がパリの空を覆い尽くしている。
マドレーヌ寺院での「3つのイタリア語の祈り」は、演奏会としてはうまくいったが、僕の心は晴れない。僕は、普通の作曲家のように、自分の曲を演奏出来たから嬉しい・・・とか、普通の指揮者のように、良い演奏が出来たから嬉しい・・・では済まないからだ。うーん、分かりにくくて複雑な人間だ、と自分でも思う。
僕が作ったのは、平和を願う祈りの曲なのだ。成功や名声を狙って書いたものではなく、純粋に宗教的動機から作曲したものなのだ。シャルリ・エブド事件や、同時多発テロ事件の起きたパリという街の空の下で、もっともっと強い気持ちを込めて祈りの歌を響かせたかったのだ。それなのに、今手にしているのは、自分のちっぽけさと苦い無力感。
憎しみあるところに愛を僕は欲張りなんだ。この演奏から発した祈りが、マドレーヌ寺院だけに留まっていないで、パリ中に広がってパリの人達の心を内側から輝かせたかった。それだけの強い光を発したかった。パリに潜んでいるかも知れないISの戦士達の心にも、平和への希求を忍び込ませたかった。
侮辱あるところに許しを
分裂あるところに一致を
疑いあるところに信じる事を
誤りあるところに真実を
絶望あるところに希望を
悲しみあるところに喜びを
闇に光を
「聖フランシスコの平和の祈り」より