パリの余韻~聖母マリアを想う

三澤洋史 

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カトリーヌ・ラブレ
 パリ滞在の時には気付かなかったのだが、帰って来てからいつまでも余韻が残っている心の風景がある。たとえば、 chapelle de la Médaille Miraculeuses(奇蹟のメダイ教会)を訪れた時の、聖堂内の「内面から浄められたような」明るい雰囲気が、ふいに蘇ってきたりする。
何気ない日常の、ほんのすきまからスルリと心がワープし、時間が止まり、静寂が支配し、その快さに酔い痴れている自分がいる。


Catherine Laboure

 そういえば売店で買った聖女Catherine Labouréの小冊子があったな、と思い出して、本棚から引っ張り出してきて読む。フランス語訳とイタリア語訳の2冊である。今となっては、イタリア語の方がずっと読み易いが、パリ旅行以来、フランス語への興味も戻ってきたので、フランス語訳のものを中心に、ゆっくり読み直した。Catherine Labouréという名前については、やはりフランス人なのでカトリーヌ・ラブレ(ー)と読むのが自然だろうな。


Catherine Laboure


 小冊子の内容を要約して、この聖女の生涯を述べさせて下さい。
カトリーヌ・ラブレは、1806年5月2日にフランスのブルゴーニュ地方にあるFain-lès-Moutiers ファン・レ・ムティエという村で生まれた。10人兄弟の8番目の子供として生まれ、母親はわずか9歳のカトリーヌを残して亡くなったが、生前、子供達にイエスを愛する事を熱心に教えていたという。

 ある夜、彼女の夢の中にひとりの司祭が現れた。司祭は彼女に、
「神様は君に、ある計画を用意しているよ」
と語る。
 後にカトリーヌは、Filles de la Charité de saint Vincent de paul(聖ヴァンサン・ド・ポール愛徳修道女会)に入るが、修道会の創始者である聖ヴァンサン・ド・ポールこそ、夢の中に出てきた司祭その人であった。
 彼女はまず、バック通りにある神学校(現在の奇蹟のメダイ教会の場所)に入学して、修道女になるための準備をする。

1830年7月18日の真夜中、カトリーヌは、光り輝く子供(天使)に起こされ、聖堂に行くよう勧められる。彼女が行ってみると、聖母マリアが出現した。
11月27日に出現した時、聖母マリアはカトリーヌに、ある楕円形のメダイ(メダル)のヴィジョンを見せ、これを作るよう促し、同時に、メダイと共に唱えるべき祈りを教えた。
神学校を卒業すると、カトリーヌは老人ホームへの移動を命じられ、その場所を離れる事になる。一方、例のメダイは、彼女の理解者であるアラデル神父のはからいで実現化されていく。

その頃パリには、恐ろしい伝染病が流行していた。しかしメダイと祈りによって、医師から見放された重病人が治るなどの奇蹟が相次ぐと、このメダイの存在はどんどん有名になっていき、人々によって「奇蹟のメダイ」と呼ばれるようになっていく。

  しかしカトリーヌ自身は、メダイを作らせたのが自分であることや、聖母が自分に現れた事実をひたすら隠し続けた。彼女は、老人ホームで骨身を削って働き続けた。料理をし、鶏やウサギを飼い、乳を搾り、庭を耕した。
 また聖母の勧めにより、貧しい子供達のための学校も開いた。でも、当時は、働かなければならない子供達が少なくなかった。中には、わずか6歳なのに、一日中工場で働いてから、やっと晩になってから学びに来るという子供すらいた。
 
1876年12月31日。カトリーヌは亡くなる。その時になって初めて、聖母が出現しメダイを作らせたのは彼女であったというのが公にされ、カトリーヌの葬儀には溢れるほどの群衆が詰めかけたという。
1947年7月27日、教皇ピオ7世はカトリーヌを聖女と定めた。「奇蹟のメダイ教会」は、今日では、世界中から沢山の巡礼者が訪れている有名な巡礼地となっている。
 彼女の遺体は、「奇蹟のメダイ教会」の聖堂内に安置されている。腐敗せず、ガラス張りの棺の中のカトリーヌは、まるで眠っているようである。聖堂内には、晩年、聖母が現れて彼女に作成を命じた“地球を持った聖母像”があるが、彼女は出来上がった聖母像を見て、
「本物の方がずっと美しいわ」
と言ったそうだ。

 この教会に行って以来、聖母マリアについてよく考える。もしかしたら毎日考えているかも知れない。ルルドやファチマ、あるいは今日においてもメジュゴリエなど、聖母マリアは、過去から現在に至るまで、様々な場所に何度も出現している。
 どうして?出過ぎではないか?と思うほどである。それに、この奇蹟のメダイもそうだけれど、言ってみれば結構俗っぽいことをさせたりしている。

 聖母マリアの言動については、変わっていると思われる点がある。たとえばルルドでは、無学な少女ベルナデットの言う事を、大人達や聖職者達が信じてくれないので、自分のことをこう言うように、彼女に教えた。
「自分はImmaculate Conception(無原罪の御宿り~直訳すると、汚れない状態で受胎した)です」
 考えても見よう。自分のことを「汚れなき」と言える人は、よっぽど傲慢か、さもなければ・・・・本当に謙虚かのどちらかであって、中間はない。もちろん聖母はその後者であろうが、これを言うためには聖母とて勇気が要る。それは、今僕が言ったように、傲慢のそしりを恐れる故である。しかし、聖母は、それをあえて引き受けるほど無私なのだ。むしろ、自分はどう思われてもいい、ベルナデットの言うことを村人達に信じてもらい、自分が神から託された計画を成し遂げることを最優先にしたのである。
 カトリーヌ・ラブレの不思議なメダイもそうである。メダイを作らせるという発想が、先ほども言ったけれど、“俗っぽい”と感じるのは僕だけであろうか?しかも、聖母は、その作られたメダイを持って、次のように祈る事を、カトリーヌに教えたのだ。
O Marie conçue sans péché, priez pour nous qui avons recours à vous.
「おお、罪なき宿りのマリアよ、あなたにより頼む私たちのために祈って下さい」
 この「罪なき宿り」という言葉が聖母そのものから発したことを知って、
「自分で言う?」
と思って、逆に疑った人も少なくなかったのではないか。ベルナデットの時もそうであったけれど、聖母どころか、
「これは人を惑わす悪魔だ!」
と否定しようとする人が必ずいるものだ。
 しかし、メダイを手に持ち、この祈りを唱えたところで、悪魔に何の益があろうか?それよりも、少なくも祈るという行為を促すことで、人々に信仰心を呼び覚ます事が出来るならば、メダイという一見俗っぽいアイテムにも大きな価値が与えられるのではないか。聖母マリアは、そこまで読んで、あえてこれらのことを成しているのだ。
 聖母は、奇蹟というものの持つ尋常でないパワーと、同時に危険性の両方を良く知っている。人々は、それに熱狂的になるか、激しく否定的になるかどちらかであって、中間はないのだ。
「あら、奇蹟が起きたのね。よかったわね」
と簡単には聞き流せないのである。奇蹟を認めてしまうと、それに沿って生き方を変えなければならないし、否定したら、不信仰と言われかねない。奇蹟さえなければ平穏無事に暮らしていた人でさえ、懐疑的になることで、犯さなくていい罪を犯してしまうことだってある。
 それらをすべて承知の上で、マリアは今日も至るところで出現する。そして人々に危機を告げる。さらに、その危機を回避するために、祈りの必要性と、祈りの力の大きさを告げ続ける。
 聖母マリアは、優雅にたたずんでいる上品な淑女などではない。天にいても、じっとしてなどいない。救いのためには、なりふり構わぬ行動する、実に勇敢な女性である。

我が家に生きている聖母
 聖母マリアにまつわる我が家のある物語を話そう。

 次女の杏奈は、5歳の時に交通事故に遭った。生きていたのが不思議なほどの大きな事故だった。騒ぎを聞いて全速力で駆けつけた僕は、目の前の光景を見て一瞬ピタッと動きを止めた。道路の真ん中に一台の車が止まっており、その前に放り出された人形のように横たわっている杏奈がいた。止まったのは、もうだめだと思ったからだ。その後は妙に冷静になって、血だらけになった杏奈の頭を触って、それが割れていないか確かめたくらいだった。
 こんな時の親というのは、自分が直接事故に手を貸したわけでもないのに、いたずらに自分を責めるものだ。何年も何年も繰り返し繰り返し・・・・。今でも、杏奈には「ごめんね」という気持ちがある。それは妻も一緒だ。いや、僕以上なんだろうな。いっぱい、いっぱい、痛い想いをした。それを考えただけでも胸がいっぱいになる。結局、いろんな意味で、「守ってあげられなかった」という気持ちなのだろう。
 骨折はすぐくっついたが、杏奈の鼻と口の間には大きな傷が残った。2度の形成手術の後も傷は消えなかった。女の子だから、自分の外見で肩身の狭い想いはしていないか?クラスの中で男の子達にいじめられてはいないか?本人は何も語らなくても、いろんな場面で、傷ついてトラウマになっているに違いない。それを考えるといたたまれなかった。
 長女の志保は、時々妻に、
「おんなじことしてても、ママは杏奈には怒んないんだ!」
と嫉妬していた。

 僕たち家族がルルドに巡礼に行った背景には、その治癒を願ってという動機があった。しかし、僕の心の中には、正直言って、その目的のためにルルドに行く事が、なにか不純な動機のように感じられてならなかった。
「杏奈の傷がたちどころに治るようにと願うのは虫が良すぎるのではないか?これでは、御利益宗教と変わらないではないか。いやいや・・・それよりも、お前は、何も治らなかった時に、失望するのが恐いのだろう・・・それこそ、不信仰からくるプライドだ」
 奇蹟を期待してルルドに行く気持ちは、信仰者としてはどうなのだろう?そうした奇蹟を各地で起こしている聖母マリアは、どうしてこんな風に僕の気持ちをかき乱すのか?僕は苦悩していた。


ルルドの杏奈


 杏奈は、ルルドの泉を顔に浴びたが、「傷はたちどころに治った」という風にはならなかった。しかし、恐らくあの時から、僕たち家族は何かが変わったのだと思う。夕暮れの聖地。おびたただしい巡礼者達と共に行列する。ろうそくを手に持ちながら、
「アーヴェー・アーヴェー・アーヴェーマーリーアー!」
とみんなで大声で歌った時、聖母マリアのルルドに託した熱い想いを、僕たち家族は確かに受け取っていた。


ルルドの行列

 娘達は、学校では、自分がクリスチャンであることを隠していた。クリスチャンは、日本ではマイノリティ。でも、ここでは、みんながマリア様を愛していて、自分の信仰心を誰にはばかることなく表現している。彼女たちにとっては大きな驚きであった。瞳は輝き、彼女たちの魂が大きな翼を広げて自由に羽ばたいていくのが感じられた。
 その聖地の真っ只中で、かつてのベルリン音楽大学の後輩であるシュテファン・レックに偶然出遭った。おびただしい群衆の行き交う広場で、1メートル離れていたら確実にすれ違ってしまっていたであろう。これだけでも、ルルドで奇蹟が起こったと言ってもいいくらいだ。シュテファンとは、後に新国立劇場で再会する。その様子は、僕の著書「オペラ座のお仕事」(早川書房)に書いてあるので、読んで下さいね。


シュテファンとの再会


 杏奈は、その後クラリネットに夢中になり、パリ郊外にあるマルメゾン音楽院を一等賞をとって卒業するが、突然、
「メイクアップ・アーティストになりたい!」
と言い出して親を困惑させる。
 妻がじっくり話を聞いてあげている内に、彼女は、杏奈が生まれて初めて、自分の顔の傷と本気で向かい合っていることに気付いたという。メイクという、他人の顔を美しくする行為をすることによって、杏奈は自分自身が癒されていくような気がすると言う。
 ちょうどその折、これまでの2度の手術をはじめとして数々の通院を保証していてくれていた傷害保険の会社が、示談の話を持ちかけてきた。確かに、もうこれ以上通院を重ねても、画期的な治療は期待出来ない。家族で何度も話し合った末、僕たちは示談に応じた。
 そのお金を使って、杏奈は2度目のパリ留学をする。正直言って、二人の娘を数年に渡ってパリに留学させた僕たちの家計は結構ピンチであった。もうこれ以上、海外留学させる余力は残っていない。そこに、まさに天の助け。事故の後遺症が、杏奈にメイクの勉強への扉を開いたのである。
 杏奈は嬉々として再びパリに飛ぶ。今度はクラリネットではなくメイクの学校で学ぶために。モンマルトルのアパルトマンの屋根裏部屋に住み、黒人女性にメイクを施すという日本では絶対に出来ない経験をしたり、老けメークや特殊メイクなど、あらゆるメイクの方法を学んだ。それ以来、今日に至るまで、メイクの道を迷った事がない。僕なんか、最初の内は、
「やっぱり音楽の方がいい」
と言いながら戻ってきてくれないかな、なんて期待したりしていたけれど・・・。
 しかし、それも運命なんだね。今では、杏奈の後ろ姿を見ながら微笑んでいる聖母マリアを感じる。やっぱりルルドの奇蹟は起こっていたのだ。僕たち家族は、こうして今日もルルドを生きている。

日常をきちんと生きる尊さ
 カトリーヌの話に戻ろう。彼女は、マリアに出遭ったのが自分であったことも、メダイや“地球を持ったマリア像”を作らせたのが自分であったことも、ひたすら隠し、普通のシスターとして、全く日常的な仕事に没頭した。何か煩わしい事が起こっても、彼女は常に、
「お年寄り達の中にイエス様が見えるの」
と語っていたという。
 凄い事だとおもう。こうした何でもない日常をどう生きるかが、本当に大切なことなのだ。もちろん、すごく努力して大きな事を成し遂げることだって大切だけれど、そんな最中でさえ、人間として最も重要なことは問われ続けるのだ。すなわち、今、自分の心はどれだけ澄み切っているか?どれだけ満たされているか?どれだけ感謝に満ちているか?どれだけ無欲、無私、無我になって、他人に寄り添えるか?我々は問われている。あらゆる社会的立場、階級、人種、国民性、地域性を超えて・・・。

 カトリーヌもベルナデットも、一見、なんの変哲もない少女。しかし聖母マリアは見ている。彼女たちの内面を。そして、自分がその人の前に出現するにふさわしい人材を探している。その人材を使って、人々の心を信仰に立ち帰らせ、世界中の魂を少しでも浄化しようと、必死で願っている。

僕達も、内面から輝かなければ!



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